第38話 痛む心にお薬を(1)
「じゃあ、俺はそろそろ帰るな。香奈、お前はどうする? 車で送っていくこともできるが」
病院での診察を終え、間宮君の部屋へと戻ってきたあと。
ここまでついてきてくれた清田先輩が、ペットボトルのお茶を飲み終え立ち上がった。
「ありがとうございます。でも章吾先輩たちが来るのを待とうと思うので」
「わかった。じゃあまたな、間宮」
「すみません、ありがとうございました」
ベッドに寄りかかって座る間宮君が頭を下げる。
玄関の外まで清田先輩を送るため、私も席を立った。
「先輩、今日は本当に助かりました。ありがとうございました」
「おう。また詳しい検査結果が出たら教えてくれ」
「はい」
「間宮に無理させんなよ。こじらせるな」
「分かってます」
「じゃあな」
先輩を見送り、部屋に戻る。
間宮君がちらりとこちらを見て、ため息をついた。
「送ってもらえばよかったのに」
「だって、その足じゃ買い物にも行けないでしょ? 今から色々と必要なものを買ってくるよ。夜ご飯とか」
「いい」
「なんで?」
「別に一日ぐらい」
「すごく痛むんでしょ。明日だって一人で買い物に行くのは無理かもしれないよ?」
受診の結果、レントゲンでは異常が見られなかった。
でも膝の曲げ伸ばしができない上に痛みと腫れがひどくて、おそらくレントゲンには映らない半月板を損傷しているのだろうということだった。
数日後にうけるMRIの結果次第で、手術か手術なしの保存的治療かが決まる。
先生は多分手術が必要になるだろうと言っていたけれど……。
「手術となると、復帰まで最短でも2か月か」
「……そうだね」
損傷の程度にもよるし、検査結果が出て手術を受けるまでの期間もある。実際にはもう少しかかるだろう。今シーズン中の試合復帰は絶望的だ。
「――意味がねぇ」
「えっ?」
「来シーズンじゃ、意味がねぇんだよ」
低い声でそう呟いた間宮君が顔を上げる。
そのきつい眼差しにどう言葉をかけたらいいのか迷った時、玄関のインターホンの音が部屋に響いた。
まだ何か言いたげだった間宮君が、ふっと目を逸らす。
「あの……もしかしたら先輩たちかも。私が出てもいい?」
「あぁ」
玄関へと向かい、ドアを開ける。
章吾先輩と、その後ろに司先輩、泰吉先輩の二人が立っていた。
「お疲れ様です」
「おう、香奈もご苦労だったな。お前らも晩飯まだだろ? 弁当ついでに買ってきたぞ」
「あっ、すみません。ありがとうございます」
先輩たちが靴を脱ぎ、部屋の中へと入っていく。
「大丈夫か、間宮」
泰吉先輩がだるそうに腰を落とす。
「はい、今日はすみませんでした」
「半月板だって? 靭帯よりはマシでよかったじゃねぇか」
章吾先輩もそう言って、司先輩とともに空いた場所に腰を下ろした。
「膝はまだ動かせない状態なのか?」
司先輩の問いかけに、間宮君が頷く。
「はい。なにか引っかかる感じと痛みがあって、ほとんど……」
「そりゃ、手術決定だな」
あっさりと言い切った泰吉先輩が、お茶のペットボトルに手を伸ばす。
黙りこんだ間宮君に、章吾先輩が苦笑を浮かべた。
「詳しい検査結果が出てみないことには何とも言えないな。だがどちらにしても無理はするな。お前はまだ一年なんだ、焦ることはない。後のことも考えてしっかり完治させてから復帰すればいい」
「……ありがとうございます」
章吾先輩のフォローに、間宮君が硬い表情のまま頭を下げた。
みんなでお弁当を食べ終えて間宮君の部屋を出ると、章吾先輩、泰吉先輩と別れ、司先輩と二人でマンションへと歩き出した。
いつの間にかあんなにも存在を主張していた太陽は消え、居酒屋の軒先に赤々としたネオンが灯っている。
「司先輩、試合はあの後どうでした?」
「別に。特に変わったことは……あぁ、守が一本取ったな」
「え、守がですか!? 初タッチダウン!?」
「あぁ」
「うわっ、見たかったです!」
「残念だったな」
「どんな状況で……それって、司先輩と一緒に出てる時ですよね!?」
「あぁ」
そっか、守の目標叶ったんだ!
司先輩ともっと一緒にプレーしたい、自分も優勝に貢献したいって海で言ってたもんね。
「守、感動のあまり泣きじゃくったりしませんでした?」
そう尋ねると、司先輩の口元がふっと緩む。
「涙目にはなってたな」
「やっぱり! 絶対泣くと思ってたんですよ! でも、本当に良かった」
「なんでそこでお前まで涙ぐむんだよ」
「だって、あの守ですよ? ぽっちゃりで、怠け者で、おバカで、主食がお菓子で、20年間一度も彼女ができたことのない、あの守がやり遂げたんですよ!?」
「それ、全く関係ないだろうが」
司先輩が呆れたように言う。そしてそっけなく付け足した。
「だがまぁ、体力はついてきたし足腰強くなったし、お前が毎朝練習に付き合った価値はあったのかもな」
これってもしかしなくても、褒められてる?
あまりの驚きに、思わずその場に立ち止まる。
じわじわと緩んできた頬を引き戻しながら、その背中をまた追いかけた。
「今日の試合、あれから他に怪我した人はいませんでしたか?」
「あぁ」
「そうですか、良かった。……間宮君、かなり落ち込んでいましたね」
「自分でも手ごたえを感じていた時だけに、悔しいだろうな」
「章吾先輩はまだ一年だから焦る必要はないって言ってたけど……間宮君、来シーズンじゃ意味がないって」
「意味がない?」
司先輩がいぶかしげな顔で問い返す。
「はい。どういう意味かは分からなかったんですけど、とても悔しそうにそう言っていて」
「……」
「すごく落ち込んでて、どこか投げやりで。こんな時、一体どうしたらいいんですかね。私に何ができるんだろう」
どんな言葉をかけたとしても、どこか他人事のように無責任な言葉に聞こえてしまう気がして、今日は結局何も言えないままだった。
「――何もするな」
「えっ?」
「人に構われたくない時もある。そっとしておいてやれ」
「でも……」
「いいな?」
「――はい」
強い口調で言われ、慌てて頷く。
確かに、間宮君はあまり人にかまってもらいたくないのかもしれない。今日だって、私に早く帰れと言いたげな様子だったし。
今はやっぱり、そっとしておくしかないのかな?
だけど、なんか……ほっとけないよ。
間宮君の辛そうな顔が頭をよぎり、小さくため息をついた。