第19話 釣り対決(1)
前期試験の終了とともに夏休みに入り、再び部活漬けの毎日が始まった。
夏休みの練習は、普段の土日と同じく午前中のみ。秋季リーグ戦の開幕が近くなれば、二日に一度、午後も練習が入ってくるらしい。
今日も猛暑のなかでの練習を終え、のんびりとクーラーの入った部屋でくつろいでいた夕暮れ時。
またもや泰吉先輩から、不吉な電話がかかってきた。
「……はい、もしもし?」
おそるおそる出た携帯から聞こえてきたのは、いつも通りのしゃがれ声。
『今から釣りに行くぞ』
「へっ?」
『清田の家に5分で集合。はい、レディ・セット・ゴー』
「え、えぇ!? ちょっと待っ……もう切れてるっ!?」
いくらなんでも、強引すぎない?
「えっとえっと、今釣りって言っていたよね!? それって何か準備がいるの? あぁもう、悩んでる時間なんて残ってないじゃん!!」
ぽいぽいぽいっと部屋着を脱ぎ捨て、いつものジーパンTシャツ姿に着替える。
「泰吉先輩のバカ!」
靴をひっかけるようにして、慌ただしく部屋を飛び出した。
「――あぁ、お疲れさま、香奈ちゃん。相変わらず早いね」
汗だくになって清田主将の部屋に駆け込むと、そこには泰吉先輩だけでなく、爽やかな笑顔の翼先輩と、なぜかお隣に住んでいるはずの司先輩まで涼しい顔で到着していた。
「泰吉先輩、前もって決まっていたのなら、私にもちゃんと教えておいてくださいよ!」
「あぁ? それじゃタイムが計れないだろうが」
なにそれ! パシリのタイムなんて計る必要全くないじゃないか!
「よし、全員そろったな。そろそろ行くか」
清田主将の大きなワゴンタイプの車に乗り込み、まずは腹ごしらえのため、みんなでご飯を食べに行く。
今日のメンバーは、清田主将、泰吉先輩、翼先輩、司先輩、そして私の計5人。
話を聞いていると、どうやらこれまでにもこの4人でよく釣りに出かけていた様子。
BLACK CATS釣り愛好会ってところだろうか。
ファミレスに到着し、先輩たちの後について席へと向かう。
マッチョな集団にチビ一人ってのがめずらしいのか、周りの視線が結構痛い。
――なんだか可哀想だな、先輩たち。体が大きいっていうだけで、こんなに怖がられたり注目されたりするなんて。
変な趣味を持っていたり、意地悪だったりそっけなかったりもするけれど、結構いい人たちばかりなんだけどなぁ……。
そんな上から目線のことを考えつつ周囲を見回していたけれど、あれ? と気づく。
なんか違ったかも。好意的な視線、ちょっぴり冷たい視線と様々だけど……主に睨まれているのは、私だけ?
「私、あのハーフっぽい人がいい!」
「えー、でもあの人すごく冷たそうじゃない? 私一番大きい人が好き!」
「そう? それよりあの爽やかそうな人の方が良いと思うけどなぁ。優しそうだし」
「んー、三人とも捨てがたいよね。ねぇ、それにしてもさぁ――」
「「「なんであんな子連れてんの?」」」
ぐすん、酷すぎる。
『あんな子』だって、必死に生きているんだぞ。
食事を終え、再び車に乗り込み向かった先は、大学から1時間あまりの小さな漁港だった。
すでに外は真っ暗で、駐車場から長く伸びる防波堤にはいくつかの外灯がともされている。
「清田主将、私夜釣りって初めてです!」
釣り自体も、小さな頃に従妹の住んでいる島でやったことがある程度。
私の分の仕掛けを準備してくれている清田主将のそばに座り、わくわくしながらその手元を覗きこむ。
「へぇ、夜釣りだから電気みたいに光る浮きをつけるんですね! いっぱい魚が寄ってきそう!」
「おい、香奈。ただ釣るだけじゃ面白くねぇから、なんか賭けようぜ」
泰吉先輩がニヤリと笑う。
「賭け?」
「そう、どっちが先に釣れるかってやつ。もし俺が勝ったら――お前1週間ミニスカートで部活に出ろ」
「はぁ? 嫌ですよそんなの! 大体、スカートなんて1枚も持っていないです」
「えっ、マジで!?」
全く別の方向から声があがる。翼先輩がしまったとでも言いたげな顔で口元を押さえていた。
「ごめん、つい……。でも香奈ちゃん、スカート1枚も持ってないの?」
「はい。高校の制服以外、スカートなんてもう何年も履いてないですよ?」
「そんな女がいるんだな」
司先輩の呟きが、グサリと胸に突き刺さる。
ううっ、やっぱり可憐なスカート姿って、女の子の証みたいなものなのだろうか……。
心がへなへなとしぼんできた時、誰かに背中をバンと叩かれた。
「気にするな、香奈。お前の女としての人生はこれからだ」
「しゅ、主将っ……!」
そうだよ、短い期間でだいぶマシにはなれたんだもん。清田主将に任せておけば、きっといつかは私だって!
