犬目線、ときどき毒舌。柴犬たちの人間観察エッセイ
リビングの奥、寝室に続く廊下のほうから、カツ、カツ、カツ、と小気味良い足音が近づいてきた。
ボクは身構えた。この家に住む「もう一匹の何か」。
いよいよ姿を現す瞬間だ。爪の音の感じからして、そこそこの重量級の犬かもしれない。
序列というものは良く分からなかったが、ボクは、とりあえず尻尾を下げる準備だけはしておいた。先人、いや先犬に対する一応の礼としてだ。
廊下の角から現れたのは。
白くて、ふわふわで、丸くて。
それで、ボクより小さい・・・?
正直、拍子抜けした。
どう見ても生後三ヶ月にも満たない、まん丸の毛玉。歩くたびに、その毛玉がぽふぽふと揺れる。
威圧感どころか、和菓子売り場にいそうな愛らしさ。
ボクが警戒して尻尾を下げていたのが、なんだか急に恥ずかしくなってきた。
「あ! ポン様!」
ふみちゃんが弾んだ声を上げた。
ポン様・・・・?
聞き間違いかと思った。様、というのは人間界における最上級の敬称ではなかったか。この、まだ乳歯も抜けきっていなそうな毛玉に対して、様、である。
ボクは「タンタン」、彼女は「ポン様」。この一文字の差が、なんだかとてつもなく大きい気がする。
ポン様の本名は、ポンポン。あまりにも天使すぎるということで、ふみちゃんが、ポン様という敬称で呼ぶ様になったという。
ポン様は、そんなボクの動揺になど微塵も興味を示さず、ちらりとこちらに視線を向けただけで、すぐにぷいっとそっぽを向いた。
そして、リビングの隅に置かれた、やたら立派なゲージに置かれているふわふわのマットレスに、迷いのない足取りで入っていくと、どさっと横たわり、目を閉じてしまった。
初対面の犬に対する興味、ゼロ。
あの贅沢なゲージとマットレスは、ボク様ではなく、ポン様用だったのだ。
ボクはこの時、悟った。この家における真の権力者が誰であるか、を。
呆然と立ち尽くすボクを見かねてか、ふみちゃんがボクの隣にしゃがみこみ、ポンポンがこの家に来た経緯を、ゆっくりと語り始めた。
「あのね、タンタン。ポンポンがうちに来たのは、タンタンより一ヶ月前なんだけどね」
話はこうだった。この家には以前、ムックという名の、真っ白な猫が長年暮らしていたのだという。家族の一員として愛され続けた猫。だが去年、そのムックは天寿を全うし、家族は深い喪失感に包まれていた。
そんなある日、ふみちゃんがペットショップで見かけたのが、真っ白でふわふわの子犬・ポンポンだった。
「ポンポンを見た瞬間、みんな思ったの。あ、ムックが帰ってきた、って」
ボクは思わず、ゲージの中でぐっすり眠るポン様を見やった。
なるほど、白くてふわふわで、なんとなく気位が高そうな佇まい。
猫の生まれ変わりだと言われれば、妙に説得力がある。犬なのに、猫の風格を背負っている。二重の意味で、厄介な同居犬だ。
「でもね」
ふみちゃんは続けた。
「ポンポンが来てからも、私、タンタンのことがずっと気になってたの。ペットショップにいる時から、ずっと」
その一言に、ボクは思わず耳をぴくりと動かした。
ふみちゃんいわく、ポンポンを迎えてちょうど一ヶ月が経った頃、彼女はどうしてもタンタンを家に迎えたいと、父親に直談判したのだという。父も母も、最初は「二匹も飼えるのか」と難色を示したらしいが、ふみちゃんの熱意、そして何より、あのままではタンタンが危ないのではないかという切迫感に押し切られる形で、ついに承諾したのだそうだ。
「だから、タンタンも、うちの大事な家族なんだよ」
ボクは今日、この家に来た。だがそれは偶然などではなく、随分と前から積み重ねられてきた、ふみちゃんの想いの結果だったらしい。
売れ残りだ、限界だ、セールだと怯えていたあの日々の裏側で、ちゃんとボクを見ていてくれた人間がいた。
なんだか、じんわりと、何かが込み上げてくる。
・・・・と、しんみりしかけたその時。
ゲージの中のポン様が、片目だけをうっすらと開けて、こちらをじろりと一瞥した。
その目が、なんというか、こう言っているように見えた。
「・・・新入りが来たからって、私のポジションが揺らぐとでも?」
ボクは、また尻尾を下げた。
こうして、茶柴のタンタンと、白柴・ポン様こと、ポンポンの同居生活が、静かに・・・そして早くも不穏な空気を纏いながら幕を開けたのだった。
つづく




