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SAI  作者: T.K
絡まれ娘の騒ぎ唄
1/7

序章 「あーもう! 頑張ったのに!」

 世の中に不気味な場所というのは数在れど、その中でも夜の学校というのは一二を争うのではないかと思う。

(なーんでまた、こんな場所に逃げようと思ったんだか)

 数年前に廃校になり、そのまま建物だけが残された。まだ「朽ちている」と言えるほどではないが、人の手が入らなくなった廊下は全体的に埃を被っている。その廊下の中程にある水道の脇にしゃがみこみ、彼女はじっと時を待っていた。

 最近このあたりに現れるようになった切り裂き魔。それを捕らえることが今回の目的だ。だが彼女に与えられた役目は、廃校に逃げ込んだ切り裂き魔の追跡ではなく――――彼女らと同じように切り裂き魔を追ってきた、他のギルドの妨害、つまりは時間稼ぎだった。

 しばらく闇の先を睨み付けていると、そこから複数の足音が聞こえてくる。やっと来たか、とため息をついて、彼女は立ち上がった。壁に張り付くようにして様子を伺う。まだ相手に彼女の姿は見えていないはずだ。呼吸を整え、飛び出すタイミングを計る。

「まったくもう、なんでこんな場所選んだのよ」

「知らないよそんなの、通り魔に聞けば?」

「私たちにとっても好都合でしょ? 多少壊したって、ここなら怒られないでしょうし」

「思う存分暴れられるってことね」

「そうだけど〜」

(…………賑やかなことで)

 これから通り魔と一戦交えようかというのに、まるで緊張感がない。思わず脱力しそうになり、慌てて表情を引き締める。

 緊張感がないということは、それだけ自信があるということだ。その相手………それも複数に、彼女はひとりで挑まなければならない。

「ちょーっと待った!」

 声を上げて、飛び出す。相手は三人だった。いずれも二十代前半の女で、長い足を強調するようなホットパンツにTシャツという格好をしている。違うのは髪型で、右からショート、セミロング、ポニーテールというところだった。もうとっくに目は闇に慣れていたが、流石に色まではわからなかった。

「ここを通りたければ、私を倒してからにして頂きましょうか」

 不意をつかれた女たちは反射的に身構えたが――――勇ましくそう言い放った彼女を見下ろして、揃って笑い声をあげる。

「何あの小動物! ギャグ? ギャグなの?」

「私を倒してからにしろだってさ。誰に対して言ってんだか」

「お嬢ちゃん、もう遅いんだから、早くママのところに帰りなさいな」

 女たちの反応は既に予想通りのものだった。小柄で童顔、長い髪はいじりもせずに適当に結んだだけで染めたこともなく、初対面の人間にまず与える印象は「大人しそう」である。闇に紛れるために、上下共に黒尽くめな服装で来たが、それも女たちには「ただ子供が格好つけているだけ」に見えただろう。実年齢なら今年で十七になるが、生まれつきの童顔と低身長、何年経っても女らしくなってくれない体型のせいで、中学生に、下手をすると小学生に間違えられたこともある。

 そのため、女たちの反応は予想できていたし慣れてもいた。が、腹が立たないわけでもない。隙だらけのままげらげらと笑っている女たちを見逃すつもりもなかった。

 腰を落とし、姿勢を低くして、真っ直ぐに踏み込む。狙いは三人組の真ん中、セミロングの女。手加減は一切せず、掌底をセミロングの鳩尾に叩き込む。

「っあ…………」

 掠れた声がセミロングの口からこぼれ落ちる。身体をくの字に折った女の首筋に、彼女は容赦なく踵を落とした。セミロングが昏倒する。

「アヤミ!?」

「このっ」

 女の悲鳴と、風切り音。嫌な予感に従って、彼女は二人目への攻撃を止めて大きく後ろに跳んだ。

 ショートがこちらに向けて、警官が持つ警棒のようなものを突き出している。ポニーテールは昏倒した仲間を抱き起こし、こちらを睨み付けていた。

(あと、ふたり)

 相手が油断してくれている間に、一対一まで持ち込みたかった。ひとりの相手に夢中になっているうちに、もうひとりに脇をすり抜けられたら、彼女がここにいる意味がなくなってしまう。

(それなら)

 彼女は女たちに笑いかけた。不敵に、挑発的に見えるように。

「私の名前は速水灯。星月夜の一員です。以後お見知りおきを」

 芝居がかった口調でそう告げ、気障らしく一礼してみせる。

(それなら、あたしに夢中になればいい)

 通り魔のことを忘れさせ、灯を倒すことだけに集中させれば良い。

「あんた……生意気だよ!」

「これはお仕置きが必要ね」

 ショートが警棒を構え、ポニーテールが右手に赤い光を纏わせる。

 彼女は不敵に笑ったまま、ふたりに向かって突進した。



「あははははっ。おーにさんこちら、てーのなーるほうへ」

 夜の廃校の中で、無邪気な明るい声が響く。歌うようにして学校の廊下を駆けているのは、十代前半の少年だ。成長期に入るのはまだこれからというところで、未発達は短い手足を振り回すようにして走っている。鬼ごっこにでも興じているかのようだが、その手には、刃を限界まで引き出したカッターが握られていた。

「もういい加減捕まって欲しいんだけどな」

「嫌だよ。そんなのつまらないもん」

 独り言のように呟いた言葉に、すぐに反応が返ってくる。彼は顔をしかめた。

(能力を使って来ない…………てことは、あいつは覚醒者か?)

