金魚
若い頃は薬に頼るということがまるでなかったので、花粉症の時期に多摩川を歩くというのは大変つらいことだった。
目を掻きすぎて(掻く、というか手の甲をぐりぐりと擦り付け過ぎて)稽古場では目玉が1.3倍化という実感を得た。
その実感は目を瞑るという些細なことでだけで、得られたそれである。
今はもうクラリチンしか勝たんし、ロキソニンしか勝たん……○○しか勝たん、という表現はもう古いのですかね?
愛を得られなかったことの憂いが宙空を泳いでいる、紅白色の丸く肥った金魚のように。
というように、ただ弄されているだけの言葉の通りでは、足取りは必ずない。
足は川辺に敷き詰まった石と石とに奪われて、もたついた。顔を見る。石と石とに顕れて来るそれらを。倫理の足はその途端に踏みづらくなった。
「撮る?」
「撮るね、ちょっと待って」
撮影者は脇腹にぶら下げた鞄の中身を漁った。少しアライグマに似ている、とその姿を見て私は思った。
川を見た。
歩いて行く予定よりも遥か遠くにまで川は流れている。水は底の方から緑色に淀みつつも、とくとくとしたその流れは整然としていた。緩やかに下っている川である。
この運動は流れつつ、既に海辺への接続をし終えている。二つの出会い。しかしながら通常、人の呼びたいように呼ばれているそれが川であっても海であっても、ただ水溜まりの多様な形態の一つ一つにそれらが過ぎないという納得のし方がこの時の私の心境にとって尤もらしかった。
「眩しいね」
「何が?」
「光の粒が。ほら、川の表面を照り返している。結構、眩しいな」
「そうかそうか」
撮影者は鞄を漁りながら、興味のなさそうに言うだけ言った。だらけて、皺だらけの茶色のコートに合わせて仕立てたかのような、これも又だぼだぼの焦げ茶の鞄のことを彼はいよいよ引っくり返してしまいそうになっている。
私は不服であった。川面の光の反映に、興味を向ける素振りもない撮影者の感性のことを私は疑わしくも思った。私は俯いて、俯いた底に密やかなしかめっ面を作ってみた。
それから、そっぽを向いた。
そっぽをむいた眼差しの向こうはそうして向こう岸である。あちらからは他県である。今朝十時の日和の下に街並みは平和の色をして霞みがかって見える。抽象画家は今しも描き加えて行っている。やがて向こうの河川敷から延べた先の丘上に自転車を手押しする若い男女の姿がゆっくりと進み合っているのが見えて来た。
被写体である私の頬は笑みを作った。
「なんだ、それ」
「なに」
撮影者は既に彼のカメラに必要とされたものを取り付け終えていた。その必要とされたものが何であるのか、素人の私には知る由もない。
「カップルがいる」
「そうか」
撮影者はそれだけ言うと俯いて、撮るよ、と宣言をした。私にとってそれは、歩き出せ、という合図であった。
そうして私は歩き出している。しかし歩き出している足がもつれて、少しも上手にはならない。誰もここを上手に歩かれるはずの人など居そうにない。それにも関わらず、何故だろう?私は思った。何故、こんな河川敷で、何故、被写体はこんな俺なんだ?
