第17話 前期試験
6月末まで続いた春季リーグ戦を4勝2敗というまずまずの成績で終え、季節はいよいよ本格的な夏を迎えた。
7月といえば、大学生にとっては年に2回の試練の時。
そう、卒業に必要な単位を得るための、試験期間がやってくるのだ。
今回はいわゆる前期試験というやつ。私たちアメフト同好会も、他の部と同様に2週間前から試験休みに入る。
大学の図書館には人が溢れ、学食や喫茶室でも教科書やノートを広げる姿が目につくようになってきた。
試験開始まで一週間に迫った、ある日のこと。
部活もないため自分の部屋でまじめに勉強をしていると、テーブルにおいてあった携帯がふいに鳴り出した。
「……やな予感。また泰吉先輩からのパシリの電話だったりして」
試験前などという些細なことに動じない泰吉先輩からは、この休みに入ってからもすでに何度かパシられている。おそるおそる携帯を手に取り、ほっと息を吐き出した。
「もしもし、守?」
『香奈? 俺……俺っ!』
すすり泣くような声が聞こえ、勢いよく立ち上がる。
「守どうしたの!? ちょっと大丈夫!? 今どこっ!?」
財布をひっつかみドアへと向かった私の耳に、次の瞬間、鼓膜が破れそうなほどの叫びが聞こえてきた。
『香奈ぁ、俺もうダメッ! お願い助けてっ!! 試験がぁぁー!!』
……どうやら、泰吉先輩のパシリなんかよりずっと面倒な事態に、巻き込まれてしまったらしい。
*****
「――それで、なんで私が自分の履修していない教科の勉強までしなくちゃいけないの?」
私の隙をついて部屋へと侵入してきた守を前に、もう何度目かの説得を試みる。
部屋に入るまでのしおらしさはどこへやら。入ってしまえばこっちのものとばかりに教科書と人から貰ったノートのコピーを私に押し付け、守はのんきにお菓子を食べだした。
「んぐっ、だって香奈が助けてくれないと俺、2年生になれないもん」
口いっぱいに頬張りながら当たり前のように言われ、さすがに腹も立ってきた。
「自分で勉強しなよ! これまで受験勉強してきたんだから、やればできるでしょ?」
「いや俺、S大の付属男子校出身だし、スポーツ推薦で来たから大学受験なんてほとんど関係なかったもん」
「付属高校にはどうやって入ったの?」
「スポーツ推薦枠。名前書いて簡単な問題さえとければ受かるやつ」
なんてこった。まともに勉強して入った私がバカみたいじゃないか。いや、バカなのはもちろん守の方なんだけど。
「せめて人生一度ぐらいはしっかり勉強してみたら? いい機会じゃない、手伝ってはあげるからさ」
「無理。やり方わかんないし、教科書に書いてあることもさっぱりわかんない。ついでに漢字も読めないし」
こりゃダメだ。
説得するだけ時間の無駄かも。さっさと片付けて追い払わないと、自分の勉強ができなくなっちゃう。
「ちょっと、人のベッドの上でお菓子食べないでよ! 仕送り使うのを我慢して買った、新しい布団カバーなんだから!!」
やりたい放題の守をしかりつつ、教科書を開く。
守の持ってきた教科の試験は、あらかじめ与えられたいくつかの法律用語に関する小論文問題だった。
ちゃんと事前に文章をまとめておけば、後は丸暗記してテスト用紙にうつすだけ。試験内容としてはとっても楽勝なやつ――の、はずなのに。
本当にため息が出ちゃう。この試験でダメなら、進級どころか卒業なんてできるわけないじゃん。
一度も授業を受けたことがない状態で、教科書とノートだけを使い、なんとかその論文をまとめていく。
何の資料も使っていないから点数は悪いと思うけれど、単位認定の最低ライン、60点さえ越えられればいいと言っているから、まぁなんとかなるだろう。
「よーし、終わった! 後は自分で暗記してよ。点数悪くたって知らないからね」
「おおー、ありがとう! さすがは香奈、賢いなぁー!」
やけに顔が赤いと思ったら、いつの間にかビールの空き缶まで転がっている。
いそいそと帰り支度を始めた守を見送るため玄関のドアを開けると、外はもうすっかり暗くなっていた。
「ほんと、ありがとな。助かったよ」
「はいはい」
玄関を出た守がなぜか数歩進んで立ち止まり、またこっちに戻ってくる。
「ん、どうかした? わすれもの?」
「いや――」
ふいに、守が私の前をふさぐようにドアの横に片手をつく。
そしていつもより低い声、妙に芝居がかった真面目な顔で「なぁ、香奈」と私をじっと見つめてきた。
「な、なに?」
「――これからの4年間、俺は絶対にお前を放さないぜ」
……何がしたいのかと思えば、4年間試験のたびにお前に頼るぞというとっても迷惑な宣言を、イケメン風にやってみたかっただけらしい。
あきれて言葉が出てこない。でもどうせ嫌だと言ったところで、守ならしつこく家まで押しかけてくるだろう。
「はいはい、来年は一緒に履修科目を選ぼうね」
自分が受けてない教科まで勉強させられるのは、もうこりごりだ。
ため息をつき、まだポーズを決めている守を無視して強引にドアを閉めようとした時――
「お前ら、なにそんなところで騒いでるんだ」
冷ややかな声が聞こえ、慌てて廊下に顔を出した。
「あっ、司先輩! こんばんは!」
「おぃーっす、先輩、こんばんワン!」
酔っ払い守の挨拶が気に食わなかったのか、なんだか司先輩の目が怖い。
「司先輩?」
先輩は黙って鍵を開けると、私たちを振り返ることなく自分の部屋へと入ってしまった。
……どうしたんだろ。先輩、勉強疲れかな?
すごく気になるところだけれど、今はとにかく自分の勉強に戻らなきゃ。
「じゃあね、守。階段から落ちないように気を付けなよ」
「おう! んじゃ、また明日来るからな」
「うわ、最悪。絶対来ないで!」
「ワハハハハ、愛してるよ、香奈ちゃーん!」
やっぱりうるさい守を無視して、部屋へと戻った。