第5話 すれちがい
清田主将のドアの前にたち、大きく深呼吸をする。
おかしくない程度にまで息を整えてから部屋に入ると、そこにはざっと10人ほどの部員が集まっていた。
「おう、相変わらず早いな、香奈」
「お邪魔します」
清田主将、小太郎、育太、章吾先輩ほかラインの先輩たちが数人。そして司先輩は、一番入口から遠い、奥の方の席に座っていた。
ドキドキしながら司先輩の様子をうかがう。確かに目があったはずなのに、何の反応もなくあっさり目をそらされた。
――あぁ、やっぱり。まだ怒っていたんだ……。
まるでジェットコースターにでも乗っているみたい。青空に届きそうなほど浮上していた気持ちが、あっという間に急降下していく。
思わずため息をついたとき、清田主将がポンと頭に手を乗せた。
「香奈、来て早々に悪いが腹減った」
「あ、はい。何か作りますね。冷蔵庫開けてもいいですか?」
いつものことだけど、一応確認してから中を覗く。清田主将の家には麗子さんがちょくちょく来ているせいもあって、わりと食材が揃っていることが多い。
「何でもいいから、頼むな」
なぜだかいつもより優しい清田主将の言葉に気を取り直し、笑顔で頷いた。
「お待たせしましたー」
台所に立つこと、約一時間。
最後の一品、山盛りのチャーハンをフライパンのままテーブルへと運ぶ。置いた瞬間にいくつもの手が伸びてきて、一分もたたずに完売だ。
うーん、いつ見ても気持ちのいい食べっぷり。作り甲斐があるなぁ。いっぱい食べて巨体になってね、先輩たち。
空になったフライパンやお皿を下げて席に戻ると、清田主将が私でも飲める甘いカクテルを出してくれた。
「お疲れさん。香奈も座れよ」
「はい、ありがとうございます」
部屋の奥にいる司先輩を気にしつつも、近くに行く勇気などもちろんでない。しょうがなく、一番手前の隅に腰を下ろした。
カクテルの缶を開けようとして、一瞬ためらう。
先日のリーグ戦終了時の送別コンパ以来、司先輩からは「俺がいるとき以外、絶対飲むな」って言われているんだけど……今日は司先輩もいるから、大丈夫だよね?
確認するように司先輩へ目を向けたけれど、やっぱりこっちのことなんて全然見ていない。
なんだかすごく悲しくなりながら、お酒に口をつけた。
「章吾、新体制はどうだ?」
「まぁ、ぼちぼち。今はまだ新入部員も入ってないし、先輩たちが抜けてさびしい人数になったなってことぐらいですかね」
「それもそうか。――そういや、今季Ⅰ部リーグ入りが決まったT大の練習試合、来週だったよな? スカウティング行くんだろ?」
「はい、俺と香奈で行ってきます」
清田主将の問いかけに、小太郎が爽やかな笑顔で答える。
スカウティングっていうのは、他チームの試合の様子をビデオなどに記録して、そこの得意とするプレーやフォーメーション(隊形)、そして選手の特徴などを研究すること。
新体制になってからは、私と小太郎で試合の様子をビデオ撮影してきて、一つ一つのプレーをランかパスか、どの選手が持ってどれだけ進んだかなどを集計して、データ化。
その数字をもとに相手の得意な面、苦手な面を探り、章吾先輩たち幹部と主務であるQB山下先輩とで、こちらの攻撃や守備の計画を立てるみたいだ。
入部前は、ただ力で勝負するスポーツだとばかり思っていたけれど、実はこの頭脳戦こそ最も重要で、アメフトの面白い部分らしい。
「26番、2年の大野ってRBがすごく足の速いヤツで、そいつが中心になって稼いでいるみたいですよ」
小太郎の言葉に、章吾先輩が頷く。
「らしいな。うちとまぁ似たようなチームか。司は年々マークがきつくなっている分、不利だけどな」
確かに、秋季リーグでの先輩のマークってすごかったもんね。
ディフェンスがワッと寄ってくるから、怪我させられるんじゃないかってハラハラしたもん。
「泰吉も試合見に行くって言ってたぞ。よっぽど暇なんだな、あいつ」
清田主将の言葉に、ふと気付く。
「そういえば、今日は泰吉先輩来てないんですね。めずらしく」
飲み会と聞けば絶対に来る、寂しがり屋さんなのに。
「あぁ。ゼミの教授に何か手伝いを頼まれたらしい」
「そうなんですか」
ほろ酔い加減の心地よさを感じながら、空いたお皿を片づけるため立ち上がる。
すべて台所に運び終えた時、ポケットに入れていた携帯から着信音が流れ出した。
「あ、噂をすれば泰吉先輩だ。……もしもし?」
『よぉ、ブサイク。みんな集まってるか?』
ブサイクブサイクしつこいなぁ。毎日言われなくても、もう十分自覚してるっての!