依頼のあったその時には既に撮影者へとはそう問うていた。問いへの彼の応答は、頻りにする褒めそやしであった。私にとってそれは納得の行く応答なのではなかった。納得はの行く応答なのではなくそれにそもそも撮られること自体が私は、本当に好きではなかった。私は、本当に好きなのではなかった。
自らがせいぜい私なりの努力の下に於いてしか美しくはあり得ないはずの自分自身であるのだと私は認めているその上でやはり誰かに撮られるほどの価値をした自分自身であるのだとは到底認められない私である。つまり、私は撮影者が何のために私のことを撮ろうとしているものか、全く判らない。
それならば断れば良かった。しかしこうして歩いているのである以上私は申し出を受けたのであった何故なら私のことを迎え待ち受けている行く先々が自己存在へ苦難を与えるものであればあるほどそれらはきっと未来の自分自身に対し与えられた分の見返りとして相応の報酬を授けてくれるはずであるのだと私は、訳もなく信じていたからである。
論理のことが嫌いであった。論理は嘘でも尤もらしいのであるから。論理に成りようのない本当のことのために生きて自滅をしてしまう方が人間の余程にマシな生き方だと思われた。
川に沿う私は恰かも、態度の上に表れて見えるはずの不服というものが、そうした外皮的な態度の薄膜を突き破ってただそのものであるばかりの純粋な不服として、歩いているかのようであった、のかも知れなかった。
すると、パシャリ。撮られた。
「ふっふ」
「ちょっと、真面目に」
「だって、笑えるよ。少し」
「そんなの少しどころじゃないじゃないか」
「そうかね」
被写体である私は歩いている。大きな石に足は少し踏み上がって、小さな石を足は少し踏み抜く。こんなことの反復で、私の進行は上下にでこぼこと、不安定な揺れをしつづけている。
私はふと顔を上げた。パシャリ、と鳴ると思ったが、鳴らなかった。撮影者のそれは何ものを見たいという目の欲望をしているのであろうか。私は僅かに悔しい気がした。
耳は、川の流れて行くとぷとぷとした静かな音を聞いている。それは心に伴うような音である。しかし本当はそれは、心の方からそれに寄り添って伴いたいという音であったのかもしれない。
すると、パシャリ。撮られた。
私は向こう岸の丘上を見る。先から奇しくも私たちと並び進む、自転車の男女の姿である。彼らは未だ若い。私だって、未だ若かった。だが私は自分自身についてはもう、早くもくたびれた心境に映るその姿の方をこそ自己存在の真実の姿であるのだと半ば信じ込んでいた。
たとえば、私に信じ込まれているその姿は病みついたように全身が痩せこけている。髪の毛は蒼然として、それら一本一本の全てが灰色である。
頬は黒ずんでおりその黒ずみは目元にまで至る。半開きの口から覗ける大きな前歯は三年前から乾き切っている。低い鼻。そこを丸眼鏡が予定調和に垂れ下がって、すると引き顎に物を見る目の方は反って険しく睨み上がる。恰かも私は人の裏面を表面とする倫理の為に、そうして引っくり返って剥き出しになっている神経の束へと風が当たるのを……
茂みが揺れていた。
「危ないよ、茂み」
「うん」
「うん、じゃないよ、危ないよ」
「はい」
はい、じゃないよ、危ないよ!と私は言いたいところであった。しかし、そうした気持ちの迫り上がりが寸刻ピークを迎えたその時が既に遅かった。撮影者は茂みに背から突入をして、痛々しく抱かれるような格好で倒れ込んだ。おい、と呟くと私は撮影者の元へ歩み寄って、おいおい、と言いながら手を差し出した。
すると、パシャリ。撮られた。
そうして手を差し出して、思いがけずも依然として被写体であり続けていた私は差し出した手をそのままに、ぴたりと停止をしてしまうより他にない。撮影者は丈高い雑草を尻に敷いて、辺り一帯を平らに延べつつ、同時に辺り一帯に取り包まれている。そんな緑の座に胡座をかきながら彼は両の手で握りしめたままのカメラのことを未だ覗き込んでいた。凝然のその強度に因り保たれたそれ自体なのである彼の凝然。こんな格好もいずれは釈迦なら撮影者は現代世紀の即身仏へとやがては成るであろう。いや、現代ならスマホで撮るのでも構わないのに撮影者はそれをしていないのであるのだから従って、
「近過去世紀の……」
「なに」
「いや、それより、早く立ちなよ」
「ほっほっ」
撮影者は立ち上がった。尻を払いながら彼はそれでもカメラを覗き込んでいる。皺だらけのコートの袖に引っかかった背の高い茎の一本が異様にたわんで弓なりとなっていた。
