第32話 夏合宿(2)
「各自部屋割はわかっているな? 部屋番号と名前を読み上げるから、鍵を取りに来い」
合宿所のロビーで、章吾先輩が各部屋の代表一人一人に鍵を手渡していく。
部員たちは学年別に4人で一部屋。そしてもちろん、私と咲良ちゃんが二人で一部屋という割り当てになっている。
秋季リーグ戦の開幕が迫っていることもあり、荷物を片づけた後は休む暇もなく着替えてグラウンドへ。ここにはナイター設備も整っているから、合宿初日の今日は午前も午後もたっぷり練習をする予定だ。
その代わり明日は午前練習のみで、その後は夕方まで自由時間。夕食はみんなで集まり、海でバーベキューをするとのこと。
咲良ちゃんも言っていたように、せっかく海に来ているんだもん。きつい練習ばかりじゃなくて、ちょっとぐらいは楽しまないとね。
「香奈ちゃん、私でも材料切るぐらいはできるから、少し練習に出てきてもいいよ」
調理場に入り今日のお昼ご飯に使う材料を確認していると、エプロン姿の咲良ちゃんから声がかかる。
「でも、いいの? ひとりだと大変じゃない?」
「うん。料理は苦手だけど、切るぐらいなら何とかなると思う。適当でいいよね? 味付けなんかは香奈ちゃんに任せてもいい?」
「もちろん。それじゃあ、お言葉に甘えてちょっと行ってこようかな。一時間ぐらいで戻ってくるから」
「うん、暑いから気を付けてね」
日焼け止め、帽子とタオルでしっかり肌を保護する。
「行ってきます!」
笑顔の咲良ちゃんに手を振り、グラウンドへと急いだ。
――数時間後。
先に練習を切り上げ咲良ちゃんと共に昼食の用意を済ませて待っていると、午前の練習を終えた先輩たちがタオルで汗をぬぐいつつ、ぞろぞろと合宿所に戻ってきた。
「うぉー、涼しーい!」
「香奈、腹減った! 飯はまだ?」
守がいかにも辛そうな顔をして、お腹を押さえる。
「お疲れさま。もうできてるよ」
「香奈先輩、今日の昼飯はなんですか?」
「メインは中華丼なの。大丈夫かな、雄大君嫌いじゃなかった?」
汗と土ぼこりで真っ黒になった雄大君が、目を細めてクシャリと笑う。
「もちろん大好きです」
「そっか、良かった。すぐ食べられるように用意しておくから、ご飯の前にシャワーあびてすっきりしておいでよ」
「はい」
私と雄大君のやり取りをじっと見ていた3年の中野先輩が、ニヤニヤ笑いながら間に入ってくる。
「雄大、お前、顔キモすぎ。おい香奈、気をつけろよ? こいつ今お前のエプロン姿見て絶対エロい妄想してたぞ」
「えっ?」
「ねぇ雄大くぅん、お風呂にする? ご飯にする? それとも香――グホッ!!!」
女声で腰をくねらせていた先輩が、突然その場に崩れ落ちた。
「だっ、大丈夫ですか!? 中野先輩」
「くっ……痛ぇな!! なにすんだ雄大!」
「スンマセン。前見てなくて、ちょっとぶつかったッス」
「嘘つけ! お前いま香奈に見えないように、思いっきり腹殴っただろうが!」
「ぶつかっただけッス。先輩、ワキガがめっちゃ臭いッスよ。風呂行きましょうか」
「え、ワキガ!?」
思わず聞き返してしまって、慌てて口を押さえる。
「ちっ違っ! バカ雄大! お前何言ってんだよ!」
「あぁ、スンマセン。コレ絶対内緒でしたね」
「内緒……」
「はぁ!? 香奈違うぞ! 俺は本当に――!」
「だっ、大丈夫です!」
必死に誤魔化そうとする中野先輩の言葉を遮り、力強く頷いてみせる。
「大丈夫です。私、何も聞いてませんから」
すごくデリケートな問題だもんね。できるだけ人に知られたくないよね。
「ほら先輩、早く行かないと先輩が大好きな憧れの咲良ちゃんが出て来ちゃいますよ!」
「だから、違うって!!」
「あっ来ちゃった! 先輩、早く! 早くシャワーへ!」
厨房から出てくる咲良ちゃんを見て、先輩の背中を力いっぱい押す。
「さぁ、風呂行きましょう先輩」
私の気持ちを読み取ってくれたのか、まだ何やら喚いている先輩を雄大君がずるずると引きずり、お風呂場へと連れて行ってくれた。
