パチンカスの2人
※本作は作者の独断と偏見が含まれています。
朝の駐車場にはまだ余白があった。
白線ばかりが目立つ。
健二はコンビニの袋を提げたまま入口へ向かった。
自動ドアは閉まっている。
当然だった。
開店まではまだ一時間以上ある。
ベンチに人影があった。
紫色の髪。
毛布。
缶コーヒー。
いつもの組み合わせだった。
健二は少し立ち止まった。
相手もこちらに気付いたらしい。
缶を持ったまま軽く振る。
挨拶の代わりだった。
「またいますね」
ゆかりは毛布から顔だけ出した。
「またいます」
健二は隣に腰を下ろした。
ビニール袋がかさりと鳴る。
ゆかりが覗き込む。
「肉まんですか」
「違います」
「肉まんですね」
「おにぎりです」
ゆかりは興味を失ったらしく前を向いた。
少しして、「肉まんなら良かったのに」と言った。
「何でですか」
「一口貰えますから」
「おにぎりでも駄目ですよ」
「冷たいですね」
ゆかりは毛布を引き上げた。
鼻先まで隠れる。
健二は缶コーヒーの蓋を開けた。
湯気が細く上がる。
「何時からですか」
「五時」
「まだ六時前ですよ」
「知ってます」
ゆかりは答えたあと、「今日は寒かったです」と言った。
「帰れば良かったのに」
「それは違います」
「何がですか」
「負けるのと寒いのは別問題です」
健二は缶を口に運んだ。
意味が分からなかった。
だが聞き返さなかった。
たぶん本人も分かっていない。
駐車場に一台車が入ってくる。
その音を二人で眺めた。
「健二さん」
「はい」
「お金ありますか」
「ありますよ」
「羨ましい」
「ありませんか」
ゆかりは少し考えた。
それから鞄を開ける。
財布を出す。
黒い財布だった。
端の方が少し擦れている。
マジックテープを剥がす。
バリバリッ。
朝の静かな駐車場にやけに大きく響いた。
健二は目を閉じた。
「まだ使ってるんですか」
「使えますから」
ゆかりは札を数えた。
野口さんが、一人。
二人。
三人。
数え直す。
また三人だった。
「いますね」
「います」
「じゃあ大丈夫です」
「大丈夫じゃない人は五時から並びません」
「説得力がありますね」
「でしょう」
ゆかりは少し嬉しそうだった。
財布を閉じる。
バリッ。
また鳴った。
健二は空を見た。
東の空が少し明るくなっている。
夜と朝の境目だった。
いつからこうなったのだろうと思った。
休日になるとここへ来る。
来れば大抵ゆかりがいる。
話すことは毎回違う。
しかし、言っていることはいつも大体同じだった。
「今日は勝てる気がします」
ゆかりが言った。
健二は笑った。
その様子を見て、ゆかりはムッとして言う。
「何ですか」
「いえ」
「信じてませんね」
「信じてますよ」
「本当に?」
「今日は何回目でしたっけ」
「何がですか」
「その台詞」
ゆかりは少し黙った。
それから毛布を畳み始めた。
「過去は振り返らない主義です」
健二は缶コーヒーを飲み干した。
空になった缶を足元へ置く。
駐車場には車が増えていた。
入口の前には列も出来始めている。
ゆかりが立ち上がる。
毛布を鞄に押し込む。
チャックが閉まらない。
力任せに引っ張る。
閉まった。
「壊れますよ」
「今日じゃなければいいです」
「色々雑ですね」
「人生は勢いです」
そう言って歩き出す。
二歩進んで振り返る。
「健二さん」
「はい」
「もし勝ったら、ラーメン奢ります」
「負けたら?」
「奢ってください」
健二は返事をしなかった。
ゆかりは満足そうに頷いた。
列の最後尾へ向かう背中は、どこか子供じみて見えた。
昼過ぎ。
フードコートの窓際は少し眩しかった。
健二は紙コップを指先で回した。
氷が溶けている。
向かいの席には誰もいない。
テーブルの上には食べ終わったうどんの丼だけが残っていた。
スマホを見る。
12時47分。
画面を消す。
また点ける。
消す。
「暇なんですか」
顔を上げる。
ゆかりだった。
トレーを持っている。
ラーメン。
餃子。
半チャーハン。
「食べ過ぎでは」
「今日は勝ってますから」
当然のように向かいへ座る。
トレーを置く。
箸を割る。
失敗する。
片方だけ短くなった。
しばらくの沈黙
1秒.
