第23話 雨の中の仲直り(2)
「香奈先輩、水取って」
「あっ、はい!」
和やかに話す三人の様子を見ながらぼんやりしていたけれど、間宮君の声ではっと我に返る。
お水のボトルを一本手渡すと、すかさず雄大君のお叱りの声が飛んできた。
「お前、水取ってじゃないだろうが。香奈先輩にきちんと謝れ」
「それはのちほど、二人きりの時にゆっくりまったりとね。……もうさんざん絞られて結構なダメージを受けてんだからさ、いい加減勘弁しろよ」
「えっ、絞られたの? それって誰から?」
章吾先輩からかなと思ったけれど、間宮君はそれには答えず、私を見て苦笑を浮かべた。
「部外のやつかと思いきや、まさかこんなに身近な人とはね」
「……もしかして、もう知ってるの?」
言わなきゃとは思っていたけど、まだ何も話してなかったのに……。
「司先輩から聞いてないんですか?」
雄大君が不思議そうに聞いてくる。
「司先輩から? ううん、何も」
「俺も駿も、あの日先輩から直接聞いたんですよ」
「ほんとに!?」
あの日って……私を一度送ってくれたあと? でも先輩、そんなこと一言も言ってなかったのに。
「それで、ずっと気にしていた香奈ちゃんの彼氏が司先輩だと知った感想は?」
小太郎がからかうように尋ねる。
間宮君は思いっきり顔をしかめ、雄大君は満足げな笑みを浮かべた。
「最悪」
「納得です」
……この真逆な反応って、一体。
「あの、今まで隠してて……部外の人って嘘までついちゃって、ごめんね?」
「そんなの気にしないでください」
雄大君の優しい言葉に、とりあえずほっと胸をなでおろす。
その時、顔にぽたりと冷たいものが降ってきた。
「あれ、雨?」
「やっぱり降ってきたか。今日はもう終わりにして、さっさと上がろう」
あっという間に雨脚が強くなってくる。
練習道具を片づけるためグラウンドへ向かう小太郎の後を、雄大君が追いかける。
私も荷物をまとめるためその場を離れようとした時、急に後ろから腕を引かれ、よろめいた。
「……間宮君? どうしたの?」
掴まれたままの腕の先に目を向ける。
間宮君はさっきまで軽口を叩いていた人とは思えないほど真剣な表情で、私を見ていた。
「この前のこと、本当に悪かった。……ごめん」
「ううん、もう気にしないで。あんな場所で寝ちゃった私も悪いんだし……。二人にだけ別メニューをさせちゃってごめんね? 新歓コンパだったから、間宮君も先輩たちに沢山お酒を飲まされちゃったんでしょ?」
あの時は正直驚いてしまったけれど、酔って誰彼かまわずキスしちゃう人の話とかはよく聞くし、非常ベルを押したりベランダ飛び降りちゃう私に比べたら可愛いもんだよ、きっと。
「あのね、私もよくお酒で失敗するの。人に言えないぐらい恥ずかしいことを何度もやらかしていて……。だからあれぐらい全然気にすることないよ。もう忘れよう? ほら濡れちゃうし、急いで部室に――」
「違う」
掴まれていた腕に一瞬力がこもり、痛みが走る。
「俺は――」
「香奈」
突然割り込んできた声に、慌てて振り返る。
そこにはやっぱり司先輩が立っていて、自分のタオルを私に向かって差し出していた。
「タオル、肩に掛けておけ」
「あ、いえ、大丈夫です! 先輩の方が風邪ひいちゃったらいけないから」
「いいから掛けろ」
そっけない声と共に、頭からバサッとタオルが降ってくる。
その時はじめて、自分の着ていた白いシャツが雨に濡れ、下着がかなり透けてしまっている事に気がついた。
「わっ! す、すみません! お借りします」
慌ててタオルをきちんとかけ直す。
もう一度お礼を言おうと顔を上げると、先輩はもうショルダーとメットを手に階段の方へと向かった後だった。
「――なぁ、前は平川って呼ばれてなかったっけ」
間宮君が、先輩の後ろ姿をじっと見つめたまま聞いてくる。
「うん、えっと……なんか急に変更になったみたい」
「いつから?」
「多分、昨日から」
そう。今までは平川と呼ばれることの方がずっと多かったのに、なぜかコンパの翌朝起きたら、香奈としか呼ばれなくなっていた。
どうしてなのかなってすごく気にはなったけれど、呼ばれる度に恥ずかしさからうろたえてしまい、結局理由は聞けないまま。
みんながいる部活の時にはきっと平川に戻るだろうなって思っていたのに、どうやらそうでもなかったらしい。
「昨日、ねぇ。意外と子供っぽいところもあるんだな」
間宮君がくすりと笑う。
「子供っぽい? 司先輩が?」
「あぁ」
「一体全体、どのへんが?」
「さぁね――って、お前、顔赤っ!」
「わっ!」
「なんだよ、その見てる方が痒くなるような初々しい反応は。たかだかタオルを頭にかけられたぐらいで、どうしてそこまで赤くなれるんだ?」
「しっ、知らないよ。なっちゃうもんはしょうがないでしょ!」
「もしかして、まだ付き合いだしたばかりだったとか?」
間宮君が眉間にしわを寄せる。
「……半年ほど経過しました」
「マジで? この年で、しかも半年も付き合っていながらその反応? どっからどう見ても初めてお付き合いする中学生だろうが」
「もう、うるさいな! 間宮君が異常に色気づきすぎなんだよ! 年下のくせに」
「なに? 俺に色気がありすぎて困るって? それ褒めてんの?」
「けなしてんの! それに、色気づきすぎって言っただけで、色気があるとは言ってない!」
げらげら笑う間宮君を、むっと睨みつける。
通りかかった章吾先輩が言い争う私たちを見て、笑顔で足を止めた。
「楽しそうなところを悪いが、そろそろ上がれよ。風邪ひくぞ」
「おい香奈、お前全身びしょ濡れだな。替えのパンツは持ってきたか? ないなら俺のを貸してやるぞ」
「泰吉先輩の変態! 先輩のだけは死んでも借りませんよ」
「そうかそうか、他のヤツのがいいんだな? しょうがねぇなぁ、俺が先に上がって、司にパンツを貸すよう頼んできてやる」
ニヤリと笑った泰吉先輩が、いきなり階段に向かって走り出す。
「え、うそ!? 泰吉先輩待って、行かないでっ!! うわーん、育太、小太郎、助けて! 絶対変なこと言われちゃうよー!!」
またあることないことごちゃまぜにして、『あいつはトランクス収集癖のある変態だ』なんて言いふらされるに決まってる!
中途半端に片づけた荷物を抱え半泣きになってオタオタしていると、小太郎と育太が笑いながら私の荷物を受け取ってくれた。
「了解。あとは片づけておくから先輩追いかけていいよ、香奈ちゃん」
「雨で足元滑るから気をつけろよ」
「二人ともありがとう!」
「香奈、なんなら俺のパンツを貸してやろうか? 愛用しすぎて、ちょっとゴムが緩んでいるけどな」
「守、最低! テストの時覚えてろっ!」
みんなの笑い声が背中を追いかけてくる。
その中に間宮君と雄大君の声も確かに含まれているのが分かり、自然と頬が緩む。
いつになく全力で走っていく背中を見て焦りつつも、どこか爽やかな気持ちで雨の中を駆けぬけた。