第30話 お泊り会と、恋バナと(2)
大学見学が終わり、アメフト同好会御用達の定食屋、『ゆり』で咲良ちゃんと一緒に夕食を食べたあと。
二人で私の部屋に戻りテレビを見ながらお茶していたら、あっという間に夜になった。
咲良ちゃんに先にお風呂を使ってもらい、その間に軽く部屋を片付ける。
「ありがとね、香奈ちゃん。さっぱりしたぁ」
「あ、いえいえー」
お風呂上がりの咲良ちゃんに声をかけられ、洗い物の手を休めて何気なく振り向く。
その瞬間、ピシリと全身が硬直した。
ほんのり桜色に染まった頬。
片側にまとめタオルで押さえられている、艶やかに煌めく濡れた髪の毛。
私のパジャマとは大違いの可愛いキャミワンピースから覗く肌はまぶしすぎて、その胸元の豊かなふくらみに目が釘付けになってしまう。
この前海で泳いだあと、司先輩から『女が濡れた髪や服で無防備に男の前に出るもんじゃない』って叱られたけど……今やっと、その意味を本当に理解できたかも!
危険危険! 今の咲良ちゃんは見せちゃダメ!
こんなに可愛くて良い匂いがして色気のある咲良ちゃんを目の前にしたら、どんな男の子でも平気でなんかいられないって!
司先輩、咲良ちゃんのこんな姿を知っていたから、女の子のたしなみとして私にも教えてくれたんだ。
「あのっ、今ドライヤー持ってくるね!」
冷たいお茶を咲良ちゃんに差し出し、バスルームへと向かう。
鏡に映る赤くなった自分の顔をパシパシ叩くと、ドライヤーを手に部屋へと戻った。
咲良ちゃんに続いてシャワーを浴びると、今度は一緒に部活のアルバムを見たりして楽しく過ごした。
「ねぇねぇ香奈ちゃん、そろそろ香奈ちゃんとお兄ちゃんの恋バナ聞かせてよ」
咲良ちゃんがにっこり笑い、隣に座る私との距離を詰めてくる。
お互いの素肌が直に触れ合って、思わず少し身を引いた。
前から思っていたんだけれど、どうして咲良ちゃんってば、こんなに体を寄せてきたり、ペタペタ触ったりしてくるんだろう。女子校だとこれが普通の接し方なのかな?
「えっと、恋バナ? うーん、何かあるかなぁ」
「一緒に住んでいるんだもん。いくらでもあるでしょ、のろけたいこととか」
あったかなぁ、そんなの。叱られた記憶ばかりがよみがえってくるんだけど……。
「あっ、そうだ。あのさ、一つだけのろけちゃってもいい?」
「もちろん。いくつでもどうぞ!」
「実はね、最近宝物ができたんだ」
本棚からファイルを取りだし、咲良ちゃんの横に戻る。
「ん、なぁに? あぁ、お兄ちゃんの新聞記事の切り抜き?」
咲良ちゃんが目を止めたのは、ファイルに整理されている地方版スポーツ紙の切り抜きだ。
地方大学のアメフトでも、リーグ戦の翌日には新聞に試合結果が載るんだけど、その記事には特に活躍した選手の写真なども添えられていることが多い。
そのことを知って以来、司先輩には内緒でこっそり保存するようにしているんだけれど――
「うん、それも入っているんだけどね、見て欲しいのはこっちなの」
ファイルの中から、薄い冊子を取り出す。
「なぁに、これ……S大新聞?」
「うん。うちの大学の新聞部が発行している新聞なんだけどね、今月号の『噂のあの人に会いに行こう』ってコーナーに、なんと司先輩が載っているんだ」
『噂のあの人に会いに行こう』というのは、S大生の間で特にイケメン、もしくは可愛いと噂されている学生を読者からの推薦で毎月2人ずつ選んで紹介していく、一番人気のコーナーだ。
今月号の、栄えある『噂のあの人』一人目に選ばれたのが、我がアメフト同好会のエースである司先輩。そして残りのもう一人は……。
「あれっ? 泉川さんだ!」
「そうなの。泉川先輩の友達に新聞部の人がいてね、どうしてもって二人頼まれちゃったらしいよ」
「へぇー、すごいね。でもそんなのよくお兄ちゃんがオッケーしたね」
「最初はすごく嫌がっていたんだけど、合宿の日程をラグビー部に融通してもらう代わりに仕方なく了承したみたい」
「ふふ、それでこの表情なんだ。見せて?」
咲良ちゃんが新聞を手に取り、じっくりと読み始める。
「……ねぇ、香奈ちゃん。コレのどこがのろけポイントなの?」
「え? もちろんここだよ。『質問⑥、彼女はいますか』」
「これ?」
「うん。その質問への司先輩の答えがねー、なんとほら! 『いる』って書いてあるの!」
