閑話 ハスキーな彼の不運な一日(1)
合宿の続きです。間宮駿視点となります。
「おい、間宮。悪いけど買い出し行ってくれるか」
合宿二日目。
リクライニングチェアに寝転び、ようやくまどろみかけたところを無粋な声に起こされる。
金髪に近い短く刈り込まれた髪。いくつかのピアス。
どうみても悪いなどとは思ってなさそうな章吾先輩がふてぶてしく両腕を組み、俺を見下ろしていた。
「……はい」
眠気を払いつつ、身体を起こす。
「ビールと適当な食い物をこれで買える分だけ買ってこい。お前も好きな物を選んでいいぞ。――あぁ、買い出しに行く前に合宿所に寄って、香奈も連れて行け」
「香奈先輩を?」
「章吾先輩、それなら俺が駿と二人で行ってきますよ?」
気をきかせて立ち上がろうとした雄大を、章吾先輩が手で制する。
「お前はいい。間宮、行け」
「……分かりました」
内心面倒に思いつつも、仕方なく立ち上がる。
だがなぜ雄大ではなく、あいつを連れて行く必要があるんだ?
近くにいる司先輩も訝しげな視線を投げかけていたが、章吾先輩はいつものごとく素知らぬ顔でそれを受け流している。
とりあえず金を受け取ると、合宿所へと歩き出した。
夏休みに入ったばかりの今日、砂浜は鬱陶しいほどの人で賑わっている。
夏の日差しとサンダルの隙間から入る砂の熱さに顔をしかめつつ歩いていると、派手な水着の女たちに声をかけている守さん、そして同じ一年の三村たちに出くわした。
「おっ、ちょうどいいところで間宮発見! なぁなぁ、一緒に可愛い子を探しに行こうぜ!」
あっさり女に逃げられたらしい守さんが、笑顔で駆け寄ってくる。
「いや、俺はやめときます」
「えーっ、お前もかよ。お前か小太郎が一緒なら、絶対可愛い子をつかまえられるのにさ。これだからモテる男は嫌いなんだ。付き合い悪すぎ」
随分な言われようだな、おい。
だが何と言われようと、自分でも不思議なほどそういう気分になれないのだから、しょうがない。
「悪いけど、他のやつにあたってください」
「他のやつ? だれか他にお前らほどカッコ良くて頼めそうなやついたかぁ? さすがに先輩たちには頼めないし……やっぱりお前しかいねぇじゃん。間宮、頼む! 一生のお願い! 一回だけでいいから協力してくれよ、なぁ!」
守さんがどこか切羽詰った顔で両手を合わせる。
本当にプライドがないな、この人。後輩相手に、こんなしょうもないことで一生のお願いとか言うなよ。しかもそれ、もう何度目だ。
「すみません。本当にそういう気分じゃないんで……。章吾先輩の買い出しの途中なので失礼します」
ここにいたらきりがない。軽く頭を下げて歩き出す。
「なんだよ、間宮のドケチッ!」
あまりにも分かりやすい負け惜しみの言葉が飛んできて、思わず一人噴き出した。
ドケチって……あんた一体、いくつだよ。面白すぎるからやめてくれ。
防風林の間の小道を抜け、合宿所へと向かう。
確かさっきまで食堂で洗い物をしていたはず。まだ、いるよな?
静かな合宿所のドアに手をかけ、勢いよく開ける。
「げ、間宮君!」
「――香奈先輩?」
水着姿の香奈先輩が、慌てて司先輩の妹の後ろに隠れた。
黒地に白の細かい水玉模様がはいった、ホルターネックのビキニ。
同じ布のミニスカート。
いつも肩下あたりで揺れている髪の毛は緩くまとめて止めてあり、露わになった細い首の後ろで水着の紐が結ばれている。
胸元にフリルのついた水着は色が黒のせいか、いつもより少し大人びて見える。
普段服の下に隠されて目にすることのない肌は驚くほど白く滑らかで、顔を赤く染め恥じらうその姿からは、十分すぎるほどの女の色気を感じた。
章吾先輩に頼まれた時点で、何かあるんだろうとは予想していたが。
「……くそ、あのハゲ」
この状態のこいつを、あえてこの俺に、司先輩の元まで連れて行けってか?
