第20話 やり場のないいらだち
「だんだん収拾つかなくなってきたな。今日は二次会までにして、あと30分ほどでお開きにするか」
騒がしい部屋の中、隣に移動してきた章吾が手にしていた酒を一気にあおる。
「――そうした方がよさそうだな」
これ以上飲ませたら、また去年同様に店の物を壊したり暴れたりするやつが出そうだ。
周りを見回せば、まだまだ余裕で騒いでいるやつらもいるが、飲みすぎてつぶれている新入部員の姿もちらほら見える。
毎度のこととはいえ、こいつら全員連れて帰るのも大変だ。
「なぁ、司」
章吾の声に、視線を戻す。
「お前、まだ香奈と付き合っていることを1年に隠しておく気か?」
「俺は別に隠してなどいない。聞かれないから言わないだけだ」
あいつがそれを隠そうとしていることには、正直腹が立っているけれど。
「そうか? 俺はよく一年に香奈の男はどいつだと聞かれるがな。――そろそろ言っておいた方が、あとあと面倒が少なくて済むんじゃねぇか?」
「聞かれたんなら、お前が言えよ」
もうとっくに伝わっているだろうと思っていたのに。
あいつが隠したがっていたせいで、章吾も他の部員たちもめずらしく気を使い、黙っているらしい。
無意識のうちに平川の姿を探す。さっきもそうだったが、やはり姿が見えない。
「司、どうした?」
「いや……さっきからあいつの姿が見えなくて」
「香奈か? 今日はそんなに飲んでなかっただろ」
「俺もそう思って、放っておいたんだが」
思ったよりも酒が入っていたのだろうか。まさか、女子トイレに籠ったまま熟睡とかしてないよな。
「ちょっと見てくる」
「外に出てるとまずいな。俺も行こう」
騒いでいるやつらの横をすり抜けるようにして、部屋を出る。
「まずはトイレを確認して、そのあと手分けしてこの店の中を探すか。それでもいないようなら、三次会は『香奈を探せ。大かくれんぼ大会』に決定だな」
章吾が楽しげに笑って歩き出す。そういえば、この前の平川失踪の時に強い酒を飲ませていたのは、こいつだったよな。
かくれんぼなどと簡単に言うが、もうあんなのは二度とごめんだ。あいつが人気のない夜の公園などで熟睡していたらと思うと、気が気じゃない。
客が多いわりには人通りの少ない廊下を足早に進む。
いくつかの角を曲った、その瞬間。人の心配をよそにあっさりと――だが予想もしてなかった形で平川の姿が見つかった。
明らかに脱力した様子でベンチに座る女と、その前に身をかがめる男。
何をしているのかということは、誰が見ても明らかで。
「香奈と……間宮?」
章吾の呟きと同時に、ベンチへと歩き出す。
「おい待て、司!」
章吾が俺の腕を掴み引きとめた時、通路の反対側から出てきた雄大が躊躇なく間宮のわき腹に蹴りを入れた。
派手な音をたてて壁に打ち付けられた間宮が、痛みに顔をしかめる。
「……くそっ、痛ってぇな! なんだよ急に!」
雄大が冷めた目で間宮を見下ろす。
「お前、いま香奈先輩に何をした?」
「あ? 何って、なかなか起きないお姫様にお目覚めの軽いキスをしただけだろうが」
「なんだと?」
「うるせぇな。この程度のことでやきもち焼くなよ。デカい図体して」
雄大が間宮の胸倉を掴み腕を振り上げる。間宮がそれに反撃しようとした時、章吾が大きく手を打ちならした。
