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公子様と魔女の日常  作者: 瀬尾優梨
想いを指輪に
14/17

約束の丘で

 何かしたいことがあるか、との問いに、サランは「二人で出かけたい」と即答した。

 無理を承知での希望だったようだが、無論、アークが断るはずもなかった。

 事情を聞いた公爵夫妻も気を遣い、サランが回復した次の日、アークの仕事を全て免除し、小型の馬車も貸し出してくれた。

 サランが希望したのは、故郷マクシミリアン自治区の一地方マックリーン。そう、幼い頃、アークとサランが初めて出会った、のどかな田園地帯だ。

 アークはいつぞやの青い乗馬服に着替え、サランもまた、いつもの部屋着とは違う、乗馬服を着てきた。長い髪を緩く結い、襟の立ったシャツと薄紫色のベストに同じ色のスカート、黒のタイツという出で立ちだった。彼女の手を引いて馬車に乗り、雇った若い御者に命じて馬車を出させる。

 昨日のうちからサランはご機嫌で、馬車の中でも嬉々としてアークと話していたのだが。いかんせん、アークは疲れていた。

 今日の公務はないにしろ、昨日は一日かけて各地の諸侯との会議に出ていた。一応睡眠は取ったのだが、眠い。馬車が小気味よく揺れるため、いっそう眠気を誘っていた。

 アークが眠そうなのに、サランも気付いたのだろう。何度目か分からないあくびの後、サランはちょいちょいとアークの肩をつついた。

「アーク様、どうか目的地までお休みください。昨日も公務で忙しかったのでしょう」

「え? あ、いや、大丈夫だよ」

 サランが一生懸命話しかけてくれるのだ。それに報いたいとは思っていたのだが、サランは引かなかった。ふるふると首を横に振り、自分の膝を叩いた。

「あの、よろしければ膝をお貸しします。私、ちょっと脚が太いので、枕にしては高すぎるかもしれませんが……」

 いわゆる、膝枕。顔を赤くし、遠慮がちに申し出るサランを見ていると、それも悪くないと思えてきた。

「……ありがとう、じゃあ、遠慮なく膝をお借りするよ」

「はい」

 狭い馬車だが、膝を折ればアークも十分横になれる。長靴を脱ぎ、皮の張られた座面に背中を預け、サランの膝に頭を乗せた。

 柔らかくて、いい匂いがする。石けんのような、かすかな香り。頭の向きを変えてサランの腹に顔を向けるように横たわると、その香りが強くなった。

 アークの吐息を腹部に感じたのか、わずかに顔を赤らめてサランはへそを引いた。

「……どう、ですか?」

「ああ、すごくいいよ。ありがとう」

「はい……」

 膝枕とは、する方もされる方も最初は緊張するものなのかもしれない。だがアークの心はこれ以上ないほど落ち着いていた。サランの膝に頭を預け、目を閉じると一気に眠気が押し寄せ、体中の力が抜けてきた。

