見目麗しき来訪者1
私はフォード公爵のお屋敷で、特にすることはありませんでした。基本的な礼儀作法や言葉遣いは前から師匠に教わってましたし、基礎の教養も大体は身につけていました。師匠と姉様たちに感謝です。
逆にアーク様はいつもお忙しそうでした。金鉱の問題はもちろん、フォルセスに出向いて王家の方と会議なさったり、遠路遙々お越しになった貴族の方の応対をなさったり。私は二階の客間からその様子を見ていたのですが、とてもとても私が協力できそうなことはなくて。私は師匠から譲られた魔道書を読んで暮らすことが大半になっていました。まだ公爵様から位を受けてはないそうですが、貴族の息子というだけであれほど仕事が舞い込んでくるのですね……。
そんなある日。お客さんがいらっしゃいました。
「お邪魔するわ」
いきなりばーんと私の部屋のドアを開けたのは、リンリン姉様。今日も一段と、男性を誘うような服を着てらっしゃいます。大きなお胸がこぼれ落ちそうなくらい我を主張しているようです。
「リンリン姉様、来てくださったのですか?」
「当たり前でしょう。かわいい妹のことなんだから」
姉様はそう言って笑います。この様子では、公爵様たちのご了解を得る前にここまで上がってきたのでしょう。姉様はそういう方ですから。
それにしても、リンリン姉様に「かわいい」と言われるのはまだ慣れません。だって、姉様は誰もが認める「美女」ですもの。姉様に微笑まれると、女の私でさえ、頬が熱くなってしまいます。そういう方なんです。
私が席を薦めると、姉様は満足そうに笑います。
「久しぶりね、サラン。あなたがうちを出てから、ずいぶん寂しくなったのよ?」
「そうなのですか?」
「ええ。でもまあ、サランが幸せになれるならこれくらいの寂しさ、どうってことないけれど」
私は姉様用のお茶を入れようと、カップボードに向かっていましたがその言葉を聞いて、ちょっと恥ずかしくなりました。姉様たちが私のことを想ってくださることが、ひしひしと伝わってきました。
「……ありがとうございます、姉様」
「いえいえ。それより……あのシャイボーイとはどこまで進んだの?」
どこまで?
私は陶製のカップを手に振り返ります。
「どこまで、とは何のことですか?」
「そりゃあ、あいつとの間柄に決まってるでしょ。もう一回ぐらいは共寝したんでしょう」
ともね。
……ともね?
「……姉様。共寝、とは……?」
トモネさんという女性のことでしょうか。なんていう冗談は心の中のみに押さえておいて。
ああ、手が震えます……いけないいけない。私は精一杯の気力を奮い立て、カップを棚に置きました。ともすれば、取り落として割ってしまいそうなので。
姉様は不思議そうに、私を見つめます。こんな姉様の顔、初めて見ました。
「共寝って他に意味ある? 私としては、かなーりオブラートに包んだ言い方だったんだけどー。いくら婚約者未満の関係とはいえ、ちょろっと味見ぐらいはされたでしょ?」
あ、味見、ですって!?
味見って……つまり……そういう意味ですよね!?
「な、あ、あるわけないですっ!」
「は?」
「私は、その……アーク様とは、そういった関係では……」
しどろもどろ説明します。だって……本当に、そんなはずないんだもの!
姉様の切れ目が、今度は三角に吊り上がります。ううう……なんだかすごく、怖い……。
「……ちょっと聞くけど……まさか、あいつまだあなたに触れてさえいないとか? キスやハグは?」
「ないですっ!」
ハグなんて遠い話です! キスなんてもってのほか! 私としては……アーク様に声を掛けられたり、近くを通られるだけでも緊張してしまうのに!
つっかえつっかえそのことを打ち明けるにつれ、姉様の顔がどんどん怖くなります。怖くなってもお美しい顔ですが、その分よけいに……凄みがあります。整いすぎた眉が異常につり上がって……ああ、美しい方は怒っても美しいのですね……。
私が言葉を切ると、体にびしびしと突き刺さるような沈黙が部屋を満たします。窓の外ではちゅんちゅんと、小鳥のさえずりが……。ああ、私もあの小鳥のようにここから飛んでいけたなら、これほどの重圧に耐えることもなかろうに……と思ったり。
しばらくの、空白。気分直しにとっておきのお茶でも入れようと、震える手でポットを手に取ったのですが……。
「……ふざけんなよ」
低い、姉様の声にポットを落としそうになりました。姉様の暴言に、思わずポットを落としてしまいそうに。
「キスは愚か、ハグさえなし? ろくに触れていない? 何すっとぼけてんだあの××××××……今日こそは×××で××××を×××××してやる……」
呪いの言葉のような、姉様のつぶやき。何やら放送禁止用語を連発したようですが、あいにくその大半は私には意味が分かりませんでした。後でテディ姉様に聞いてみましょうか。
……うう、なんだか姉様の黒髪が逆立っているようです。ストレートの髪がうねうね揺れ、蛇のように見えるような……。
「……よし、決めたわ」
私がおどおどしていると、姉様はすっくと立ち上がりました。まだ、髪は逆立っています。怒髪天を衝く、とはまさにこのことでしょうか。
「ちょっと、あなたの婚約者と話を付けてくるわ。大丈夫、サランはここにいなさい」
えっ……いや、それは、ものすごく、嫌な予感がします……。
「お茶は後でもらうから、ここで待っていること。いい?」
そんな羅刹のようなお顔で念押しされたら、否とは言えません。まさに、蛇に睨まれたカエル状態。しかも、どうやら無意識のうちに魔力を放電しているようです。私はまだ魔力耐性があるからよいものの、これがアーク様に向けられたなら……。
ああ、しかし私には姉様を止める力はありません。アーク様、ふがいない私ですみません……!