「よし、そこまで! さすがは香奈の番犬、よくやった――と言いたいところだが、ちょっと遅かったらしいな。――香奈、大丈夫か?」
全員の視線が平川に注がれる。
平川は口元を押さえ呆然とした表情で争う間宮たちを見つめていたが、章吾の隣に立つ俺に気付き、目を見開いた。
「……あの、わ、私……」
震える声は、その動揺の大きさを表わすかのように言葉にならない。
その目に涙がにじむのを見て、間宮がすっと視線を落とした。
「章吾、悪いが一旦平川を家まで送ってきてもいいか」
「あぁ。こっちは適当に解散しておくから気にするな。間宮、雄大、とりあえずお前らも今日は家に帰って頭を冷やせ。明後日の練習開始前に話がある」
「……はい」
二人は互いの顔を見ることもなくその場を去っていく。二人の姿が見えなくなってもなお放心状態のままそちらを見つめている平川に、声をかけた。
「おい、帰るぞ」
「……あっ、はい」
「司、香奈の荷物」
「あぁ、悪い」
急ぎ戻ってきてくれた章吾に礼を言うと、平川の腕を掴み出口へと歩き出した。
夜も更け閑散とした道を、ほとんど会話のないまま二人並んで歩く。
隣の平川はずっと顔を伏せたままで、泣いてはいないものの酷く落ち込んでいるのは明らかだ。
「大丈夫か?」
「……はい」
平川が顔を上げることなく小さく頷く。
俺の部屋の前でわずかに躊躇した平川の腕をとり、ドアの中へと引き入れた。
「何か飲み物でもいれてくるから、座ってろ」
平川の好きなミルクティーと自分の分のコーヒーを用意する。
「ありがとうございます」
正座して待っていた平川がさっきより幾分落ち着いた様子でカップに手を伸ばし、口をつけた。
「何があったか、話せるか」
「はい。……あの、私、カラオケにいる時にすごく眠くなってしまって、酔いを覚まそうと思って部屋を出たんですけれど、やっぱりだめで……」
「あぁ」
「それで、少しだけベンチで休もうって思ったら寝てしまっていて……気付いたら……」
「キスされていたのか?」
これ以上落ち込ませることのないよう、できるだけ軽い口調で問いかける。
それでも平川は泣きそうな顔で俺を見たあと、俯いた。
「多分……。なにかが唇に当たった気がして目が覚めて……すぐ近くに間宮君がいたから」
「――そうか」
どう声をかけていいのか分からず、重い空気に包まれる。
正直言えば、あの光景が今も頭をちらつき、ムカついてしょうがない。
あんな場所で寝るお前が悪いと、平川にきつく言ってしまいそうになる。
だがこいつの様子を見れば、もう十分自分自身を責めているのは明らかで――
「……司先輩、ごめんなさい」
平川が深く頭を下げる。
「私が、あんなところで寝たりしなければ……ちゃんと先輩と付き合っていることを話していれば、いくら酔っていても間宮君あんな悪ふざけはしなかっただろうし、雄大君と喧嘩することもなかったですよね?」
今にも泣きだしそうな、震える声。
「せっ、せっかく二人はすごく仲良くなっていたのに……これから1年生の中心となって、一緒にチームを支えてくれるはずの二人なのに、このことがきっかけで気まずくなって、部活をやめちゃったらどうしよう……」
――真っ先にでるのは、やっぱりそれかよ。
こいつの考えることはあまりにも予想通りで、もう怒る気にすらなれない。
なぜそこで、寝てる女に手を出した間宮ではなく自分を責める?