「きみはね」
「うん」
「もう、きみは」
「なんだい」
「いや、なんでもない」
「ほう、そうか」
ふんふん、と息を吐きながら撮影者は退さる。それから、指で合図を寄こした。歩き出せ、ということである。私は、これだけ一心不乱である撮影者の熱心さに対して応えようのないと思う自らの手持ちの無さにやはり不安を覚えた。野草と共に燃え盛りそうな彼から延焼をするという自然のない自らのことが私には湿気た流木のように思われる。或いは被写体である私は肉の内側が水であるというだけの精神の空っぽな器であるようにも自らのことを思っている。
撮影者の目の欲望とその向かう先が、私にはいよいよ判らなくなって来た。
「なんでサークルに入らなかった?」
「なにがだい?」
「きみが」
「サークルって?」
「サークルはサークルだろ。写真の」
「ああ、写真部のことかい」
そうだね、と私は言った。
「写真部に入りゃ良かったじゃない」
「どうしてだ?」
「そりゃ、同んなじカメラが好きで写真が好きで、という人が周りにいっぱい居るのならそれが安心なんじゃないの?お題なんか与え合ったりして、この間は高尾山の辺りにみんなで行ったらしいぜ。コンクールに応募するのだって個人でするよりは楽だろうし、プロのカメラマンから直に指導を受けられるらしいし」
「詳しいね」
それまで熱心に覗き込んでいた撮影者の顔がふっと上がった。しかし、それはまた直ぐに下りた。見るからに彼は鬱いだ。私は溜め息を吐きたい気がした。
被写体である私はこんなゲームを思い付いていた。撮影者のカメラの裏へ張り付いたその顔を、自らの言葉を以て引き剥がすというゲームである。先のサークルの話題一回で私に一得点である。この撮影の間に私は果たして、彼から何点奪取することが出来るであろうか。その為になら私も、撮影者と並んで過ごすこの時間に対して、彼と同等の熱量を持ち得るのかもしれない。
つまり或る指向性を持した一つの行為を逆指向で引っ張って奪取をする行為。これは力比べなのであり、綱引きのようなものだ。撮影ということの為にだけ働いている撮影者の単一的な指向力に対して、これを奪取する為に私の働かせなければならない力とは必然として、撮影者と同程度のものである。
そうして考えてみると、私はふいに嫌な気持ちがした。発想が余りにもいじわるだったからである。何処へどう向けていた訳でもなかった私はまた、きらびやかな川面を見たいように顔を背けた。
すると、パシャリ。撮られた。
太陽の反映が川面には減っていた。光の粒が少なく感じられた。私の顔は先ず真っ先に空を仰ごうとして向こう岸を経由した。すると自転車の男女は先までよりも少し先行をする形となっていた。
それから私は空を見た。太陽がかかる雲に掠れて見えた。もし思う通りであるのなら川面のする反映はこの掠れの為に減じたのである。
「ちょっと」
撮影者は言った。彼は鞄の中をまたがさがさと漁っている。
「なに?」
「ちょっと遠景で撮る」
「遠景?遠くから?」
「それ」
「おう。歩いてんのは、おれ、歩いてて良いのね?」
「うん」
撮影者は振り向くと行きかけてからまた思い返したように振り向いて、
「ゆっくりね」
と言った。それから振り向いて今度は行った。去って行く背中へ私は、はいよ、と声を投げかけた。
私は独りになった。撮影者は遠く並木に隔たった丘上の歩道付近にまで後退をして、ぽつんとあった。それは円みを帯びながら四角い形をしていた。
ゆっくり、と。敢えて小走りするいたずらも思い付いたが、撮影者がそれを笑って済ませられるかは微妙に思われた。全力疾走なら彼も笑うより他はないのだとも私には思われたが、今度はそのいたずらの為に自分の身体が疲れてしまうことを思って億劫だった。それだから私は言われたがまま、ゆっくりと歩いている。向こう岸の自転車の男女との距離はますますと開いて行きそうだった。
敷き詰まった石と石とは相変わらず足を浚いそうである。ブーツのような硬い革の靴を私は今日、履いて来るべきではなかった。足は挫きかねない屈折をしばしば繰り返してはその度ごとに関節部の情けないのような柔軟さに救われていた。
(こんなところを歩かせようとするやつの企画はなかなか鬼だ)
いたずらに、全力疾走を、などと考えてはみたが、こんな足場の悪さでは、小走りですら怪我の元である。ゆっくり、と。確かに踏んだ、と感じるのでなければ、継ぎ足も出されない。私はつまり、そもそも、ゆっくり、としか歩かれない定めにあった。
