7、恋愛相談(1)
間が空いてしまってすみません。
前回のお話の続き、司が突然帰ってきた日の夜の飲み会話です。
3話完結、一気にまとめて掲載します。
「ちわっす」
「お疲れ様です」
「おう」
大学近くの居酒屋『五郎』。
座敷に上がってきた中野先輩ほか4年の幹部に気付き、部員たちが一斉に声を上げる。
「小太郎、悪かったな。金曜だから店探すのも大変だっただろう?」
「いえ、大丈夫です」
「司先輩は?」
「もうすぐだと思いますよ。香奈ちゃんの部屋に荷物を置いてから来るって言っていましたから」
香奈ちゃんが東京から戻って、約一週間。
色々と心配なことはあったものの、急遽帰省してきた司先輩のおかげで香奈ちゃんにもいつもの笑顔が戻り、久しぶりの再会を祝って今日はみんなで飲むことになっている。
参加者は4年の主将、副将等幹部にRBメンバー全員。参加を直訴してきた雄大らと司先輩に興味津々の新入部員が数名。それに司先輩に香奈ちゃんを合わせた計20名ほど。
「香奈の家に? なんだよ、あの二人やっぱり何もなかったのかよ」
中野先輩がつまらなさそうに、でもどこか安心したような顔でそうぼやく。
「だから最初から大丈夫だって言っていたじゃないですか。中野先輩でしょう、二人が別れたとか司先輩が二股をかけたとか大げさな噂流したの」
「げっ、先輩の仕業だったんですか、あれ。いろんなやつからどうなってるんだって聞かれたんですよ、俺ら」
守の抗議に、中野先輩が「うるせぇ」と返す。
「おい小太郎、彼女の兄貴だからって余計なことバラすなよ。だいたい俺はもしかしたらって話しただけで、断言はしてないぞ」
周りが勝手に勘違いしたんだ、などと大人げなく主張していた中野先輩が、雄大の超不機嫌な睨みに気づき目を泳がせる。
すると黙って話を聞いていた一年が、おずおずと口を開いた。
「あの、『彼女の兄貴』って?」
「あぁ、お前ら一年はまだ知らなかったっけ。小太郎の彼女の咲良ちゃんってさ、司先輩の妹なんだよ」
「えっ!?」
「先輩に似てすっげー美人なんだけどよー、性格がちょっとなぁ……」
夏合宿の一件以来、微妙に咲良を恐れている守が言葉を濁す。
「お前は単に香奈ちゃんのことで叱られたから苦手なだけだろう? 人の彼女を性格悪そうに言うなよ」
「へーへー、相変わらず仲の良いことで」
「あぁ、あれは面白かったな。『汚いお尻で香奈ちゃん踏まないで』だったか? あのほっそい咲良ちゃんの腕一本で簡単に転がされちまってよぉ」
「コテン、とな!」
先輩たちにゲラゲラ笑われ、守が顔を赤らめる。
「やっ、あれはちょっと油断していただけで!」
「女相手に、完全に腰が引けてましたよね」
「う……」
駿にまで鼻で笑われ、守が悔しげに口を噤んだ。
「あの、俺ら今日初めて司先輩に会いましたけど、本当にカッコいい人ですね。ただ、ものすごく近寄りがたいオーラがあって……香奈先輩とはあまりにタイプが違いすぎて、二人の付き合っている姿がまったく想像できなかったです」
自他ともに認める香奈ちゃんファン、新入部員富樫の言葉に、先輩たちが苦笑する。
「まぁ、部活中の姿だけを見ればそうだろうな。ってか、その二人でいる時の姿を見たくてわざわざここに来たんだろ、お前ら」
「いえ、まぁ」
「香奈に手ぇ出すのはやめとけー。痛い目にあうぞ」
中野先輩がニヤリと笑って駿を見る。どこから聞いたのか知らないが、もう放っておいてやればいいものを。
「すごく仲がいいし、お似合いの二人だと俺は思うよ。良くも悪くも、司先輩を簡単に動揺させられるのは香奈ちゃんただ一人だしね」
恋愛に関してだけ言えば、司先輩は決して器用な方ではないと思う。思うようにいかずイラついていたり、部員相手にまで独占欲を露わにしてみたり。
