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第17話 歪んだ愛情

 とうとうやってきた、仮入部期間の最終日。

 いつもの練習メニューを終えて章吾先輩からの集合がかかると、私は何とも言えない緊張感を覚えながらみんなの元へ駆け寄った。


 去年の仮入部最終日と同様に、今から仮入部部員たちの入部の意思確認と、部員全員によるマネージャー承認とがある。

 この前、なぜか司先輩は仮入部が終わればマネージャー候補者が全員いなくなると確信していたみたいだったけれど、詳しい理由は結局話してくれないままだった。

 先輩たちはみな毎日楽しそうに話していたし、そのまま喜んで承認されそうな気がするんだけどな……。


「よし、全員集合したな。――今日はみな知っての通り、仮入部の最終日だ。まずは今から入部意志の確認を行う。ここにいる全員、入部希望ということで間違いないか?」

「「「はいっ!!」」」

 章吾先輩の太い声に、その場にいた1年生、マネージャー候補全員が大きな声で答える。先輩はそれを満足げに眺めたあと、ニッと意味深な笑みを浮かべた。


「では、今から全員に入部テストを行う」

「入部テスト!?」

 思わず声をあげてしまい、慌てて口を押さえる。もちろん驚いたのは私だけじゃなくて、1年生全員が戸惑ったように顔を見合わせていた。

 だけどなぜか2年生以上の部員たちは誰一人驚いた様子がない。

 もしかして、みんな事前に知っていたの? ――なんで私だけ知らされていないの?


「おい2年、グラウンドの準備!」

「はい!」

 小太郎たちが素早くコーンを並べ、ストップウォッチを手にする。

 あれれ? このコーンの配置って、もしかして。


「ルールの説明をする。最初のコーンから次のコーンまでは全力でダッシュ。それを過ぎたら次のコーンまではジョギング、そしてまたコーンを過ぎたらダッシュ。それを繰り返す、緩急をつけた走りで持久力をつけるトレーニングだ。小太郎、ちょっとやってみろ」

 小太郎がスタートの合図に合わせて飛び出し、実際に走って見本を示す。

 ……やっぱり。一年前、司先輩との賭けでやったトレーニングだ。

「やり方はわかったな? これを全部で5周繰り返す。目標タイムに届かなかったものは入部を保留。1週間体力作りをして、再テストを行う」

 再テスト!? そこまでするの?  なんだかちょっと、今年の一年生たち可哀想かも……。


「次に目標タイムだが――おい香奈、ちょっと出てこい」

「はっ、はい!」

 突然の呼び出しに、戸惑いながらも前に出る。

 章吾先輩の隣に立つ司先輩と一瞬目が合ったけれど、いつものように無表情でそらされた。

「目標タイムは、香奈のタイムを基準にして決める。バックス志望の1年はプラス10秒。それ以外のやつは……そうだな、とりあえずプラス30秒までオッケーにしておくか」

 一気に一年生たちがざわめきだした。


「香奈先輩のタイムに、プラスで10秒ですか? でも、それって……」

 一人の男の子が言いにくそうに声を上げる。

 そりゃそうだよね。選手でもなんでもない女のマネージャーのタイムなんか、なんで基準にするんだって思うよね。

 しかもプラス10秒だもん。甘すぎて走る意味がないと思われても当然だ。


 でもこの質問は章吾先輩にとって、想定内のものだったみたい。先輩は待ってましたとばかりに、とても楽しげに微笑んだ。

「一緒に走ってみればわかる」

 あぁ、そうだね。一緒に走ってみれば――って、ちょっと! どーいうこと!?

 心の中で一人盛大に突っ込んでいると、章吾先輩が威圧感たっぷりに両腕を組み、私に向き直った。


「香奈、お前は一年前にここで、マネージャーの女としてではなく一人の新入部員として見てほしいって言ったよな?」

 それって、司先輩と賭けをした時の……。

「はい」

「今でも当然、その気持ちに変わりはないよな?」

「はい!」

「よし。上級生代表として恥ずかしくない走りを見せろよ。もし去年のタイムより1秒でも落としたら、速攻でポジション変えっぞ!」

「えーっ、そんなぁ!! ……はっ、はいっ!」

 うわーん、そこまで怖い顔で睨まなくてもいいじゃないか!

