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第20話 釣り対決(2)

「おい香奈、任せたぞ」

「はい。どんな風にして食べましょうか?」

「刺身が食いたい。あと煮魚も」

「わかりました」

 平川がクーラーボックスとスーパーの袋を抱え、泰吉先輩の部屋の台所へと向かう。


「――あいつ、料理なんてできるんですか?」

「あぁ。意外なことにかなりできるぞ」

 料理ができるという事実にも驚いたが、それ以上にそのことを知っている泰吉先輩と、慣れた様子で台所に立つ平川の姿に驚いた。

 あいつ、よくこの部屋に来て飯を作っているのか? ――自分の男でも何でもないのに?


「司、冷蔵庫からビール取ってこい」

「はい」

 何かすっきりしない気分で立ち上がる。

 ビールを数本手に取り、真剣な面持ちで魚をさばく平川へと目を向けた時、その手際の良さに思わず感嘆の声が出た。

「――上手いな」

「あ、司先輩。ありがとうございます、幸子の――母のこだわりで、普段からやらされていたもので……」

 例の『お嬢様系』ってやつか。お嬢様が料理をするのかどうかは微妙だが、どうやら全くの無駄というわけでもなかったらしい。

 屈託のない笑みをうかべ包丁を握る平川を見ているうちに、ふとさっきの疑問が頭をよぎった。


「お前、ここへはよく来るのか」

「泰吉先輩の部屋にですか? はい、パシリで呼び出されることもよくあるんですけど、泰吉先輩の家でレシーバー(WR)の飲み会があると必ず呼ばれて、お酒のつまみを作るように言われるんです。家でも父の分をよく作っていたのでそれは別にいいんですけど、毎回ここに着くまでの制限時間を決められるのが困りもので……。いつか車に轢かれちゃいそうです」

 レシーバーの飲み会――そうだよな、さすがに普段から飯を作りにはこないか。

「司、ビールまだか」

「はい」

 泰吉先輩から催促され、平川に言葉を返す間もなく席へと戻った。




 『意外なことに結構できる』という泰吉先輩の言葉は本当だったらしい。

 居酒屋さながらに並べられた料理はどれも美味くて、酒がすすむ。

 平川を送るついでに帰っていいと言われ部屋を出た頃には、もう空はうっすらと白み始めていた。


「司先輩、今日はすごく楽しかったですね。それにしても沢山遊んだなぁ、もうすぐ夜が明けちゃいますよ」

「そうだな」

 ほとんど酒を飲んでいない平川は足取りも軽く、楽しげな笑顔で話しかけてくる。

 部活を終えて夜釣りに行き、そのまま料理だなんだとこの時間までコキ使われていたというのに、こいつは本当に体力がある。


「司先輩、8月末からの秋季リーグ戦が終わったら、4年生の先輩方はもう引退しちゃうんですよね? こうして毎日会っている人に急にあえなくなっちゃうのって、すごく寂しいですね」

