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閑話 手強すぎる恋敵

間宮駿視点の閑話です。

 濡れた髪をタオルで無造作に拭きながら、ビールの缶を冷蔵庫から取り出す。

「……くそ、痛ぇんだよ、あの馬鹿力」

 わき腹の痛みと後味の悪さを抱えたまま、テレビの前に腰を下ろした。

 

 時間が経つにつれ、憂鬱な気分は増していく。

 くだらない深夜番組に目を向けていても、何一つ頭に入ってこない。思い出すのは、触れた唇の柔らかさと、悲しげに潤んだ大きな瞳。

「……この年になって、あんなキスひとつで泣くかよ、普通」

 大して美味いとも思えないビールを、また喉に流し込んだ。



 この4月。始まったばかりの大学生活は全てが新鮮だった。

 解放感溢れる広いキャンパス。大講義室で行われる専門的な授業。

 高校までとは大きく異なるその雰囲気を楽しみつつも、新しい出会いを期待する気持ちは特になく。

 あの日もそう。ただ次の授業までの暇つぶしにと、勧誘週間で浮足立っている学生たちをどこか冷めた目で眺めていただけだった。


 どう見ても年上とは思えない、可愛い印象を与える大きな瞳。

 遠くからでも目立つ色白の肌。

 女らしいスカートの上に羽織った少し大きなスタジャンが、小柄な体の線の細さを際立たせていて……。


 あれだけ沢山の人間がいる中で、どうしてその女一人に目が止まったのかは分からない。

 外見とは真逆の軽快な走りに驚かされたあと、俺ではない男に微笑みかける姿を見て、なぜか無性にその瞳に映りたいと思った。


 明らかに男慣れしていない距離の取り方と、わずかな怯えを隠しつつ俺を睨み返す媚びない瞳。

 出会ったばかりだというのに、柄にもなく強く惹かれていく自分を自覚する。

 「あなたには無理だ」と言いきったあいつを見返してやりたい。なにより、このまま何の接点もなく終わらせたくない。

 もともと大学生活が高校と同じくラグビー一色となることに迷いを感じていたせいもあり、一晩考えたあと、以前から興味のあったアメフト部の門を叩いた。


 アメフトは思っていた以上に面白かった。

 たかが同好会、という考えを一掃してくれるような気合の入った練習と、確かな実力を持つ先輩たち。

 ただの女目当てで入ってきた軽い男だと思われるのが嫌で、あいつとは距離を置きつつ、まずはレギュラー獲得を目指すことに決め練習に没頭した。

 その姿勢が功を奏したのか、俺を見るあいつの目から警戒するような色があっさりと消えていく。

 毎日自然な笑顔を向けられ、気取りのない素直な性格を知るにつれ早く手に入れたい気持ちは募ったが、部外に男がいると聞いていたし、焦らずじっくり落としていく……はずだった。

 今日、小太郎先輩に自分の男の話を出された時のあいつを見るまでは。


 普段、自分のことを少しでも可愛いと言われればすぐ全力で否定するくせに、小太郎先輩の「男の俺でも惚れそうなぐらいのすごい人」という褒め言葉を、あいつは全く否定しなかった。

 それだけその男に惚れこんでいるのだと思うと、どうしようもなくイラついて。

 無防備に眠りこけているあいつを偶然見つけ、我慢できず手を出してしまったのは、酒の勢いのせいだったのか、その焦りのせいだったのか。


 気付かれても構わないと思った。むしろ、目を覚まして俺を見ろと思った。

 ただの部活の後輩としてではなく、一人の男としてちゃんと意識しろよ、と。

 それをまさか他のやつに見られるとは思っていなかったが。


「……マジで、カッコ悪すぎるだろ」

 ため息とともに、飲み終えたビールの缶を潰す。

 新しいものを取りに行こうと立ち上がった時、玄関のインターホンが鳴った。

 時計を見れば、もう深夜の1時過ぎ。こんな時間に一体誰だよ。

「はい」

 苛立ちも露わにドアを開ける。

 そこに立っていたのは――まだ緩めたネクタイを締めたままの、司先輩だった。


「……先輩?」

「遅くに悪いな。少し話せるか」

「あ、はい」

 ドアを大きく開け、部屋に通す。

「何か飲みますか?」

「いや、すぐに帰るからいい」

 そう言って腰を下ろした先輩と、テーブルを挟んで向かい合った。


 色素の薄い、少し冷たい印象を与える感情の読めない瞳。

 どこか日本人離れした、整った顔。

 外見だけでも十分存在感のありすぎるこの人は、その俊足とパワーを武器に2年連続でリーディングラッシャー(ランでの獲得ヤード数第1位)となったリーグ№1RBであり、チームのエース。そして俺が今一番目標としている人でもある。