 そんな重要なこと、なんで私にも教えておいてくれないの? なんでいっつも一人だけ内緒にするの!?


 半泣きになりながらも、怪我をしないよう急いでストレッチを始める。

 もう入部テストだの、他の部員たちのことだの、気にしている余裕は全くない。ただただ、去年の自分を超える結果を目指すのみ――。

 深呼吸をして、集中を高める。

「レディ……ゴー!!」

 スタートの合図に、思いっきり地面を蹴って飛び出した。



 前回のテストの時、私は司先輩に認めてもらうために、かなり必死になって走った覚えがある。今回それを上回るタイムを出すためには、前回以上に気合を入れなきゃいけないということだ。


 隣に並んだ私を見て、間宮君が驚いたように目を見開く。そしてぐんとスピードを上げてきた。

 ――すごい、間宮君って結構速い。小太郎や翼先輩といい勝負かも。

 でもちょうどよかった。誰かが前を走っていてくれた方が、ずっと走りやすくなる!


 ペース配分を考えつつも、その背中を必死に追いかける。

 どこにもタイムを確認できるものがないから、焦りばかりがこみ上げてきた。

 ――嫌だ、嫌だ、今更ポジションを変えられるなんて、絶対に嫌だ――っ!

 その気持ちを力に変え、限界ギリギリの速さで走り続けた。



 数分後。

「はぁっ、はぁっ、せ、先輩、タイムは!?」

 間宮君に続き何とか2位でゴールしたあと、祈るような気持ちで章吾先輩に問いかける。 

 ストップウォッチと去年のノートを見比べていた章吾先輩が、硬い表情で私に向き直った。

「残念ながら――」

「えぇっ!?」

 だ、だめだった!? うそだぁ、もうポジション変えられちゃうの!?

 危うく泣きそうになってしまい、唇をぐっとかみしめる。

 周りが一気に静かになりみんなの視線が章吾先輩一人に注がれた時、先輩がやっと続きを口にした。

「――去年のタイムより、4秒早かった」

「4秒……早かった?」

 その場にいた部員たちから、ワァッという歓声が上がる。


「よくやったな、香奈!」 

 気が抜けた瞬間、ラインの先輩に背中をドンと叩かれ、勢いよく地面でおでこを打つ。

「うおっ!」

「い、痛いー」

「お前何やってんだよ! 軽すぎだっていつも言ってんだろ? もっと飯食って肉つけろ」

 今度は勢いよく抱えあげられ、くらりと立ちくらみをおこす。

 ふらついた私を、隣にいた育太が素早く支えてくれた。


「あーあ、おでこから血ぃでてんぞ。傷残ったらまずいだろ、これ」

「おい、マネージャー! 消毒薬持って来い!」

 遠巻きにテストの様子を見ていた3人娘に、先輩たちが声をかける。

 そして届けられた薬をつけて、絆創膏をぺたりと貼ってくれた。

「あ、ありがとうございます」


「よし。じゃあ次はマネージャーの入部テストだな。3人とも前に出てこい!」

 えっ、まだ何かやるの? さすがにもう私、走らされないよね!?

 3人が明らかに戸惑った様子でお互いの顔を見ながら、おずおずと前に歩み出る。

「3人とも入部希望ということだったな。うちの部では、マネージャーに関しては部員全員の承認が必要とされている。そして俺たちが求めているのは、部員に負けない体力を持ち、即戦力として使えるマネージャーのみ」

 章吾先輩は今までの笑顔を消して、厳しい眼差しを3人に向けた。


「もし入部することになればマネージャーとしての仕事はもちろん、平川と同様、走り込みなどのトレーニングにも部員と共に参加してもらう。――部内の上下関係はマネージャー間にも当然及ぶ。最低限の礼儀も知らない者は必要ない」


 ――これって、もしかしてこれまでの彼女たちの態度を暗に非難してる?

