閑話 BLACK CATS野生の王国(3)
引き続き、小太郎視点です。
「あれ、小太郎? 何やってんの?」
ふいに守の能天気な声が聞こえ、我に返る。
「あー、やっと来た! もう、守ってば遅すぎ。自分から教えてって頼んだくせに、いつまで人を待たせてご飯食べてんのよ」
「わりぃわりぃ。学食で先輩たちに会って、抜けにくくてさ」
悪びれることもなくあっさり答えた守が、食いすぎて苦しくなったらしい腹をさすりながら向かい側の席に腰を下ろす。
「ん? 香奈お前、それ何だ? 『野生の王国』?」
「わっ、見ちゃダメ! ……ンガッ!!」
紙の上に覆いかぶさった香奈ちゃんの顔面を片手で掴み、守が素早く空いた方の手で紙を引き抜く。
「すごいよ、それ。香奈ちゃんが書いた、みんなのイメージアニマル」
「イメージアニマル?」
「そう。このチーターが俺で、このジャガーが司先輩。そしてこの小さいジャガーっぽいのが香奈ちゃんね」
「うおっ、すげぇ! なんか顔まで似てねぇ?」
「だろ」
「ジャガーか……確かに司先輩の人を寄せ付けないイメージにぴったりだな。小太郎がチーターってのも何となくわかる気がするわ。で、俺のイメージアニマルは何だよ? ライオンか? トラか?」
「えーっと……」
期待に満ちた問いかけに、香奈ちゃんが一瞬目をさまよわせる。
「香奈ちゃん、もしかして守はまだ書いてなかった?」
「ううん。一応、書いてはあるんだけど」
「多すぎてどれだかわかんねぇな。おい香奈、もったいぶらずに教えろよ。俺はどこだ?」
「……これ」
しぶしぶ、と言った感じで香奈ちゃんが指をさす。
「これ? これって、もしかして」
後ろ足で座り、前足で何かを抱えて食べている丸々フサフサとした動物。
愛きょうのある丸顔、昔話にも出てくる日本人にとってなじみの深い、この姿は――
「おい、香奈! これどう見てもタヌキじゃねぇか!」
「うん、そうだよ。それ、タヌキ守」
「絶対おかしいだろ!? 俺のどこがタヌキに似てんだよ! 大体、なんでサバンナにタヌキがいるんだ。あっという間に食われちまうじゃねぇか! お前やっぱ冷たいヤツだな!」
「そこまで言う? わかった。じゃあ最初に書いたこっちの方で!」
香奈ちゃんがムッとしながら、横に伏せてあった紙を取り出す。
そこに書いてあったのは、口の周りをよごしながら何かを食べている、妙に締まりのない体をしたブチ模様の……犬?
「こいつか? こっちは何の動物だよ」
「ブチハイエナ守」
思わず噴き出す。
「ハ、ハイエナ!? 小太郎はチーターなのに、俺ハイエナ!?」
「くくっ……香奈ちゃん、タヌキとハイエナに共通する守のイメージって、どんな感じ?」
笑いを堪えながら聞くと、香奈ちゃんは半泣きになっている守にちらりと冷たい視線を送り、素直に答えた。
「食いしん坊、ポコンと飛び出たお腹。あとは……自力で獲物をとらない、他力本願なところ」
「なるほど」
確かに守にぴったりだ。
でも、ここまで手厳しいことを言う香奈ちゃんはめずらしい。
毎日毎日、朝のトレーニングからほぼすべての授業、そして部活が終わった後に至るまで守に頼られっぱなしなのだから、さすがの香奈ちゃんでも文句の一つも言いたくなって当然か。
守はショックのあまり呆然としたまま、その紙に描かれた自分の姿を見つめている。
「ブチハイエナ……ジャガーにチーターに、ブチハイエナ……。香奈、お前もしかして、本当は俺のことが嫌いだったりするのか? なぁ、そうなんだろ!?」
「香奈ちゃん、育太もこのどこかにいる?」
すっかりいじけた守を無視して尋ねると、香奈ちゃんが笑顔に戻って頷く。
「もちろん、いるよ」
「おっ、そうだ、育太もいたよな! なぁなぁ、育太は何の動物だ? あいつデカいだけでパッとしないから、どうせ地味な動物なんだろ? なっ? なっ?」
あっさり立ち直ったらしい守が、勢いこんで尋ねる。
「育太はねぇ、ここ」
「これ?」
「うん、バッファロー育太。育太ってさ、身体が大きくて強いんだけど性格はすごく穏やかで優しいし、恋愛とかもガツガツしてないし、どっちかと言えば寡黙な草食系って感じがしない?」
寡黙な草食系、か。
なんとなく、あいつがそうあり続けるしかなかったのは、香奈ちゃんのためでもあるように思うんだけど……。
まぁ、俺の想像でしかないけどね。
「そうかぁ? ま、確かにゴツイところはぴったりだけど……。くそ、バッファロー育太か。結構カッコいいな、オイ!」