「盛り上がってますよ。今日はめずらしくぴょん吉先輩がいないから、みんなとっても楽しそうです」
『フン。今から行くって清田に伝えとけ』
「嫌です」
『じゃあな。電話切ったあと妄想すんなよ、エロ女』
「え、妄想? ――あ、切れた」
今の、どういう意味だろう?
疑問に思いながら、何とはなしに手元の携帯へと目を向ける。
そこに映っていたのは、もちろん――
「わぁ! も、もしかして、妄想しまくりなこと読まれてる!?」
よりによって、一番知られたくない泰吉先輩に!?
一気に顔が熱くなる。
「おい」
「わぁっ!!」
突然かけられた声に飛び跳ね、振り返る。すると司先輩が不機嫌そうな顔で、冷蔵庫の前に立っていた。
「お前、何やってんだ」
思わず携帯を背中に隠す。
「い、いえちょっと、泰吉先輩とお話を」
「……なに慌てて隠してんだよ」
氷点下の不機嫌な声に、サァーッと血の気が引いていく。
この怒った顔、間違いない。隠し撮り写真を見られちゃったんだ!!
「ちっ、違うんです、これは……そう、つい出来心で! い、いやいやそうじゃなかった! 私は最初いやだって言ったんです! 言ったんですけど泰吉先輩が無理やり! その、決してやましい気持ちで見ていたわけじゃ……いや、それも正直あったけど、でもそれだけじゃなくて!」
焦りすぎて、自分でも何を言っているか分からない。半泣きになって先輩を見上げると、冷たいを通り越して無表情になった司先輩が、小さくため息をついた。
「もういい」
先輩がそのまま背を向けて歩きだす。
「ま、待って下さい!」
謝らなきゃと足を踏み出したその時、今度は司先輩の携帯が鳴りだした。
何気なく着信相手を確認した司先輩が足を止める。
「――もしもし、どうした?」
さっきまでの冷たい声ではなく、普段通りの落ち着いた声。ううん、ちょっと優しいぐらい?
「あぁ……は? ……ちょっと待て、うるさいから外に出る」
真剣な表情になった先輩が、足早にベランダへと向かう。
誰からの電話なんだろう。いつもの先輩と少し違う……。
あっという間に通話を終えた先輩が部屋の中へと戻ってくる。そしてその場に立ったまま待っていた私には目もくれず、清田主将へと歩み寄った。
「すみません。ちょっと急用ができたので、俺はここで」
「そうか?」
「すみません、お先に失礼します」
先輩が私の横をすり抜け、玄関へと向かう。
――なんで? なんで一人で帰っちゃうの?
『俺が一緒のとき以外、絶対飲むな』って言ったのに……もう飲んじゃったことを知っているのに、置いていくの?
いつもの『帰るぞ』という一言が欲しくて、先輩の後姿を目で追いかける。
私の存在など完全に忘れてしまったかのように、玄関のドアが何のためらいもなく閉じられた。