第8話 深夜の捜索隊
「こんな風に一緒に買い物するの、久しぶりだね」
待ち合わせ場所に選んだコンビニの店内。
今日の夜食と明日の朝食を選んでいると、それまで落ち込んだ様子を見せていた咲良に少しずつ笑顔が戻ってきた。
「そうだな」
俺が大学に入って一人暮らしをする前だから、もう3年近くは経つのか。
「この辺りだと、夜でも人がいっぱいなんだね。一人暮らしって楽しい?」
「さぁな。近いのは楽だが」
他愛もない話をしながら、二人でマンションへと向かう。
「最近忙しかったから、散らかってるけど」
そう言ってドアを開けると、お邪魔します、と呟いて咲良が部屋に入っていった。
「この部屋に来るのも久しぶり。本当にごめんね、急に」
「気にするな。親父たちが旅行から戻るのは明日だろう? それまではここにいろ」
「うん……」
清田主将の部屋にいる時、久し振りに妹の咲良から電話があったかと思えば、一晩泊めてもらえないかという話だった。
両親が旅行に出かけていて不在の今日、知らない男に駅から家の近くまでずっと後をつけられたらしい。一人で静かな家にいるのが怖くなり、タクシーを呼んで飛び出してきたようだ。
「明日ちゃんと二人に話せよ。もしまた同じようなことがあれば、すぐ警察にも相談に行け」
「うん、わかった」
買ってきた弁当を床に置き、テーブルの上に広げたままだったゼミの資料を片づける。
ゼミ生のプレゼンテーション能力向上のため毎月行われている研究発表だが、今回は俺がその担当に当たっていた。
このところかかりきりだった資料が完成したのは、今朝の4時――。
「勉強? なんだかすごく大変そうだね。私がいたら邪魔にならない?」
「いや、もう終わった。飯食うか」
「うん」
テレビを見ながら、二人でコンビニの弁当を食べる。
「親父たち、今回はどこに行ってんだ」
「沖縄だよ」
「へぇ、飽きもせずによく行くな」
「うん。本当に仲いいよね」
「コーヒーでも飲むか?」
「あ、うん、私がやるよ。――あれっ? ねぇ、お兄ちゃん! もしかして彼女できた!?」
咲良が台所で大きな声を上げる。
「よく分かったな」
「やっぱり! キッチン用品が充実してるし、綺麗に片付いているんだもん! どんな人!?」
どんな人? 一体どう表現すればいいんだ、あいつ。
まぁ、一言でいえば――
「変なヤツ、だな」
「変?」
「あぁ。普通じゃない」
その体力も、行動も。
「普通じゃない!?」
いちいち繰り返す咲良に、つい笑ってしまう。
「そのうち会わせてやるよ」
そういえば、さっきムカついた勢いであいつを放置してきたけど大丈夫だよな。小太郎たちもいることだし……。
俺に声をかけられた途端、慌てて携帯を隠していた平川の姿を思い出す。
マジでイラつく。なに泰吉先輩からの電話で顔を赤らめてんだよ。
「早く会ってみたいなぁ。いくつの人? 同じ大学の人?」
「お前と同じ、大学1年。部活のマネージャー」
咲良がぽかんと口を開ける。
「……マネージャー? お兄ちゃんが、マネージャーの女の子と!?」
「あぁ」
「わぁ、ますます会いたくなっちゃった! どこに住んでるの? すぐには会えない距離?」
「今日は先輩の部屋で飲んでる。また今度な」
「そうなんだぁ、残念!」
咲良が二人分のコーヒーを手に戻ってくる。
またテレビを見ながら話していたが、深夜12時を過ぎると、咲良が眠たげにあくびをし始めた。
「そろそろ寝るか?」
「うん。余ってるお布団ってある? 私、床でいいよ」
「ベッドを使え。俺は隣の部屋に――」
言いかけて、どこかで携帯が鳴っているのに気付く。
さっき片づけた資料の陰でそれを見つけ着信相手を確認すると、思わず眉をひそめた。
清田主将から? もしかして、あいつに何か――
「はい」
『あっ、あのっ、平川です!』
聞こえてきたのは、うるさいほどに元気な平川の声。
「……お前か。何の用だ?」
安心するのと同時に、ついそっけない言葉が出る。その途端、平川の声が沈んだものに変わった。
『あの……今日はすみませんでした。この前のアフターの時も』
――いつもこうだ。
平川は俺の苛立ちには敏感に気づくくせして、その原因には全く気付かない。
毎回戸惑った顔で俺を見て、謝るだけ。
「……お前、ぜんぜん理解してないだろうが」
『えっ?』
「謝られても、意味がない」
別に怖がらせたいわけでも、困らせたいわけでもない。
いい加減、どうして俺が苛立っているのかに気づけよ。気づけないにしても、理由を直接尋ねもせず、簡単に謝るな。
少しの間、互いに黙り込む。先に口を開いたのは平川の方だった。
『……司先輩、どうして私なんかと付き合ってくれたんですか?』
「は?」
『私なんかの、どこがいいと思ってくれたんですか?』
なんで急に、そんなこと。
「お前……」
問いかけようとして、ふと、この電話が清田主将の携帯からかかってきたことを思い出した。
――あぁ、そうか。大方、酒を飲んだ先輩たちがふざけて俺に聞いてみろとでも言ったんだろう。ちゃんと断われよ、酔っ払い。
小さくため息をつく。その時、興味津々な眼差しでこちらを見つめている咲良と目があった。
「……そんなこと、今答える必要ないだろうが」
『えっ?』
「くだらないことで電話してくるな。切るぞ」
やっぱり今から迎えに行こう。そう思いながら電話を切ろうとした時。
『待って! 待って下さい! ……これって、くだらないことですかっ!?』
平川が突然、涙交じりの声で叫んだ。
『先輩にとっては、もうどうでもいいことですか!?』
なんだ、こいつ? ――本気で泣いてる?
「おい、平川?」
『……司先輩……今まで、ありがとうございました』
「は?」
『何カ月も無理させて、ごめんなさい。――さよなら、先輩』
「おい、ちょっと待て!」
切れた携帯を呆然と見つめる。
「お兄ちゃん、大丈夫? 今のって彼女さんからだよね。何かあったの?」
「……ちょっと待ってろ」
そのまま小太郎の携帯に電話をかける。
呼び出し音はするのになかなか繋がらず、小太郎と育太に数回かけ直して、やっと小太郎が電話に出た。
「おい、何があった?」
『司先輩こそ、何やってんですか!』
いつも穏やかな小太郎が、めずらしく声を荒げる。
『女連れ込んでる場合じゃないでしょう? 香奈ちゃんに一体何を言ったんですか!?』
「女?」
連れ込んだって――もしかして咲良のことか? あいつまさか、誤解して。
『香奈ちゃん、先輩たちに「お世話になりました」って言って、泣きながらベランダの柵飛び越えて行きましたよ!』
「ベランダ? ……嘘だろ」
いや、確かに清田主将の部屋は一階だから死にはしないだろうが、あそこは結構な高さがあったよな?
『俺たちが靴を取りに行っている間に見失って、今みんなで探してます!』
「分かった。俺も行く」
携帯を切って上着を取る。
「悪い、ちょっと出てくる」
「もしかして、彼女さんいなくなっちゃったの? 私も行く!!」
「いいけど、走るぞ」
慌ただしく部屋を出て、階段を駆け降りる。
――毎回毎回、勘弁してくれ! あいつに酒飲ましたヤツ誰だよ! くそっ!!