守が悔しそうに舌打ちをする。
「ところで香奈ちゃん、この巨大なクマは?」
「え、どのクマ?」
俺が指さしたのは、このサバンナの中でもひときわ大きくて強そうなクマ。
見るからに凶暴そうな顔をしているというのに、なぜか地面にペタンと腰をおろし、壺に入った蜂蜜らしきものを舐めて目を細めている。
「あぁ、それはグリズリー雄大くん」
「グリズリー? グリズリーって、あのクマの中でも特に凶暴と言われるでっかいクマか?」
「うん、そのグリズリー。でもね、雄大君が凶暴って意味ではもちろんないよ? あのね、グリズリーってこんなに恐い外見して、実は木の実や沢ガニなんかを特に好んで食べるんだって。立派な爪のある大きな手で、小さな野イチゴとか抱えて食べてる姿を想像したらさ、めちゃくちゃ可愛いなと思って。――その恐そうな外見と可愛らしい中身のギャップが雄大君にぴったりじゃない?」
「はぁ? あいつの中身のどこが可愛いんだよ。見た目のまんま、恐ろしいクマじゃねーか」
うーん……俺も正直、そう思う。
なぜなら香奈ちゃんが可愛いと思っている雄大のその姿は、完璧に香奈ちゃんの前限定のものだからだ。
雄大が試合や練習中などに見せる激しい闘争心は、まさに凶暴なクマそのもの。
「おい香奈、こっちの池で顔だけ出してる茶色いヤツは誰だ」
ふいに俺と香奈ちゃんの背後から伸びてきた腕が、サバンナに描かれた沼の上をトントンと叩く。
あれ、この声――
「あぁ、それはもちろん、オオヒキガエル泰吉で――グエッ!」
後ろから首根っこを掴まれた香奈ちゃんが、カエルのような声を上げる。
「ああん、今なんつった? 香奈、お前いい度胸じゃねぇか」
「ゲホッ、たっ、泰吉先輩!? なんでここに」
「勉強するために決まってんだろ」
「あ、そっか。まだいっぱい単位が――イヒャイ!」
両方のほっぺたを思いっきり引きのばされ、香奈ちゃんが悲鳴を上げる。
「しかもお前、そのカエルの前にでっかい蛇がとぐろを巻いてるってのはどういうこった」
「いえ、ちょっとその……泰吉先輩封じのアナコンダでも置いてみよっかな、なんて? あっ、でも大丈夫です! オオヒキガエルは耳線って所から強い毒を飛ばしてですね――グッ! く、苦しっ」
「今すぐ、その毒吐いてやろうか?」
ヘッドロックしたまま顔を近づける泰吉先輩に香奈ちゃんが首をぶるぶると振り、目で俺に助けを求める。
「先輩、ここ図書館ですから」
そう言って止めに入った時、ずっとイラついた様子でこちらを見ていた大学職員が足早に近寄って来た。
「そこ! 静かにしないなら出て行きなさい!」
「チッ、しょうがねぇ。場所変えようぜ」
「あっ、あのっ、私はまだ勉強があるので、お先に失礼して」
「外行くぞ、外。小太郎、守、お前らも来い」
「はい」
泰吉先輩が荷物をかき集めて逃げようとした香奈ちゃんの首根っこをつかみ、問答無用で引きずり出す。
その後を苦笑しながら付いて行くと、先輩は図書館横にある芝生の広場に向かい、中央にある大きな木の木陰に香奈ちゃんを放りだして自分も腰を下ろした。
「香奈。その紙全部よこせ」
「い、嫌です! ここだといつ他の先輩たちが通りかかるかわからないしっ!」
「よ、こ、せ」
「…………はい」
正座姿で半泣きになった香奈ちゃんから紙を受け取り、先輩が芝生の上に広げる。
「フン、やっぱりこれが司か。妙に一頭だけ気合い入れて書いてあると思ったぜ」
「うっ、すみません」
「お前も予想通りだな。毎回毎回、ところ構わずいちゃつきやがって。鬱陶しい」
「……本当にすみません」
司先輩と香奈ちゃんの二人に限って、人前でいちゃつくなんてことはありえない。
どう考えても泰吉先輩のやきもちからくるタチの悪い言いがかりだっていうのに、香奈ちゃんは小さな身体をますます縮めて頭を下げている。
「先輩、もういいですか? 本当に誰か来ちゃったら困るし、これ急いで捨ててきます!」
「あ? 捨てるだと? ――香奈、お前今すぐ3丁目の『ニコニコ亭』で特盛弁当買ってこい」
「えっ、今からですか!? あんなに遠くまで?」
「さっさと行って来い」
「でっ、でも、おなか減ったのなら学食に行けば!」
「帰ってきたらコレ返してやる。さっさと行かねぇと掲示板に張り出すぞ?」
「うぅ……い、行ってきます! それまで絶対、誰にも見せないで下さいね!?」
香奈ちゃんがお金を受け取り、慌てて走り出す。
