末妹の異常3
その日の昼食と夕食の席に、サランはいなかった。メイドが軽食を上へ運んでいったっきりで、食欲が湧かないらしい。
「町の医者もお手上げということだな」
夕食の際、アークの父であるフォード公爵が心配げにつぶやく。この男性は息子に対しては遠慮がなく、羽目を外しまくりなのだが、(未来の)嫁に対してはめっぽう弱く、こうして一気に常識人に戻るのだ。普段からこれくらいまともな人間であってほしいと、息子はこっそり願っていたりする。
アークは口元をナプキンで拭い、頷いた。
「何しろ、理由が分からないんだ。重労働させているわけでもないし、どうしてあそこまで疲れがたまるものなのか……」
「サランさんも、無理しすぎているのかもしれないわ」
母もナイフを置き、頬に手を当てた。
「昨日も、一緒にお裁縫したのだけれど……手元が疎かになっていたわ。指先が震えていて……目も疲れているようだったわ」
目が疲れる、ということは書物を読んでいるということだろう。サランは確かに、屋敷の書庫にある小説を好んで読んでいるが、そこまで疲れ目になるほど読むものだろうか。
「……もう少し、様子を見てみます」
父と母を見、考えつつアークは言った。
「今はとにかく、サランの体を休める方針でいきます。もちろん、彼女が外出を望むなら、好きなようにさせたいです」
無言で同意する両親。手元に視線を落とし、アークはやりきれない気持ちで肉を切った。
「……アーク様?」
夜遅く。自室で書類のチェックをしていると微かな声が耳に届き、アークははっとして顔を上げた。
「サラン? どうかしたのか?」
彼女はまだ、自室で休んでいるはずだ。こんな夜中に何かあったのだろうか。
急いで立ちあがり、ドアの鍵を外す。そっと、ドアを押し開けると、寝間着に身を包んだサランが戸口に立っていた。廊下が暗く、寝間着が白っぽい色合いのため、サランはぼんやりとした儚い白い影のように見えた。
サランは申し訳なさそうに肩をすくめ、胸の前で手を合わせた。
「……夜遅く、申しわけありません。少し、体が軽くなったので、アーク様のお側にいさせてもらいたいのです」
側にいたい。その一言は、アークの胸に響いた。
確かに、昼間よりは幾分、顔色がよくなったように思える。アークは頷き、サランを部屋に招き入れた。
「今日も、書類整理ですか? お疲れ様です」
テーブルに塔のごとく積まれた公文書を目にしてサランが言う。相変わらず、公爵は息子に仕事を押しつけがちなのだ。
「……ありがとう。近いうちに提出のものが多くて……今夜も徹夜かもな」
「今日もですか?」
咎めるように、サランが上目遣いで見上げてくる。
「アーク様、最近夜更かしが多いです。夜も……しっかり眠れてないのでしょう?」
「確かに睡眠時間は厳しいよ。でも、君が例の魔法をかけてくれるだろう?」
サランの魔法。疲れを癒し、頭をすっきりさせてくれる回復魔術だ。アークが言うと、サランはぱっと嬉しそうに顔を綻ばせた。
「はい! ひょっとして効果、ありますか?」
「大ありだ。おかげで毎日元気に暮らせるんだ」
そこまで言い、ふっとアークは目を細めた。思い当たる節が、見つかった。
「……でも、あの魔法も体力を使うんだろう? もしや、あの魔法を毎日使うから疲れているんじゃ……」
「魔法と体力は関係ありません」
アークの問いに対して、きっぱりと言い切るサラン。
「魔法は、大地の魔力を借りて使うものです。だから、少しは疲れますけど、それとこれとは関係ありません。回復魔法は楽な部類に入るので」
「……そうなのか?」
いまいち魔法に詳しくないのでいい返事ができないアークだったが、サランはしっかりと頷き、ふと表情を和らげた。
「そういうわけで……今日も、アーク様の疲れを癒しましょう」
「でも、君は疲れが……」
「お願いします、させてください」
許可を求めているのではなく、願望。請うような、縋るようなサランの眼差しに勝てるほど、アークは強くはなかった。うっと返答に詰まり、渋々頷く。
「……分かった。では、頼もう」
「はい!」
一気に表情が戻り、嬉々としてアークを座らせるサラン。彼女の体調は心配だが……笑顔が戻ったなら、まあいいことにするか。
毎晩のように、優しいサランの声がアークを包む。吸い取られるように消えていく疲れに、アークはいつものように、サランに心から感謝していた。