第6話 目撃
司先輩によって閉じられてしまったドアを、ぼんやりと見つめる。
見捨てられた……のかな。お酒を飲んでいようが、何をしでかそうが、俺にはもう関係ないぞって。
どうして、こんなことになっちゃったんだろう。
私は一体何を間違えたのかな……。
「香奈ちゃん、こっちにおいでよ」
何かを察したらしい小太郎が、優しく笑う。
「今日は俺が送っていくから大丈夫だよ。気にせず飲もう?」
「……うん」
力なく腰を下ろす。その時また玄関のドア開く音がして、勢いよく振り返った。
「よぉ、泰吉。遅かったな」
「「「お疲れさまッス」」」
おう、と無愛想に答えて腰を下ろした泰吉先輩が、テーブルの上をジロリと見る。
「腹減った。食うものなんか残ってないのか?」
「もう全部食っちまった」
「なんだよ、残しとけよ。おい香奈、金やるからなんか買ってこい」
「先輩、香奈は酒入ってるんで、俺が」
「あ、いいよ育太。そんなに飲んでないから大丈夫。酔い覚ましに行ってくる」
育太を引きとめ立ち上がると、小太郎まで一緒に立ちあがる。
「俺も行くよ」
「そうだな。おまえら3人で行って来い。香奈から目を離すなよ」
大げさな。今日はそんなに飲んでないし、そこまで言うならパシリにしなきゃいいのに。
そう思ったけれど、なぜか他の先輩たちにまで「そうしろ」と頷かれ、仕方なく二人にもお願いをして部屋を出た。
「――うわっ、寒っ!」
「ほんとだね。だいぶ冷え込んできたな」
玄関を出た途端、冷たい外気にぶるりと体を震わせる。
もう冬も間近。行きかう学生たちも、みな寒そうに身を縮めて足早に通り過ぎていく。
「そろそろお鍋の季節だよね。今度みんなでやろっか、鍋会」
両手をさすりながら尋ねると、小太郎が楽しげな笑顔で頷く。
「いいね、何鍋にする?」
「うーん、小太郎と育太は何がいい?」
「俺は味噌かな」
「塩ちゃんこ」
「おぉ、育太渋いね。なんかさ、守に聞いたら闇鍋がいいとか言いだしそうじゃない?」
「あぁ、言いそう。あいつ絶対変なものを張り切って持ってくるだろうな」
「甘い菓子とか入れるんじゃないか?」
「うわ、最悪!」
お鍋の中に浮かぶどろどろのチョコレートやキャラメルを想像してしまい、げんなりする。
「ノーマルな鍋でいこっか、余計なことは聞いたりせずに。守以外、全員お腹壊しちゃいそうだもん」
大学の正門前まで戻り、私と司先輩の部屋に程近いコンビニへと目を向ける。
もう夜の10時を過ぎているというのに、まだたくさんの人影があった。
「先輩、何がいいのかな。あったかいおでんとか?」
「おでんか、いいね。かなり腹減ってそうだったから、弁当も買っていくか」
「香奈も作ってばかりでまともに飯食ってなかっただろう? 残りは自由にしていいらしいから、自分の分も買っていけよ」
「うーん、そうだねぇ」
育太の言葉は嬉しいけれど、あんまり食欲出ないなぁ……。
そんなことを考えていた時、横を歩いていた小太郎が急に立ち止まった。
「どうかした? 小太郎」
「……いや」
「誰か知っている人でもいたの? ……あっ」
小太郎の視線の先。目指していたコンビニに、さっき別れたばかりの司先輩の姿が見える。
だけど、なんだか……女の子と一緒に、お弁当を選んでる?
「――香奈ちゃん、行こう」
二人の様子を見ていた小太郎が少し硬い声で言って、またコンビニに向けて歩き出す。
咄嗟に、その腕を掴んだ。
「待って、小太郎。……やめとこう?」
「香奈ちゃん?」
「香奈?」
「いやあの、もう少し待って、二人が帰ってから行こうよ。……邪魔しちゃ悪いしさ」
「邪魔ってなんだよ。ただの友達に決まってるだろ? ほっといたら香奈ちゃん絶対気にするし、ちゃんと聞いといた方がいいって!」
「ううん、やめよ」
「なんで?」
だって……だって。
二人が選んでたお弁当、一つの袋に入ってるんだもん。――明日の朝ご飯かなって思うような、パンも。
育太と小太郎の腕を掴んだまま、司先輩とその女の子をずっと目で追ってしまう。
綺麗な人……本当に、本当に、綺麗な人。
モデルさんみたいにすらりと背が高くって、歩くたびに揺れる茶色がかった髪はサラサラストレート。とっても優しい顔で微笑んでいる。
くせっ毛、チビでブサイクな私とは全てが正反対の――天使みたいな女の子。
その子はとても自然な笑顔で司先輩に話しかけていて、司先輩は笑ってこそいないものの、リラックスした表情でちゃんと言葉を交わしている。
コンビニや居酒屋の明かりにほんのり照らしだされた道を、二人は慣れた様子で司先輩のマンションに向かい歩いていく。
そしてためらうことなく一緒に階段を上りだしたのを見て、いつの間にか止めていた息を静かに吐き出した。
「ごめんね、お待たせ。そろそろいこっか」
「香奈ちゃん……」
「ほら、あんまり遅くなると泰吉先輩から、『1分で帰ってこい!』とか、むちゃな電話がかかってくるしさ」
「おい、香奈」
二人の咎めるような視線に、思わず目を伏せる。
「明日……明日、必ず自分でちゃんと聞くから。……大丈夫だから」
明日まで、ほんのちょっとだけでも先延ばししたい。
だって『あの人誰ですか』って聞いた瞬間、今までの奇跡があっけなく終わってしまいそうな気がするから。
司先輩は、ただの女友達を家に呼ぶような人じゃないもの。
伏せた頭上で、誰かが小さく息をつく。
大きな手で頭を撫でられ顔を上げると、育太が優しく見下ろしていた。
「わかった。行くか」
「……そうだな。香奈ちゃん、何食べたい?」
いつも通り接してくれる二人に、ジワリと涙が滲んでくる。
前にもこんなことがあったな。育太のことで、私が余計なことをしちゃった時――。
「……泰吉先輩のお金だから、一番高いお弁当買っちゃおうかな! たっぷり元気がでそうな、豪華なヤツ」
自分に喝を入れるよう、はしゃいだ声を上げてみる。
優しい二人に挟まれて、またコンビニへと歩き出した。