第10話 野良猫vs肉食獣
清田主将の部屋から逃げ出した翌日――仮入部最終日。
私は朝から、なんともいえない緊張感を味わっていた。
――きっと今日、RB担当にするって話が清田主将から出るんだよね?
司先輩、絶対嫌な顔するだろうな……。そもそも私、正式に入部することができるのかなぁ。
不安を抱えたままで講義を終え、いよいよ部活へと向かう。
ウォーミングアップ、パート練習、そして全体練習まで終わり全員が集合した時、いよいよ清田主将が話を切り出した。
「今日は仮入部最終日だ。最後まで残った1年はマネージャーの平川を合わせて8人。こいつら全員の入部を認めるのに異議があるやつはいるか?」
「異議なし!」
反対の声はどこからも上がらず、ほっと胸をなでおろす。
でも順調なのはそこまでだった。
「新入部員のポジションについては、例年通り希望を重視しつつ個々の適性を見て決定していく。そしてマネージャーの平川については、ランニングバック(RB)担当とする」
ほんの少しざわめきが起こる。
不安が頂点に達して俯いた時、予想通り、司先輩の冷たい声が上がった。
「必要ありません」
「何だ、司」
「RBに担当マネージャーは必要ありません。もっと人数の多いパートへ回して下さい」
清田主将と司先輩が、ガッツリ正面から睨み合う。
「こいつがRBのポジションに憧れていることも、積極的に練習に参加していることも知っていながらそう言うのか? ――他のやつらはどう思う?」
清田主将が部員全員に問いかける。
「あ、あの……」
おずおずと手を上げたのは、意外にもこんな場面が一番苦手そうなお調子者の守だった。
「俺、香奈にRB付きのマネージャーになって欲しいです。こいつは女だけど、アメフトやRBのポジションに対する気持ちは俺たちと変わらない。選手になることができないんだから、せめてRBのメンバーの一員にしてやって欲しいです」
守……! うわぁ、感動のあまり泣きそうだ。
「おい、香奈!」
「はっ、はい!」
「マネージャーであろうが選手であろうが、本人の希望に沿ったポジションにするのが基本だ。お前はどこに付きたい? ちゃんと自分の意見を言ってみろ!」
泰吉先輩、そして隣に立つ清田主将の目が、ものすごい威圧感で語りかけてくる。
『やりたいと言え! 逃げたらどうなるか、分かっているだろうな!!』
――正直言って、司先輩はかなり怖い。
でも清田主将も同じく怖い。泰吉先輩はそこまでないけれど。
だったらここは、守の勇気に応えて正直に自分の気持ちを言うしかないよね?
こっそり小さく深呼吸をすると、昨日の夜からずっと考えていた計画を実行に移す覚悟を決め、司先輩に目を向けた。
「あっ、あのっ! 私、RBのポジションに付かせて欲しいです。だけど、司先輩が女のマネージャーを嫌がる気持ちもわかります。だから……私と、賭けをしませんか?」
「賭け?」
司先輩の鋭い目が、少しだけ色を変える。
「はい。私、自分でも本当に残念なことに性別は女です。でも見た目も中身も全く女らしさのかけらもないんです。ですから、部活に恋愛を持ち込んで、司先輩に不快な思いをさせないってことを約束します。女だということを理由に弱音を吐いたり甘えたりもしません。その約束を破ったときには潔く退部することを誓います。だから――私を女のマネージャーとしてではなく、新入部員の一人として扱ってもらえませんか?」
司先輩は、相変わらず逃げ出したくなるほどの冷たい眼差しで見下ろしてくる。
初めて、その目を思いっきり睨み返した。
「この後、走りこみやりますよね。私も参加させてください。その時、もし私が男の部員と変わらないだけの体力があると証明することができたら……私をRBに付かせてください!」
しばらく無言のまま睨みあう。
先に沈黙を破ったのは、司先輩の方だった。
「……いいだろう。具体的にはどう証明するんだ?」
今日やる予定の走りこみは、緩急をつけて走るトレーニング。
グラウンド上に大きく正方形を書くようにコーンを4つ置いて、1つ目から2つ目のコーンまで全力でダッシュ。
2つ目のコーンを曲がったら3つ目まではジョギング、3つ目を曲がったらまた4つ目まで全力でダッシュ。そして最初のスタートのコーンまでジョギング。それを5周繰り返すものだ。走りこみの中でも、結構ハードなやつ。
