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公子様と魔女の日常  作者: 瀬尾優梨
小さな一歩、始めよう
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彼女にできること2

 少し、肩の荷が下りたためかその後の夕食も和やかに済みました。メイドさんも気遣ってくれたので、私たちが言葉に詰まった時はやんわりと話題提供してくれたのです。ありがとうございます、フォード家の使用人の皆様……!

 そして夕食が終わった後、アーク様が先に部屋に上がられたので、私はメイドさんにあらかじめ頼んでおいたことを実行することにしました。

 

 夜のとばりが立ちこめた頃。私はアーク様のお部屋のドアをノックしました。

 本来、女性が夜遅くに男性の部屋を訪れるのは礼儀とたしなみの面からよろしくないと言われますが、アーク様は気になさらないようです。むしろ、用があればいつでも来てよいと食事の際におっしゃってくださったのです。

 私の腕から下がっている籠から、甘い匂いが漏れてきます。アーク様はお気に召してくださるでしょうか……。

「誰だ」

 あっ、アーク様のお声です。

「サランです。しばらく、お時間いただいてもよろしいでしょうか」

「サランか?」

 ぱたぱたと走ってくる音に続いて、すぐにお部屋の鍵が外されます。少しだけドアが開き、驚いたような、嬉しそうな顔のアーク様がお顔を見せます。

「夜中に来るとはな。どうかしたのか?」

「はい」

 さっきから芳香を放つ物体、それをアーク様の前に差し出すと、はっと驚かれたように私を見つめてきました。

「お菓子です。先ほど、厨房をお借りして作りました」

「えっ、これを、俺にかい?」

「もちろんです。アーク様のお口に合うかは分かりませんが……」

 ちなみに、メイドさんからアーク様のお菓子の趣味はきちんと聞いておきました。やはり男性だけあって甘すぎるものは苦手だそうです。そこで、今日焼いたクッキーには紅茶の葉を練り込みました。普段ポットに入れる葉では大きすぎるので、細かく切ってすりつぶし、クッキーのたねに混ぜ込んだのです。

こうして焼いたクッキーは甘さ控えめ、ほんのり紅茶の香りが広がる大人な味になるのです。

ちなみにこの紅茶クッキー、師匠の家で焼いたこともあるのですが、あまり姉様方のウケはよろしくありませんでした。リンリン姉様曰く、「なんかカスカスしてる!」らしく。

アーク様は姉様とは逆にぱっと顔を綻ばせ、ドアを大きく開きました。

「そんなことない! 是非もらうよ」

「ありがとうございます……」

 アーク様に招かれ、私はアーク様のお部屋に入りました。

 ……よくよく考えると……いえ、考えなくても分かることですが……実は、アーク様のお部屋に入ったのは今日が初めてなのです。今までアーク様とお話しするのはお屋敷一階の居間が基本でした。いくら婚約者(と名乗るのも忍ばれますが……)といえど、若い男性のお部屋へ入るなんてとんでもないこと。そもそも、アーク様のお部屋へ行かねばならないような事態もなかったのですから。

 アーク様のお部屋は当然ながら私が寝泊まりしている客間よりずっと広く、でも面積の割にインテリアはすっきりしていました。ドレッサーや本棚は必要最低限、という感じで、服飾品よりも壁に貼り付けられた世界地図や棚に無造作に置かれた練習用の剣が目立ちます。本や服が無造作にベッドに放り投げられているのとは対照的に、遠乗り用とおぼしきバッグや籠手、乗馬用のブーツなどはきっちりお行儀よくドレッサーの横に鎮座しています。この辺りからも、アーク様の性格が感じられますね。

 アーク様は私をテーブルソファに座らせ、ご自分も私と向き合う形で座られました。

「サランの作った料理はどれもおいしいからな。楽しみだよ」

 そう言いながらアーク様は紅茶クッキーを一つ、つまんでお口に入れました。

 アーク様が咀嚼する間、私は両手の拳を膝に乗せ、じっとアーク様の反応を待つしかできません。まさか、お優しいアーク様が「なんかカスカスしてる」とはおっしゃらないとは思いますが……。あ、いえ、別にリンリン姉様を貶したわけじゃありません。

 でも私の心配は杞憂に終わりました。アーク様はしっかり飲み込んだ後、ふっと唇の端をゆるめました。

「おいしいよ、サラン。俺、あんまりクッキーとか食べないけど……これなら病み付きになりそうだ。紅茶葉の具合もいいね。匂いもあまりきつくないし……これは、どこの紅茶かな?」

「あ、はい。それは私の故郷……マクシミリアンの家庭で愛用されるお茶っ葉です。テューイという植物がありまして、その葉を紅茶の葉っぱとして使用するのです」

「テューイ? あれは観賞用の花だとばかり思っていたよ。その葉も食えたんだな」

 アーク様は感心されたように頷き、もう一つ、クッキーを召し上がられます。

 アーク様はただ単に「おいしい」と言うのではなく、あれがおいしい、ここがいい、と細かく言ってくださいます。女性は「おいしい」よりも「ここをこうして、こうやったらもっとおいしくなる」とか「この加減がすばらしいからおいしい」と言われる方が喜ぶ人が多いのです。だって、きちんと味わってくれたことの何よりの証拠ですもの。

 あっという間にアーク様はクッキーを完食し……完食してから、はっと思い出したように目を見開きます。

「す、すまない! 全部俺で食べてしまった……サランも、食べたかっただろうに……」

「お気になさらず。私は試食で少し食べましたし……アーク様が食べてくださって、本当に嬉しいんですもの」

 この気持ちに偽りはありません。あんなにおいしそうに私のクッキーを食べてくださるアーク様のお顔が見れたんですもの。これ以上ない幸せです。

 姉様方は、「サランの幸せって控えめよね」とおっしゃります。でも、今の私にはこれが最大の幸せなのです。アーク様のために何かできることがある。

 それ以上は、望みません。


 夜遅くまで紳士の部屋にいてはならないと、もう少しお話ししてから私はアーク様のお部屋を辞しました。

 おやすみ、の挨拶をして私は空になった籠を抱え、厨房へと向かいます。


 これからの日々に、少しだけ、希望が見えてきたような、そんな気持ちになれました。

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