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置き物

リウと母竜

作者: 立花豊実

 人の立ち入らぬ未踏の森へ深く、湿気が頬をなでる青々とした幻想世界。高くそびえる山岳帯を一角越えれば、そこには岩敷きの平地が広がっている。竜の親子が根城とする洞穴は、その奥の白い岩山にある。

「ねね、お母さん。人間くっちゃあダメ?」

 差し込む朝日にリウが片目をつむりながら、自分の体の数倍もある母を仰ぎ見た。ずしりと居座る母の重厚な佇まいは、それでいてリウの誇りでもある。

 その懐に眠るのが、リウにとって何よりの幸せだった。

 母はやさしく微笑み、舌で頭をなであげてくれる。

「だめよ、人間は」

「……ちぇー」

 ぷくっと頬を張る。

 ダメとは言われるけれど、もともと竜というのは人間を捕食してきた精霊族だ。

 戦後に生まれたリウでも、そんなことぐらいは知っている。だからいつも強い母に、強い答えが返ってくることを期待して訊ねてみるのだが、その答えには裏切られてばかり。母は人間なんかに負けやしないのに……少し警戒しすぎなのだ。一人ぐらい食べたって問題はないだろうに。

 崇高なる精霊族の長、ドラゴン。

 太古から変わらぬその容姿は、威厳と壮麗に満ちている。巨躯で強靭な肉体は大天上の頂きを舞い、ありとあらゆる生物の頂点に君臨し続けてきた。たとえ知に優れた人間たちであっても、その標的外とは決してなりえない。

 四足に尾、背からはコウモリのような翼を生やす形態。魔法をもハネ返す真赤のウロコ。鋼鉄のような体表面に生える無数のツノ。骨ごと肉を引き千切る太いキバ。岩すらえぐり出す鋭いカギヅメ。そして「炎」を司る強大な魔力。優に三十メートルを超す翼は地に大きな影をおとし、威圧する右翼と左翼は、対峙する者たちに恐怖と恍惚とを思わせしなに飲み殺す。

 そう、人間に為す術などなかった。

 リウは仕方なく、母が今朝方獲ってきてくれたイクトミの死肉に、ぶわーっと口を開いてかぶりついた。はみ出した肉片をゆらしつつアゴをもぐもぐしながら、洞穴の外へと目を向ける。大森林の眩い朝焼けが映え、ちょうどつがいの鳥たちが飛び去っていくところだ。

 太陽の中へ、吸い込まれるようにはばたく鳥たちを見て、いよいよリウの不満も膨む。

「ねえねえ、お母さん」

「ん?」

「……いつになったら飛べるようになるの?」

 うるうるした瞳の中に切実な何かをもって、リウは訴えかけるように母を見る。普通ならばとっくに飛べてもいい年頃だが、リウの場合、翼がちょっとダメだ。体格に比べて一回り小さく、左右の大きさも若干ちぐはぐしている。くやしくて幾度も挑戦してみてはいるのだけれど、その背の二枚はぴちぴちしか言ってくれない。もしかしたら何かしら栄養が足りていないのかもしれない。多分、人間を食べていないせいだ。

「そのうちきっと飛べるようになるわ」

 重低音の響きが、母の優しい声だった。

「……ほんと?」

「ホントよ。貴方は優秀な竜の子なの、誰よりも速く、一番高く、……美しく。飛べるわ」

 そう言って、またぺろぺろしてくれる。

 言われても不安が解消するわけではない。けれど、母が言うのだから間違いはない。

 しばらくして、むふふ、と子竜は笑い出した。自分が優雅に空を舞う姿が、ふと頭に浮かんだからだ。いつか必ず、お母さんの代わりに自分が狩りに行ってあげる。けれど一緒に飛ぶのもいい。あの果てない雲の無辺を一息に泳いで渡り、日を浴びながら華麗に舞い降り立つ。そんな日がいつか来るのかと思うと嬉しくて、母の体温がとてもぽかぽかしていて。

 そうやって、二匹はゆっくりと過ごした。


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