全員が一度に走るわけじゃなくて、大まかに言うと、ライン(オフェンス・ディフェンス最前線)の選手たちと、バックス(後方ポジション)の選手たちの2回に分かれて走る。
つまり、走るのはちょっぴり苦手な重量級と、走りが専門のその他軽量級って感じ。
「バックスの先輩たちと一緒に走ります。その中で上から半分以内に入れたら、ではどうですか?」
「そりゃ、ずいぶん厳しい条件じゃねぇか? お前、陸上やってたって言っても短距離だろう?」
黙って聞いていた清田主将が口を挟む。
確かに先輩の言うとおり。昨日自分でもその点では迷ったんだよね。走りが専門のタフな先輩たちに混じって、どこまで体力が持つだろうって。
でも司先輩を完全に納得させるためには、それぐらいのことをやりとげなきゃ意味がない気がする。
負けたら負けたで、自分の力不足だったと諦めることにしよう。
「いいえ、これでいいです。もし上位半分以内に入れなかったら……どこか別のポジションに付かせてください」
「……分かった。司、お前もそれでいいな?」
「はい」
「よし、それじゃあ早速やろうか。司、お前今日はラインの方と一緒に走れ。勝負は自分の目でしっかりと見届けろ」
「はい」
グラウンドの準備のため、みんなが一斉に移動し始める。
久々のレースを前にして、身体に心地よい緊張感がみなぎってきた。
*****
賭けの盛り上がりを考え、先にライン陣が走り、あとからバックス陣が走ることになった。
めずらしく俺に真っ向から勝負を挑んできた平川は、真剣な表情で黙々とストレッチをしている。
今日練習に参加しているバックス陣は16人。それに1年でポジションが未定の者と平川を合わせると、ちょうど20人。つまり10位以内に入ればあいつの勝ち、ということになる。
男と女では元々身体能力に大きく差がある。ましてここにいる男たちは、受験でブランクのある新入部員を除けば、厳しいトレーニングを積んできた者ばかりだ。
それを相手にハンデ無しで勝負を挑むなど、自分によほど自信があるのか、それとも単に無謀なだけなのか……。
先に走り終えたラインのメンバーが見つめる中、いよいよバックスメンバー全員がスタートラインに立つ。
緊迫した雰囲気に、グラウンドが一瞬静まり返った。
「レディ……ゴー!!」
清田主将の掛け声で一斉にスタートを切る。
集団の中から一番に飛び出したのは、全員の予想に反して平川だった。
「すげぇ!」
「マジか!?」
部員たちからどよめきが起こる。
確かにすごい。スタートしてからトップスピードに達するまでの時間が異様に短い。
途中で追いつかれはしたものの、平川は3位で2本目のコーンを回った。
通常ならここはペースダウンして次のダッシュに備えるところ。それでも平川はトップの部員から離れまいと、かなりのペースで走り続ける。
大人と子供に見えるほどの体格差がある中で、その姿はとても目立って見えた。
「すげぇな、あいつ。ここまでやるとは思わなかった。……ふん、あいつら女に負けまいとして、いつもよりも必死になってんな」
清田主将が楽しげに笑う。
それはそうだろう。誰だって女のマネージャーになど絶対に負けたくないはずだ。
焦りのせいかペース配分を乱された部員たちが、苦しげな顔を見せ始める。
4週目を終えた時点で、平川は全体の6位。
さすがに辛そうな顔をしているが、ダッシュの地点に来ればまたきっちりスピードを上げてくる。
「平川頑張れ! ラスト1週だぞ!」
「気ぃ抜くなよ!!」
ラインの部員たちの声援に応えるように、平川がまたスピードを上げた。
すぐ前にいた一人を抜き、ラストスパートとばかりにペースを上げ続ける。
「……おいおい、大丈夫かあいつ。そろそろぶっ倒れるんじゃねぇか?」
清田主将が誰にともなく呟く。
「行けっ、香奈! あと少し!」
「いいぞ、そのまま……おぉーっ!!」
大きな歓声がグラウンドに響き渡る。
平川は見事、4位でゴールを果たした。
「――司、ちゃんと香奈ちゃん褒めてやれよ? あー、俺もマジで焦った! 負けるかと思ったよ」
1位でゴールした翼先輩に肩を押され、部員たちに囲まれている平川の元へと向かう。
「……はぁっ、はぁっ……つ、司先輩……?」
肩で息をする平川と俺を、他の部員たちが固唾をのんで見つめている。
「――認めてやる。約束は守れよ」
「っ! はいっ!!」
「やったな! 平川!」
「すげぇぞ、チビ!」
「ひゃあ!」
部員たちにもみくちゃにされながら、平川が満面の笑顔を見せた。