私は自転車の男女の後ろ姿を見た。淡い桃色と淡い水色の服の並びである。遠くからではそれだけしか判らない。だが、あんなに柔らかそうな色合いをしている二人の上の装いはおそらくカーディガンであろう。私は独りで勝手にそう定めた。
晩春が青く拓かれた先に迎えるであろう初夏へと自転車の男女は、ゆるゆると先がけているその真っ最中である。二つ並んだ服を染めている彼らの色合いからであろうか、私はそんな連想をし、そんな連想から忽ちに私自身は、本当に遅れを取っている、とふいに自覚をし始めた。
(足場が、悪い)
私は思った。こんな石だらけの河川敷だけが自分の道のりなのだ、と改めて私はそう感じた。感じるばかりではない、全く感じ入った。
すると計量が始まった。不幸の秤が川を跨いで私へと偏重した。石は足元にばかりではない、と私はその時に思った。頭の上にぽろぽろとそれらは零れ落ちて来ている。そうして零れ落ちて来たものの全てを受容して、私の足取りはますますと重たくなる一方である。頭にも、ぽこすかと打って来る石のつぶてのために私のそれは、不幸の充溢に息継ぎもあっぷあっぷとして、殆ど馬鹿だ。
(幸せなんて、下らないんじゃないか)
それが事実ではないとは、誰にも言われない。生きようとする、もがきあがこうとすることの充実が、胸一杯の幸せよりも、生の内的様態として劣っているのだとは誰にも言われない。生きることのときめきが磨り減って行くばかりの生活の幸せに野心が価値を見ないのであれば、私はその野心のためにこそ、自分へ見舞う不幸を無抵抗に受容し続けて良かった。しかしそんな思いや心の揺れの一つ出した答えが何より、自分自身の心を守るために結び付けたものであるのだとするのなら下らないのはこの胸の方なのだ。
私は思うと咄嗟にそこへ手を押し当てたくなった。指を突き立てたくなった。抉り取ってやりたかった。こんなもののためにただの生活の気兼ねない色でさえくすんでしまうのである。それなら私にはたった一つのそここそが他の何処よりも要らないところだった。
(パシャリ。撮られた)
被写体である私は思った。此岸の並木を見た。ちょうど、撮影者は走っていた。おそらく画角のためにである。
被写体である私は、もし自分自身に撮られるだけの価値があるのならそれはこのような胸の苦痛に於いてしかない、と私自身で信じていた。勿論、そんな胸の苦痛という内心のことがたとえば、切り傷や打撲の跡のように判然と人の目に触れるものなのでは決してないのだともまたそう信じていながらにして。
不幸の充溢。一歩一歩と踏み出すごとにそこを踏み締めかねた足先のもつれが、私の困難でありつつ、あがきの跡であった。不幸の充溢。とそう言うのなら、水っぽく自分自身を充たしている不幸のホルマリンに浸けられた私は自己標本であった。標本とは静かなるものである。停止している。呼吸は僅かにもされない、鼓動はなく、音もない。死したるときのそのままが永久に保存されているという被写体の状態は時間停止である。まさしく撮影者のカメラに収められるであろう持続的な私の苦痛は、それら一枚一枚に於いて生き生きとしたいくつもの時を個別に止めるであろう。
被写体は向こうを見た。ゆっくりと、ゆっくりと、どうにか歩いている”彼”のことを、自転車の男女はもう随分と引き離した。
(早く、撮ってくれ)
撮っているものか、どうか、それが判らない被写体と撮影者との距離であった。
彼は独りである。
写真は時を止める。時の止まったものはその活動を止める。今すぐ止めてくれなければ被写体は、彼の熱っぽい孤独が頻りにする内側の大きなうねりに、そのうごめきに、彼の全てを吐き戻しそうだった。
それならやはり、自己標本なのではない。自ずとはそうなのではない。自ずとは苦痛はやはり一刻一秒を生きている彼の不幸なのであって、それはつまり止まっていない。
(早く、止めてくれ)
だが、止められるものが撮影者にだけ、ではないということは事実である。むしろ、撮影者に止められるものなどは何一つもないではないか。撮影は写真の内に留めるというだけである。それならば今しもあり、働いている、彼に働きかけている苦痛を差し止め得られるものとは偏に、彼独りだけであった。
不幸の充溢、でも苦痛の充溢でも、何だって、熱病の充溢でも良い、如何にしても生きている被写体はそのホルマリンにあがいて浮上をし、どうにかして息を吸うのでなければ生きては行かれない。
