第36話 秋季リーグ戦
厳しくも楽しい合宿が終わったあと。
部活は二日に一度の割合で午前、午後の二部制となり、いっそう厳しさを増していった。
今日の練習も、ここのところずっと取り組んでいる秋季リーグ戦にむけた実戦的な練習だ。
部員たちは全員、部外秘のプレーブックという作戦帳を持っている。
これは試合で使う各プレー(作戦)での動き方を、わかりやすく図で表したもの。
1プレーごとに作戦名と各自の配置(フォーメーション)、各プレーヤーの役割(ブロックの相手、動く方向)、そして誰がボールを持ちどのコースを抜けるかなどが、丸や矢印などを使って一目でわかるように書いてある。
そのプレーブックにある沢山のプレーの中からコーチやQB(クォーターバック)が今の状況に一番適したものを選び、ハドルでみんなに指示をするというわけだ。
けっこう数がある上に、たった一人でも間違った動きをすればほころびが出て、そのプレーは失敗に終わってしまう。
試合中のハドルでは作戦名だけが伝えられるので、全員が事前にきちんと覚え、練習で確認しておくことが大切だ。
今日も敵チームに見立てたディフェンスメンバーを相手に、何度もその確認作業をしているところなんだけど、誰か一人でもおかしな動きをしようものなら先輩たちからの容赦ないゲキが飛ぶ。
まだ私はそんなに詳しくないけれど、アメフトって知れば知るほど、本当に奥の深いスポーツなんだなと思う。
相手チームをしっかりと研究し、その出方を読んでプレーを組み立て、臨機応変に対応して……。頭脳とパワー、どちらが欠けても強いチームになることができないんだもんね。
「ハドル!」
オフェンス陣がディフェンス陣から少し離れたところに集まり、QB(クォーターバック)山下先輩から次のプレーの指示を受ける。
「「「よし行こうっ!!」」」
ハドルを終えた選手たちがパンパンと手を二度打ち鳴らし、素早く自分の配置に散っていく。
オフェンス、ディフェンス双方が向かい合い、低く構えた。
「セット! ハットハット!」
QB山下先輩の合図で、みな一斉に動き出す。
ボールを受け取ったのは守だ。
落とすことのないよう両手でしっかり抱え込み、オフェンスラインによって作られた穴へと勢いよく突っ込んでいく。
守はディフェンスの選手を振り切るように少し前進したあと、その場に倒れこんだ。
「今のよかったぞ、守」
司先輩が守の腕をつかんで立ち上がらせる。
先輩は次のハドルへと向かいながら、守に何か細かいアドバイスを与えているようだった。
「ハドル!」
休む間もなく、また山下先輩から次のプレーの指示が出る。
「セット ハット――」
みんなが配置につき山下先輩が次のプレーを始めようとした時、ディフェンス側にいた章吾先輩が急に体を起こし、両手を大きく振った。
「ストップ、5分休憩! ――雄大!」
雄大君が章吾先輩のもとに駆け寄ってくる。
「あいつら追っ払ってこい」
「えっ?」
「あいつら?」
雄大くんとともに、章吾先輩の視線の先をたどる。
すると目立たない場所からこっそりとグラウンドを見下ろしている、二人の男の子の姿が見えた。
「どこかのアメフト部員ですかね?」
用意しておいたお水のボトルを配りながら、章吾先輩に尋ねてみる。
他校の試合をスカウティングするのはどこのチームもやっている当たり前のことだけど、練習風景を覗き見するのはマナー違反だ。
「さぁな。……おっ、気付いたな」
章吾先輩の楽しげな声に視線を戻す。そこには慌てて逃げ出す男の子たちと、それをすごい形相で追いかける雄大君の姿があった。
「わぁ、めちゃめちゃ必死に逃げてますね! あ、コケた!」
「笑えるな」
あの雄大君が怖い顔して追いかけてくるんだもん。そりゃあ、ダッシュで逃げたくもなるよ。
「お水、もういいですか?」
みんなに確認したあと、グラウンドのあちこちに転がっている空っぽのボトルを回収する。
ベンチに戻り大きなタンクからお水を補充しなおすと、今度は軽くなったタンクを抱えて階段を駆け上った。
――午前練習が終わるまで、あと一時間か。