「うーん……まぁ確かに、書いてはあるけれど……」
「司先輩ってさ、口数が少ないし、あんまり笑ったりもしてくれないでしょ? その上、私はいつも先輩に怒られてばかりだから、私のことを本当に好きでいてくれてるのかなって不安になることがたまにあって……」
「そうなの?」
「うん。だからね、これを見た時すごく嬉しかったの。なんだか目に見える証拠をもらったような気がして。司先輩もちゃんと私のことを彼女って認識してくれているんだなぁって。――この彼女が『いる』って言葉、他の誰でもない、私のことを指しているんだよね」
この大学、ううん、この地球上には可愛い女の子がたくさん溢れているというのに、司先輩が『彼女だ』って認めているのは、たった一人、私だけ……。そう思うと、もう幸せすぎてどうにかなっちゃいそうだ。
――俺は、お前だったから付き合いたいと思った。
そんな先輩の言葉までもが蘇ってきて、顔が全力でにやけてくる。
「でへっ」
万が一の予備にと大量にもらってきたS大新聞を胸に抱きしめ、幸せに浸る。
その時、ドンッと全身に衝撃を受けた。
「さっ、咲良ちゃん!?」
「――可愛い」
「えっ?」
「もう香奈ちゃんってば、どこまでお兄ちゃんのことが好きなの!? 本当に可愛すぎ!!」
可憐な外見からは想像もつかない力で抱きしめられ、顔面が桜ちゃんの柔らかな身体に押し付けられる。そう、身体に――とても柔らかくって温かくっていい匂いがする、咲良ちゃんの――え、これって……胸ぇっ!?
「わぁぁ! はっ、離して!」
慌てて逃げようともがいたけれど、それに気づいた咲良ちゃんが楽しげに笑い、「うりゃっ」とさらに腕を締め上げてくる。
白くて深い谷間に、鼻がむにゅっとめりこんだ瞬間――
「んぎゃーっ!!」
咲良ちゃんを無我夢中で突き飛ばした。
――数分後。
「もう、咲良ちゃんなんて大嫌い」
「くくっ、ごっ、ごめっ!」
「おかしいと思ってたんだよね。咲良ちゃんてば、やたらと私のこと見つめてくるし、さわってくるしさ」
「だって、香奈ちゃんの反応が面白すぎるんだもん!」
先ほどのちょっとした……いや、とても衝撃的な出来事のあと。
司先輩によく似た顔からじっと見つめられたり、身体を密着されたりすると私が挙動不審になる――ということにだいぶ前から気付いていた咲良ちゃんが、これまで確信犯的に私をからかっていたということを知り、私はすっかりふてくされていた。
「もう、本当にひどいよ。咲良ちゃんからじっと見つめられる度にドキドキしちゃってさ。もしかしたら私ってどっかおかしいんじゃないかって本気で心配してたのに」
「それって、香奈ちゃんがどっちもいけるクチってこと? そんなのないない」
「どっちもって、咲良ちゃん!」
「なんで今時そんな言葉くらいで目を丸くするかなぁ」
私が動揺すればするほど、咲良ちゃんの笑顔に輝きが増す。
その笑顔を見ていると、なぜか司先輩に初めてお風呂に連れ込まれた時のことが頭をよぎった。
笑顔の量こそ違うものの……その辺り、似たもの兄妹なのかもしれない。うん。
「――ねぇ、香奈ちゃん」
「ん、なぁに?」
「春になってお兄ちゃんがいなくなってもさ、私たちはずっと香奈ちゃんのそばにいるからね。寂しいときや不安になったときはすぐに駆けつけるし、いつでも話を聞くよ」
「咲良ちゃん……。ありがとう」
落ち着いた声と優しい笑顔に、胸がじんわり温かくなる。
でもその時ふと、咲良ちゃんの言葉に疑問を持った。
「ねぇ、咲良ちゃん。私たちはって、咲良ちゃんと誰のこと? 小太郎たちのこと?」
「ううん、違うよ。私と、お母さんと、お父さん」
「……はい?」
「だから、お兄ちゃんがいなくなったら香奈ちゃん寂しくなるだろうから、ちょくちょくうちに遊びに来てもらおうねってみんなで話してたの」
「ちょっ、ちょっと待って! どうして私のことをご両親が知ってるの!?」
「それはもちろん、私が香奈ちゃんのことを紹介したから」
どうしよう。ものすごく嫌な予感がする。最近よく当たるんだ、これ。
絶対聞かない方がいい。でも聞かずになんていられない!
「ど、どんなふうに紹介した? 何を話したの!?」
「んー? 私と同い年でアメフトのマネージャーをしていることとか、あのグラウンドでの告白のこととか?」
ほら、やっぱり!!
