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第21話 やきもちの証

 バタン、とドアが閉まるのと同時に、壁に手をついて身体を支える。


「びっ、びっくりした……おでこにキスされたぁ……」

 香奈って呼ばれた瞬間、もしかしてって構えてはいたんだけど。

「うーん、見事なフェイント」

 どうしてあんなクールな顔して、あっさりこんなことができるんだろう。香奈って呼ぶのも、ぜんぜん恥ずかしそうに見えないし。

 いつかは私も、「ねぇ、司?」なんて平気で呼べる日が来るんだろうか。

 …………いや来ないな、永遠に。


「はぁ、顔が熱い。とりあえず言われた通りに、シャワーでも浴びてきちゃおう」

 また怒られないよう玄関にカギをかけると、さっとお風呂を済ませる。

 冷たい飲み物を手に部屋へ戻ると、ベッドにもたれるようにして腰を下ろした。


 司先輩はあまり自分から話す方じゃないけれど、一人きりの夜はやっぱり静かだ。つい色々なことを考えこんでしまう。

 お風呂で体はすっきりできても、心の中まではすっきりしないな。

 何度も頭に浮かぶのは、言い争うの二人の姿。


「……どうしてこんなことになっちゃったのかな」

 雄大君のあんなに怖い顔、初めて見た。……私のことを心配してくれたんだよね、やっぱり。

 先輩が言ったように、次の練習の時までに元通りになってくれていたらいいけれど、お酒の席でのこととはいえ、本当にそんな簡単に収まるものなんだろうか。

「……はぁ」

 出てくるのはため息ばかり。

「部活、行きづらいな……。どんな顔をして会えばいいんだろ」


 もう一度ため息をついた時、静けさを破るようにして携帯の着信音が鳴りだした。慌てて立ち上がり、バッグの中からそれを取り出す。


「もしもし? どうしたの? 小太郎」

 こんな時間にめずらしい。何かあったのかな。

『香奈ちゃん? 遅くにごめん、もう寝てた?』

「ううん。大丈夫だよ、まだ起きてたから。――小太郎何かあったの? 大丈夫?」

 電話の向こうで、小太郎が柔らかく笑う気配がする。


『いや、俺は大丈夫。それより香奈ちゃんの方こそ何かあった? いつの間にか香奈ちゃんと司先輩の姿が見えなくなったなって思っていたら、章吾先輩から先に帰ったって聞いたからさ、なんか気になって。今日、1次会で俺が司先輩の話を出した時も、少し様子がおかしかったし』

「小太郎……」

 なんでいつもいつも、小太郎は気付いてくれるんだろう。

 私の体調が悪いときも、落ち込んでいるときも……。


『さっき司先輩がこっちに戻ってきたからさ、今なら香奈ちゃんと話せるかなって思って』

「……ねぇ小太郎。私、最近暗い顔ばかりしてる?」

『えっ?』

「辛そうに俯く顔ばかり見てる気がするって」

『……それ、今日司先輩に言われたの?』

「うん」

『そっか。じゃあまずは、今日そんな顔になってしまった原因から聞かせてよ』


 小太郎の声は、静かに凪いだ海のようだ。

 心の中にそっと打ち寄せて、優しく緩やかに癒してくれる。


「うん、あのね――……」

 カラオケ店のベンチで居眠りをしてしまってから今までのことを、ぽつぽつと話しはじめた。




『……そう。自信を持て、俯くな、か』

 話を聞き終えた小太郎が、確認するように私の言葉を繰り返す。


「うん」

『……俺さ、今日、駿や雄大の前でわざと香奈ちゃんの彼氏の話をしただろう? 実はなんとなく、こんなことになりそうな気がしてたんだよね』

「本当に? でも、どうして?」

『あいつらが香奈ちゃんにかなりの好意を持っているのは誰の目にも明らかだったから。――仮に香奈ちゃんが言うように、駿が単純に酒に酔って悪ふざけをしたのだとしても、何の好意も持たない女の子にキスなんてしないと思うよ。まぁ、本当に酔っていたかどうかも怪しいけどね』

「そうかなぁ……」

 あの最初に出会った時の印象からいったら、誰にでも平気でキスぐらいしちゃいそうな気がするけど。さっきだって、「お姫様が目覚めるように」なんて、明らかにふざけている感じだったし。


『先輩と香奈ちゃんのように、チームの仲間とはいえ男と女なんだから、そこから気持ちが発展することは当然起こりうることだろう? あいつらの好意がどんな類のものなのか、どれぐらい強いものなのかは知らないけれど、下手に期待を持たせてややこしくしないためにも、最初から司先輩のことは隠すべきじゃないと思うよ』


