第二章 「ちょっと、こっちはマジなんだってば」
「わーっ! すみませんすみませんちょっと待って下さいーっ!」
必死の懇願も虚しく、校門は無慈悲に閉ざされて行く。無表情に仕事に徹している生徒を――――朝に校門を閉じるのは、生徒会に所属している生徒の役割である――――確認してみると、よりにもよって生徒会長だった。学年は一つ違うが、遅刻魔の灯とはすっかり顔馴染みである。
(あああもうっ! 今日は藤沢先輩かついてないな!)
もう人が通れる程の隙間は残されていない。だが、まだ完全には閉ざされていない。
全力疾走の勢いのまま、校門の直前で大きく跳ぶ。右手で校門をつかみ、身体を内側に押し込み、足から着地。
「藤沢先輩、おはようございます」
「はい、おはようちょっと待ちなさい」
一応礼儀として挨拶をしつつ駆け抜けようとしたが、襟首をつかまれて失敗する。さすが生徒会長、校門を跳び越えた程度では驚きもしないらしい。
「あなた、遅刻何回目?」
「えーっと、何回……と言いますと……」
「覚えてないほどってことね」
生徒会長――――藤沢彩子は盛大にため息をついた。
「色々と事情があるんですよ〜」
「不良に絡まれたり、とか?」
「ええ、まあ…………はい?」
予想もしていなかった言葉を彩子の口から聞いて、目を丸くする。
「見たわよ、今朝の。不良三人相手に喧嘩なんて、あなた結構無茶なのね」
眼鏡の奥の瞳が冷笑している。その意味を理解してから、灯も同じような笑みを返した。先輩相手の礼儀など知ったことではない。
「向こうが絡んで来なきゃ私だって相手なんかしませんよ。にしても、ひどいですね、先輩。後輩が困ってるっていうのに、助けてくれないなんて」
「私はあなたと違ってか弱いのよ」
「でも、人を呼ぶことぐらいできたでしょう」
唸り声をあげても、彩子は全く動じなかった。吐き捨てるように告げる。
「結局、見て見ぬ振りをしただけじゃないですか」
「……行きなさい。ホームルーム、もうとっくに始まってるわよ」
彩子が去って行く。その背中に向かって、灯は舌打ちした。先輩への礼儀など、どうでも良くなっていた。
「よう、遅刻魔。今日は早いな〜」
「遅刻魔ゆーな……」
とは言え、実際に遅刻しているのだから、強気に反論などできるわけもない。けらけらと笑う友人を横目に、机の上に突っ伏した。
教室にたどり着いた時には、既にホームルームは終わっていた。笑顔を怒りに引きつらせた担任に、放課後に生徒指導室へ行くように指示をされたのが一時間程前。現在は休み時間である。
「ま、あたしも今日呼び出し食らってるし、仲良く一緒に行こうか!」
「あー……」
友人が何故呼び出されたのか、聞かなくても何となく予想はついた。
男女平等が謳われるようになった現在でも、まだ「良妻賢母を目指し、良き妻、良き母を育成する」などと言う文章が目標として掲げられているような学校である。制服改造など認められるはずもなく、髪を染めるなどもってのほか。もっとも、女性として最低限の身だしなみとして、多少の化粧は認められている。
「りーちゃんは、今度は外国人に目覚めたわけ?」
「失礼な。イメチェンだよイメチェン」
目の前にいる友人は正真正銘日本人のはずである。が、現在は長い髪は鮮やかな金色に染められ、カラーコンタクトのおかげか、瞳の色は青くなっている。膝丈と決められているはずの制服のスカートは、短く切られ、すらりとした長い足を見せつけていた。身長百七十センチ以上の彼女には、金髪も青い瞳も短いスカートもよく似合っていた。それが担任の逆鱗に触れたのは、簡単に予想できる。
友人―――野口凛々子は、校則違反の常習犯だった。かと言って決して劣等生というわけではなく、筆記試験では上位十名の中に必ず入る。
校則破りの凛々子と遅刻魔の灯。何かしらでよく生徒指導室に呼び出されるため、そのうち妙な友情が育まれることになった。
「で、今日はどうしたの? なんか妙に苦戦してたっぽいけど」
「りーちゃんも見てたの?」
がばっと身体を起こす。恨めしそうな視線を向けても、にやにやとした笑みが返ってくるだけである。
「見てたけど、あたしはか弱いからね」
「りーちゃんにまで見捨てられた〜」
拗ねた口調で言って、再び机の上に倒れ込む。地団駄を踏む代わりに、手をばたばたと上下させた。
「見捨てたとは失礼な。ちゃんと人呼んだよ」
「誰を」
「えーと、何だっけ。ああ、ほら『カズさん』って人」
「あー…………」
凛々子の話を聞いて、駄々をこねる気力もなくなった。代わりにカズへの怒りが湧いてくる。
――――人に呼ばれて来たのに、呑気に見学してたのか、あの人は。
「にしても、あかりんもついてないね。今月入ってからもう何回目? 不良に絡まれるの」
「…………私、もう大通り以外通らないことにする」
「で、大通りに行ったら今度はしつこい勧誘に捕まるわけだ」
「あう〜」
全くもってその通りなので、反論が出来ない。小柄で童顔、おまけに第一印象「大人しそう」となると、人気のないところでは不良に絡まれ、大通りでは妙な勧誘にしつこく付きまとわれる。外見で苦労したことは数えきれないほどあるが、得をしたことはほとんどない。
「でもそろそろ、本当に気を付けた方が良いよ、あかりん」
「ご忠告どーも」
「ちょっと、こっちはマジなんだってば」
凛々子が声を潜めた。顔を上げて、友人の方を見る。
「メデューサって知ってる?」
「見ると石になっちゃうやつ?」
「んー、なんていうか、不良たちの間でもヤバイ奴扱いされてるような奴のあだ名的な?」
初耳だった。首をかしげて、説明を待つ。
「男か女かもわからないらしいんだけどさ、喧嘩、滅茶苦茶強いらしいんだ。でもメデューサにやられた連中には、外傷はないんだって。ただ、目が赤く光って、その目を見た人はまるで石になったみたいに固まって………で、どこも怪我してないはずなのに、痛い痛いって怯え出すとか」
「目が光る…………?」
引っ掛かった。おとぎ話扱いされてはいるが、この青済市には確かに能力者と呼ばれる者が存在する。能力を使用する際、赤い光を纏うのはよくあることだ。もしかしたら――――
「それで、病院送りになっちゃった人も居るんだって。気を付けなよ、あかりん。いくら喧嘩に強くても、メデューサは普通じゃないよ」
「うん、気を付けるよ」
今度は真面目に頷いた。そんな化け物の相手などしたくはない。
しかし、もし相手が能力者であるのなら。
この先、遭遇する可能性は決して低くはなかった。