「……あぁ」

 確かに、何年もの間当たり前のように毎日顔を合わせてきた人がいなくなるのは寂しいものがある。

 去年の先輩たちが引退した時にもそう感じたが、今の4年とは関わりが深かった分その気持ちも強い。こうして一緒に過ごした後は、尚更そう思う。


「――卒業までに、先輩たちにどうしても勝たしてやりたいチームがあるんだ。秋季リーグ戦は、その最後のチャンスになる」

 自然と口を突いて出た言葉に、自分でも驚く。

 こんなこと、今まで付き合っている女にすら話したことがなかったというのに。

「それって、今までにまだうちのチームが一度も勝てたことがないっていう、F大のことですか?」

 平川も驚いたんだろう。一瞬目を丸くしたものの、すぐに真剣な面持ちになって尋ねてきた。

「あぁ。清田主将たちとはF大に勝つことを目標にしてずっと一緒にやってきた。だから何としても、この勝負だけは勝たしてやりたい」

「春季リーグ戦でF大に負けた時、司先輩とても悔しそうでしたもんね。――そっか、そういう目標を掲げていたから、先輩たちもあんなに……」

 平川が納得いったというように深く頷く。そして力強い声で、きっぱりと答えた。

「――勝ちたいですね。絶対に勝って、最高に気持ち良く引退させてあげたいです」


 その言葉に、あぁそうかと納得する。

 6年間ただ一つのことに打ち込んできたこいつには、俺の気持ちも先輩たちの想いも、当たり前のように理解することができるのだろう。

 こいつから出たのは、『頑張ってください』という人任せの言葉じゃない。

 『絶対に勝って、最高に気持ちよく引退させてあげたいです』

 自分もそのために力を尽くすのだという、チームの一員としての言葉だ。

 これが理由なのかもしれない。

 平川の存在をいつの間にか当たり前のように受け入れていたのは、このせいなのかもしれない。


「……そうだな」

 どこかすっきりした気分でそう答える。

 平川が俺を見上げ、恥ずかしそうに微笑んだ。




*****




 司先輩と二人で泰吉先輩の部屋を出た時には、もう真夜中というよりも明け方に近い時間だった。


「司先輩、今日はすごく楽しかったですね。それにしても沢山遊んだなぁ、もうすぐ夜が明けちゃいますよ」

「そうだな」

 隣を歩く司先輩は、結構お酒を飲んでいたはずなのに、普段の様子とほとんど変わらない。そっけない言葉もそのままだ。

 それでも足の短い私がこうして無理なく歩けているのは、司先輩が私に合わせてゆっくりと歩いてくれているから。

 先輩のこうした見えにくい優しさに触れるたびに、心の中がふわりと暖かくなる。


「司先輩、8月末からの秋季リーグ戦が終わったら、4年生の先輩方はもう引退しちゃうんですよね? こうして毎日会っている人に急にあえなくなっちゃうのって、すごく寂しいですね」

「あぁ」

 いつも通りの短い返事。そこで会話は終わりだと思ったのに、司先輩は少し間を空けてまた口を開いた。

「卒業までに、先輩たちにどうしても勝たしてやりたいチームがあるんだ。秋季リーグ戦は、その最後のチャンスになる」

「……それって、今までまだうちのチームが一度も勝てたことがないっていう、F大のことですか?」

「あぁ。清田主将たちとはF大に勝つことを目標にしてずっと一緒にやってきた。だから何としても、この勝負だけは勝たしてやりたい」


 こんな風に、司先輩が自分の気持ちを聞かせてくれたのは初めてだ。

 驚くのと同時に、少しは後輩として信頼されているような気がして、なんだかすごく嬉しくなってしまう。


 ほんの数か月間一緒に過ごしてきただけの私ですら、先輩たちをなんとか勝たせてあげたいと思うんだもん。それを目標にして二年以上も共に戦ってきた司先輩の想いは、きっとものすごく切実なものなんだろうな。

 リーグナンバーワンRBと言われるようになっても、毎日誰よりも遅くまで真面目に練習に取り組んできたのは、そのためだったのかもしれない。


「春季リーグでF大に負けた時、司先輩とても悔しそうでしたもんね。――そっか、そういう目標を掲げていたから、先輩たちもあんなに……」

 試合に負けたせいももちろんあるとは思ったけれど、なんだかいつもと様子が違うな、とは感じていた。あの表情の裏には、そういう事情があったんだ。

「――勝ちたいですね。絶対に勝って、最高に気持ち良く引退させてあげたいです」

 本当に勝たせてあげたい。お世話になった先輩たちが、何の心残りもなく満面の笑顔で卒業できるように。

 そのために、直接フィールドに立てない私には一体何ができるんだろう。

 ちゃんと考えなくちゃ。後方支援の私にもできること。

「……そうだな」

 かけられた声の柔らかさに驚き、顔を上げる。

 いつになく穏やかな顔で見下ろしている先輩を見て、思わず目を瞬いた。


 ――あぁ、やっぱり私、司先輩のことが大好きだ。

 こうして少しずつ近づけていることが、泣きたくなるほど嬉しくてたまらない。

 この気持ちは一体どうしたらいいんだろう。

 誰にも分からないよう、こっそり想っているだけならば――先輩に嫌な思いをさせないように気を付けていれば、約束を破ったことにはならないのかな?


 気持ちを落ち着かせるように小さく深呼吸をする。

 しばらくの間黙ったまま、こうして二人で歩ける喜びをかみしめていた。


「そう言えば……司先輩、私最近すごく嬉しいことがあったんです。とっておきの内緒話なんですが、こっそり教えてあげましょうか?」

 司先輩が、ちらりといぶかしげな目を向けてくる。

「何だ」

「実はですね、育太に恋人ができそうなんですよ!」

「育太に?」

「はい。相手の女の子の方から声を掛けてきたらしくて、今もゆっくりと進展中なんです。まだしばらくはお互いを知る期間なんですって」

「いつの時代の恋愛だよ」

 鼻で笑われ、思わずムッと睨みつける。


「いいじゃないですか! いまどき本当に貴重な、誠実な男の子ってことですよ!!」

「まぁ、育太は確かにいいやつだけどな」

「ですよね。――相手の子は、すごく女の子らしくって可愛い人なんです。私たちのマンションのすぐ近くに、フラワーコートっていうマンションがあるじゃないですか。あそこに住んでいる一番の美人さんなんですけど、先輩知りませんか?」

