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第16話 甘い慰め

「うん、たまにはこういう時間も必要だよね。一人で静かに過ごす時間がさ」


 部活から戻り、さっとシャワーを浴びて、久しぶりに自分の部屋で一人晩御飯を食べたあと。

「よーし、うだうだ考える暇もないぐらいに、縫って縫って、縫いまくってやる!」

 さっそく裁縫道具を取り出すと、縫い針片手に、ムン、と気合を入れ直した。


「……それにしてもさ、みんなもこんなにためる前に、こまめに出してくれたらいいのになぁ」

 チクチクと縫いながら、誰にともなく文句を言ってみる。

 たいてい誰か一人に頼まれた時、「あ、そう言えば俺もー」なんて言ってぞろぞろと出してくるんだよね。

 もう慣れた作業だけど、さすがにこの量を一晩でやるとなると憂鬱だ。

「今日寝る時間あるかなぁ。うわ、汗で濡れてるやつもある! 縫ったあと全部洗濯しとかなきゃ!」


 こんもりとできた山を切り崩すように、片っ端から縫っていく。

「誰? このボロボロなジャージ。……また寺岡先輩かぁ。ちょっと破けた時すぐに出してくれないから、いつもここまで酷くなっちゃうんだよね」

 ものぐさな性格だからってわけじゃなくて、私に頼むのを遠慮してくれているんだろうな。大きな体して、すごく優しい先輩だから。


 こういうの一つで、結構部員たちの性格が見えてくるんだよね。

 練習用ジャージは卒業した先輩のお下がりを使っている人が多くて、元からちょっとくたびれているんだけど、おしゃれな小太郎はちょっとの破けなら自分でさっと縫うか新しいものを買い直すかしちゃうし、育太もちゃんと自分で直してる。

 守はお母さんが洗濯の時に気付くのかいつも綺麗に縫ってあるけれど、もし一人暮らしをしていたならぎりぎりまで放置して私にやらせるんだろうな。

 そして司先輩も、あんまり手直しして着るのが好きじゃないのか、縫ってくれと頼まれたことが一度もない。

 普段一緒に暮らしていても、洗濯とかは私がいないうちに終わらせてあったりするし、家事全部を私にまかせたりは絶対にしないんだよね。


 ふいに、少し首周りの伸びたTシャツを手際よく干していく、先輩の後ろ姿が頭をよぎる。

 ――もし、このまま気まずくなって別れたとしても……司先輩はあんまり困ったりしないんだろうな。何でも自分でできる人だし、彼女なんていくらでもつくれそうだし。


 あぁ、また落ち込んできちゃった……。今日はさすがにきつかったなぁ。いろんな意味で。

 誰かと揉めるのってすごく体力を使うし、辛くて悲しい。上手くやっていこうって、結構頑張ったつもりだったのにな。

 明日から、一体どうすればいいんだろ……。


 部屋の時計が11時半を指しているのを見て、また急いで手を動かし始める。

 その時突然、玄関のドアノブをガチャリと回す音が聞こえてきた。

 誰? こんな時間に――っていうか、合鍵を持っている人なんて、一人しか……。


「おい、『用事があるから自分の部屋に泊ります』って、これのことか?」

 部屋に入ってきた司先輩が、呆れ顔でジャージの山に目を向ける。

 そして縫い針とジャージを手にしたまま固まっていた私の前に、腰を落とした。


「お前……本当に不器用すぎ」

 慌てて縫い目に目を向ける。

「そっちじゃない。要領が悪すぎるって言ってんだ。なに年下の女どもに、いいようにコキ使われてるんだよ」

「司先輩……」

 もしかして、上手くいっていないことに気付いてくれてた?