でもそんな時の司先輩は普段よりもずっと身近に感じられて、俺は結構好きだったりする。
「まぁとにかく、見りゃ分かるさ」
中野先輩の言葉に、富樫たちがまだすっきりしない顔で頷いた。
* * * * *
「あ、いたいた。なんだかもう盛り上がっているみたいですね」
居酒屋の店内に足を踏み入れた途端、奥の座敷からわっと賑やかな笑い声が響いてくる。
「司先輩こんばんは!」
「ウッス!」
「お疲れッス!」
部員たちが司先輩に気付き、笑顔で声を上げた。
「遅れちゃってすみません。あっ、ありがとうございます」
もうすでにほろ酔い加減のみんなが席をつめてくれ、司先輩と並んで腰を下ろす。
「司先輩、何か飲み物を」
「あぁ。――お前は何にする?」
小太郎から渡されたメニューを開き、司先輩がこちらに向けてくれる。
「えっと、じゃあカシスオレンジにしようかな」
「カシスオレンジと生一つ」
「はい!」
司先輩の注文に店員さんが元気よく頷く。
爽やかな人だな、なんて思いながらその姿を見送り顔を上げると、なぜか周りの部員たちが揃ってこちらを凝視していた。
「……あの、何か?」
「いえいえ!」
目が合った一年生が、ニコリと笑って首を振る。
「それじゃあ、司先輩が来たことだし、もう一度乾杯するか」
二人分のお酒が運ばれてくると、中野先輩の乾杯の音頭で賑やかな飲み会が再スタートした。
久しぶりの再会で、色々と積もる話もあったようだ。
大いに飲んで盛り上がる部員たち、そして穏やかな顔で相槌をうつ先輩を幸せな気分で眺めているうちに、夜はどんどん更けていく。
酔い覚ましに頼んだウーロン茶に手をのばした時、隣に座る守が一人黙り込んでいることに気がついた。
「守、大丈夫? 気分でも悪いの?」
「いや、別に」
ゆるゆると首を振って否定するものの、やっぱりどう見ても様子がおかしい。ついさっきまで、七海ちゃん効果か、一人ではしゃぎまくっていたのに。
「何かあった? もしかして、七海ちゃんのこと?」
守からはアフターの時に、照れくさそうな笑顔で「付き合うようになった」とだけこっそり教えてもらっていた。また二人になった時にでも詳しい話を聞き出そうと思っていたけれど、何か落ち込むような出来事でもあったんだろうか。
「……なぁ、香奈」
「うん?」
「七海ちゃんさ、今頃後悔したりしてないかな」
「後悔って、何を?」
「うっかり俺と付き合ってしまったこと」
うっかりって何だ、うっかりって。
守じゃあるまいし、そんなわけないじゃん。そう言って笑い飛ばそうとしたけれど、思いのほか深刻な表情に気付き、声を潜める。
「七海ちゃんの方から告白されたんじゃなかったの?」
「それは一応そうだけど……」
「七海ちゃんが先に守を好きになったんでしょ? それなら後悔するのっておかしくない?」
守がまた、うーんと唸る。
「なんかさ、七海ちゃんってちょっと思い込みがはげしいというか、そそっかしいところがあると思わねぇ? すぐ物を落とすし、何もないところでコケそうになるし……。今日こうなったきっかけも、もとはといえば俺が香奈に片想いしていると七海ちゃんが思いこんでいたことがきっかけでさ」
「守が私に片想い? 一体なにがどうしたらそんな誤解が生まれるの?」
「だよなぁ。俺にもさっぱりわかんね。ほら、芝生広場で昼飯食った時、俺が香奈の首絞めたことがあっただろ? あれも七海ちゃんの中では俺が香奈を抱き寄せたってことになってたらしいし」
「……それは確かに、少し思い込みが激しいかも」
あれはどこからどう見ても首を締め上げているだけだったよね。思わずグエッとか声でちゃったぐらいだし。
