狷介な孤独
優子が学校に着くと、早速級友の一人が駆け足でやってくる。
「優子、ちょっと話があるんだけど」
「ん?何?」
「ここじゃ難だから、後でちょっと付き合って」
「何だよ。もったいぶって」
優子は笑顔のまま言ったが、内心嫌な予感がした。あまりおおっぴらに出来ない話となると、大方恋愛沙汰の話か何かだろう。そんな話に付き合うと碌な事がない。頼られると断ることの出来ない性格上、優子は今まで何回かその類の相談に乗ってきた。だが他人の色恋沙汰ほどどうでもいいものはない。そのくせセンシティブな問題だけに神経を使うし、巻き込まれると面倒である。そんなことを思いながらも優子は、
(話だけでも聞くか)
と、つい相談に乗ってしまうのである。自分の面倒見の良さに、優子は自分で呆れてしまう。
休み時間、優子は先ほどの級友に連れられて、廊下の隅のあまり人通りのないスペースまで移動した。
「優子、今度の日曜なんだけどさ、友達の伝手で合コンやることになったんだ。優子も来る?」
「なんだ、そんな話か」
優子は拍子抜けした。
「なんだってことはないでしょ。まだ人数足りてないし、ね、お願い、来て」
「いや、そんなら私はパス。仕事あるし、第一私はそういうの向かないよ」
「向き不向きなんてやってみなきゃわかんないでしょ。仕事なんて一回くらい休んじゃっても大丈夫だよ。体調悪いとか言ってさ。運命の出会いがあるかも知れないんだよ」
「仕事は休めないんだよ。運命の出会いって何だよ」
「優子、あんた結構もてるんだから。勿体ないよ、チャンスを粗末にしちゃ」
「私は今忙しいの。パスったらパス」
「…もう」
優子にしてみれば、合コン自体に興味がないのだが、更に重要な事は、優子が所属しているアイドルグループにおいて、恋愛が禁止されていることである。合コンがこの「恋愛」に該当するかどうかはわからないが、行きたくもない合コンに行って、みすみす瓜田に靴を入れることはないのである。さすがに優子もこの件に関しては断らざるを得ない。
もっとも、優子は合コンというものにかつて参加した事がない。優子には合コンなど不要なのである。好きになった異性がいれば、きっかけなどなくとも想いを伝えれば良いだけの話である。合コンという人為的に作られた出会いの場において、ランダムに選ばれた異性の中で妥協点を見つける事など、優子には到底考えられない。恋愛に関しても仕事同様に生真面目な考えを持っているのである。
学校生活は、優子にとって空虚そのものである。友人は多い。笑い声は絶えない。だが夢に向かっていない。なぜ今自分はここにいるのかわからない。心に空いた穴を埋めることが、学校にいてはどうしてもできないのである。優子は友人を軽んじている訳ではない。友人は好きである。自分は友人に会うために学校に来ているのではないかと思うほどである。だがその程度は自分の夢を愛するほどではない。友人はたくさんいても、肝心の自分自身がいない。学校とは、優子にとってそんな場所である。
下校の時刻、優子は東京に向かう。東京に向かう電車の中で、黄色い声を上げる女子高校生の集団を見かけた。お互いのプリクラを見せ合って、何やらはしゃいでいる。優子も何度か友人と同じような事をした記憶がある。しかしその時も、学校にいる時と心の中は全く一緒で、空虚さを紛らわす事ができなかった。その時の写真は今も優子の手帳に貼ってある。そこに写っている優子の笑顔は、屈託なく、無邪気にほころんでいた。優子はその笑顔を見るたび、自分の作り笑いの巧みさと、言いようのない寂しさに、溜息が漏れる。そしてその後、少し自嘲気味に笑ってみるのである。
レッスンの調子は、今一つであった。集中力が続かないのである。気を抜くとすぐに次の振り付けが思い出せなくなる。
(私もまだまだだな)
レッスンが終わった後も、優子は鏡の前で自主練をしていた。玉の様な汗が夜露さながら優子の頬を流れ落ちる。優子は自分が納得できるまで、練習を終える事が出来ない性格である。「居残り組」というとレッスン中に振り付けをマスターできなかった人が居残る事を指すが、優子は言わば「自主的居残り組」である。その日は結局、最後の一人になるまで練習をしていた。
(そろそろ上がるか)
優子が思った時には、終電も近い時刻になっていた。
(まずいな。終電間に合うかな)
この稽古場から最寄りの駅まで相当に時間がかかる。駆け足で行ってもかなりぎりぎりだろう。優子はロッカールームで素早く着替えをして、稽古場を後にしようとした。そのときだった。
「優子ちゃん」
後ろから声がする。誰だろう。わからないが今は時間がない。
「ごめん、今急いでるんだ」
早口で言うと、また後ろから声が聞こえる。
「優子ちゃん、家遠いんでしょ。もう遅いから、今晩うちに泊まりに来なよ」
優子にしてみれば思ってもみなかった誘いである。
「いや、ダッシュで行けばまだ間に合うから、大丈夫」
といって振り返ると、普段稽古場で一緒にレッスンを受けている、と言っても一言も話したことのないメンバーの姿があった。
「でも、外雨降ってるよ。今日中に帰るのって大変じゃない」
確かに外を見るとバケツをひっくり返した様な驟雨が降りしきっている。栃木も夜から雨が降ると、天気予報で言っていた記憶がある。終電に間に合ったとしても、壬生駅から自宅まで歩かねばならない。雨の中あの距離を歩くのはかなり大変だ。優子が考えあぐねていると、もう一声あった。
「明日土曜日だし、学校もないでしょ。ね、そうしなよ」
なんて優しい子なんだろう。優子は、何か温かいものが心にこみ上げてくる様な感覚を受けて、言葉に詰まった。母親と離れて暮らしているせいだろうか。優子は同性からの愛情に弱い。なんだか柄にもなく涙が出そうである。
「…うん、ごめんね。じゃあそうさせてもらっていい?」
優子はもじもじと切り出した。
「うん、じゃあ私着替えてくるから、ちょっと待ってて」
と言ってチームメイトはロッカールームに入っていった。優子は、今日は友達の家に泊まる、と父親にメールを打った。