第25話 再会(2)
5ヤード罰退の少し嫌な雰囲気が残る中、改めてS大BLACK CATSの攻撃が始まる。
「セット、ハットハット!」
「オプション!?」
ボールを持ったままのQB山下先輩とRB司先輩が、並走するように左サイドへと走る。
自分に向かってくるディフェンスの動きを見た山下先輩が斜め後方にいる司先輩へとボールをピッチし、司先輩がその空いたスペースを駆け上がった。
「8ヤードゲイン!」
「よし!」
ベンチの先輩たちがホッとしたように息をつく。
よかった、これで試合の流れが変わらずに済みそうだ。
「守!」
「はいっ!」
私の隣で試合の行方を見守っていた守が、泰吉先輩と省吾先輩に呼びつけられる。
「小太郎と交代だ。次いくぞ」
「はい!」
ホイッスルと共にサードダウンの攻撃が終わり、ファーストダウン獲得まで残り1ヤード。
「29! 29!」
泰吉先輩から細かい伝令を受けていた守が、小太郎の番号を呼びながらフィールドに駆けだして行く。
次はフォースダウン(最後)の攻撃。
この攻撃で残りの1ヤード前進できなければ、その場で攻撃権がT大に移ってしまう。
通常フォースダウンの攻撃では、敵に攻撃権が移った場合を考え、その攻撃ができるだけゴールから遠い地点から始まるよう、普通に攻撃する代わりに敵陣深くにボールをける(パントする)ことが多い。
だけど今はファーストダウン獲得まで1ヤードしか残っていないし、敵陣深くまで攻め込んでいてここで攻守が交代してもさほど支障はないため、フォースダウンでもあえてパントをせず、ギャンブル(一か八かの攻撃)を選択するみたいだ。
守と入れ替わりに、ベンチ前に立つ章吾先輩の元に小太郎が戻ってくる。
「すみませんでした」
「何があった」
小太郎が視線を落とし口ごもる。
「……また戻すぞ。今のうちに気持ちを切り替えておけ」
「はい」
「間宮!」
「はい!」
少し離れた場所で試合を見守っていた間宮君が、泰吉先輩と章吾先輩の元へ駆け寄って行く。
「ここからは頻繁に入れ替えていくぞ。いつでも出られるように準備しておけ」
「はい!」
もともと今日の試合では、控えの選手に経験を積ませるため、ある程度得点を入れた後はディフェンスもオフェンスも積極的に入れ替えていくと聞いていた。
でもこういう形で下げられたことは、小太郎にとって悔いの残るものだったのかもしれない。
司先輩たちオフェンス陣がギャンブルに成功し、フィールドがワッと沸き返る。
小太郎はベンチ前に並び試合を見守っているチームのみんなから離れると、ベンチ裏に置いてあった自分のタオルを手に取り、味方の攻撃中にもかかわらずフィールドの外へと目を向けた。
ゆっくりと観客を見まわしていた小太郎が、ある一点を見てピタリと動きを止める。
その視線の先をたどってみたけれど、人が多すぎて誰を見ているのかまではわからない。
――あの時聞こえた「コタ」って声。あれはきっと、小太郎のことだったんだよね?
その人が見つかったのかな。
でも、どうして……そんな小太郎らしくない、硬い表情で見つめているんだろう。
その後も小太郎は何度か先輩に呼ばれ、オフェンスのメンバーに加わることができた。
でも最後まで、その表情は晴れないままだった。
「お疲れさまでしたっ!!」
試合後のミーティングを終えた、グラウンド横の芝生の上。
疲れきった体を休めようと部員たちが木陰に移動し、思い思いの場所にどっかりと腰をおろした。
72対0という大差での勝利のせいか、みんなの顔には笑顔が溢れていて、とても和やかな雰囲気だ。
そんな中、一人俯いたまま黙々と足首のテーピングを剥がしている小太郎の元へと向かった。
「小太郎、お疲れさま」
「あぁ、香奈ちゃん。香奈ちゃんこそお疲れさま」
顔を上げた小太郎が、いつものように穏やかな笑みを浮かべる。
まるで何もなかったかのように笑うその姿を見ていると、自分から話しかけに来たくせに、なぜだか言葉が上手く出てこなくなってしまった。
「あの……それ剥がすの、手伝ってもいい?」
芝生の上に膝をつき、剥がれかけのテーピングに手を伸ばす。
小太郎は一瞬不思議そうな顔をしたあと、「まいったな」と呟いて苦笑した。