被写体は、遠退いて行くばかりの自転車の男女の、もう余程小さくなった二つ並びのその粒の姿に、先ほどと同類の、ある種の表情を投げかけた。
すると被写体の頭頂に何かが触れた。それが触れた、と彼の思うなりに、その何かは彼の頭頂を次々と触れて行った。平衡を崩した秤から降り注いで来る石つぶてが、続々と川へ墜落をしているかのような着水の音が鳴りつづけた。川の浅いところで丸いものが弾けているような音だった。しかし被写体は、それらが川からばかりに鳴っているのではないという気がした。それらは彼の周囲一帯から鳴っているという感じの破裂音、あるいは着水音だった。たとえばポップコーンが魚だったとき、それらが水の中で炸裂の孵化をするという、彼の聞くのはそんな音である。
被写体の目の端を切れ長の帯が揺蕩った。
(綺麗な女性だ)
彼は思いがけずそのように感じた。しかしそう感じたのだとしても彼の目は人より濁っていたのではなかった。宙空を揺らめいている帯のたおやかなその揺れに女性らしさを認める目が、それを見ているものへと嘘を吐いているというはずはない。被写体の視線は詩の思いを綴って行くように、切れ長の帯元を辿った。
金魚であった。紅白色の丸く肥った金魚が宙空を泳いでいた。金魚は彼の痩せ細っている上体部のほどに大きく、その遊泳はふくよかで、優雅で、ふいにその尾びれは辿って来た彼の視線の無礼さへと浴びせるように、被写体の鼻先を撫で叩いた。
それから金魚は旋回をした。被写体の前に露となった豊満なその形はゆっくりとそこを横切ろうとした。
虚空を見ているというだけの魚の眼差しなのではない。それが、被写体へと不思議な印象を与えている。見覚えがある。被写体は、ではない、金魚は、それがある、被写体に対して、おそらくは。
彼にはそれが不思議である。彼の今まで見たこともないほどに大きな、宙空を泳ぐ金魚のその目付きに、とうに見知った懐かしいものを再び見ているという親しみが込められている。そのことが被写体には不思議である。
見知っている金魚の眼差しは見知ったものを知り抜いているそのことを、今しもこうして眺めていることで確認をし、安堵をし、余裕を持っている。金魚の体内で、その目から得られた情報に拠ってなる穏やかな感情が、エラから腹の赤い膨らみへ、膨らみから白斑の尾先へとまで、彼女の水泳の緩やかさのほどにゆっくりと伝わっている、それは目から尾先へ尾先から目へと、伝わり合っている。血よりも余程、全身を通っているのに違いない超然としたリラックスが、透明な空中に優しげな波紋状を立てた。金魚というこのような姿をしたこれはある種の音波だと、そのときに被写体はふと感じることをした。
しかし何より彼は、金魚が女性であることをこそ最も感じた。それなら金魚は彼の知っている誰かのはずだと被写体は思った。だがこれほどまでに優しく、諭すようで、見抜いており、しかしだからこそ彼のことを見下しており、そのために被写体を苦しめないではいられないその全て包み込むような心の在り方は、彼の知っている誰のものでもない、或いは彼の知っている誰ものものである、というそんな迷いのしるしにもなっている。
このような再会である。被写体はも早、彼の心惹かれて来た誰もがこの一匹の金魚であるのだと殆ど信じた。そうであるのなら金魚はまさしく、彼に柔らかな感触を許しつつそれでも最後は決して彼のことを許すことのなかったあれら苦痛、そのものであるのに違いなかった。これだ、そうだ。
被写体は撮影者の姿を遠くに探した。彼は挙手したかった。それから挙手した手を大きく振ってみせることをすらしたかった。
これだ、これを撮れ、これだけがおれを撮るだけのきみの撮影の甲斐だ。
理論的にそうである。被写体はすばしっこく彼の内面へと潜り込んで来たその理論というものを頭ではない、肌で理解した。
被写体とは取るに足らない人物である、彼は背が低く、格好も顔立ちもまるで良いのではない、性格が明るい訳でもなく、そもそも撮られることに喜びを感じるのでもない、ただ撮影者に言われるがまま、河川敷を歩いているというだけの、何の変哲もない若者である。
そのようなうだつの上がらない彼が、欲しいものを手に入れられなかった苦痛に悶えているという現状の成り行きは、謂わば当然のことであった。彼は欲しがった。だが何も手にすることが出来なかった。彼は触れ得た。だがその時に彼は余りにも欲しがることをしなかった。結果的に彼の結ばれたかった心は誰とも成就をしなかった。
