春の訪れ(6)
守の恋、最終話です。
「……私じゃ、だめですか?」
「え?」
「私は……守君のことが大好きです」
守君の寄りかかっていたドアが、大きな音を立てる。
やっとこちらを振り返ってくれた気配がしたけれど、下を向いたまま一気に言葉を続けた。
「香奈ちゃんみたいに可愛くないし、性格も良くないけど……でも、本当に好きなんです」
「…………」
「あの日、守君に助けてもらった時からずっと……」
「…………」
「やっぱり、香奈ちゃんじゃないとだめですか?」
こんなぱっとしない私からの告白なんて、迷惑なだけだったのだろうか。
完全に黙りこんでしまった守君を前に、途方に暮れる。
……もうやめよう、これじゃあ守君を困らせるだけだ。
まずは顔をちゃんとして、『変なことを言ってごめんね』って謝って。
顔を伏せたままメガネをはずし、急いで涙を拭う。その時、「あっ、あのっ」と守君が裏返ったような声を上げた。
「ごめん。俺ちょっと、意味が分からなくて……」
完全に戸惑っている声でそう言われ、おそるおそる顔を上げる。すると守君がびくっと体を揺らし、後ずさった。
「かっ……可愛い」
「え?」
「メガネ……それに前髪も……」
「あっ」
そういえば、メガネを外していたままだったんだ。
みっともない素顔を見られるのが嫌で、慌ててメガネについた涙をふき取る。
それをかけ直そうとした時、守君が真っ赤な顔で勢いよく首を横に振った。
「かけないほうがいい。絶対かけないほうがいい。かけないほうが絶対可愛い!」
あまりにもストレートな言葉に、顔が熱くなる。
「あの……さっき、俺のことを好きって……本当?」
「……う、うん」
「七海ちゃんを助けた時って……もう2年近くも前のことだよな?」
「……うん」
「…………」
やっぱり気持ち悪いよね。ほんの少し言葉を交わしただけで好きになって、ストーカーのように眺め続けるなんて。
「七海ちゃん、俺……」
断りの言葉を覚悟して、きつく目を閉じる。
「俺と、付き合ってくださいっ!」
その言葉に、大きく目を見開いた。
「――なんで?」
「へっ?」
「守君は、香奈ちゃんのことが好きなんでしょう?」
もしかして、私じゃダメですかって聞いたから? だから私と付き合ってみようって思ってくれたのかな。
「いやあの、そこがよく分からないんだけど……俺が香奈を好き?」
「うん」
「一体誰がそんなこと。俺、香奈のことをそういう目で見たことは一度もないと思うんだけど……」
「うそ」
「いやいやマジで。一体どこからそんな話になったんだ?」
無理やりごまかされているような気がして、ちょっとムッとしてしまう。
「お昼ご飯の時、香奈ちゃんの首に腕をかけて抱き寄せていたし……」
「抱き寄せるっ!? ……あっ、もしかして、外で飯食った時のこと?」
「うん」
「いやいや、あれムカついたから首絞めようとしただけだし! どっちかといえば殺意だし!」
「眠っている香奈ちゃんの顔を撫でて、ずっと切なげに見つめてて……」
「ええっと、もしかしてあれか? 香奈の寝ている隙にいたずら書きしようとして、やめた時かな?」
「香奈ちゃんのことを心配して携帯を気にしたり、今もこうして二人の様子をずっと窺っていたり……」
「いやそれがさ、水曜の飲み会の時に俺、やらかしちゃって」
「やらかす?」
「香奈の名前使って、自分の携帯から先輩に思いっきりふざけたメールを送っちゃったんだよなぁ、酔った勢いで。翌朝気づいて、絶対怒られると思って構えてたんだけど、なぜか先輩からは音沙汰ないままでさ。まさか、わざわざ東京から帰ってきてしまうとは!」
――それってどういうこと? つまり、さっきの守君は香奈ちゃんを心配して覗いていたというよりも、自分の身を案じて先輩の様子を窺っていたってこと?