「あの、どうかした?」
何も知らない香奈先輩が女の背から顔を出し、不安そうに尋ねてくる。
「――いや、何でもない。買い出し行くぞ」
「買い出し?」
「章吾先輩に頼まれたんだよ。合宿所にいるあんたを連れて行ってこいって」
「そうなの? じゃあ早く行かなきゃ……あぁでも、どうしよう!」
香奈先輩が司先輩の妹の後ろに隠れたまま、おろおろと動き出した。
「咲良ちゃん、やっぱり私、タオルかTシャツだけでも」
「だめ」
「う、酷い……」
「いつまでそんなとこに隠れてんだよ」
「香奈ちゃんってばこんなに似合っていて可愛いのにね、恥ずかしいとか似合わないとか言って、なかなか外に出たがらないの」
司先輩の妹が両腕を組み、苦笑する。
こちらはもっと鮮やかな色のビキニ姿で、下はデニムのショートパンツ。
よほど自分に自信があるのか、それとも司先輩の妹だけあって度胸が据わっているのか、特に恥ずかしがるそぶりもなく堂々とそこに立っている。
「――よく似合ってると思うけど?」
香奈先輩に視線を戻しそう声をかけると、香奈先輩がますます女の後ろで身体を縮こませた。
「嘘だよ、そんなの。本当はこんな小さい胸でビキニを着るなんてバカみたいだって思っているくせに」
めずらしく拗ねたような口調でそうぼやく。その言葉に、ようやく何を気にしているのか思い当たった。
「もしかして、先輩たちに言われたことをまだ気にしてんのか? いいかげん忘れろよ。あんなの軽い冗談だろ」
多少屈折してはいるものの、あれも立派な愛情表現だ。こいつを苛め倒すのは、先輩たちの共通した趣味といってもいい。
それにほんの一瞬見ただけだが、小ぶりではあっても気にするほどのものではなかったように思う。
「全然冗談なんかじゃなかったよ。それに、本当にびっくりするぐらい小さいんだもん。あきらかに公開不可レベルだよ、これ」
「なんだよ、その公開不可レベルって」
思わず笑ってしまった俺の前で、司先輩の妹も小さく噴き出した。
「まぁまぁ、香奈ちゃんは体自体が小さいし、きっとこれから成長期なんだよ。大きくなるって」
「いいよ咲良ちゃん、無理して慰めなくても」
「デカけりゃいいってもんでもないだろ。海には水着を着た女が腐るほどいる。いちいちお前一人のことをじっくり見ねぇよ。さっさと行こうぜ、先輩たちが待ってる」
嘘だけど。確実に、部員全員がガン見するに決まってるけど。
正直、こいつの男でもなんでもない俺ですら、この姿をあの飢えた部員たちの前にさらすのには抵抗がある。それでも下っぱの俺としては、とりあえず一度は連れて行くしかないわけで――。
ま、どうせ司先輩が速攻で回収してくれんだろ。
「……そっか。そうだよね。他にいっぱい女の子がいるんだもん、誰も私とか見てないよね」
真剣な顔で考え込んでいた香奈先輩が何かを吹っ切るように呟き、頷く。
「ごめん、いそごっか」
まだ恥ずかしそうにしつつも表に出て来た香奈先輩を見て、司先輩の妹が楽しげに笑った。
「間宮君と香奈ちゃんって、どっちが先輩だかわからないね」
「そうでしょ。間宮君てば、なぜか初めて会った時からこうなんだよ。いつもアンタとかお前とか言われるし……。そのくせ部活中は敬語なんだよね」
「どっからどう見ても年上には見えないんだから仕方ないだろ。部活中はいろいろと面倒だから敬語使うけど」
「え、じゃあ二人きりの時だけこんな感じなの? ……すごく仲がいいんだね」
戸惑いを含んだ微妙な間に気付き、司先輩の妹へと一瞬目を向ける。
だが香奈先輩は全く気付くことなく、笑顔で大きく頷いた。
「うん、仲はいいよ。一応、同じポジションの可愛い後輩ですから!」
俺は一体、どんな言葉を期待していたというのだろう。
確かに感じた小さな痛みを、ただ黙ってやりすごした。