 同じパートの先輩とはいえ、今まで一度も家に来たことのないこの人がこのタイミングで訪ねてくるなんて……どう考えても、理由は一つしか考えられない。

 普段アメフトのこと以外では口数の少ない司先輩が、こんなことに口を挟んでくるとは思わなかったが。


「……わざわざ何の用ですか。チームの副将自ら、大切なマネージャーに手を出したお説教でも?」

 どこか投げやりな気分で問いかける。

 司先輩はそんな俺を見て、口元を微かに緩めた。

「そんなんじゃない」

「じゃあ、なぜ?」

「自分の女に手を出されたんだ。文句の一つも言いたくなって当然だろ?」

 一瞬、何を言われたのか分からなかった。

「――自分の、女?」

「あぁ」

「嘘だろ? だって、そんな雰囲気は全く……」


 同じパートの後輩として、二人が会話を交わすところを1カ月もの間、間近に見てきた。

 だけどそれはどう見ても、ただの部員とマネージャ以上のものではなかったはず。


「あいつは、そういうのを特に気にするからな」

 思いがけず、先輩が柔らかな笑みを浮かべる。

 普段の練習中には絶対に見せない顔……。それはどんな言葉よりも強い説得力をもっていて。

 欠けていたパズルのピースがはまるように、今まで疑問に思っていたことの答えが次々と見えてきた。

  なぜあいつが、自分の男の話が出るたびに困ったような顔をしていたのか。

 なぜ周りの先輩たちが揃いも揃って、「香奈を落とすのは絶対無理だ」と断言していたのか。

 小太郎先輩の「男の俺でも惚れそうなぐらいすごい人」という言葉に、そんなヤツどこにいるんだよと心の中で突っ込んでいたけれど……この人なら、悔しいがその言葉も頷ける。


「ひとつだけ」

「え?」

「お前が誤解していることを、ひとつだけ教えてやろうと思って来た」

 いつもの無表情に戻った先輩が、淡々と話し始める。


「誤解?」

「あぁ。――あの時あいつが泣きそうな顔をしていたのは、お前にキスされたことで傷ついたせいじゃない」

「……は?」

「自分の不注意でお前と雄大が揉めたことに、責任を感じたらしい」

「不注意?」

「そうだ。自分があんなところで寝なければ、そして俺とのことを事前に伝えていれば、お前がどんなに酔っぱらっていようとも、ふざけてあんなマネはしなかったんじゃないか、雄大と揉めることもなかったんじゃないか――あいつはそう言って、落ち込んでる」


 ――何だよ、それ……どうしてそんな考えになるんだよ。

 俺がふざけてキスしたのだと誤解するのは分かる。多分、今までの俺の態度があいつにそう思わせたんだろう。

 だが誰がどう見ても悪いのは俺で、あいつはただの被害者なのに。


「……なんで、わざわざそれを俺に教えるんですか?」

 お前にキスされたことに傷ついたわけじゃない、だなんて。

 俺が落ち込んでいるとでも思ったのか? ――慰めてやろうとでも?

 

「あの現場を見たんでしょう。なのに、なんでそんなに冷静なんですか」

 善人面にも程がある。惚れられているという余裕の表れか。それとも、そこまでの気持ちはないってことか。

「先輩よりも雄大の方がはるかに正直だ。自分の女を泣かせた男を、一発殴ってやろうくらいの気持ちはないんですか?」

 冷たく澄んだ瞳は揺らがない。それが無性にムカついて、挑むように睨みつける。

 司先輩が呆れたように笑った。


「逆ギレかよ。まぁいい、なぜこんな話をしたのか、だったな。それは、お前があまりにも情けないツラをしていたからだ」

「……情けない?」 

「あいつの泣きそうな顔を見て、お前まで情けない顔になって目を逸らしていただろう? 寝込みを襲わなければ好きな女にキスすることすらできないくせに、あいつに泣かれたのがそんなにショックだったのか? 

 1か月も一緒にいれば、あいつがどれだけチームのことを大切に考えているかぐらいは分かっていたはずだ。そんなあいつが自分の男以外の、同じパートの後輩として気にかけてきたお前に抵抗することもできない状態でいきなりキスされて、のんきに喜ぶとでも思ったか?」

 淡々とした口調とはそぐわない、攻撃的な言葉。

 静かに向けられる眼差しはどこまでも冷たくて、初めてその怒りの大きさに気が付いた。


「お前がほとんど酔っていなかったのは分かってる。入部以来、平川のことをずっと目で追っていたことも、あいつの男の話が出るたびにつまらなそうな顔をしていたことも」

 ――全部、知って……?

「雄大のように手を出さないのは、そんな一瞬の痛み程度で今回のことを許す気などないからだ。次からの練習は覚悟して来い。二度とそんな気が起こらないほどに後悔させてやる。――何か反論は?」


 反論など、できるわけがない。

 今の俺が情けないのは事実だし、あいつを傷つけたことも間違いない。罰を受けるのは当然だ。

 だが――


「もし俺が……香奈先輩のことを諦める気はないって言ったら?」

 完全に気持ちを知られているのなら、もう遠慮する必要など全くない。

 この人の女だというのなら、振り向かせて奪うまで。


 司先輩の瞳が、ひた、と俺を捉える。

「――別に、どうでもいい。あいつを傷つけることさえしなければ、誰があいつを好きであろうと俺には関係ない」

 司先輩が立ち上がる。

「逃げるなよ。反省する気持ちがあるのなら、明後日の練習には絶対来い。それから、雄大とは必ずそれまでに和解しておけ。いいな」

「……はい」


 まともな返事が返ってくるとは思っていなかったのだろう。玄関に向かって歩き出していた先輩が足を止め、俺をふり返る。

「じゃあな。やけ酒はほどほどにしておけよ」

 ドアを出て行く広い背中。

 それを見ながら、今の自分の小ささを改めて思い知らされる。

 ――次の練習には必ず来ること。雄大と和解しておくこと。

 司先輩がここに来た目的はただ一つ。香奈先輩の不安を取り除くためだ。


「誰があいつを好きであろうと、俺には関係ない……か」


 決して無関心なわけじゃない。

 それは『相手が誰であろうと、譲ることなどありえない』という明確な意思表示。


「……なんでよりによって、あの人なんだよ。しかも、がっつり惚れられてるし」


 今はまだ、足元にも及ばないけれど。

 いつか、絶対に超えてやる。――アメフトでも、男としても。



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