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SAI  作者: T.K
絡まれ娘の騒ぎ唄
2/7

第一章 「お前ら、なにやってんの?」

 先生は、暴力を振るわれたからってやり返すような人は大嫌いです。

 小学生の時、担任の教師にそんなことを言われたのを覚えている。大嫌いで結構だ、と思ったことも。

 教師の立場として、暴力を肯定することができないのはわかる。だが、それでは先に暴力を振るった方には非がないと言っているようではないか。

 やり返すな、話し合え。言うのは簡単なことだが、それができない相手もいる。

 例えば、言いがかりとしか思えない理由で戦争を仕掛ける大国や、躾のためと言って子どもに手を挙げる親や――――遅刻寸前で近道をしようと大通りから少し外れた路地に飛び込んだ女子高生を、三人がかりで取り囲んで集金活動に精を出す不良などが、候補として挙げられる。

「なあねーちゃん。ちょっと金貸してくれよ」

「俺たち、今貧乏でさー」

「人助けだと思ってさ、なあ頼むよ」

(…………ああもう、ついてないなあ)

 にやにやと笑いながらこちらを見下ろしてくる不良たちを見て、灯はため息をついた。焦りや恐怖がないのは、こういったことにはもう慣れきっているからである。小柄で童顔、大人しそうな女子高生というのは、不良たちにとって良い獲物というわけだ。

 今日は遅刻決定だな、と諦めにも似た気持ちを抱きながら、不良たちを観察する。

 毎朝セットするのにどれくらい時間をかけているのか、ハリネズミのように金髪を逆立てた少年。灯の正面を陣取り、二メートル近いと思われる長身と相撲取りのような体格を活かして、文字通り壁になっている坊主頭の男。中途半端に長い茶髪をかきあげ、にやにやと笑っている男子高校生。

 いずれも、だらしなく着崩しているものの、同じ制服に身を包んでいる。学校の名前まではわからなかったが、おそらく偏差値が底辺あたりの不良の巣窟だ、と勝手に決めつける。

 茶髪の肩ごしに、大通りが見えた。あそこまで行けば灯の通う青済女子高校はすぐである。

 サラリーマンらしき中年男性と目があった。彼は一瞬だけぎょっとしたような表情を浮かべ――――何事もなかったように足早に立ち去って行った。

 不良に絡まれている子どもを助けてやろうなどという正義感などは持ち合わせていないようだ。他人など所詮そんなものである。

「おい、聞いてんのか?」

「まあまあ、そんな焦んなって」

「お前がでかいから、びびってんじゃねえの?」

 何の反応もしない灯に苛ついてきたのか、坊主頭が睨み付けてきた。他の二人は、にやにやと笑っているだけである。

 これからどうしようか、考えられるものを、ひとつずつ頭の中で並べてみた。

 一、不良たちに従って、素直に財布を渡す。

 二、金は持っていないと言う。

 三、大声をあげて助けを呼ぶ。

 四、実力行使。

(一と二は無しだな)

 現在の所持金は、ほぼ小銭のみという状況で、不良に「貸してあげる」だけの金額は持ち合わせていない。が、それを素直に言ったところで不良たちがはいそうですかと納得してくれるとは思えなかった。下手をすれば、もっと面倒なことになってしまうかも知れない。

 一番手っ取り早いのは実力行使だが、それはそれで別の問題が発生する。

 もし目撃者がいた場合、親切で良心的なその人物が、「青済女子高校の生徒が、不良相手に喧嘩していましたよ」とわざわざ学校に連絡する可能性があるのだ。

 制服自体は白いシャツに紺色のブレザーと地味なのだが、青済女子高校では、性犯罪防止という名目で、スラックスの着用も認められている。このあたりで女子のスラックス着用を認めているのは、青済女子高校だけなので、灯の格好を見ればどこの生徒なのかすぐにわかってしまうのだ。

 正当防衛だと主張したところで、頭の固い教師たちは聞く耳など持たないだろう。「先生は暴力を振るう人は嫌いですが、暴力を振るわれたからってやり返す人は大嫌いです」である。