 都合よすぎるかもしれないけれど、そう思えてしまうぐらいに先輩の声は冷たかった。


「去年、香奈は今日のテストと同じトレーニングに自ら志願して参加し、その体力と根性を部員全員の前で証明してみせた。もしマネージャーとして入部を希望するのなら、今から同じテストを受けてもらう。――希望する者はいるか?」

 その場が静まり返る。

 3人は俯いたままで、手を上げる子は一人もいなかった。


「希望者なし、だな。ではこれで今日の練習と入部テストは終了。入部保留者は部活外の時間にも体力作りに努めるように! 解散!」

「「「お疲れ様でしたっ!!」」」

 部員たちがいっせいに挨拶をして、その場を離れて行く。

 肩を落としてグラウンドを去る3人の姿を見ていたら、なんだかさびしいような、ほっとしたような、そして申しわけないような複雑な気分になった。


「気にするな」

「……司先輩」

「部員全員が入部を拒否したんだ。当然の結果だ」

「……先輩は今日の入部テストのこと、知ってたんですか?」

「まぁな」

「私が走ることも?」

「いや、そこまでは聞いてなかった。章吾があいつらを納得させるために、お前を使って何かやるだろうとは思っていたが」

 そうだったんだ……。

「よくやった」

 ポンと肩を叩き、先輩が離れていく。みんなの前でこんな風に声をかけてくれることはめったにないから、その気遣いがなおさら嬉しく感じた。






「お疲れ様」

 入部テスト、そしてアフターを終え、荷物を持って部室へ向かう途中。

 後ろから誰かに呼び掛けられ、足を止めて振り返った。

「間宮君……」

「また一人に戻ったな。荷物持ってやる。貸せよ」

「あっ、ありがとう」

 返事を待たずに荷物を奪われ、慌ててその後を追う。


「間宮君って練習中は敬語なのに、普段はやっぱり敬語抜きなんだね」

「さすがにあの場であんたに敬語を使わなかったら、先輩たちの余計な怒りをかいそうだからな。それに『マネージャーの女の子』ではなくて、れっきとした『先輩部員』の一人みたいだし?」

 からかうような口調で言っているけれど、その表情はいつかの人を見下すような冷たい笑顔じゃなくて、ごく自然な笑顔だ。

 ピアスが外された横顔。ほとんど日が落ちてしまったせいかトレードマークの明るい髪色が目立たなくて、端整な顔立ちが際立って見える。


「今日、初めて女に負けるかもしれないと思って、正直焦った」

「はは、大げさだよ。しっかり最後まで1位だったくせに。それにみんなは受験勉強とかでブランクがあったでしょ?」


 入部テストの結果は、18人中16人が入部決定、そして2人が入部保留というもの。

 保留になってしまった2人にはなんだか申し訳なく思ったけれど、その2人も含めて1年生みんなが笑顔で『驚きました』、『いい刺激になりました』などと声をかけてくれて、ほっと一安心することができた。



「あんたがあの3人に好き放題やられているのを先輩たちが見て見ぬふりしていた時には、こいつら何考えてんだって思ってたけど……ずいぶん愛されているんだな、あんた」

「えっ?」

「今日のテストもあいつらを追い払うためのものだったんだろ? さっき聞いたけど、2年の部員全員が仮入部二日目にして、『香奈がかわいそうだからあの3人をやめさせろ』って主将に抗議したらしいぞ」

「うそ……」

 そんなの聞いてない。心配して声をかけてくれた人は、何人かいたけれど。


「章吾主将も、入部させる気などないから仮入部期間だけ黙って見てろって答えたらしいし。そのことに反対する部員は一人もいなかったってよ」

「ほ、ほんとに?」

「泰吉先輩も、香奈だけで十分だって初日にあいつら見限っていたらしい」

「ええぇっ!?」

 泰吉先輩……あの泰吉先輩までもが!?