 ……なんか嫌だな。心の中がもやもやする

 小太郎の言うことが分からないわけじゃない。実際に私は司先輩を好きになってしまったし、付き合ってもいるわけだから。

 でも、その私がこんなことを言うのはおかしいかもしれないけれど、私にとって部員たちはみんな大切な仲間であって、男とか女とか、そんなつまらない区分を超えたものでありたいんだけどな。これって都合よすぎる独りよがりの願望なんだろうか。

 それに――


「でもさ、小太郎……相手はこの私だよ?」

『え?』

「私相手に、そんな恋愛沙汰とか、そうそう起こるわけないじゃん」


 中学の頃から、ニキビが酷くて、どこもかしこも女の子らしくなくて。

 男の子に「気をつかわなくていいから楽だ」って言われたことはあっても、恋愛対象にみられたり、女の子扱いされたことなんて一度もなかった。

 スカートを履かなくなったのだって、当時ちょっと憧れていた男の子から、「平川ほどスカートの似合わない女はいないな」ってからかわれたのがきっかけだ。そんな自分が嫌で、わざと男の子みたいな恰好ばかりするようになって……。


 確かに大学に入って肌は綺麗にしてもらったし、髪型や服装も整えてはもらった。でもだからといって中身まで変わるわけじゃないし、相変わらずモテない女の子歴を継続中なのは、周りの人の発言からも明らかだ。

 だから自信を持って、そう言ってみたんだけど――


 小太郎が黙り込む。そして、小さくため息をつくのが聞こえてきた。

『今ので全部わかった。なるほどね、自信を持て、俯くなって言われるはずだ』

「小太郎?」

『香奈ちゃんさ、司先輩とのことをみんなに言い出せなかったのって、そのせい?』

「えっ?」

『自分に自信がなくて、先輩と釣り合ってないって思ってるから、相手が司先輩だってことを言い出しにくかったんじゃないの?』

「……うん」

『どうしてそんなに自信をなくすかな。俺は香奈ちゃんのことを、優しくて可愛くていつも一生懸命な、すごくいい女だと思ってるよ? 司先輩ともお似合いだって本気で思っているけど?』


 そんなことはない。小太郎は優しいからそう言ってくれるけど。

『信じてないでしょ?』

 苦笑交じりの声で言われ、素直に頷く。

「うん」

『頑固だなぁ。何がそこまで自信をなくさせたんだろう。司先輩に色々と気を使うのは、確かに先輩との賭けのこととかこれまでの経緯とかが関係しているんだろうけど……。なんでそんなに、自分に自信が持てないの?』


 理由を答えてしまうのは、先輩たちやあの3人娘が言ったことを告げ口するみたいで、なんだか気が咎める。

 だけどこのウジウジ悩む気持ちを早く失くしてしまいたくて、少し迷った後、小太郎に全部聞いてもらうことにした。


 中学時代から続く劣等感。先輩や女の子たちに言われたこと。

 話が終わりに近づくにつれ、相槌を打つ小太郎の声がどんどん不機嫌なものになっていく。


『――そう。あいつら、そんなふざけたことを言ってたんだ。やっぱり初日に叩き出すべきだった』

「あっ、でもそれが一番の理由ってわけじゃないんだよ、もちろん!」

 小太郎らしくない厳しい口調に、見えもしないのに手をぶんぶん振って否定する。


「もともと自分に劣等感があるせいかさ、普段の司先輩の様子を見ていたら、どうしても私の気持ちばかり大きすぎるような気がしちゃって」

『そんなことはないと思うけど。――まず、あいつらのことは気にする必要全くないよ。単に香奈ちゃんを妬んでいただけだから。悩むだけ時間の無駄だ』

「そ、そう?」

 妬まれる要素なんて皆無な気がするんだけど……そこまで言っちゃう?

『あと先輩たちに関しては……ああ見えて結構照れ屋な人が多いだろう? 素直じゃないんだよ。大好きな子をいじめて喜ぶ小学生だと思ってなよ』


 ――大好きな子をいじめて喜ぶ小学生?

