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閑話 ハスキーな彼の不運な一日(2)

間宮駿視点の続きです。


「うーん、やっぱり暑いね」

 海へと続く道を歩きながら、香奈先輩が額に手を当て目を細める。


 まとめてある髪からこぼれたひと筋のクセっ毛が、歩くたびに跳ねて視線を誘う。

 首元のリボンと背中のホックが、やけに心もとない。

 ――少し手を伸ばすだけで、一瞬で脱がせられるんじゃないか?

 まだ真っ昼間だというのに、ついそれを取り去ったあとの姿を想像しそうになる。

 絶対、欲求不満だろ、俺。


「うわぁ、結構たくさん人が来てるんだね。可愛い人がいっぱい」

 水着姿の女が増えるにつれ、どこか不安げだった香奈先輩の顔に安堵の笑みが広がっていく。

「その格好、司先輩は知ってんの?」

 そう尋ねると、香奈先輩が苦笑しながら首を振った。

「知らないよ。章吾先輩からね、咲良ちゃんを連れてくる条件として、司先輩には内緒で二人とも水着を持って来いって言われたの」


 やっぱりな。そんなことだろうと思った。

 このタイミングの良さといい、あの女の楽しげな様子といい、きっと章吾先輩から何か頼まれていたに違いない。


「持ってくるつもりだった水着を咲良ちゃんに見せたら思いっきり引かれてね、昨日一緒に買いに行って、これを選んでくれたんだ」

「どんなやつを着るつもりだったんだ?」

「去年の体育で使った競泳用の水着。背中がバッテンになっていて、ももまで隠れるヤツ」

「うわ、ありえねぇ。自分の女がそんな水着で海に来た日には、俺だったら速攻、他人のフリして家に帰るね」

「そこまで言う? まぁ、咲良ちゃんにもさんざん言われたけどさ。でも、どうせ水着の上にTシャツと短パンを着るつもりだったから、どんな水着でも同じかなって思ってたんだけど」