「感動した?」

 間宮君がニヤリと笑う。

「ちょっと……しちゃったかも」


 しょっちゅうパシリにされるし、関節技かけられるし、脅され、騙され、時には変態扱いされたりなんかもするけれど――

 やっぱりなんだかんだ言って、仲間としてすごく大切にしてもらっていたのかもしれない。


 全身に、じーんと感動が広がっていく。

 思わず自分の胸に手を当てて、その感動をかみしめた。


「私……明日から、もっと部活頑張る」

「ふっ、単純すぎるだろ、それ」

「でもさ、せっかくならもう少し分かりやすく、優しくしてくれたらいいと思わない?」

「確かに」

 二人でくすりと笑いあう。

 もう、先輩たちったら大きな体して本当に不器用なんだから――まぁ、そこが可愛くもあるんだけど。


 暖かな気分のまま部室の前に着き、ドアに手をかける。

「あー、これでまたマネージャーは香奈一人に戻ったな」

 部室の中から自分の名前が聞こえてきて、思わず少し開けたところで手を止めた。


「まぁ、しょうがないだろ。章吾の趣味が悪すぎんだよ」

「いや、もともとあいつらは一週間限定の観賞用だったらしいぞ?」

 ――この声、4年の先輩たちだ。でも観賞用ってどういうこと!?


「確かに、見た目だけはまぁまぁ良かったな」

「胸もデカかったしな」

「それにしても中身は最悪だろ。俺があいつらの一人に、香奈はパシリ用に採用したって言ったらすっげぇ喜んでさ、調子にのるのる。香奈いじめまくり」

「あー、俺も香奈はブスだったからスカウトされたんだぞって教えてやったら、やっぱ露骨に喜んでたわ」


『もともとパシリにするために入れたらしいよ。すっごいブスだったって話――』

 望ちゃんの声がよみがえる。

 ちょっと待って。あの話の出所って…………ここ!?


「女は怖えーなー。ってか、お前らも酷ぇよ! せめてもう少しオブラートに包んで言ってやらないと。ブスはブスでも、見込みのあるブスだった、とかよー」

「パシリとしては文句なしにチーム一の逸材だ、とかな!」

「そういや、前から思ってたんだけどよ。香奈のやつ異常に発育が遅くねぇか? あいつ年上どころか、3つ4つ年下に見えてたぞ?」

「やっぱ胸がないってのは女として致命的だな。……ってこんな話してて大丈夫か? あいつ今いないよな?」

「はは、大丈夫。まだ戻ってきてねぇよ」

「でもよー、アイツに揉まれてこの程度ってことは、香奈のやつもうデカくなる可能性はないんじゃね?」

「ブハッ!! 確かに!!」

「おいおい、あれっぽっちで終わりかよ? そりゃないぜー! ギャハハハハ」

「バーカ、あれはあれで重要な意味があんだぞ。香奈の足が速いのは、チビの上に凹凸が少なくて風の抵抗を受けないせいだろーが!」

 部室がワッと笑いに包まれる。私の隣にいた間宮君くんまで盛大に噴き出した。


「あんた、ほんと愛されてんな! あー、笑いすぎて腹痛てぇ!」

 恥ずかしさと怒りから、ドアにかけたままの手がプルプルと震える。

 せっかく感動してたのに……先輩たちみんないい人だって、すんごくすんごく見直したところだったのに!


 渾身の力で、ドアを叩き開ける。

「うおっ、香奈!?」

「やべっ!」

 パンツ姿でオタオタと慌てだした先輩たちを、涙のにじむ目でキッと睨みつけた。

 ――もう、本当に! 本当に! 本当にっ!


「先輩たちなんて、大っきらいだーーー!!!」


 部室の中が、過去最高の笑い声で包まれた。



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