 そうなると、後はひとつしか残っていない。

「おいこら、聞いてんのかよ」

「びびらせんなよ、可哀想だろ」

「俺ら怒らせない方が良いよ〜? あいつ、この前コンクリにヒビ入れたんだぜ」

 坊主頭がこちらに見せつけるように指を鳴らした。後の二人も口調こそ変わらないものの、思い通りにならない苛立ちがにじみ出ている。

 灯は大通り側を塞いでいる茶髪の顔をぼんやりと見上げ、大きく息を吸い、

「きゃああああああああっ!」

 思い切り、金切り声を上げた。不良たちが驚いて行動できないでいるうちに、声を限りに叫ぶ。

「誰かっ! 誰か助けて!」

「てめえふざけんなよ!」

 襟首を掴まれ、背後の壁に叩きつけられる。もともと壁に貼り付くような形だったので、痛みは無かったが、背中から肺に抜けていった衝撃に呼吸が詰まった。

「………っざ、けてんのは」

 助けは来なかった。これだけ大声を上げたのに、誰も聞こえなかったということはないだろう。結局、皆あのサラリーマンのようなものなのだ。

 襟首を掴んでいる坊主頭の腕に手をかける。こうなったらもう実力行使しかない。

 予想外の反応に動揺したのか、ハリネズミと茶髪の顔から笑みが消えていた。困惑と怒りが混ざったような表情が、剥き出しになっている。

「ふざけてんのは、そっちの――――!」

「お前ら、何やってんの?」

 気だるげな少年の声が聞こえた。気合いを遮られ、拍子抜けする。一瞬後に、不良たちの仲間が来たのではと思い付いた。四対一では勝ち目がない。

 幸い、それはただの杞憂だった。

 灯の襟首から手を離し、不良たちが声の主の方へと振り返る。

「何って、見てわかんねーの? 募金活動だって」

「俺らはそこのやつに募金活動お願いしてんの。可哀想な子達にアイの手を〜ってな」

 坊主頭が不機嫌に、ハリネズミが馬鹿にしきったような口調で言う。少なくとも、仲間に対する態度ではないことはわかった。

「募金活動で襟首つかんで壁に叩きつけたりするわけ? 悲鳴上げるほど嫌がってるじゃん、その人」

 不良たちの肩越しから、声の主の姿を確認する。

 薄い緑色のブレザーに、オレンジ色に臙脂色のラインにチェックの入ったネクタイ、灰色のズボン――――その派手な制服は、雛見学園高校のものだ。偏差値の高い進学校として有名な私立高校だが、同時に派手な制服の高校としても有名だった。

 年齢まではわからないが、どことなく制服に着られているような印象を受けた。もしかしたら、灯より年下なのかも知れない。

「何だよてめえ、文句でもあんの?」

「別にねーけど」

「じゃあ黙っとけよ」

「それとも何か? お前がこいつの代わりやってくれるってか?」

 灯から離れ、今度は少年を取り囲む不良たち。少年は一瞬だけ怯んだような表情を浮かべたが、すぐに元の無表情に戻った。何かを覚悟でもしたように、低い声で言う。

「…………それでその人に手ぇ出さないってなら、考えるけど」

「はあ? 何それ、超ウケる」

「意味わかって言ってんのかよ、それ」

 馬鹿にしきった笑い声が弾けた。不良たちは少年に注目している。灯には完全に背を向けていた。

 躊躇う理由はどこにも無かった。実力行使しかない、と先ほど覚悟したばかりだ。

(どうか誰も見ていませんよーに!)

 胸中で呟いてから、抱えていた学生鞄を大きく振りかぶる。分厚い英語の辞書や教科書がぎっしり入ったそれは、不良相手の武器としては十分だった。

 遠心力を利用して、目の前にいた坊主頭に鞄を振り下ろす。身長差の問題で、当たったのは肩だった。重力には逆らわずに、そのまま鞄を投げ捨てる。衝撃に膝をついた坊主頭の背中を蹴り飛ばし、突然のことに理解が追いついていかず、呆然としている不良たちを睨みつける。

 坊主頭は地面に転がり、肩を押さえて呻いている。気絶させられなかったことに舌打ちをして、灯は喉の奥で唸り声をあげた。

「…………さっさと失せろ」

 女子高生相手に反撃されるなどと思ってもいなかったのだろう。ハリネズミと茶髪は呆然と突っ立っている。助太刀をしてくれた少年も、目を丸くしていた。

 実際に攻撃された坊主頭にしても似たようなものだろう。衝撃から立ち直ると、よろよろと起き上がり、血走った眼でこちらを睨みつけてくる。やばいかも知れない、と身構えた。