司先輩キレるとマジで怖いんだよなぁ、などと深刻な顔で呟いている守君を、呆然と見つめる。
本当に勘違いだったんだ……最初から最後まで、全部が全部……。
そう納得すると同時にたまらなく恥ずかしくなって、両手で顔を覆った。
「もしかして七海ちゃん、ずっと勘違いしてた?」
「……うん」
「いつから?」
「……付き合ってるって思ってたのは、一年生の時からずっと。だってすごく仲がいいから、絶対そうだと思ってて」
「あー、香奈のやつも前に言ってたけど、俺らの間じゃ、もうあんま男とか女とかっていう感覚はなくなっててさ。チームの仲間は全員身内っていうか」
「……身内?」
「うん。特に香奈には俺頼りっぱなしでさ。朝のトレーニングからテスト勉強、部活のあれこれまで全部お世話になってっから。……何でも頼める、頼もしい母ちゃんって感じ?」
香奈ちゃん、守君よりずっと小さくてあんなに可愛いのに……お母さん役だったの!?
「あの、それで、さっきの返事のことなんだけど」
「え?」
何だかモジモジしだした守君を見て、やっと今の状況を思い出す。
そうだ、私さっき、守君に付き合ってほしいって言われてて――――
また恥ずかしさがぶり返してきて、二人して赤くなりながら俯いた。
「あの……私、まだ誰とも付き合ったことがなくって……」
「う、うん」
「だから、付き合うって言っても、自分がどうしたらいいのかよく分からなくて……」
「……うん」
「こ、こんな私でよかったら――どうぞ、よろしくお願いします」
守君がパッと目を輝かせる。そして、がばっと頭を下げた。
「こちらこそ、よろしくお願いしまっす!!」
あまりの勢いに驚く。けれど顔を上げた時の守君の笑顔が本当に嬉しそうだったから、私まで
頬が緩んだ。
「あの、香奈ちゃん、なかなか戻ってこないね」
「あー、そういやさっき、誰かからメールが来てたな」
守君がジーンズのポケットから携帯を取り出す。そして、げっと声を上げた。
「……先に部活行ったらしい」
「ほんとに? でもまだ香奈ちゃんの荷物が……あっ、もしかして、教室に入りにくかったとか!?」
やだ、あんな様子を見られちゃってたらどうしよう!
「あー……だな」
守君がすっと携帯を差し出し、メールを見せてくれた。
**************
守へ
頑張れ、守! 頑張れ、七海ちゃん!
どんなに浮かれていても、部活をさぼってはダメ。
もし来なかったら、みんなに報告しちゃうから!
ちゃんと私の荷物も持ってきてね。
香奈より
***************
大量の絵文字、主にハートマークがちりばめられているのを見て、私までうっと唸ってしまう。
「香奈ちゃんって、こういうメールを好む人だったんだ……」
「いや、普段はほとんど業務連絡みたいな殺風景なやつだな。――多分、俺の送ったメールを司先輩から見せられたんだろ。そっくりに書かれてるから」
守君がこんなメールを? ……そう思うと、どれだけ楽しく酔っぱらっていたのかが分かる気がして、思わず噴き出した。
「あー、そろそろ行かないと先輩たちに報告されそうだし、とりあえず出よっか」
「あ、うん」
守君が香奈ちゃんと自分の荷物を手に取り、私の用意が済むのを待ってくれる。
二人並んで教室を出ると、守君は部活に向かうため、そして私はバスターミナルへと向かうため、二人で歩き出した。
緊張のせいか、どことなく歩き方がぎこちなくなってしまう。
「あの、部室はこっちだよね? もうここで……」
「いや、バスターミナルまでは送る」
そう答えた守君の歩き方が私に負けないぐらい不自然なのを見て、緊張しているのは自分だけじゃないのだと安心した。
「それじゃあ、また」
「うん、ありがとう。あの……部活頑張って?」
「っ、おう!」
少し恥ずかしげに答えた守君が、部室に向かうためくるりと背を向ける。そして何を思ったのか、また半回転してこっちを向いた。
「なぁ……明日になったらやっぱナシ、とかないよな?」
「え?」
「やっぱ無理、とか」
それって、付き合うと言ったことに関してだろうか。
「私はないけど……守君はあるの?」
「いやいや、ないない、絶対ない! ――んじゃ、また月曜日な!」
安心したように笑った守君が、部室に向かって走り出す。
その後ろ姿を見送った時、まるでタイミングを見計らっていたかのように、いつものバスがターミナルへと滑り込んできた。
雨が降るたびに、私と彼のささやかな繋がりが途絶えることのないよう結び続けてくれていた、この特別な空間。
こっそり見つめることしかできなかった臆病な自分は、これからどう変わっていくのだろう。眠り姫のように寝顔ばかり見せてくれていた、守君は――?
少しの不安と沢山の幸せな予感を胸に、ステップを上った。
【春の訪れ 完】
今日も読んでくださってありがとうございました。