「なんでわざわざそんなもん着る必要があるんだよ」

「だって……まぁ、何となく?」

 香奈先輩が口ごもり、視線を彷徨わせる。

 普段俺には見せることのない、柔らかな『女』の顔――。今、誰を思い浮かべているのか、なんてことは明らかで。


「もしかして、司先輩になんか言われた? 男の前では脱ぐな、とか」

 他の男を想う顔など見たくもないのに、その気持ちがどれだけのものなのかを確かめたくて言葉が口をついて出る。

 香奈先輩が微かに赤くなった顔を上げ、ううん、と慌てたように首を振った。


「別にそんなことを言われたわけじゃないよ。ただ、なんかいろいろと怒られたことがあって、水着になるのもあんまりよくないのかなって勝手に思っただけ」

「へぇ。それなのにどうして着ようと思ったわけ?」

「着ないなら咲良ちゃんを連れてかないって章吾先輩に言われてさ。咲良ちゃんすごく残念そうな顔してて、可哀そうになっちゃって……。それに……」

 香奈先輩がためらうように俺の顔を見上げ、小さな声で続ける。

「咲良ちゃんがね、恋人と長く上手くいくためには、時々驚かせるぐらいの方がいいんだよって……お兄ちゃんが惚れ直すかもよって」

「――驚いて、惚れ直す、ねぇ」

 バカらしすぎて笑ってしまう。

 どう考えても、驚いてブチ切れるの間違いだろ、それ。あの独占欲の強い人が、そんな可愛い反応示すかよ。


 つまりこいつは、司先輩の説教の甲斐もなく、あっさり章吾先輩とあの二人にのせられましたってことらしい。

 こいつに惚れている俺とあえて一緒に登場させるあたり、章吾先輩がどこまでも司先輩を煽って楽しもうとしているのは明らかだ。

 頼むから俺を巻き込むなよ。ただでさえ本気になりすぎて、らしくもなく身動きの取れない複雑な状況なんだから。

 だけど、まぁ――

「いいんじゃない? たまには」

 二人の間がこじれようが別れようが、俺にはむしろ都合がいいし。

 あの人の遊びに使われたのは癪だが、それならせいぜいこの貴重な水着姿を堪能させてもらおうじゃないか。


 物思いにふける香奈先輩へと目を向ける。

 男なら誰もが触れたくなる、白くてなめらかな肌。幼さと女っぽさがほどよく混在する華奢な身体と、くったくのない表情。

 隣に俺がいてもなおたくさんの男の視線を集めているというのに、こいつは全く気付かない。

「――さっきも言ったけど、水着、本当によく似合ってる」

「あ、えっと……ありがとう」

 驚きに目を丸くした香奈先輩が、照れくさそうに微笑んだ。


 海の家につき、大量のビールやつまみを購入する。

「俺たちも好きなものを買っていいってさ。何か選べば?」

「え、いいの? わーい、じゃあ冷たいアイスにしようっと!」

 香奈先輩が顔をほころばせ、アイスの入ったケースを覗き込んだ。

 二人とも両手にたくさんの買い物袋を下げ、歩き出す。

 普段の水くみで鍛えているせいか、香奈先輩はその小さな身体に似合わず、軽々と荷物を運んだ。


「間宮君、見て見て、あの人すごくない? 可愛いし、スタイルめちゃくちゃいいよ」

「普通だろ」

「えー、そう? 間宮君てば絶対理想高いでしょ。――そう言えばさ、今日は誰が一番可愛い子をナンパできるか賭けるってみんな張り切っていたけど、上手くいったの?」

「さぁ、どうだろうな」

「間宮君は参加しなかったの? 私の予想ではね、やっぱり1位は章吾先輩だと思う」

 

 やっぱりこいつは、あの時のキスを酒に酔った俺の悪ふざけだと結論付けたらしい。

 そのことにどこか落胆しつつ、残りの半分で安堵する。

 こいつの司先輩への気持ちに揺らぎがない今、俺の気持ちを知っても、ただ困らせて気まずくさせるだけだろう。そんな些細なことすら恐れるようになった自分に、笑いが出るけれど。


 他愛もない話をしながら、先輩たちが待つ場所へと向かう。

 近づいていくにつれ、部員たちが一人、また一人とこちらに気付き、呆然と立ち尽くすのが見えた。

 司先輩の姿を探せば、めずらしく微かな笑みを浮かべ後輩の話に耳を傾けている。

 周りの異様な雰囲気に気付いたのか、それとも俺の視線を感じ取ったのか――

 ふとこちらを振り返った司先輩と、確かに目があった。


「……あのさぁ、間宮君」

 香奈先輩がさっきまでの笑みを消し、どこか浮かない顔で話しかけてくる。

「私さ、やっぱり荷物を届けたあと、合宿所に戻って上着を取ってこようかな」

「上着?」

「うん。司先輩に見つからないように、こっそりと。なんかさ、つい章吾先輩や咲良ちゃんの説得に負けてこんなのを着てきちゃったけど、やっぱり水着を着るなら司先輩の許可を取ってからにした方が無難な気がして」

「無難、ねぇ」

 それだけ答えて戻した視線の先。司先輩が冷ややかな顔で俺たちを見据え、足早に歩いてくる。

 その距離、残り40ヤード。


「――荷物を置いた後と言わず、今すぐ逃げた方がいいと思うけど」

「えっ?」

「あぁ、でももう無理だな。この距離だと、さすがのあんたでも追い付かれる」

「はい?」

 まだ状況に気付かない香奈先輩がのんきに首をかしげる。それに苦笑して、顎で軽く前を指し示した。


「俺さ、今すっげぇ睨まれてんだけど」

 やっと司先輩の姿に気付いた香奈先輩が、両手からどさりと荷物を落とした。


「どっ、どどどっ、どうしよう! あの顔怒ってるよね!? すごく怒ってるよね!?」

「あぁ。かつて見たことないほどキレてんな」

「やっぱりマズかった!? どうしよう! 本当にどうしたら……そ、そうだ! 何かで隠さないと! いや、隠れないと!!」

 動揺しすぎた香奈先輩が、何を血迷ったのか俺の腕を掴み後ろに隠れる。

 あーあ、一番やってはいけないことを……。

 

 案の定眉間にシワを寄せた司先輩を、何とも言えない気分で待ち受ける。

 そのずっと後ろの方。

 相変わらず口を半開きにしたアホ面の部員たちと、腹をかかえて笑う章吾先輩、泰吉先輩の姿が見えた。





 ――司先輩に引きずられるようにして香奈先輩が連れ去られたあと。

「お疲れさん」

 二人分の荷物を抱え先輩たちの元に戻ると、章吾先輩が満面の笑みで俺をむかえた。


「ご苦労だったな、ハスキー間宮」

 泰吉先輩もニヤリと笑う。

「……その変な呼びかた、やめてもらえますか」

「あ? なんか文句あんのか? シベリアンハスキーって長すぎんだろうが」

「……」

「しかしよ、本命の司がジャガーだろ? 次点の小太郎がチーター、そして雄大ですらグリズリーとみんな立派な猛獣ぞろいなのによ、一番必死にアピールしていたお前が貧相なペットの家犬扱いとはな。香奈のヤツも結構残酷だよなぁ」

「……」

「ま、しょせん香奈にとってお前は、その程度の男ってことだ」

 

 ――マジでうぜぇ。

 とっとと沼に沈め。このヒキガエル!



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