「俺も今日は言いすぎた。……悪かった」


 一気にいろんな思いが込み上げてくる。

 みんなに嘘をついてしまった、後ろめたさ。

 司先輩を怒らせて冷たい態度をとられてしまった寂しさ。

 露骨な悪口を言われた驚きと、そこまではっきりと嫌われていた、という悲しさ――

 

 ジワリと涙がにじんで俯いた私を、司先輩が腕の中に引き寄せる。

 その腕がいつになく優しくて、泣きたくなんかないのに涙がどんどん溢れてきた。


「お前、もっと自分に自信を持てよ」

「……じっ、自信、ですか?」

「お前はいつも俺に気をつかいすぎる。何かある度に、すぐ『自分のせいで』とか『どうして私なんか』って口にするだろうが」

「あ……」

 『なんでいつまでたってもそうなんだ』って言ったの、もしかしてこのことだったの?

 

 でも、どれだけ一緒にいる時間が増えても、その不安は消えないんだ。

 司先輩はどんな時も冷静で、私だけが先輩の言動一つ一つに一喜一憂している気がしてしょうがない。

 付き合ってはいても気持ちの面ですごく温度差があるように思えて、いつもいつも怖くなる。

 私の気持ちが重すぎて先輩が嫌になっちゃうんじゃないかとか、もっと綺麗な人が現れて、あっさり気持ちがさめちゃうんじゃないか、とか……。


「俺は、相手がお前だったから付き合いたいと思った」

 耳元で聞こえた声に、息をのむ。

「マネージャーだろうがなんであろうが、お前と付き合うことで俺が迷惑することなんて一つもない」

「……うーっ」

「だいたい、部活をやめようとしていたお前を引きとめて付き合えって言いだしたのは俺の方だろうが」


 なんでそんなことも分からないんだと言いたげな、そっけない声。

 でもその言葉があまりにも嬉しくて、思わずその背中に腕を回し、しがみついた。

 一呼吸するごとに、先輩に対する不安や焦りだけじゃなくて、今日の悲しかった気持ちも癒されていく。

 涙も完全に止まり、ふぅ、と大きく深呼吸した時、ふと気になっていたことを思い出した。

 少し体を離し、先輩を見上げる。


「あ、あの……それならどうして、何も注意しないんですか?」

 私のせいじゃないのなら、どうして今の状況を何も注意せずに我慢しているんだろう。

「――たった一週間だ」

「えっ?」

「仮入部期間が終われば、マネージャー候補は全員いなくなる。やる気のない新入部員も」

「どうしてそんなことが分かるんですか?」

「さぁな。それよりお前、明日は一限目から授業あるんだろ? さっさと帰るぞ」

「え、でも、まだ終わってないから」

「んなもん、自分でやれと突き返せ」

「そ、そんなぁ……!」

 そんなことしたら、今度は一体なんて言われるかわかんないよ。


「お前がどうしてもこっちに泊る気なら、俺もそうするけど。……まぁ、それもたまには気分が変わっていいかもな」

 ベッドに腰を下ろした先輩に力任せに引き上げられ、その膝をまたぐように座らされる。

 ――気分が変わるって、一体何の話だろう?

 一瞬そんな疑問が浮かんだけれど、綺麗すぎる瞳が間近に迫りキスされた瞬間、跡形もなく消えていく。


「――でも、アレがないか」

「……あれ?」

 唇を離し呟いた司先輩に、ぼんやりと呼吸を整えながら問いかける。

 先輩はふっと笑って私の腰に腕を回すと、自分の腰にぐっと引き寄せた。

「何だと思う?」

 至近距離で色気たっぷりに微笑まれ、恥ずかしいのに逃げるどころか目を反らすことさえできない。

 でもちょっと待って。

 この体勢で、あれって…………アレ?


 もともと熱かった顔に、限界点まで熱が集まっていく。危険を感じて思わず鼻を押さえた時、司先輩がプッと吹き出した。

「お前、いつまでたっても一人暮らしができそうにないな。――まぁ、帰す気なんて元からないけど」


 めったに与えてもらえない極上の笑顔と甘い言葉に、気が遠くなっちゃいそう。

 先輩の大きな手が熱を楽しむように頬を滑り、優しく髪をすく。


 ――神様、お願いです! この甘さを、どうか100分の1ずつ毎日小出しにしてください!!


 切実にそんなことを願いながら、恥ずかしさのあまりギュッと目を閉じた。



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