「ありがとう、香奈ちゃん。もしかして俺、心配かけちゃった?」
「ううん、そうじゃないけど……でも大丈夫? 何かあった?」
「大丈夫だよ、大したことじゃないんだ。ただちょっと上手くいかなくて悔しかっただけで……。ありがとな、香奈ちゃん」
逆に励まされるように、頭をポンポンとなでられる。
何もなかったはずがない。だけど小太郎が話したくないと思っているのも明らかで、寂しさを感じながらも頷くしかなかった。
「……そっか。それならいいの」
「おっ、ちょうど都合よく二人とも揃ってんじゃん!」
微妙な雰囲気をいとも簡単に吹き飛ばす能天気な声が降って来て、小太郎と一緒に顔を上げる。
いつの間に来ていたのか、守と育太がショルダーとメットを手に笑顔で立っていた。
「なぁ、小太郎! 大差での勝利を祝って、今日は久々に4人で飲もうぜ!」
小太郎がまた苦笑する。
「お前もかよ。俺、守にまで気を使われるほど落ち込んでいるように見えた?」
「いやいや、そんなんじゃなくってさ!」
「心配してくれなくても大丈夫だって」
「いいから付き合えよ、小太郎。実家の車を譲ってもらったんだ。飲むのもいいが、たまには4人でドライブにでも行かないか?」
めずらしく育太が強引に誘いをかける。
「あれ、育太ってば車もらったの? いつ?」
「先週」
「それいいじゃん! どっか行こうぜ!」
「ドライブか……まぁ、それもいいかもな」
小太郎もこれ以上は断れないと思ったのか、微笑みながら頷いた。
「じゃあさ、一度大学に戻って荷物を片づけたりしなきゃいけないし、夕方あらためて集合して一緒にご飯を食べに行こうよ!」
「そうだな」
「あぁ」
「そうするか」
「わぁ、楽しみだね!」
話がまとまり、すっかり明るい気分になって立ち上がる。
そのまま荷物を片づけに行こうと何気なく小太郎の後ろに目を向けた時、少し離れた場所から心配そうにこちらを眺めている人たちと目が合って、咄嗟に小さく頭を下げた。
20代半ばぐらいのすっきり綺麗な顔立ちの男の人と、可愛らしい印象の女の人。
この人たち、一体誰だろう。こっちを向いているってことは、小太郎の知り合いなのかな?
小太郎に教えるべきか迷いながら、二人の顔を交互に見る。
それに気付いた女の人が少しずつ歩み寄り、小太郎の背中を見つめ遠慮がちに声をかけてきた。
「……コタ?」
にこやかに守と話していた小太郎の顔から、一瞬笑顔が消える。
でも小太郎はまたすぐに笑顔を浮かべると、ゆっくりと立ち上がり、後ろにいる二人に向き直った。
「兄貴、香さん。見に来てくれてたんだね」
――兄貴? この人、小太郎のお兄さんだったんだ。
言われてみれば、その綺麗な顔立ちはどことなく小太郎と似ているような気もする。
スポーツをしているような逞しさはなく、細身ですらっとした優しそうな人だ。
少し年が離れているのかな。どう見ても社会人って感じだよね。
そして隣にいる香さんという女の人は、多分私たちと同じぐらいの歳だと思う。
どちらかというと童顔で、背が低くって華奢な感じ。女の私から見ても守ってあげたくなるような、可愛い人だ。
「ごめんね、コタ。大事な試合中にタイミング悪く名前呼んじゃって……驚かせちゃったんでしょ?」
香さんが泣きそうな顔で謝っている。
隣にいるお兄さんが、慰めるようにその頭に手をのせた。
あぁ、やっぱり兄弟だ。こういう細やかな気遣いの仕方が小太郎とよく似てる。
「悪かったな、小太郎。昨日偶然、香がうちに来ている時に母さんからここで練習試合があるって聞いてさ。ちゃんと見に来ることを先に伝えておけばよかった」
「いや、大丈夫。気にしなくていいよ」
小太郎が笑顔で首を振る。
でもその笑顔はどことなく硬くって、私が普段見ている小太郎の笑顔とは少し違うような気がした。
「小太郎、俺、先に着替えに行ってるな」
めずらしく空気を読んだ守が、お兄さんたちに頭を下げ、育太と共に更衣室へと向かう。
私も邪魔してはいけない気がして、慌てて頭を下げた。
「私も失礼します。……またあとでね、小太郎」
「うん」
小太郎が優しく微笑んで頷く。
――本当に一人で大丈夫?
そう聞きたい気持ちを抑え、後ろ髪引かれる思いで小太郎に背を向けた。