その後ろ姿を見送ることもなく、泰吉先輩はすぐに自分の携帯を取り出した。
「……おう、章吾か? おもしれぇもんがあるから、今すぐ図書館横の芝生んところに来いよ。他の部員も見かけたら一緒に連れてこい」
本当に、この先輩はタチが悪い。
でも香奈ちゃんには申し訳ないけれど、泰吉先輩がみんなにこれを見せたくなる気持ちはわからないでもない。
と、いうか。ここに書かれた自分の姿に興味を持たない部員なんて、うちには一人もいないだろう。
「おう、来たな」
「ちわっす」
5分と待たず、まだ校内にいたらしい章吾先輩と4年の先輩が2人、そして途中で偶然会ったらしい雄大が現れた。
「何かあったんですか?」
「これ、見てみろよ」
泰吉先輩がこれまでの経緯や、そこに書かれたものが何なのかを楽しげに説明する。
「へぇ……じゃあこれを見れば、香奈がその部員のことをどういう目で見てるかってことが分かるわけだ」
今日は3つも付けられている耳のピアスに触れ、章吾先輩がニヤリと笑う。
「しかし、ずいぶん多いな?」
「多分、今のメンバー全員いるんだと思いますよ。さっき数えてみたら、ちょうど同じ数でしたから」
先輩たちが驚いたように俺を見る。
「全員?」
「はい」
「……すげぇな。あいつ」
「うわ、何か緊張してきた。オレ変な動物だったらどうしよう!」
急に真剣な顔つきになった先輩たちが紙を覗き込む。
特に雄大。マジになりすぎて、いつにも増して顔が恐いって。
「……みぃーつっけた」
いち早く自分の名前を発見した章吾先輩が、楽しげな声を上げる。
「ふふん。あいつ俺のこと、よくわかってんじゃねぇか」
「え、どれどれ? 章吾のどれだよ」
「これ」
少し背丈のある草に隠れるようにして休んでいるライオンの群れ。
妙に色っぽいメス4頭に囲まれて不敵に笑う、オスライオン。――耳にはピアス。
「……まさしく、章吾だな」
「だな」
「しっかしエロくね? このメスライオン」
明らかに色気を含んだ眼差しをした4頭のメスの胸あたりには、人間の女の子のようなふくらみがわざわざ書きこまれている。中には、泣きボクロのあるメスまで……。
これは確かに、章吾先輩の好みにぴったりだ。
「あっ、あった!」
ずっと探し続けていた雄大が、めずらしく上ずった声をあげる。
「でも……『グリズリー』って?」
「雄大がグリズリー!? ぴったりだな!」
先輩たちが吹き出す。
「ぴったり……なんですか?」
「なにお前、グリズリー知らねぇの? あれだろ、クマの中でも特にデカくて凶暴なやつだよな。昔、人食いクマの映画のモデルにもなったやつじゃねぇか!」
「人食いクマ……」
どうやらショックを受けたらしい雄大が背中を丸め項垂れる。
「……そのクマさ、恐そうな外見や風評に反して、実は小さな木の実なんかを好んで食べるんだって。その意外性とか可愛らしさがお前にぴったりだって、香奈ちゃん言ってたよ」
「香奈先輩が?」
雄大が呆然と呟き、また手元の紙を食い入るように見つめる。
「グリズリー……最高ッス」
あぁ、また雄大が香奈ちゃんにハマっていく。――これは言うべきじゃなかったか?
「チッ、あいつもう戻ってきやがった」
泰吉先輩の声にみんなが顔を上げる。まだはるか遠くではあるけれど、こちらに向かって走ってくる香奈ちゃんの姿が確かに見えた。
「おい雄大、お前今すぐ図書館行って、これのコピー取ってこい」
「先輩、それはさすがに香奈ちゃん怒りますよ!」
一応止めてはみたけれど、もちろん俺の意見など聞いちゃいない。
「さっさと行け」
「――っ、はい!」
ほんの一瞬迷いを見せた雄大が素早く立ち上がり、全力で図書館へと走り出す。
あいつ絶対、自分の分のコピー欲しさに香奈ちゃんを裏切ったな。
「しかし、相変わらず足速ぇーなぁ、あいつ」
弁当をアメフトのボールのように胸に抱え、見事なカットで人を避けながら走ってくる香奈ちゃんを、道行く学生たちが驚きの眼差しで眺めている。
必死の形相で走る香奈ちゃんに、周囲の目を気にする余裕などあるはずもなく。
「――やっぱ色気ねぇな、あいつ」
章吾先輩の呟きに、みんなが一斉に噴き出した。
勝手にカラーコピーされた『Black Cats 野生の王国』は、このあと永久保存版として額に入れられ、メンバー全員の集合写真と共に部室の壁に飾られることになる。
主将とコーチによるその決定を香奈ちゃんが知るのは、ほんの少しだけ先のこと――。