挫折で始まる夢
さて、ここでこの物語のもう一人の主人公を紹介しなければならない。哲平という若者である。若者と言っても、歳は優子より十も上である。哲平と優子の接点は殆どない。あるとすれば、哲平も栃木県出身で同郷であるというくらいで、直に会った事もなければ、話した事もない。哲平は元々優子と同じ様に夢を追う若者であった。闇夜に差す一筋の月明かりを信じて咲く月見草。この二人にはそんな表現が適当であった。ところがある時を境に、哲平は夢の存在を否定する様になる。それは単に夢から遠のいた者の負け惜しみであろうか。しかし哲平の抱いた疑問は畢竟、夢に近づく優子にも訪れる事となる。そんな哲平であれば、優子の苦悩とそれを蹴破った魅力を知る上で、この上ない語り手となってくれるだろう。
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哲平の父親が死んだのは、哲平が優子に出会う八年前、すなわち2000年の事である。哲平は父親の死に目に会えなかった。その頃哲平は故郷の栃木を離れ、東京の国立音楽大学に通うため、一人暮らしをしていたのである。ちなみに「国立」と書いて「コクリツ」ではなく「クニタチ」と読む、私立大学である。哲平はここの演奏学科で、プロのピアニストになるべく、日々研鑽を積んでいた。ところが父親の死をきっかけに、家計は一気に苦しくなった。哲平の母親は元々病弱で働く事が出来なかったし、哲平は一人っ子であったから、援助をしてくれる兄弟もいなかったのである。そういった理由で、哲平は泣く泣くピアニストの夢を諦め、教員免許を取得し、東京にある中学の音楽教師になったのである。もっとも、哲平は元来家族思いの性格であったから、自分の夢を諦める事にそれほど抵抗はなかった。むしろ父親が死んだ悲しみと、母親を一人で守っていかなくてはならないという覚悟の方が強かった。ところが、音楽教師を始めてから三年後、哲平はその職を辞する事になる。原因はというと、それが哲平自身にもよく分からないのである。
教師という職業は、哲平が当初予想していたものより遥かに辛いものであった。まず、やる気のある生徒にもない生徒にも、一様に同じ教育を施さねばならないということである。音楽の授業時間など、常に生徒達は騒がしく、とても授業と言えるものではなかった。これは他の教科であっても似たり寄ったりだっただろうが、殊に音楽などは受験科目ではないため、なおさら生徒達のモチベーションは下がるのであろう。哲平はこの騒がしさを度々注意した。どんなに大多数の生徒にやる気がなかろうが、それがやる気のある生徒の授業を聞く権利を奪ってはならないと考えたからである。
「やる気のない人は退出しても結構です」
とまで言った。その時は一瞬静かになるものの、ものの一分もしないうちに再び騒がしくなる。彼らには紳士的な言い方など効果がないのだろう。ただ哲平は温厚な性格で、大声で怒鳴りつけたりする事は得意ではないため、ついには名指しで生徒を注意するようになった。ある日の出来事である。いつものように授業が騒がしく、これでは授業にならないと判断した哲平は、騒がしさの中心にいると思われる生徒にこう言った。
「及川君、君はもう出ていってくれ」
するとその生徒は、生意気にもこんな事を言った。
「中島先生、中学は義務教育ですよね?教育を与える義務があるんです。それを放棄するんですか?」
哲平は落ち着いた様子で答えた。
「その通りだ。私には教育を与える義務がある。この教室にも私の授業を聞きたい人がいて、彼らにも教育を与える義務があるんだ。ところが君はそれを邪魔している。これは公務執行妨害と言っていい。君がやっている事は犯罪行為だ」
そう言われると、その生徒は何を思ったか、苦笑いをしながら教室から出て行った。事態はこれで収まったかに思えたが、思わぬところで再燃する事となる。学期末試験が終了し、哲平は自分が受け持つクラスの生徒達と三者面談を行っていた。その中に、先ほどの生徒がいたのである。生徒とその母親は哲平と対座した。すると母親は開口一番でこう言った。
「中島先生、うちの子の今学期の評価は何ですか?」
哲平は多少面食らった。
「何ですか、とおっしゃいますと?」
「うちの子は学期末試験で全科目ほぼ満点を取っているんです。勿論音楽も同様です。そのため他の科目に関しては全て五を取っているんです。それなのに音楽だけが二じゃありませんか」
哲平は覚えていた。確かにこの及川という生徒は、ペーパーテストではほぼ満点に近い点数を取っていたのだ。しかし、哲平は普段の授業態度を考慮して、この生徒の通信表には二を付けたのである。
「確かに、及川君は試験の点数では良い点数でした。しかし音楽と言うものはペーパーテストだけで評価できるものではありません。普段の授業態度や、実技面も考慮して評価しているのです」
「では何のためにペーパーテストを行っているのですか」
「勿論、テストの点数も考慮に入れて評価をしていますよ。本来なら及川君の授業態度は一の評価が妥当ですが、まあ試験前には一生懸命勉強をしたのだと言うことで二の評価になったわけです」
「一!うちの子の授業態度はそこまで悪いんですか?」
「ええ、それはもう相当なものですよ。私もほとほと困り果てているので、親御さんからも是非言い聞かせていただきたい」