彼の苦痛は彼の表面上、理不尽な罰であった。しかし一つ一つ敗因を手に取るように確かめて行くのなら、彼の敗退は観察上にも、理論的にも、殆ど約束をされていたと判る。
今、被写体にはそれが判る、と感じられている。
だから彼はつくづく自分自身には何も、撮られて良いような価値はないのだとはっきりと結論付けた。
それでも尚、撮影者が彼のことを撮るというのなら。それなら被写体は、撮るだけの価値を撮影者へと、自分自身を介することで、どうしても提示してやらなければならないということになる。
それが金魚である。このふくよかな、美しい紅白色の金魚。観賞魚。これでしかない。彼が欲し、愛することをまでした女性の美しさ、その価値が同じ質量のままに彼へと反転をしてしなだれかかっている苦痛、まさしくこの苦痛をこそ撮影者は撮るのでなければならない。
何故なら、何の変哲もない彼が苦しいのであればあるほどに、彼を苦しめている愛欲の宛先が、疑いのなくそれを捧げるより他になかった美しさを、優しさを、正しさを、彼女らの肉体に閉じ込めつつ解き明かしているのであるから。
この美と苦痛とを、撮影者は撮るのでなければ、必ずならない。
そのような訳で被写体は挙手をした。挙手した手を撮影者へと振ろうとした。しかしそうして遠くに撮影者を探そうとする視界の端から、金魚の水泳が彼のことを阻んで来た。
金魚の、本来であれば何一つ湛えることのないはずの魚の口元に、うっすらと笑みがかかって見えている。被写体は何かを思い出しそうになった。この笑みには見覚えがあると思ったからだ。では一体誰が?彼はそれが彼の愛した誰もであるという理解の水面から、ふいに浸していた顔を一息に引き離すようにした。するとむしろ、また別の水溜まりの方に頭から突っ込んだような心地がした。その時、目前の金魚がくるくると回りだした。切れ長の尾びれが彼には触れまいとするかのよう、かしこまって、くるまっていた。回転の速度が上がるにつれ紅白色の金魚は、見る内にカーテンのように束ねられた。それがまた気付いたときには空から降りて来ている長大な尾びれに成って見えた。絶えず歩いている彼はその鮮烈な尾びれに接近した。それからもう為す術のないように進行上の身体が尾びれの抱擁を受け入れはじめた。
その感触といったら、ない。被写体の或いは寸でに抱いていたかもしれないおぞましい予感は全く見当外れであった。それは、そこは素晴らしく寛容で、滑らかで、繊細であった。そうしてやはり彼のことを知り抜いていた。彼のことを触れるか触れぬかというくらいのフェザーな案配の奥に、彼の方の奥を見つめて止まない慈愛が浮かんでいるという気がした。いや、浮かんでいるのではない、泳いでいるのだ。やはり慈愛もが紅白色の金魚の姿をして。
このまま連れて行かれるべきなのだ。被写体はそう思った。今、彼は全身にかかるこの尾びれへ彼の詩の思いを綴るようにしたい。そうして根元へと帯を辿り泳ぎたい。彼は両手を上げた。それから彼は空へ向かって泳ぎ出すように、諸手で虚空を掻き分けた。その瞬間、身体が浮いた。
浮いた、と感じる間もなく、落ちる、と感じられるくらいには彼の身体感覚は、まとも、だった。つまり、空を泳ぐことなど彼には決して出来ない、ということを身体は未だはっきりと覚えていた。私の足は、石と石とにとうとう取られたのである。
「おおっとぉっ」
引っ張られている右腕に、痛みが走った。私はしかし砕けるようにして落ちた膝の方に最も鈍い痛みを感じて顔を歪めた。
「ごめんごめん」
「マジ……」
「濡れた?」
「いや」
私は強かに打った膝を見てみた。石にぶつかって擦れたところが砂っぽくなっていた。
「いや」
「そう。びっくりした、大丈夫?」
「大丈夫。だけど、ちょっと判らん」
「わからん?ええ、大丈夫かい?」
大丈夫、と私は二度繰り返した。それから私は撮影者の差し伸べた腕を握り返して立ち上がった。膝に付いたものを払った。
「いや、ごめん」
「ごめん?」
「悪かったと思って」
「何が?」
「いや、こんなところ、無理に歩かせて悪かったな、と思って」
「いや」
私はそれから、二の句を継ごうとするその前に息を一つ吐いた。するとにわかに可笑しくなって来た。私は笑い出した。撮影者は不安そうな表情をしたまま、私のそうして笑い飛ばしている様を見守っていた。