あぁ、間に合ってよかった。憧れの人にそういうことを知られちゃうのって、ちょっと悲しいもんね。
それにしても……さっきの雄大君のパンチ、めちゃくちゃ早かったなぁ。
ピュアすぎる雄大君には、下ネタは厳禁だったらしい。私も気をつけなくちゃ。
「すごくにぎやかだったけど、何かあった? 香奈ちゃん」
近くまで来た咲良ちゃんが可愛らしく小首を傾げる。
「ううん、何もないよ。みんなあっという間に上がってくると思うから、最後の用意をしちゃおっか」
「うん、そうだね」
咲良ちゃんと共に、また厨房へと引き返した。
記録的な猛暑日となった合宿初日は、とてもハードな一日だった。
お昼をみんなで食べたあと、一時間の休憩と全体でのミーティングをはさみ再びグラウンドへ。午後の練習は夜9時過ぎまで続けられ、その後は当たり前のように飲み会へ突入。
そして合宿二日目の今日も早朝からみっちり練習があって、部員全員がもうヘロヘロ――の、はずだったんだけど。
「みんなタフだよねー」
「本当にね」
昼食後の自由時間になったとたん、部員たちが水着に着替え、合宿所にあったビーチパラソルと折りたたみのチェアを担いで意気揚々と出かけていく。
「すごいね。香奈ちゃんと私はほとんどお酒も飲まずに休んじゃったけど、みんな結構遅くまで騒いでなかった?」
「うん、飲みながら、誰が一番可愛い子をナンパできるか賭けていたみたいだよ」
部活漬けの毎日で出会いの機会すらないとあって、みんな女の子との触れ合いに飢えているみたい。まぁ、上手くいってくれたらいいけれど。
「さてと、これで洗い物は終わりかな。ねぇ香奈ちゃん、夜のバーベキューの準備まではまだ時間があるし、私たちも海にいこうよ!」
「……やっぱり水着を着ていくの?」
「もちろん。章吾さんとの約束でしょ?」
タオルで手を拭いた咲良ちゃんが、私の手を引いて部屋へと歩き出す。
「香奈ちゃんってば、まだ心配してるの? 大丈夫だって」
そうかなぁ。やっぱり不安なんだけどなぁ。
でもどうして咲良ちゃんはこんなに余裕なんだろう。お兄ちゃんに怒られるの、怖くないのかな?
「――ねぇ咲良ちゃん。咲良ちゃんは司先輩のこと怖くないの?」
ドアを開けようとしていた咲良ちゃんが振り返り、にっこりほほ笑む。
「うん、怖くないよ。だって――私は怒られないもん」
「……?」
その言葉の意味を深く考える間もなく、咲良ちゃんに部屋の中へと引っ張り込まれた。
「うん、やっぱり似合うよ、香奈ちゃん」
水着に着替えて咲良ちゃんと共に鏡の前に立ち、おそるおそる自分の姿に目を向ける。
咲良ちゃんが選んでくれたのは、黒地に白の細かい水玉模様がはいったホルターネックのビキニ。一応、同じ布のミニスカートを履いているものの、こんな水着は着たことがなくて、どうにも落ち着かない。
一方の咲良ちゃんは、とても20歳になったばかりには見えないような大人っぽいデザインのビキニだ。
一応デニムのショートパンツを履いているものの、その溢れんばかりの色気は隠しようがない。というか、隠す気なんて最初からないらしい。
「髪の毛もそのままじゃ面白くないでしょ。香奈ちゃん、ちょっとここに座ってみて」
咲良ちゃんがバックの中から沢山のビーズが付いた可愛いバレッタを取り出す。そして器用に私の髪をまとめると、それで落ちないように止めてくれた。
「ほら、大変身! お兄ちゃん驚くだろうなぁ。これは間違いなく惚れ直すね。反応を見るのが楽しみ!」
もう一度、鏡の中の自分に目を向ける。
咲良ちゃんとの凹凸レベルは激しく違いすぎるけど……おかしくはない、のかな?
司先輩どう思うんだろ。怒られなきゃいいなぁ。そして……ほんのちょっぴりだけでもいいから、惚れ直してくれたらいいなぁ。
「香奈ちゃん、行くよ」
「うん」
覚悟を決めて部屋を出る。
緊張からか、それともこれから起こることの予兆だったのか。
真夏だというのに、全身にぞわっと鳥肌がたった。