第29話 お泊り会と、恋バナと(1)
約2週間にわたり行われた前期試験の最終日。
「やっと終わったぁ!」
試験終了のチャイムが鳴り解答用紙が集められると、それまでの緊張と疲れを吹き飛ばすように、腕を上げて思いっきり伸びをした。
「おう、香奈。お疲れさん!」
「あっ、守! どうだった!?」
「完璧。65は堅いな」
「完璧でそれ? 守ってば志が低いなぁ……」
追試験の基準は60点未満。守にしてみれば、それを超えて単位さえもらえれば、もう十分満足らしい。
まぁ守のテスト勉強を一手に任されている私にとっても、それだけとってくれたら一安心なんだけど。
「香奈、テストも終わったことだし今日は部活休みだし、小太郎たちを誘ってパァッと飲もうぜ!」
「あ、ごめん。今日はね、先約があるんだ」
「先約? 司先輩か?」
「ううん。咲良ちゃん」
「咲良ちゃんて、司先輩の妹の? あのすっげぇ美人って噂の子?」
「うん、その咲良ちゃんだよ。今日うちに泊まりに来ることになってるの。二人でパジャマパーティーするんだって」
咲良ちゃんと初めて会ったのは、司先輩と気まずくなっていたあの夜のこと。
司先輩と二人でマンションへ入って行く姿を見て、そのあまりの可愛らしさに、てっきり司先輩の本命彼女だと思いこんじゃったんだよね。
おかげで色々と恥ずかしい姿をさらしてしまったけれど、それがきっかけで時々遊びに来てくれるようになり、今ではすっかり仲良しに。
まさかこの自分が、あんなに可愛い女の子とパジャマで恋バナをする日がくるとは、思ってもみなかったよ。
「俺も! 俺も行く!」
「えー、守が来てどうするの?」
「そりゃもちろん、俺もパジャマ姿で咲良ちゃんと枕を並べてっ!」
「却下! 咲良ちゃんに手を出したら、絶対司先輩がキレると思うよ」
二人はすごく仲がいい。
司先輩の口数の少なさは咲良ちゃんの前でも変わらないけれど、そのそっけない一言がいかにもお兄ちゃんって感じで優しくて、妹を大切に思う気持ちが私にまで伝わってくる。咲良ちゃんの方もすごく司先輩に懐いているし、兄妹のいない私には羨ましい限りだ。
「ごめん守、私咲良ちゃんと待ち合わせしているから先に行くね! お疲れ様!」
「おう、またな」
講義室を出ると、待ち合わせ場所へと向かって走り出した。
「咲良ちゃーん!」
正門横のバス停に立つ咲良ちゃんを見つけ、大きく手を振る。
顔をあげた咲良ちゃんがこちらに気付き、ふわりと微笑んだ。
司先輩と同じく少し色素の薄い瞳、整った顔。そしてサラサラストレートの長い髪……。
167センチのすらりとした身体に女の子らしいワンピースとレギンスを合わせ、足元には涼しげなサンダルを履いている。
すれ違う人が2度見どころか3度見しちゃうほど可愛い咲良ちゃんは、今日もやっぱり人間ではなく天使か妖精のようだ。
でもこんな外見とは裏腹に、長年のバスケ部生活と女子校育ちのせいなのか、性格は結構サバサバしていて親しみやすい人なんだけどね。
「ごめんね、咲良ちゃん。待たせちゃった?」
「ううん、大丈夫。まださっき来たばかりだから。S大ってやっぱり人が多いね」
「そうかな? 今日はテストだったから特に多いのかも。咲良ちゃん、大学の中を見てみたいんだったよね。早速行く?」
「うん」
二人並んで、大学の敷地内へと戻る。
すれ違う人の視線が痛いぐらいだけど、咲良ちゃんはそれを気にとめる様子もなく、まっすぐに前を見て歩いていく。
こんなところも、なんだか司先輩と似ているような気がするなぁ……素敵。
「えっと、どんなところが見てみたい?」
「ん? この敷地内を適当に散歩させてもらうだけで十分だよ。あ、でも、八か所もあるという噂の学食と、できればアメフト同好会の部室なんかも見てみたいかも」
「部室? それはいいけど、テスト期間中締め切ったままだったから結構臭いかもしれないよ?」