「しかし、私はこの子から聞きましたが、先生はうちの子を犯罪者呼ばわりしたそうじゃありませんか。授業中に少し騒いでいたくらいで犯罪者扱いされたら、授業を受ける気がしなくなるのも当然じゃありませんか?」
「犯罪者?ああ、私は授業を妨害する事は公務執行妨害だと言ったんですよ。それにそもそも授業態度が悪いから注意したのであって、それが原因で授業を受ける気がしなくなったというのは原因と結果が逆です」
「公務執行妨害!馬鹿げてる!大体、高校入試には中学の時の内申点も大きく加算されるんです。音楽などで足を引っ張られる訳にはいかないんです」
及川の母親は段々と口調が荒くなってくる。だが哲平という男は口論では負けた事がない。というより物事を理詰めで考えないと気が済まない性格なのである。
「そう思うなら音楽の授業も真面目に受けていただきたい。音楽などと仰いましたが、それだけ音楽も重要だと言う事です」
哲平がそう言うと、母親はついに感情を露にした。
「馬鹿にしてるわ!勉強で優秀な生徒の能力が、たかが音楽ごときでスポイルされてしまうなんておかしいわ!義務教育に音楽なんて必要ないのよ!」
「それはそもそも内申点制度の問題であってですね…」
哲平が言い終わらないうちに、母親は息子を連れて教室を出て行ってしまった。
(及川も大変な母親を持ったものだなあ)
今になって哲平は及川に同情していた。しかし、あの母親の音楽を軽視する態度は全く哲平には理解できなかった。哲平は元々音楽に救われてきた人間である。幼少の頃から勉強やスポーツなどは全く出来なかったが、音楽だけは人一倍出来た。小さい頃からピアノを習っており、中学、高校と勉強はそっちのけでピアノばかりをやっていた。それで大学を卒業し、職に就けている訳だから、何も不自由を感じる事はなかった。そういう哲平にしてみれば、勉強で頑張りたい者は勉強で、音楽をやりたい者は音楽で勝負すれば良いという事なのである。それが何故、日本の教育現場では皆が一様に「勉強も、スポーツも、音楽も」となってしまうのであろうか。その理由が哲平にははっきりと分かっていた。
(内申点制度と言うものの弊害だろうな)
普通高校に入学する生徒の場合、学問を志して入学を希望している訳だから、内申点を考慮するにしても主要五科目の成績のみで評価をすれば良いはずである。が、そこに何故だか知らないが音楽だの体育だのといった関係のない科目の内申点まで加味されるのである。結果及川のように学問は優秀なのに、興味のない音楽で足を引っ張られてしまう生徒が現れるのである。もし内申点などなければ、及川は最初から音楽の授業など受けないであろう。哲平はそれで良いと思っている。興味のある人間だけが授業を受ける事によって、授業の質も高まるし、生徒も得意分野だけを伸ばす事ができる。これほど効率の良い教育はない。それを内申点制度が阻害している、と言う訳である。そう言った意味で言えば、及川もその母親も内申点制度の被害者である。だが及川の母親の矛先は内申点制度ではなく音楽そのものに向かっていた。それは断じて違う、と哲平は思うのである。
(もっとも、大多数の生徒から見れば、音楽の授業など足手まといでしかないのかもな)
ともかくも、哲平はこうした教育制度の矛盾と、それによって生じた音楽教師と言う職業の存在意義のなさを感じていたのである。もっとも、これは哲平が音楽教師を辞めた直接の原因ではない。
直接の原因と言えるかどうかは分からないが、一番の理由を挙げるとしたら、それは哲平の夢の存在だろう。かつて抱いていたピアニストの夢である。その夢を手放した当初はそれほど気にもならなかったが、音楽教師を続けているうち、その夢の存在が日増しに膨らみ続けたのである。
思えば、夢とは不思議なもので、それ単体では大した重みを持たない。それが冴えない現実との対比や夢とは違う道を選んだ場合の未練によって一層の輝きを帯びてくるのである。夢には本来、実体がない。それが「そうでなかった場合」の実体を目の当たりにする事によって、あたかも実体を得たかのように燦然と光を放って見えるのである。夢が単なる「将来の希望」であれば、それは十人十色で、人によって様々な形があっていいはずだが、前述のように夢とは比較対象があって初めて認識される側面がある。夢が往々にして職業と結びつけられて考えられるのはそのためであろう。「職業に貴賤なし」とは言うものの、夢を追う人にその言葉は届かない。その場合の夢とは他の対象物と比較して選出した夢だからである。
そういった意味で、哲平はその「比較対象物としての夢」を抱き、それを音楽教師という実体と比較する事によって輝かせてしまったのである。哲平にそういう自覚があったかどうかは分からないが、音楽教師を続けるに連れて夢の存在が膨らんでいく事を確かに哲平は感じたのである。
それが辞職の一番の原因である。と言えばそうかも知れないが、それだけで職を退くに至った訳ではない。第一、辞職したところで、ピアニストになる術など哲平には全くなかったのである。そのような理由で辞職したというのは、論理的思考の持ち主である哲平の場合考えにくい。
では何故辞職したのか。それが哲平にはいくら考えても分からないのである。ただ、「自分は如何に生きるべきか」という命題を哲平が抱えていた事は確かである。
(俺の居場所はここではない)
理由は分からないが、そのような直感めいた感情に突き動かされて、哲平は辞職を決意したのである。