それにしても、あまりの暑さにのぼせて鼻血が出ちゃいそう……。
帽子を脱ぎ、湿った髪をかきあげる。首に巻いていたタオルを取り空いている蛇口の下に頭を突っ込むと、癒しのシャワーをたっぷりと堪能した。
秋季リーグ初戦まで、あと二日……気合を入れて頑張らないと。
タオルで頭をガシガシと拭き、また帽子を深く被る。
満タンになったタンクを抱え、グラウンドへ走った。
お昼の休憩をはさみ、午後の練習も厳しい暑さとの戦いだった。
それでも今季のリーグ優勝にかけるみんなの気持ちは強く、練習が終わった後も誰ひとり抜けることなくアフターの練習に残っていた。
グラウンドの周囲に、ぽつぽつと明かりが灯りだす。
だんだんボールが見えにくくなってきて、ようやく部員たちも練習を切り上げ、一人また一人と帰り支度を始めた。
「すみません、ラスト一本お願いします!」
今日はRBのみんなとは別の練習をしている小太郎の声が響く。
「おう、ラスト一本!」
スナッパーと呼ばれるポジションの先輩が、股の間から7ヤードほど後ろにいる先輩(ホルダー)へとボールを投げ渡す。ホルダーの先輩がそれをキャッチして素早く地面に置くと、小太郎が間髪おかずに高々と蹴り上げた。
遠くで待機していた一年生たちが数人、ボールを追いかけて走っていく。
これはアメフトの得点方法であるフィールドゴール、そしてトライフォーポイントの練習だ。
サッカー部出身の小太郎はその飛距離とコントロールを買われ、今シーズンのキッカーに選ばれている。
人数の多いチームだと、オフェンスチーム、ディフェンスチームとは別に、このフィールドゴールやトライフォーポイントなどを専門とするスペシャルチームが組まれていることが多い。BLACK CATSは人数が少ないため、今はみな兼任しているけれど。
スナッパーがボールを投げ渡し、ホルダーがキャッチして地面に置き、キッカーがそれを蹴る。この一連の動作に与えられる時間は、わずか2秒ほど。だから3人のタイミングがぴったり合わなければ、得点を決めることは難しい。
「相変わらずよく飛ぶねぇ」
「間宮君……」
いつの間にか後ろに立っていた間宮君が、抱え過ぎて落ちそうになっていたお水のボトルを数本持ってくれた。
「ありがとうございました。お疲れ様でした!」
小太郎が遅くまで練習に付き合ってくれた先輩たちに頭を下げる。
「おう、気にすんな。明後日からの試合が楽しみだな!」
先輩たちは笑顔を見せると、自分の荷物を取りに戻っていった。
「お疲れさま、小太郎」
「あぁ、香奈ちゃんもお疲れさま。ごめんね、今日も遅くまで付き合わせちゃって」
「ううん、そんなことないよ」
「小太郎先輩ももう上がりますか? 司先輩がみんなで飯でも食いに行こうかって言っているんですけど」
「もちろん行くよ。腹減ったなぁ」
間宮君の言葉に、小太郎が笑顔で答える。
「私もおなかがペコペコ」
「それ以上薄くなったらヤバいっすよ。早く食べないと」
「薄いって……あ、今変なとこ見た! 絶対見た!」
わざとらしく胸のあたりに目を向けた間宮君を睨みつつ、小太郎の後ろに隠れる。
「はいはい、喧嘩しない。仲良くご飯を食べに行こうよ。マジで腹減った」
「そうだね」
「そうそう、食うもの食って、出すとこ出してぇ」
「間宮君、うるさい!」
ベンチにもどり荷物を抱えると、完全に日の落ちた道をRBのみんなと部室へ向かって歩き出す。
「今日も暑かったッスねぇ」
「マジで。今がピークだな」
「腹減ったぁ!」
「司先輩、今日の晩飯どこにしますか?」
「そうだな、たまには普段行かない店にするか」
司先輩を中心に、みんなが楽しげな笑顔で声を掛け合う。
もうどれだけ、こんな日を繰り返してきたんだろう。
身体は疲れていても気持ちはとても充実していて、すっかりこの生活が当たり前になっている。
みんなの努力が、ちゃんと実を結んでくれたらいいな……。
そんなことを願いながら、星の瞬きはじめた夜空を見上げた。
秋季リーグ、初戦まであと二日。
司先輩の引退まで、残り約2か月――。