「じゃあ、ミニスカートはやめて短パンにしてやる。お前、陸上やってた頃のユニフォームがあるだろ? それ着て部活に出ろ」
「えぇー、嫌だなぁ……。それじゃあ、先輩がもし負けたら何をしてくれるんですか?」
「何がいい? 言ってみろよ」
「じゃあ……1週間、部内での正式な呼び名を『ぴょん吉先輩』に改名してください」
「何だと!」
「いいじゃねぇか。どうせ陰ではそう呼ばれているんだ。堂々と呼ばせてやれよ」
先輩たちが笑いだす。
「くそ、このチビ! 絶対負けねぇぞ!」
「望むところですよ!」
釣り竿片手にギリギリと睨み合う。パッと別れ、ポイントを探しに向かった。
*****
「絶対負けませんからね!!」
平川が防波堤の脇に積まれたテトラポットの上を、釣竿片手に器用に飛び越えていく。
「おい、落ちるぞ!」
あまりのスピードに声をかけると、遠くから『大丈夫でーす』という緊張感の欠片もない声が返ってきた。
あいつ、一体どこまで行く気だ。移動が速すぎるだろうが。
いくら身軽なやつとはいえ、夜の海に落ちる可能性が全くないわけじゃない。
仕方なく後を追おうと足を踏み出した時、清田主将の楽しげな声に呼び止められた。
「司、ずいぶん面倒見が良くなったじゃねぇか。香奈に惚れたか?」
「まさか。危なすぎて放っておけないだけですよ」
「ほぉ、以前のお前なら一番離れた場所で釣りそうなもんだがな」
「…………」
「ま、仲良くしてくれて何よりだ」
清田主将が俺の肩を叩き、他の先輩たちがいる波打ち際へと降りて行く。
――確かに以前の俺なら、できる限りあいつとは距離を置こうとしただろう。
その姿が視界に入るのが嫌で、能天気な声が聞こえるのすら苛立たしくて、早く消えろと願っていたぐらいだ。
「あれっ、司先輩。先輩もこっちの方がよく釣れると思ったんですか?」
振り返った平川が嬉しそうに笑う。
「まぁな」
「泰吉先輩、まだ釣れていませんよね?」
「何も言ってないから、まだだろう」
少し離れたところで立ち止まり、釣り糸を垂らす。
古びた外灯に照らしだされる、テトラポットの上。
打ち寄せる波の音に耳を傾け、波間に光る二つの浮きへと目を向ければ、日常の些細なことなど、もうどうでもよくなってくる。
いつの間に、こんなにも変わっていたんだろう。
嫌じゃない。
そう、こいつが隣にいても、今は全く不快じゃない。
「……司先輩は、よく清田主将たちと釣りに来るんですか?」
「あぁ」
「そうですか。なんかいいですね、男同士の先輩後輩って仲良しで」
「そうか?」
そう言うお前だって、十分その中に入っていると思うが。
先輩たちとも親しいが、同じ一年の小太郎、守、育太とこいつは本当に仲がいい。
試験期間中、守はこいつの部屋に入り浸っていたようだし。
『――これからの4年間、俺は絶対にお前を放さないぜ』
『はいはい、来年は一緒に履修科目を選ぼうね』
平川の部屋の前で偶然この会話を聞いた時には、どこか平川に裏切られたような気がして腹が立ったが、その後もこいつの真面目な働きぶりは全く変わらない。
守を特別に扱う様子もなければ、特に気にかけているそぶりも見せない。
付き合っている、というわけではないんだろうか。
「あ、あれ!?」
「どうした」
「司先輩、これって引いてます?」
「……みたいだな」
「やったぁ、何か釣れたかも!! あ、いるいる! 泰吉せんぱーい、釣れましたよーっ!!」
猛スピードでリールを巻き上げた平川の元へ、先輩たちが集まってくる。
「おっ、カサゴか。勝負は香奈の勝ちだな」
「やったぁ! ふふ、残念でしたね、ぴょん吉先輩!」
「ふん、ブサイクな女はやっぱりブサイクな魚を釣るんだな」
「ブサイク……」
泰吉先輩の大人げない負け惜しみに、平川が肩を落とし項垂れる。
そしてブサイク仲間にされた魚の顔をそっと撫で、小さくため息をついた。
「泰吉、言いすぎだ。香奈ちゃんは全然ブサイクなんかじゃないよ」
「うっ、翼先輩……」
「香奈、気にするな。その魚、見た目は悪いが味は美味いぞ」
「ほ、ほんとですか?」
平川の顔がみるみるうちに明るさを取り戻す。
「聞きましたか、ぴょん吉先輩! 魚も女も、見てくれよりも中身で勝負ですよ! 大切なのは味です、味っ!!」
「ほう、お前はそんなに美味いのか? そりゃー、一度食ってみないといかんなぁ」
泰吉先輩に上から下まで舐めまわすように見つめられ、平川が身を強張らせる。
「あの、あの、ごめんなさい、私の方は激マズでした」
「そうだろう?」
泰吉先輩が鼻で笑う。
平川は真っ赤になった顔を伏せ、また肩を落とした。