「……お休みなさいませ、アーク様」

 そう、意識の遠くからサランが声を掛けてくれた気がするが、返事をする気力もないまま、アークはすとんと眠りに落ちていった。


 かたん、と小さく馬車が揺れ、やがて車輪の音を立てながら停止した。

「アーク様、マックリーンに到着しましたよ」

 そう声が掛かり、肩が揺すぶられる。目を開けると、ほっとしたように笑うサランの顔が。

「よくお休みになってましたね。気分はいかがですか?」

「ああ、ありがとう。だいぶすっきりしたよ」

 名残惜しく感じながら、アークは体を起こす。寝癖のついた頭をサランが優しく掻き撫で、上着に付いた埃を軽く手で払った。

「久しぶりのマックリーンです。最後に来たのは……」

「サランの移動魔法の時だな」

 伸びをしながら言うと、サランは嬉しそうに微笑んだ。

「はい。アーク様の前なので、失敗しないように気を付けたのです。今となってはいい思い出ですね」

「そうだな」

 御者が外から馬車のドアを開けた。アークが先にステップを踏んで降り、サランに手を貸して馬車から降ろさせる。

 ふわりと、花の香りがした。

 よく晴れた初夏の草原。濃い黄色の花が咲き乱れ、甘い香りを放っていた。

 寝起きの目には日差しが痛かったが、フォード領中心街とは全く違う、草と土、花の香りに満ちたこの丘は、アークの胸をくすぐった。

「いい天気……アーク様、ちょっと歩きませんか?」

 満面の笑顔でそう尋ねるサラン。二つ返事で了解し、御者に待機を命じてアークはサランと二人、煉瓦の敷かれた遊歩道に足を踏み入れた。

 優しい風がそよぎ、二人の髪を揺らした。

「私、この場所が大好きなのです」

 アークの方は見ず、可憐に咲く野花を眺めながら、サランは言う。

「小さい頃……両親に連れられて、ここに来たのです。その日もいい天気で……日が暮れるまでずっと、この丘を走り回ったのです」

「……そうなのか」

 日が暮れるまで。

 そして少女は、少年に出会った。

「……夕暮れになっても走っていたなら、疲れたんじゃないのか?」

 アークの問いに、サランは振り返って笑いながら肩をすくめた。

「でしょうね。当時の私はおてんばで……両親も呆れながら、私が遊んでいるのを見ていてくれました。お友だちを連れて行きたかったのだけれど、一人でも十分、楽しめました」

 その一言で、分かった。サランはあの日の出会いを覚えていない。

 夕日に草原が染まってきた頃、やって来た少年のことを。少年と、花で作った指輪を交換したことも。「結婚しよう」と約束したことも。

 それも致し方ないことだろう、とアークは曖昧に笑った。自分とて、タローに指摘されるまでは思い出せなかったことなのだ。記憶の彼方の引き出しに押し込んでいた思い出を全て、今も記憶しているというのも無理な話だ。

 それでも。サランはこの丘を懐かしく思い、楽しく遊んだ記憶があるのなら。少年と誓った言葉を忘れていても。

 きっと自分は、またサランのことを好きになるだろう。そしてまた、彼女と共にこの丘に来ることになるだろう。

「あっ、アーク様」

 たっと、サランがアークの隣を離れて駆けだしていく。綺麗な花でも見つけたのだろう、 あっという間に、サランの姿が小さくなる。

「来て、アーク様!」

 ……こっちに来て! いいもの見せたげる!

 こちらへ手を振るサランと、いつか見た少女の姿が重なり合う。アークは頬を緩め、さくりと歩きだした。

「ああ、今行くよ」

 あの日とまったく同じ言葉を口にしながら。


 一日、花咲く丘を走り回って、二人で花を摘んで、たわいもない話をして。

 夕暮れ時になり、二人が御者の所へ戻って馬車に乗ったとたん、隣のサランはこっくりこっくり船を漕ぎだした。一日中走り回ったせいで結い上げた髪は半分解け、眠そうな彼女の頬に暗い影を落としていた。

 疲れたのだろう。アークはふっと笑い、今にも前方へ転げ落ちそうなサランの肩を引き寄せた。

「眠いなら、屋敷に着くまで寝ているといい」

 はっと、眠そうな目を上げるサラン。眠気を悟られたためか、かあっと頬が赤く染まる。

「い、いえ……遊び疲れて寝るなんて、赤ちゃんみたいです……」

「気にしなくていい。俺も、もう少し休ませてもらおうと思っていたんだ」

 事実、アーク自身はそれほど眠いわけではなかったが、こうでも言わないとサランは遠慮し続けるだろう。アークの予想通り、サランは納得したようにこっくり頷き、大人しくアークの肩に身を預けた。

「……では……少し、休ませてもらいます……」

「ああ、ゆっくり」

 よほど眠かったのか、あっという間にサランの唇から寝息が漏れ、緩やかな眠りについていった。

 アークは顔を上げ、馬車の窓から通り過ぎていくマックリーンの丘を見やった。茜色に染まった草原が飛ぶように過ぎ去り、名残惜しげに赤銅色の光をアークたちに向かって注ぎ込ませていた。

 視線を落とすと、アークの肩に体を寄せてすやすやと眠るサランの顔が。夕日を浴びて頬がオレンジ色に染まり、柔らかな茶髪も明るい杏色に輝いている。

 愛おしい。

 サランのことが、愛おしかった。

 自分のことを大切に思い、懸命に努力しようとするその姿が、これ以上もなく愛らしかった。

 貴族社会のことも政界のことも、何も知らないサラン。陰謀や策略に染まった貴族界に引きずり込むより、この丘に残して、笑いながら走り回っていた方が、彼女は幸せなのではないだろうか。

 窮屈なドレスよりも、質素な乗馬服が。豪華なティアラよりも摘みたての野花の冠が、彼女には似合っていた。

 知らない世界に放り込まれるより、アークと共に屋敷に拘束されることより、両親と暮らす方が。優しい姉や師と暮らす方が、幸せなのではないだろうか。

 もう一度、サランの顔を見つめる。先日よりずっと血色のよくなった頬には笑みが浮かび、幸せそうに微笑んでいた。

 サラン、君は今、本当に幸せなのか?

 そう聞きたくても聞けない自分がいた。

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