「いや、全く」
「なんだい」
「ぜんぜん判らなかった。無心だよ」
「ほう」
「きみが来ているのにも気付かなかった。没入していた」
「どこに?」
「……どこに?」
どこに、というそれが私には思いもかけない問いである。何処に、だって?何に、ではなく?しかし、何、が撮影者の問うように場所を指し示すのであるのなら、果たして私は何処に居たと言えるのであろうか。
私は考えた。考えてみて、仮に判ったのだとしても私は、それを答えることをなどしたくはないと感じた。またそもそも答えることをなど出来るのだとも思われなかった。答えることで判ってもらえるのだと、私は信じることが出来なかった。
「撮れたの?」
「まあ、二、三」
「そんなもん?」
まあね、と撮影者は言った。それから彼は黙ってしまった。恰かも反省をしている犬のようにも見えるその無防備な彼の反省ぶりが私の目には過度にされた反応として映る。私は黙っている撮影者のことを暫く見つめた。何かを言い出しかねている心の奥の方で、彼のことを痛ましく思った。やがて、言いかけた。が、その途端に私は、依然おずおずとしている撮影者のことを慰めるような言葉をかけるよりも、さっさと歩き出してしまうことの方を選びたくなった。
私は歩き出した。すると先行している撮影者もそれに続いた。撮影者は首からカメラをぶら下げたまましかし、それを先のようには握りはしない、動きに合わせて揺れているカメラは撮影者の腹で弾んで遊んでいるかのようである。だが彼はそれでも後ろ歩きをして私の方へとは向きつづけていた。
「どうしてか、がまだ謎で」
「うん?」
「おれなんか撮って、良いものが仕上がるのかね」
「それは前に言ったよ」
「でも公平に言って、もっと良い被写体があるんじゃないか。大学に、いくらでもいるだろう」
「ううん、まあ」
撮影者は墓場の鬼太郎のように片目を瞑りながら、こつこつと頭の横を掌底で打っていた。頭が痛いのかもしれないが、私にはそうは感じられなかった。どちらかと言えばそれは、何かの誤作動をしているか、或いは一切何も作動をしていないのかもしれない撮影者の頭の中にある判断部分を、そうして無理に作動させようとする彼なりの対処法に見えた。
「なあ、教室に誰か、良い奴いないの」
「長田くん」
「なんだ?」
私は訊き返して撮影者を見るなりに、彼が何を言おうとしているのかを察していた。すると痛ましいという気持ちを鎮めていたはずの心に今度は、いや増して単刀直入な哀れみが溢れ反って来た。この時の私はまるで行為と口上とが不一致であった。少なくとも撮影者にそう受け取られてしまいかねない私の言葉は私の行為にとって矛盾的であった。
「いや、別に良いんだよ、おれはね」
「なにがだい?」
「撮ってくれるなとは思わないよ、おれをね。だから、撮ってくれりゃ良いよ、おれを。しんちゃんが撮りたいならね」
「うん、それなら良かった」
いや、矛盾を解消するのだとはいえそれは謂わば、本心からの嘘であったのだ。しかし、だけど、
「うん、だけど、危ねぇな」
「ええ?」
「相変わらず。ほれ、後ろ歩きが」
ほれほれ、と言って私は撮影者の方を指差した。撮影者の背後を、である。そこにまた昆虫の歯のようにぱかりと開かれた茂みの入り口が彼のことを待ち構えていた。
撮影者が振り返った途端、彼にそれへのどのような内的のきっかけがあったのかは判らない、妙な、短い、腹の中を一つでんぐり返りしてから飛び出て来たかのような興奮の声が忽ちに起こり、それから彼は掠れた声をさせて、あっぶねぇ、と言って身を躱すと、そうして躱した先ではもう既にカメラを覗き込んでいた。余りにもスムーズである。それが私にはたとえば、物理的秩序の下にある時空間へとされた撮影者の身体的な挑戦のようにも見え、しかもそれは確実に、世紀の大成功をしているのだと思われた。
(これが撮られるだけの価値だろうよ)
私はそう思った。それから私は向こう岸の土手を見た。もう自転車の男女の姿はそこにはなかった。私には見えなくなるまで遠くへと去って行ってしまったのか、それとも小丘を下って二人は他県の街へと影のように紛れ込んでしまったのか。いずれにせよ彼らの姿はもうそこにはない。
私はそう思った。
私は、そう思った、というよりもそのように認識をした。
私はそのように、認識をした、のだったがそれは、誤認だったのだ、と送らせたものをふと戻しやる視線の過りのさ中で私は気が付いた。