 ランドセルを背負い、捕まえた虫を持って好きな子を追いかけまわしている先輩たちの姿をイメージしてみる。


「……だめだ。あまりにもゴツすぎて、ランドセルを背負った変質者にしか見えない」

『ぷっ、なにそれ! ランドセル背負う必要ある!? そうだなぁ、じゃあ聞くけど、すごく太った女の子がいたとするだろ? 先輩たちがその子に向かって、「デブ」って平気で言うと思う?』

「それはない」

 みんな、なんだかんだ言って結構優しいもの。面と向かって本当のことを言って傷つけたりはしないと思う。


『それといっしょだろ? ブスだと思ってる子に、ブスとは言わない』

「おぉ! すごい、小太郎! なんか初めてしっくりきたかも! ……あ、でもやっぱりだめだ。泰吉先輩を除けば、先輩たちが私のことブスって言ったの、私に面と向かってじゃなかったもん。先輩たちも陰では太った女の子のことをデブって言っちゃう気がする」

 泰吉先輩にいたっては、本人を目の前にして心の底から「デブだな、お前」とか言えちゃいそうだよ。すでに毎日、「おいブサイク」って呼ばれてるしね。


 小太郎がケラケラと声をあげて笑う。

『本当に頑固だなぁ、香奈ちゃん! ……それならしょうがない、香奈ちゃんが自分に自信を持てるよう、とっておきのことを教えてあげるよ。本当は香奈ちゃんが自分で気付くか司先輩が言うまで、黙っておくつもりだったんだけどね』

「え、なになに!?」

 重要な秘密の気配がして、思わず姿勢を正す。


『これまでさ、時々司先輩が不機嫌になって、香奈ちゃんが悩んでいる時があっただろう?』

「うんうん」

 守とアフターで喧嘩した時とかだよね?

『あれさ、ぜんぶ単純に司先輩がやきもちをやいていただけだと思うよ。意外と独占欲強いみたいだね、先輩って。愛されてるねぇ、香奈ちゃん』

「……やきもち? ……司先輩が、やきもち?」

『俺から見たらすごく分かりやすいよ。守と香奈ちゃんが喧嘩した時、先輩何を思ったのか顔を赤らめるなとか訳の分からないことを言っていたけど、本当はただ香奈ちゃんが守に引っ付いていたのが嫌だったんじゃないかな。今日も駿にキスされたことで先輩相当イラついていたんじゃない? 怒られたりはしなかった?』

「ううん、そのことでは何も……。ちょっと不機嫌ではあったけど、それは私がウジウジしてたせいだし、俯くなってデコピンされて……」

『デコピン?』

「うん。今日初めて先輩にデコピンされたんだけど、もうめちゃくちゃ痛かったの。今もおでこが真っ赤だし」

『あぁ、きっとそれだ!』

 小太郎がプッと吹き出す。


『先輩もかなり我慢してたんだろうね。雄大に先を越されていなければ、自分で殴ってやりたかったんじゃない? そうか、香奈ちゃんがとばっちりを受けたかぁ』

「そ、そういうもの? 本当にやきもちをやいてくれたと思う?」

『うん、思う。間違いない』


 先輩がやきもち……。そうなのかな? そんなことが起こりうるのかな?

 本当に、本当にそうなのかな!?


「やきもちのデコピン……。どうしよう小太郎。この腫れ、ずっと大切に残しておきたくなってきた」

『ちょっ、やめて香奈ちゃん。笑いすぎて腹痛い!』

「写メとっとく! 司先輩の愛のデコピン! 小太郎にも送ってあげるから、待ちうけにしてお守りにして?」

『何の御利益があるの?』

「うーん……魔よけ?」

『なんで恋愛成就じゃないんだよ』

「だって、おでこ腫らした私が最高にニヤケた顔で写ってるんだよ? しかも、どアップで!!」

『やばい、想像した。それ結構強烈かも!』

 小太郎とひとしきり笑いあう。

 たっぷり笑って気が済むと、一度大きく深呼吸をした。


「――小太郎、本当にありがとう。いっぱい元気をもらっちゃった」

『それなら良かった。安心したよ』

「今日だけじゃなくて、いつも本当に感謝してる。小太郎も何かあった時にはちゃんと言ってね? どこにいてもすぐに駆けつけるから」

『ほんと、速攻で来てくれそうだな』

「もちろん! 泰吉先輩のパシリの時より急いで行くから」

『すごく嬉しいけれど、そろそろ事故に遭いそうだから、本気でやめて?』

 やっぱり小太郎は、こんな時でも気配り上手だ。


『それじゃあ、そろそろ切るよ。また明後日の練習でね、香奈ちゃん』

「うん。また明後日ね。――おやすみ、小太郎」


 通話を終えて、きゅっと携帯を握りしめる。

 心の中がほかほかと温かい。

 自然と背筋が伸びる。


 今日の間宮君と雄大君の件も、私自身の気持ちの問題も、そして司先輩と私のこれからも……全部がいい方向に進んでいけるような気がした。



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