 相手は子ども。こちらは二十代前半の成人男性である。本来ならこうして長々と追いかけっこをする羽目になるわけがなかった。外見に似合わぬ体力や脚力から、覚醒者であると考えるのが妥当のように思える。

 とはいえ、終わりはもう見えている。無邪気に鬼ごっこに興じている少年は気付いていないだろうが、彼は少年を屋上の方へ追いつめることに成功していた。逃げ場のない場所にまで誘導してしまえば、後はもう簡単だ。

「あはっ、こっちこっち〜」

 少年が屋上へと続く扉を開ける。彼も続いて、屋上へと飛び出した。

「さーて、鬼ごっこはもうおしまいだな」

「そうだね。僕の勝ちだ」

 墜落防止のためのフェンスを背にして、少年が冷笑を浮かべる。先ほどまでの無邪気さや、幼さなどは微塵も感じられない。

「いやいや、俺の勝ちだろ。いくらなんでもこんな狭いとこで逃がすつもりはないし」

 この廃校は四階建てで、屋上から地上までの距離は三十メートルはある。飛び降りたら怪我だけではすまないだろう。

 少年の表情は変わらなかった。背伸びをするように爪先立ちになり――――やがてゆっくりと、その足が地面から離れる。風船のようにゆっくりと、上昇していく。

「実は能力者でしたってか」

「ふふふ、すごいでしょ。重力操作ってね、こんなこともできるんだよ」

 少年は得意気に言った。

「こんなすごいことができるんだもの。僕って特別だよね。特別だから何したって許されるんだ。だって僕に逆らったら、どうなるかわかんないもんね?」

「…………へえ」

 彼は目を剣呑に細めた。少年はそんな彼の様子に気づいていない。

「おにーさんも最初は気に入らなかったんだけどさ、僕にここまでついて来れたってことはおにーさんも特別なんだろうね。僕ほどじゃないんだろうけど。でもさ、あのさ、僕気に入ったからおにーさんのこと。だからおにーさんは見逃してあげる」

「そいつは光栄だな」

 唸るようにして返してから、彼は低く囁いた。

「――――さあ、覚悟はいいな?」

 彼の身体を、赤い光が薄く覆った。軽く助走をつけて、少年に向かって跳び上がる。普通ならば助走をつけたところで少年の足もとにすら届かないだろうが――――彼は、少年の足首をつかんでいた。

「えっ、なんで!?」

「特別ってのは実は結構たくさん居たりするってことだな」

 動揺しじたばたと暴れる少年には構わずに、彼は腕の力だけで少年の身体によじ登った。背後から抱え込むような体勢を取り、少年の首に腕を巻き付け、締め上げる。

「大人しく降りないと、俺と心中する羽目になるぜ?」

「こ、このっ」

 彼を振りほどこうと少年は尚もじたばたと暴れるが、力比べならば負けるつもりはなかった。上昇し続けていた少年の身体はゆっくりと、屋上へと降りていく。

(やーっと終わりか。あー疲れた)

 飛び降りても問題なさそうな高さまで降りた時に、彼の視界の隅で、赤い光が煌めいた。

「…………!」

 嫌な予感に従って、少年の首を締め付けていた腕を緩め、飛び降りる。次の瞬間、圧縮された空気の塊が、暴力的な速度で少年に向かって発射され、少年を撃ち落とした。

(…………容赦ねーなー…………)

「やったわ!」

「サトコやるぅ」

「ミッション完了ね!」

 衝撃を殺すためにごろごろと転がりながら、彼は屋上に現れた女たちを見て舌打ちした。どうやら足止め隊は失敗したらしい。彼女たちがここにいるということはそういうことだ。

 気絶したらしい少年を取り囲んで歓声を挙げていた女たちのうちのひとり――――ポニーテールの女が、こちらに気付いて近づいてきた。勝ち誇ったような表情で告げてくる。

「色々と妨害工作してくれたようだけど、結局はあたしたちアマゾネスの勝ちね」

「へいへい。…………それにしても容赦ねーのな。下手すりゃ俺にも当たってたかも」

「あら。だから飛び降りても大丈夫なところまで待ってあげたんじゃない」

「そいつはどうも」

 感情を込めずにそう言って、彼は女たちに背を向けた。

 少年のことは諦めるしかない。次に彼がすべきなのは、アマゾネス足止めのために配置した自分のギルドの仲間の回収だった。


 ――――青済市和良区ハチ村。

 都市としては、東京・大阪・横浜に次ぐ、物流が盛んな政令指定都市。

 その青済市の中でも、第二の商業区として発展し、高校や大学など数多くの学校が集まっている和良区には、そこに通う学生をターゲットにした連結商店街地域「ハチ村」が置かれていた。