2秒..
3秒...
そして、健二が口を開く
「不吉ですね」
「運の在庫はまだあります」
ゆかりはラーメンを啜った。
熱かったらしい。
少し顔をしかめる。
それでもまた啜る。
「いくらですか」
健二が訊いた。
「聞きます?」
「やっぱりやめた」
「九千円です」
「聞かなきゃ良かった」
「凄いでしょう」
ゆかりは餃子を口へ運んだ。
機嫌が良い。
朝より少し声も大きい。
「健二さんは?」
「聞きます?」
「聞きません」
「一万二千円です」
「負けてるんですか?」
「負けてます」
「雑魚ですね」
健二は紙コップを持ち上げた。
空だった。
「朝と立場が逆ですね」
「実力です」
「運ですね」
「謙遜しなくていいです」
ゆかりは満足そうだった。
チャーハンを掬う。
「その九千円、どうするんです?」
「増やします」
「でしょうね」
「健二さんなら?」
「帰ります」
ゆかりは箸を止めた。
何か珍しいものを見る顔だった。
「本当に?」
「たぶん」
「嘘ですね」
「嘘です」
二人とも少し笑った。
窓の外では車が出入りしている。
日曜日だった。
特に意味もなく人が多い。
ゆかりはスマホを取り出した。
画面を見る。
口元が緩む。
また見る。
「何ですか」
「収支です」
「まだ見てるんですか」
「勝者には義務があります」
「何の」
「余韻です」
健二は椅子に深く座った。
天井を見上げる。
白かった。
「健二さん」
「はい」
「負けてる時って何考えてるんですか」
「帰りたいなって」
「帰ればいいじゃないですか」
「そうですね」
少し間が空く。
「ゆかりさんは?」
「取り返せるなって」
「でしょうね」
「取り返せますから」
「今まで何回言いました?」
「過去は振り返らない主義です」
朝と同じことを言った。
本人は覚えていないかもしれなかった。
ラーメンの汁を飲み干す。
餃子もなくなる。
チャーハンもなくなる。
トレーの上には何も残らなかった。
「ごちそうさまです」
「誰に」
「世の中に」
ゆかりはそう言って立ち上がった。
財布を取り出す。
黒い財布。
端が擦れている。
マジックテープ。
バリバリッ。
近くの席の若者二人組が振り向いた。
ゆかりは気付かない。
健二は気付いた。
目を逸らした。
「買い替えないんですか」
「何をです」
「財布」
ゆかりは札をしまいながら首を傾げた。
「まだ使えますよ」
「そういう問題じゃないです」
「あと百年いけます」
「長いですね」
「愛着がありますから」
財布を閉じる。
「健二さん」
「はい」
「これ馬鹿にしてます?」
「少し」
「失礼ですね」
「向かいの若い子らに二度見されてましたよ」
「若者は物の価値が分からないんです」
「そうですか」
「そうです」
ゆかりは財布を鞄へ戻した。
少し考える。
また取り出す。
中を見る。
戻す。
「何してるんですか」
「確認です」
「何の」
「まだ九千円あります」
健二は笑った。
今度は隠さなかった。
ゆかりは不服そうだった。
だが何も言わない。
代わりに鞄を抱え直した。
「行きます」
「どこへ」
「戦場へ」
「フードコートですよ」
「細かい人ですね」
そう言って歩いていく。
途中で振り返る。
「健二さん」
「はい」
「まだ勝負はこれからです」
健二は紙コップの底を見た。
氷はもうなかった。
「その台詞」
「はい」
「負け始めたら言わなくなるんですよ」
ゆかりは少しだけ考えた。
「気のせいです」
そう言って去っていった。
健二はその背中を見送った。
五分後にはたぶん後悔するのだろうと思った。
十分後かもしれない。
案外、一時間くらい持つかもしれない。
どれでも大差なかった。
夕方になると、店の中の空気は少し重くなる。
時計を見る人が増える。
休憩スペースの椅子も埋まり始める。
健二は自販機の前に立っていた。