「どこの部室も多少は臭うものだけど、あんなにゴツイ男の子ばかりだと、臭いも強烈そうだよね」
楽しげに笑う咲良ちゃんとともに、メイン広場を歩いていく。
ふとどこからか自分の名前を呼ばれたような気がして、立ち止まった。
「――香奈」
振り向けば、今朝別れて以来の司先輩と、にこやかに笑う泉川先輩の姿。
先輩たちも、ちょうどテストが終わって出てきたところだったんだ。
「司先輩こんにちは。泉川先輩もお久しぶりです」
「久し振り、香奈ちゃん。あれ? もしかしてそっちの子って、司の妹の咲良ちゃんじゃない?」
泉川先輩がひょいと眉を上げる。
「こんにちは、泉川さん。ご無沙汰しています」
「本当に久し振りだね。今日は香奈ちゃんと?」
「はい」
「そっか。仲良しなんだね」
「そうなんですよ。今日は香奈ちゃんの部屋に泊めてもらうんです」
綺麗な笑顔の咲良ちゃんにぎゅっと腕を組まれ、照れくささからつい目をそらす。
今度は黙ったままこちらを眺めていた司先輩と目があった。
「香奈、今日は章吾の部屋で飲んでいるから、何かあれば電話しろ」
「はい」
「遅い時間に二人で出たりするなよ」
「わかりました」
咲良ちゃんに何かあったら大変だもんね。気をつけなくちゃ。
じゃあな、と咲良ちゃんに声をかけ、司先輩たちが歩き出す。
「……ねぇ、香奈ちゃん」
「ん?」
「お兄ちゃんってさ、いつも香奈ちゃんに対してあんな感じ?」
「え? うん、そうだけど……」
あんな感じって、どんな感じだろ。そっけないってこと?
内心首をひねる私の前で、咲良ちゃんがにっこり微笑んだ。
「よかった。なんかすごく嬉しい」
「咲良ちゃん?」
「ふふ。恋バナは今夜たっぷり聞かせてもらうことにして、まずは色々と見せてもらおうかな」
楽しげに笑う咲良ちゃんと共に、またのんびりと歩き出す。
リクエストにあった学食と大学図書館を見てお気に入りのカフェでお茶をすると、最後に部室棟へ寄って帰ることになった。
「――なんだか、ここだけ妙に歴史を感じるね」
各部の入り口に立てかけてある古びた看板を物珍しそうに眺め、咲良ちゃんが呟く。
「咲良ちゃんが通っている女子大はどんな感じ?」
「うーん、結構新しくて綺麗な感じかも」
「そうなんだ」
女子大ってすごくオシャレなイメージがあるもんね。咲良ちゃんにはそっちの方が似合いそう。
「ここだよ、アメフト同好会の部室。ちょっと待っててね、今鍵を開けるから」
バックから鍵を取り出しドアを開ける。淀んだ空気がむわっと押し寄せてきて、急いで中に入り窓を全開にした。
「おまたせ。汚いところですが、どうぞ――って! なっ、なんだこりゃっ!!」
「どうしたの? 香奈ちゃん。――うん? これって一体何の絵?」
部屋に入ってきた咲良ちゃんに言葉を返す余裕もなく、壁にでかでかと飾られているそれを呆然と見上げる。
なんだかちょっと大きくなっているし、ご丁寧に額にまで入れられているけれど……間違いない、確かに処分したはずのいたずら書き、『BLACK CATS 野生の王国』だ。
「……どうしてこれが残っているの!? ちゃんと破いて捨てたはずなのに……」
部室になんて貼ってあったら全員に見られちゃうじゃん! 早く何とかしなきゃ!!
慌てて椅子を持ってきて額に手をかける。その時、すぐ横に貼られた小さなメモが目に入った。
このミミズが酔っぱらって踊っているような汚い文字……泰吉先輩?
『香奈へ。絶対はがすな。もしはがせば、お前のブサイク写真を携帯番号付きで校内にバラ撒くぞ』
……それっていわゆる、ちょっぴりいかがわしいお友達を大募集しちゃう、あのビラみたいなものでしょうか?
「――っ、勘弁してよっ、もうっ!!」
絵の処分を早々に断念すると、せめてもの腹いせにと、メモをびりびり破き捨てた。