「このアマ、調子に乗んな!」

 坊主頭が殴りかかってくる。受け止める自信はなかった。なんとか身をひねって回避しようと――――

「…………あれ?」

 振り上げられた太い腕は、いつまで経っても落ちてこなかった。不思議に思って首をかしげると、

「朝っぱらから元気だな、お前ら」

 聞き覚えのある声がした。声の主の姿は坊主頭の身体に隠れてほとんど見えない。だが、顔の左半分を覆うような大きな眼帯のおかげで、誰なのかはすぐにわかった。

「カズさん!」

 歓声を上げる。カズは右手で坊主頭の肘を掴んだまま、こちらに向かって左手をひらひらと振ってきた。

「よう、なんか朝から大変そうだな」

「てめえ、このっ、離せよ!」

「良いのかなー? 俺にそんな口聞いて」

 カズが坊主頭の肘を解放する。バランスを崩した坊主頭が灯の方へ倒れこむ前に、彼は自分よりも大柄な不良の襟首を掴んで、まるで猫の子にでもするかのように吊り上げて見せた。呆然としたままの茶髪とハリネズミに向かって、薄い笑みを向けながら告げる。

「俺はこうゆうことができるわけだけど、まだやるか?」

「いっ、いや…………」

「も、もう良いです」

 不良たちの答えに満足したように頷き、今度は持ち上げている不良に尋ねる。

「お前は?」

 首を絞められているのに等しい坊主頭は、必死に首を横に振って見せた。同じように頷いて、手を離す。

「お、覚えてろよ!」

 月並みな捨て台詞を残して、不良たちは逃げて行った。それを見送って、灯はほっと息をつく。

「ありがとうございます、助かりました」

「い、いや…………俺は何もしてないっすよ」

 まずは助太刀をしてくれた少年に礼を言う。少年は一瞬驚いたようにこちらを見て、それから小さく会釈してきた。

「カズさん、ありがとうございました」

「別に良いけど。…………灯、今日調子悪いのか?」

「は? いえ、まあ、元気ですけど」

 心配そうな口調で言われて、首をかしげる。壁に叩きつけられた背中が少々痛むが、別に何の問題もない。

「昨日の引きずってるとか、風邪気味とか、別の何かとか、本当に何もないな?」

「ないです。ええと、なんでそんなことを?」

「お前なら、あれくらいどうにでもなるだろ? なのに妙に大人しいし、悲鳴上げるし」

「…………」

 真顔で続けるカズの顔を、半眼で見つめる。盛大にため息をついてから、尋ねてみる。

「カズさん、いつから見てました?」

「…………」

「いつから見てました?」

「…………。えーと、不良っぽい奴に囲まれたあたりから、かな」

 つまりは最初からだった。予想通りの答えに脱力する。すぐにそれから立ち直り、

「どうして最初っから助けに来てくれないんですかっ!」

 抗議ついでに回し蹴りを一発。あっさりと避けられた。カズの口調から余裕が無くなる。

「いや、でもお前、ほら、大抵あっさり片付けてるじゃないか。やばそうになったら行こうって思って見てたし」

「あっさりじゃないですいつも必死です遅すぎます!」

「悪かった! 俺が悪かったから! …………あ」

 灯の抗議――――もとい、回し蹴りだの掌底打だの――――を避けていたカズが、何かを思いついたように動きを止める。肘打ちの姿勢のまま動きを止めて、低い声で尋ねる。

「何ですか」

「灯、学校大丈夫か?」

「学校? …………あーっ!」

 我に返る。そう言えば、遅刻ぎりぎりで全力疾走をしていた途中だった。

 無慈悲に始業のチャイムが鳴り響く。青済女子高校のものだ。絶望的な気分になりつつも、転がっていた鞄を拾い、走り出す。

「すみませんカズさん、行ってきます!」

「おー、行ってらっしゃい」

「あ、お前もまずいんじゃねえ? 学校」

「いやまあ、もう不可抗力っすよね」

 少年とカズの呑気なやり取りが、遠くから聞こえてきた。

 

  

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