「いや」

「本当に? 一目見たら忘れられないぐらい綺麗な子ですよ?」

 あまりにも目を引く可愛さだから、てっきり司先輩も知っているものとばかりに思ってた。

 でもそっか、司先輩ぐらいカッコいい人だと、もう可愛い女の子なんて見慣れちゃってて、いちいちときめかないものなのかもしれない。


「育太って見かけはすごく怖いけど、とっても優しい人じゃないですか。ちゃんとその見えにくい内面に気づいてくれた人がいたってことが、すごく嬉しかったんです。うまくいってくれるといいなぁ……」

「――お前は?」

「えっ?」

「お前はどうなんだ?」

 いつもの、感情が読めない綺麗すぎる瞳。

 怖いほど真っ直ぐに見下ろされているけれど、何を聞かれているのかがよく分からない。


「私、ですか?」

「守と上手くいっているのか」

「守?」

「付き合っているんじゃないのか?」

「え? ……えぇぇぇぇっ!! 守と私が? ありえませんよ! 誰ですかそのガセネタ吹き込んだの! あっ、さては泰吉先輩の仕業ですね? もう、さっき負けたからって本当に大人げないんだからっ!!」

 ちょっと文句言ってきます、と駆けだした瞬間、司先輩に腕を掴まれる。


「落ち着け。泰吉先輩から聞いたわけじゃない。テスト休みの時、お前の部屋の前で守が言っていただろうが。これからの4年間、お前を放さないとかなんとか」

「あぁ、あの時の! あれは違います、4年間試験のたびにお前に頼るぞという、とっても迷惑な宣言です!」

「……は?」

「もう酷いんですよ、守ってば。たまたま同じ学部同じ学科だからって、試験勉強私に丸投げしたんですから! 試験期間中毎日押しかけられて、もうほとんど守の専属家庭教師状態ですよ。先輩に会ったあの日も、私がとってない教科の小論文押し付けて、自分は人のベッドに寝転んで呑気にビール飲んでお菓子食べてたしっ!」

 同情してくれると思って力説したのに、なぜか司先輩の目がすっと冷たくなる。


「――そんなもん、叩きだせよ」

「えっ?」

「お前がいちいち甘やかすから、入りびたりになるんだろうが」

「そ、それはそうかもしれませんけど……でも放っておくと守、本当に留年しちゃいそうだから」

「自業自得だ」

「……ごめんなさい」

 怖い、怖いよ! 守のバカ、私が先輩に叱られちゃったじゃないか!


 明らかに不機嫌なオーラをまとう司先輩の後ろを、ビクビクと様子をうかがいつつ歩いていく。

 どうしよう、なんて謝ろうと悩んでいると、先輩がふと立ち止まり、どこか呆れたような視線を投げかけてきた。

「――まぁ、そんなお前だからこそ、今ここにいるんだろうな」

「はい?」

「何でもない。行くぞ」

「あっ、はい!」

 よく分からないけれど、何となく許してもらえたような雰囲気……かな?

 小走りに先輩を追いかける。そっと覗きこんだその目にさっきまでの苛立ちが見えないのを確認し、安心してまた話しかけた。


「司先輩、先輩はテストどうでしたか?」

「普通」

「先輩も泉川先輩と一緒に勉強したりするんですか?」

「やるわけないだろ」

 う、冷たい。でもそっか、男の人は一緒に勉強したりはしないのかな。

 まぁ確かに、『明日一緒に勉強しようぜ、司!』『いいねー、どっちの家にする?』なーんてフレンドリーな会話が二人の間に交わされるのを想像すると、あまりの似合わなさにちょっと引いちゃうかも。

 和洋の美形二人が揃うと、かなり見ごたえはあるんだけどね。


 先輩と私のマンションに到着し、二人並んで階段を上がる。

 それぞれの部屋の前で立ち止まると、どちらからともなく顔を見合わせた。


「それじゃあ司先輩、お疲れ様でした。また今日の練習で……えっと、少しだけお休みなさい」

 寝ると言っても、ごくわずかな時間だけれど。

「あぁ。遅れるなよ」

 その短い言葉にも、ほんのちょっぴり仲間としての親しさが込められている気がして、勝手に頬が緩んでしまう。

「はい、失礼します」

 もう一度頭を下げ、心地よい疲れと共に自分の部屋のドアを開けた。



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