「今日司先輩が来た時、俺、メールの件で怒られるんじゃないかってドアから香奈たちの様子を窺っててさ。そしたらいきなり七海ちゃんが、守君もうやめようよ、とか言って泣き出したんだよ。香奈ちゃんみたいに可愛くないけど私じゃダメですか、助けてもらった時からずっと好きでした、なんて言って……。俺さっぱり意味わかんなかったけど、よくよく話を聞けば、香奈に片想いしている俺を心配してのことだったみたいで」
「えっと、なんか私が言うのも変だけど、それって恋人がいる私に叶わぬ恋をしている守が可哀想に思えたってこと?」
「多分な」
すごい。七海ちゃんってば乙女すぎる。
七海ちゃんの頭の中で、一体どんな私と守の物語が出来上がっていたんだろう。
「でも、とりあえず誤解は解けたんでしょう? 告白のきっかけはそれだったとしても、七海ちゃんがずっと前から守を好きなのは間違いないわけだし、別に心配しなくてもいいんじゃないの?」
「だから、そもそものスタートから勘違いじゃないかと思うんだ。七海ちゃんの中で、俺との思い出がすげぇ美化されてるような気がするんだよ。これが小太郎とかなら分かるけどさ、俺そんなカッコよく人助けするようなキャラじゃなくね? しかもあの時、俺七海ちゃんのおにぎり強引に奪って去ったしさ。すごくデキる優しい男のイメージを間違って思い描かれているだけで、実際の俺を知ったら一気に冷められそうな気がする」
もうすでにそうなっているかも、などと呟き、守が苦笑する。
普段大抵のことは能天気にスルーしてしまう守がこれだけ落ち込むということは、もうすっかり七海ちゃんのことを恋愛対象として気に入っているということなんだろう。そう思うとなんだか嬉しくて、だんだん顔がにやけてきた。
「確かに、このままだと振られちゃうかもねー」
俯いている守の肩が、ぴくりとうごく。
「試験勉強もレポートもぜーんぶ人任せにしてるの見ちゃったら、さすがに七海ちゃん幻滅しちゃうかも。私にばっかり頼ってたら、『やっぱり香奈ちゃんが好きなんだぁ』なんてまた誤解するかもしれないし?」
「う……」
「でもさ、まだ間に合うんじゃない? その辺さえ直していけば」
「え?」
「守に助けてもらった時のこと、確かに多少美化されていそうな気はするけどさ。完全に誤解ってわけでもないと思うよ。守が意外と面倒見がよくて優しい人だっていうのは本当のことだもん。司先輩にあんなふざけたメールを送ったのだって、何とか司先輩に気付いてもらおうと酔っぱらっているなりに考えたからで、つまりは私のことを心配してくれていたってことなんでしょ?」
ものすごくバカっぽかったけどね。全面からそれが滲み出ていたけれど。
「くよくよ悩むなんて守らしくないよ。これからちゃんと好きになってもらえるように努力すればいいじゃん。まだ二人は始まったばかりなんだからさ」
よっぽど不安になっていたんだろうか。赤ら顔の酔っ払い、守が感極まったように目を潤ませる。
「香奈ぁ、お前ってやっぱいいやつ!!」
「わっ!」
守が両手を広げた瞬間、誰かにおでこを掴まれ、勢いよく後ろに引き倒される。
床への衝突を覚悟し目を閉じたけれど、ぶつかったのはもっと柔らかなものだった。
「……司先輩?」
視界に映ったのは、普段めったに目にすることのない、真下から見上げた司先輩のアゴあたり。
この角度って……え、まさかの膝枕!?
「ちっ、ちち違うんです! 俺は別にそんなつもりじゃ!」
守が何か必死に喚いているけれど、そんなことはどうでもいい。
――これってやきもち? やきもちだよね!?
一体なぜだか分からないけど、先輩の過保護っぷりに加えて、やきもち度まで上昇してる!?
嬉しさと恥ずかしさから、カーッと顔に血が上る。
周りの部員たちのことも忘れ、心の中で思いっきりバンザイをした。