Episode0 ―Two weeks ago―
「アンケート結果の集計と分析をまとめておきました」
書類を渡すと、伊原さんは爽やかな笑顔を私に向けた。
「ありがとうございます。藤野さんは仕事が早いから助かります」
慣れているだけです、という言葉をのみこんで、頭を下げた。
振り返ると、息をつめて私達のやりとりを見守っていた女の子達が一斉にパソコンの画面に向き直った。
伊原さんは、端正な顔立ちをしている上、仕事も出来る。
おまけに細身のスーツを着こなすおしゃれさん。
同じフロアの女子社員は彼の動向を意識していて、彼が残業する日は、ほとんどの女の子が残業する。
それを分かっているのかいないのか、伊原さんは、分け隔てなく接するタイプで、ご機嫌取っても得のない私にも親切にしてくれる。
いつも優しくしてくれるから、こちらも相応な態度を返すべきなのに、素っ気ない態度を取ってしまうのは、他人の目が怖いからだ。
伊原さんに優しくしたら、周りは私が伊原さんに気があると思うだろう。
というか、実際、優しくされると普通にどきどきするから、気があると自分でも思うし。
本気で好きになったところで、伊原さんが振り向いてくれるわけないので、惨めな思いをするだけだと思っていたりもする。
私は、パソコンの電源を落とした。
「お疲れ様でした」
誰に言うわけでもない言葉がかすかに響いた時、伊原さんが顔を上げた。
「お疲れ様です、藤野さん」
フロア中の視線がこちらに注がれたが、私は何も言わず、頭を下げて退出した。