 衣料品店やファーストフード店、ゲームセンターなどの娯楽施設はもちろん、アロマやマニキュアの専門店、カプセルホテルのような宿泊施設まで、ハチ村で揃わないものはないと言われるほど、たくさんの物と人が和良区に集まっていた。

 しかし、それだけ人が多くなると、当然のことながら、治安にも影響が出始める。

 強盗や通り魔――――そして、「doors」という薬物の蔓延。

 世に出回っている麻薬と比べて、中毒性が低く、安価であることから、学生たちの間に広まっていったこの薬には、ある種の言い伝えのようなものがあった。

 曰く、「doors」使用者は、強大な力を手に入れる。

 曰く、「doors」使用者は、魔法が使えるようになる。

 曰く、「doors」の後ろには、巨大な組織が潜んでいる。

 どれが真実なのかはわからない。だが、好奇心旺盛な学生たちの興味を引くのには十分すぎるものであった。

 そして、doorsの出現とほぼ同時期に、和良区の中で「ギルド」というものが誕生した。

 急速に悪化した治安に、地元の警察だけでは対応できなくなり、苦肉の策として、和良警察とハチ村が共同して、「通り魔・強盗などを現行犯逮捕したものの身柄を現金で買い取る」という知らせを出したのだ。腕に自信がある者、正義に燃える者、合法的に喧嘩がしたい者…………動機は様々だが、犯罪者にかかった賞金目当てに活動する者たちが集まり、やがてそれが青済市に所属する「ギルド」と呼ばれるようになった。

 速水灯も、ギルドの一員であり、またdoors使用者でもあった。


 ――――気がつけば。

 そこには既に、ショートもセミロングもポニーテールも居なかった。更に自分が惨めに廊下の真ん中で踞るような格好になっていることにも気付く。

「ああもう、頑張ったのになあ…………」

 我ながら、よくやった方だとは思う。

 相手は身体能力の高い覚醒者と、風を自在に操る能力者の二人。急所めがけて突き出される警棒を弾いて、打ち出される空気砲を避け、隙あらば攻勢に出る。与えられた役目は時間稼ぎなので、倒されさえしなければ良かった。このまま上手くいくと思っていた。気絶させたはずの、セミロングの女が立ち上がるまでは。

 三対一になると、どうしようもなかった。攻撃するための隙はなくなり、逃げ回るだけで精一杯になる。追い詰められ、逃げる場所も失った。衝撃が身体を貫いたのは覚えている。そして、おそらく今まで気絶していた。

 寝返りを打つように転がって、仰向けになる。今さらになって背中が鈍痛を訴えてきた。右腕で目を覆うようにして、うめき声をあげる。

「あー、えーと、あー。その。生きてるかー?」

「…………見ての通り、死んでます」

「そうか。なら大丈夫だな」

 不意に降ってきた声に、安堵したような響きを聞いて、灯は右腕を顔の上から退けた。どうやら予想以上に心配させてしまったらしい。子供のように拗ねている場合ではなさそうだった。

 ゆっくりと起き上がる。視界が微妙に揺れた。それが治まるまでは立ちあがらない方が良いだろう。膝を抱えるようにしていると、相手の方が前にまわりこんできた。

「あー、その、なんだ。誰でも失敗はあると言うか、まあ、そう気にするなってことで」

「…………精進します」

「…………うーん、微妙に違うんだけどな」

 こちらに視線を合わせるように、向こうも片膝をついていたが、それでも小柄な灯は見上げなければ目も合わせられない。同年代の少女たちの中でも小柄な灯と、成人男性の中でも長身の部類に入る彼とでは、当然の結果とも言えるが。

 黒のタンクトップの上に上着を羽織り、ジーパンという格好。服の上からでも鍛えていることがわかる肉体。顔の左半分を覆うような、大きな眼帯が左目に張り付いている。闇にまぎれて今はわからないが、彼が暗めの茶髪だということも灯は知っていた。

「それで、カズさんの方はどうだったんですか?」

「いやー、そのー。なんつーか」

 はっきりとしない答えに、嫌な予感を覚える。見上げると――――その時になって、ようやく――――カズが、彼とそう変わらないぐらいの青年を背負っていることに気付いた。気絶しているのか、ぐったりとしたまま動く気配がない。灯と同じくアマゾネスの足止めをしていた青年だ。今回の足止め係は二人。灯は先ほどまで気絶していたし、もうひとりの青年もこの有様。と、いうことは。

 眼帯に隠されていない右目だけが、逃げるように視線を彷徨わせている。

「……………次回、頑張ろうな?」

「ああああもうっ! 頑張ったのにいいいいっ!」

 決定的な言葉を受けて、夜の廃校に灯の叫びが響き渡った。 

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