何を買うか決めていない。
決めていないのに財布だけは出していた。
小銭を数える。
しまう。
また数える。
「減りませんよ」
声がした。
振り向く。
ゆかりだった。
「増えもしませんけど」
健二は財布をしまった。
ゆかりは紙コップを持っている。
中身はコーヒーらしかった。
少なくとも匂いはそうだった。
「勝ってるんですか」
健二が訊いた。
「聞きます?」
「聞きません」
「マイナス三千円です」
「聞いてないです」
ゆかりは椅子に座った。
少しだけ勢いがない。
朝より静かだった。
昼より静かだった。
紙コップを見つめている。
「九千円じゃなかったですか」
「ありましたね」
「ありましたねじゃないですよ」
「昔の話です」
健二は隣に座った。
「三時間前ですよ」
「人は変わるんです」
「早いですね」
「成長期なので」
紙コップの縁を指でなぞる。
その動きを見ながら、健二は缶コーヒーを開けた。
炭酸だった。
間違えた。
少しだけ後悔した。
「健二さん」
「はい」
「今いくらです?」
「マイナス八千円」
ゆかりは顔を上げた。
「勝ってる」
「競ってないです」
「勝ってる」
「そうですか」
「やりました」
ゆかりは少し元気になった。
健二は缶を傾けた。
炭酸はあまり好きではなかった。
だが買ってしまったものは仕方がない。
「何で喜んでるんですか」
「下がいるからです」
「最低ですね」
「人間そんなものです」
「言い切りましたね」
「健二さんも今ちょっと悔しそうでした」
「否定はしません」
二人とも少し笑った。
それで終わりだった。
笑い続けることはなかった。
誰も得をしていない話だった。
「帰ります?」
ゆかりが訊いた。
「帰りません」
「ですよね」
「ゆかりさんは」
「帰りません」
「でしょうね」
紙コップの中身はもうほとんど残っていないようだった。
ゆかりは最後の一口を飲む。
空になったコップを軽く潰す。
「健二さん」
「はい」
「大人になると」
「はい」
「誰も止めてくれませんね」
健二は少し考えた。
「何をです」
「色々です」
紙コップが小さく潰れる。
それ以上は何も言わなかった。
健二も聞かなかった。
聞けば話してくれたかもしれない。
話さなかったかもしれない。
どちらでも良かった。
窓の外では空が少し赤くなっている。
もう夕方だった。
休日はいつもそうだった。
長いようで短い。
短いようで長い。
気付けば終わっている。
「昔は」
ゆかりが言った。
「はい」
「一日ってもっと長かった気がします」
「子供の頃ですか」
「たぶん」
健二は炭酸を飲み干した。
最後の方はぬるかった。
「今は」
ゆかりが続ける。
「朝並んで」
「はい」
「気付いたら夕方です」
「そうですね」
「怖いですね」
「そうですね」
少し沈黙が落ちた。
店内放送が流れる。
誰も聞いていないような内容だった。
ゆかりは立ち上がった。
鞄を肩に掛ける。
「行きます」
「どこへ」
「取り返しに」
「まだ言いますか」
「まだ三千円です」
「もう三千円です」
「考え方が暗い」
「現実的なんです」
ゆかりは鼻を鳴らした。
それから財布を取り出す。
中を確認する。
バリバリッ。
近くを通った店員が振り向いた。
しかし、すぐにそそくさと去っていく。
ゆかりは気付いていない。
「何ですか」
「いえ」
「何か言いました?」
「別に」
財布を閉じる。
「健二さん」
「はい」
「まだあります」
「何がです」
「希望が」
そう言って歩き出した。
数歩進む。
立ち止まる。
振り返る。
「あと六千円も」
健二は思わず吹き出した。
ゆかりは少し不満そうな顔をした。
だが何も言わない。
そのまま店の奥へ消えていく。
健二は一人残った。
空になった缶を見つめる。
それから立ち上がった。
自分も戻るつもりだった。
