Episode2―Last Tuesday―
火曜日の夜、仕事を定時にあがった私は、会社の近くのイタリアンレストランで母親と食事をしていた。
一ヶ月ぶりに会った母親は私を見るなり開口一番「相変わらず、暗い顔しているわね」と言い放った。
「お母さんこそ、相変わらず明るい顔しているよね」
私が言うと、母親はにやりと笑った。
「当たり前でしょ。自慢の娘と素敵な旦那様がいるんだから」
実に母親らしい物言いに私は思わず頬をゆるませた。
楽観的な考え方は、母親の魅力のひとつにすぎない。
私の大学受験と就職が上手くいったのは、ひとえに教育熱心な母親のおかげだと思っている。
二十八にもなって、こんなこと言うのもなんだが、私は母親が大好きである。
母親から再婚すると聞かされた時、かなりショックだったから、多分、マザコンの気もある。
いまだに「みっちゃん」と呼ばれても悪い気はしないし。
私達はサラダとフンギのパスタとタリアータというルッコラの上に薄い牛肉が乗っている料理を注文した。
料理の量が多い店なので、一人前をシェアするとちょうどいいのだ。
酒豪の母親は、赤ワインをボトルで注文していた。
料理は美味しかったけれど、母親がなかなか大事な話とやらを言いださなかった。
デザートのジェラートが運ばれてきた時、とうとう私から切り出した。
「大事な話があるんでしょ」
母親は、飲みこむ必要もないジェラートを大きな音を立てて飲みこんだ。
「お母さんね。ずっと言わなきゃいけなかったことがあるのよ」
「良いこと?それとも、悪いこと?」
「良いことかもしれないし、悪いことかもしれない。お母さんは、みっちゃんじゃないから分からないわ」
「微妙だね。まあ、いいけどさ。話してくれる?」
落ち着いて聞いてね、とワンパターンな前置きから始める母親の方が落ち着きを失っているように見えた。
覚悟を決めたのか、母親は、私の目を真っ直ぐに見つめた。
「みっちゃんは、私の実の娘ではないの」
なんだ、と私は呟いた。
「そのことなら知ってるよ」
母親は、ぎょっとしたように私を見た。
「なんで知ってるの」
「高校生の時、おじいちゃんとお母さんが話しているの聞いたの」
「なんで黙っていたの」
「おじいちゃんにお母さんが悲しむから聞かなかったふりをしろって言われたから」
「みっちゃんは、悲しくなかったの」
なんでそんな風に言うのかな、と私は思った。
私はずっと母親が一番好きなのに。
「驚いたけど、全然悲しくなかったよ。だって、本当の母親は死んでしまったんでしょ。父親の分からないシングルマザーだったっておじいちゃんに聞いたし。記憶にない両親のことでいちいち傷ついたりしないよ」
母親は、グラスの中のワインを一気に飲み干すと、ため息をついた。
安堵のため息に聞こえた。
きっと母親はずっと私を思って悩んでくれていたのだろう。
さばけた母親の新たな一面を見た気がした。
「でも、どうして今更話す気になったの」
溶けかけたジェラートを口に運びなから、たずねると、母親は、ウッと唸った。
実はね、と母親は切り出した。
「もうひとつ隠していたことがあるのよ。おじいちゃんには話していないんだけど、お母さん、みっちゃんのお父さんが誰なのか知ってるの」
「ええと、それはまた」
力の抜けた声を出すと、母親は上目遣いでばつが悪そうに私を見た。
「黙っていてごめんね。その人、最近亡くなったのよ。でね、ここからが本題なの」
「遺産の話とか?」
「ビンゴ」
母親はその話題におよそ似つかわしくない言葉で答えた。
「みっちゃんに黙っておきたかったんだけど、遺産が遺産なだけに、私が話さないなら、弁護士さんがみっちゃんのところに行って伝えると言われたのよ。どうせ本当の事を知るなら私の口から伝えておきたかったの。でね、みっちゃんのお父さんは、コスモグループの会長なの」
さすがに度肝を抜かれた。
「ホテルグループの?」
母親は頷いた。
「しかも、ホテルを含めた総資産のほとんどが譲られるみたいなの。想像もつかない額よね」
「私ってば、シンデレラだね。継母は優しいけど」
大混乱したまま軽口をたたくと、母親は気の毒そうにこちらを見た。
「ただ遺産を継ぐためには条件があるのよ。なんでも、コスモグループの前会長、つまりみっちゃんのお父さんのことだけど、その人が決めた相手と結婚しないといけないんですって」
ぶっとんだ話すぎて、私の脳みそは正常に働いていなかった。
とりあえず、弁護士に連絡して、先方と話をすることを約束させられた。
「ちゃんと考えないとだめよ。お母さんは、みっちゃんの決めたことが一番良いと思っているわ」
母親はそう言い残して帰っていった。
今の私、ドラマのヒロインみたいじゃないか!