「ひどいよ咲良ちゃん! なんでそこまで話しちゃったの!?」
「だってすごく感動したんだもん。お兄ちゃんは自分からそんなことを話すタイプじゃないし、私だけの記憶にとどめておくのはもったいないでしょう? 大丈夫、刺激の強すぎる部分はちゃんとカットしておいたから」
「いやいや、咲良ちゃんの中だけにとどめておこうよ、友達の一生の恥なんだからさ! ってか、刺激の強いところって、一体何!?」
「まぁまぁ、気にしなくていいって。お母さんてば爆笑したあと涙ぐんでたよ。普段あまり笑わないお父さんもめずらしく笑っていたし」
へぇ、お父さんあんまり笑わないんだ。さすが司先輩のお父さん――――って、そうじゃなくって!
「ねぇ咲良ちゃん、お母さんどうして泣いたの? その涙の意味は!?」
「んー、うれしかったんじゃない? 多分」
「本当に?」
「それか、笑いすぎて腹筋痛かったのかも」
「大違いじゃん! そこ重要なところだよ! 自慢の息子が変な女にひっかかったっていう、くやし涙の可能性だってあるよね!?」
「ないない」
「おっ、お父さんは? 機嫌よさそうな笑顔だった? それとも苦笑いだった?」
「ふふーん、どっちだと思う?」
「わかりません先生、教えてください!」
「どぉーしよっかなぁー」
咲良ちゃんのいじわる!!
「わーん、もう一生会えないよ!」
「今すぐにでも会いたいって言ってたよ?」
これでいつでもお嫁に来れるね、なんて綺麗な笑顔で笑っているけれど、そんなわけないでしょうが。
二十歳そこそこにして、ある意味酒乱よりも厄介な酒グセを持つ女だと知られちゃったのに、一体どんな顔して会えばいいの?
咲良ちゃんのバカ! 天使のように可愛い顔して性格悪いぞ!
「ごめんごめん。でも本当に、香奈ちゃんにすごく会いたがっているんだよ。次の休みって月曜日でしょ。うちに遊びにおいでよ」
「いやいやいや、絶対行かない」
ご両親に会うなんてとんでもない。そんなことすれば司先輩が嫌がるに決まってるし。
「それにあさっての日曜日から合宿だから、今度の月曜日はお休みじゃないよ」
「合宿? どこで?」
「県内にあるS大の合宿所。ここから車で1時間半ぐらいかな。去年は日程が合わなくてできなかったみたいなんだけど、海のすぐ近くで結構いい場所なんだって」
「へぇ」
「3食自炊だし、ちょっと忙しいかも」
「自炊って、誰が作るの?」
「え、もちろん私だよ」
「香奈ちゃん一人で? あの見るからにいっぱい食べそうな部員たち全員分を、たった一人で!?」
目を丸くした咲良ちゃんに、つい笑ってしまう。
「うん。食いしん坊で育ちざかりの部員、全員分。同好会で学校からの補助が少ないし、合宿費を抑えるためにはしかたがないんだよね。章吾先輩からは1年生に手伝わせていいぞって言われているんだけど、一年生だって試合に出られるチャンスがあるんだから、たっぷり練習させてあげたいし」
「ご飯作る以外にも仕事があるんでしょう?」
「うん。いつも通りの練習の手伝いと、あとは洗濯なんかかな」
「それも全部一人で?」
「うん。できる範囲でね。マネージャーは私一人しかいないもん」
全てのことを一人でやるなんてもちろん無理だろうけれど、なるべく手伝わせなくてすむように頑張らなくちゃ。
心の中で一人気合いを入れていると、何か考えこんでいた咲良ちゃんが顔をあげた。
「ねぇ、香奈ちゃん。私、手伝いに行こうか?」
「えっ?」
「合宿。みんなさえよければ、私も手伝いに行こうか? どうせ夏休みだし、予定ないし」
「ほ、ほんとに? 他の女の子だったら先輩たちがどういうか分からないけれど、咲良ちゃんだったら大丈夫かも!!」
「誰に聞いてみたらいい? お兄ちゃんかな。それとも章吾さん?」
「どっちでも大丈夫だと思うよ。今飲み会で二人一緒にいるから、まとめて聞いちゃおっか!」
はしゃぎながら携帯に手を伸ばした時、まるでタイミングを見計らったかのように着信音が鳴りだした。
「おおっ、すごい。まさかの章吾先輩だ! ――もしもし?」
先輩からの電話は、合宿前の買い出しについてのものだった。
さっそく咲良ちゃんの件を伝えると、予想どおりあっさりオッケー。
ただし――――
なんとも章吾先輩らしい、いかがわしい条件付きで、ではあったけれど。