大体、チームの将来を心配する前に、その現場を目撃してしまった自分の男のことも少しは気にしろよ。
小さくため息をつき、やり場のない苛立ちを抑えこむ。
俯く平川の額に手を伸ばすと、黙ってそこにデコピンを打ち込んだ。
「イタッ!!」
ビシリと鈍い音がして、平川が悲鳴を上げる。
「おい、顔上げろ」
痛みのせいか元からか。涙目になった平川が額を押さえ、おそるおそるといった顔で俺を見た。
「お前、バカだろ。たかがあれぐらいのことで部活をやめてたまるか」
「……本当ですか?」
「あぁ。酒に酔って部員同士で喧嘩になることなど、そうめずらしいものじゃない。男同士の喧嘩などあっさりしたものだ。次の練習の時には、何事もなかったかのように元に戻ってる」
「……元通りに?」
「そうだ。それに今日のことは俺にも責任がある。お前が酒を飲めばいつでもどこででも寝てしまうことはわかっていたのに、飲めと言っておきながら目を離した。次から、眠たくなったらはっきりそう言って先に帰れ」
「先輩……」
平川が涙を堪え、唇を噛みしめる。
「まだ酔ってるか?」
「いいえ。今日はあまり飲んでなかったし、大丈夫です」
「そうか。それならとっとと風呂に入って先に寝てろ」
「え? あの、先輩はどこへ行くんですか?」
「カラオケ。結構潰れているやつらがいたから、ちゃんと全員帰れたかどうか確認してくる」
「あっ、そっか、そうですよね。……ごめんなさい」
玄関に向かう俺の後ろを、肩を落とした平川がとぼとぼとついてくる。
どうせまた、自分のせいで俺を途中で抜けさせてしまったとか、つまらないことを気にしているんだろう。
「最近、そんな顔をさせてばかりだな」
「えっ?」
「辛そうに俯く顔ばかりだ。――俺のせい、なんだろうな」
以前の平川は、ここまでマイナス思考なやつじゃなかった。
くそ真面目で、呆れるほどに努力家で、周りの部員たちに怯えながらも常に前向きで――
それがこんな風に変わってしまったのは、やっぱり俺のせいなのだろう。
「お前が入部したばかりの頃の、俺の酷い態度やあの賭けが、今でもお前の中に根強く残っているんだろう?」
つい先日、マネージャー候補とのいざこざがあった時にも、自分に自信を持てとそれなりに励ましたつもりだったが。
どうやらあの程度では、こいつの不安は全く拭えていなかったらしい。
「わ、私そんなつもりじゃ……」
平川が焦ったように首を振る。
「香奈」
「っ、はいっ!」
「もう隠すのは終わりだ。いいな」
「えっ?」
「俺はお前をこれ以上不安にさせないように気をつける。だからお前も、もっと自分に自信を持て。いちいち俯くな」
「司先輩……」
「これ以上グダグダ言って俯いたらデコピンするぞ。わかったら、返事!」
「はいっ!!」
慌てて額を手で隠した平川が、また痛みに顔をしかめる。
その姿に笑った俺を見て、平川の顔にもようやく少しだけ笑みが浮かんだ。
「じゃあ、行ってくる」
「はい、気をつけて」
「部屋から出るなよ。あと、鍵をかけるのも忘れるな」
「大丈夫ですよ。今日は酔ってないですってば」
くすりと笑った平川の腕を掴み、引き寄せる。
明らかに赤く腫れている額にキスをすると、平川が目を大きく見開いて額を押さえ、よろめいた。
「じゃあな。冷やしとけよ、そこ」
「はっ、はいっ!」
相変わらず真っ赤になって声を裏返らせる平川を残し、部屋を出た。
前回、つい遊び心で「間宮駿を吹っ飛ばしたのは誰でしょう?」とクイズのようなものを出してみたのですが、反応ゼロかなという予想に反し、たくさんの方が感想欄やブログに予想を寄せてくださいました。
普段なかなか見ることのできない読者様の姿を垣間見れた気がして、本当に嬉しかったです。ありがとうございました。
ちなみに皆さんの予想では、
「間宮駿を吹っ飛ばしたのは誰でしょう」
1 司 4票
2 育太 1票
3 小太郎 4票
4 雄大 1票
5 まさかの泰吉 1票
ということで、司と小太郎が1位の予想となっていたのですが、正解は4の雄大ということで。
予想だけではなく「カラオケルームで司による公開消毒を」など、様々なご意見までいただいて、本当に楽しかったです。
今回、期待外れになってしまっていないかなとちょっぴり心配ですが、これからも楽しんでいただけるよう頑張りますね。
拙い作品ではありますが、最後までお付き合いいただけたら幸いです。
ありがとうございました。