理由は特に考えなかった。
閉店の音楽が流れていた。
健二は出口へ向かう人の流れに混ざって歩いた。
肩が少し重い。
財布は少し軽い。
いつものことだった。
自動ドアが開く。
夜の空気が入ってくる。
昼より冷たかった。
駐車場には車がまばらになっている。
健二はポケットから煙草を取り出しかけて、やめた。
少し歩く。
街灯の下に人影があった。
紫色の髪。
鞄。
ベンチ。
ゆかりだった。
座っている。
妙に静かだった。
「またいますね」
健二が言った。
ゆかりは顔を上げた。
少し考える。
「またいます」
朝と同じ答えだった。
健二は隣に座った。
少し間を空ける。
何となく。
「どうでした?」
訊く。
ゆかりは答えない。
鞄を開く。
財布を取り出す。
バリバリッ。
静かな駐車場に響く。
中を見る。
閉じる。
「なるほど」
健二は言った。
「なんです」
「駄目だったんですね」
ゆかりは少しだけ笑った。
「鋭いですね」
「長い付き合いですから」
付き合いと言うほどのものかは分からなかった。
連絡先も知らない。
誕生日も知らない。
仕事も知らない。
だが毎週顔を合わせていた。
それだけだった。
「健二さん」
「はい」
「いくらです」
健二は少し考えた。
「聞きます?」
「聞きません」
「一万六千円です」
「勝ってる」
「競ってないです」
「勝ってる」
ゆかりは少し嬉しそうだった。
健二は少し呆れた。
それでも笑った。
「ゆかりさんは?」
「聞きます?」
「聞きません」
「一万五千円です」
「勝ってますね」
「でしょう」
二人とも少し黙った。
遠くで車のドアが閉まる。
エンジンが掛かる。
出て行く。
その音もすぐに消えた。
「帰りますか」
健二が言った。
「帰ります」
ゆかりは答えた。
だが立ち上がらない。
健二も立ち上がらない。
少し寒かった。
少し眠かった。
それなのに動くのが面倒だった。
そんな時間だった。
「健二さん」
「はい」
「来週もイベントです」
「そうらしいですね」
「来ます?」
「来ません」
ゆかりは頷いた。
「私も来ません」
しばらく沈黙。
街灯に虫が集まっていた。
もう冬なのにと思った。
よく見ると虫ではなく、小さな枯れ葉だった。
風で揺れているだけだった。
「何時ですか」
ゆかりが訊いた。
「何がです」
「来る時間」
健二は笑った。
「六時くらいです」
「遅いですね」
「ゆかりさんは」
「五時」
「病気ですね」
「趣味です」
即答だった。
健二は頷く。
何度も聞いた答えだった。
たぶんこれからも聞く。
来週も。
再来週も。
その先も。
たぶん。
「帰りますか」
今度はゆかりが言った。
「帰ります」
二人とも立ち上がった。
服についた埃を払う。
特に汚れてはいなかった。
ただ何となく。
車へ向かう。
途中で別れる。
「じゃあ」
健二が言った。
「はい」
ゆかりは振り返る。
街灯の光で髪が少しだけ白く見えた。
「また来週」
ゆかりは少しだけ笑った。
朝より穏やかな顔だった。
「またいます」
そう言って手を振る。
鞄を肩に掛け直す。
少しだけ重そうだった。
中身はたぶん朝より軽い。
財布も。
「暗いんで、気を付けてくださいよ」
健二が言う。
「大丈夫です」
ゆかりは歩き出した。
街灯の下を通る。
白い息が夜に溶ける。
「健二さん」
少し先で振り返る。
「はい」
「来週は勝ちます」
健二は笑った。
「それ、さっきも聞きました」
「そうですか」
「そうです」
ゆかりはまた歩き出す。
歩幅は小さい。
どこか機嫌は悪くない。
負けたはずなのに。
健二はその背中を見送った。
角を曲がる直前、ゆかりが鞄を開ける。
バリバリッ。
夜道にまで聞こえた。
健二は思わず笑った。
姿はもう見えない。
それでも、
来週になればまたいるのだろうと思った。