自転車の男女は未だ向こう岸の丘上にいるのである。それも、私が先に見たよりも私と二人とはそれほど遠く離れてはいなかった。
さて三度である。私は硬くなった頬を吊り上げた。
「おい!なんだそれ」
「なんだそれって、さっきのカップルじゃん」
撮影者は真一文字に結んだ不服の唇を向こう岸へと向けた。それから何一つ彼の興を引くもののなかったという無感動の面持ちが、そのままの形で私の元へと振り返って来た。
「撮るよ」
そうして撮影者は言った。それはただ言ったのではなく、妙だが、何か断言をしたのだという感じであった。その宣いと共に雑に振り上げられた彼の腕は振り上がりと同様の雑さをして振り戻ると、少しの間尻に隠れた。そこで彼は擦り付けた。尻が痒かったのであろう。
私たちは歩き出している。何も私には判らないという時に限って、パシャリ、と音は鳴る。私は少し気取って俯いてみる。すると、パシャリ。それだから味を占めた私は俯きつづけるのだったが、すると以降は音沙汰がない。
「何を撮っているんだ」
「何をって」
「おれの、何を」
「顔だよ」
「どんな顔?」
「そんな顔。謂わば、海に出会う顔だよ」
「へえ?それって、どんな顔だよ」
「嘘じゃない顔だよ」
「でも、嘘じゃない顔というのはどうして海に出会う顔なんだ」
「きみの顔は面白いくらいに気持ちが流れている顔なんだ。だからこの川がきみの心なら海に繋がっていて、自然とそれは海に出会っている」
「ふむ。そうでない時には?」
「小便の水溜まりみたいな顔だね」
それを聞いて私は少しの間、呆けたようになった。それから間もなく私は腹の底から笑い出した。私がいつまでも笑っているので撮影者は、でも本当にそうなんだ、と言い張った。それが本当、という撮影者の気持ちにまるで偽ったところを見出だせないのだからこそ私は、このきょとんとした悪口に思いもがけない爽快さを感じているのである。それで益々と腹底深くから私は笑いつづけてしまった。
私はとうとう屈み込んでしまうと手頃な石に手を付いた。身を崩してまで笑いつづけている私のことを撮りたいという趣味が撮影者にはなかったようである。そうしてしばらく丸まって揺れていると、にわかに撮影者が、ほう、と呟いた。
仰ぎ見ると撮影者は向こう岸へ手を振っていた。不様にしゃがみながら私は向こう岸を向いた。自転車の男女がこちらへと手を振っていた。つまり川を挟んで男女と撮影者とは手を振り合う挨拶を交わしていた。その途端私はひどく恥ずかしい気持ちになった。声を高らかにして笑い転げたいように屈んでいた私はそのまま、今は早速に逃げ出したい心をどうにかして庇うようにその場をうずくまっている私なのでしかなくなった。
「ああっと!やっちまってる」
と、見ていると、男女がこちらへ向かってピースサインを送り始めた。であるのなら彼らは私である被写体と撮影者とがその名の通りの関係を今しも働き合っているというその事実を、向こう岸からいつしか知ったのである。
「馬鹿にしてんのかな」
「そんな馬鹿な」
「……撮ってやんなよ」
「ううん」
撮影者は決して乗り気ではなかった。私は恥ずかしさから今度は可哀想な気持ちに心が移ろって来て、再度、撮ってやんなよ、と撮影者へと促した。すると、
「でも、あんな、二人してダブルピースだぞ!やってられっかよ」
「おいおい、だからこそ、だろ。ダブルピースだなんてもう、撮ってくれという撮られ待ちの姿勢じゃないか。ほれ、ずっと、あんなしてニコニコ……いや、すっごいな。ニッコニコだよな、あれ。こっからでも判るくらいのニッコニコじゃんか。おい、撮ってやりなって。あんなに維持して、待ってんじゃない。わざわざ手を振って寄こしてくれたことへのサービスだと思えや」
「寄こしてくれたって、別に手を振って欲しくなんかなかったから、ぜんぜん」
「良いじゃん。撮ったって現像してくれってまさか川ばちゃばちゃ渡ってまで催促しに来たりなんか向こうもしないだろうから、形だけでも良いじゃないの。ガン見をしたまま見捨てつづけるのは、あまりにも心が辛いよ」
「……じゃっ、まっ、形だけ」
そう言うと撮影者はしぶしぶカメラを覗き込んだ。すると間もなく、パシャリ、と鳴った。私はその途端に堰を切ったよう、二人の男女が丘を漕ぎ降りて来て、川縁から水柱を立てながら二機の戦闘機のようにこちら側へと突撃して来る様を夢想した。
「撮ったじゃん」
撮影者はカメラから顔を離すと向こう岸へ手を振った。それから彼はカメラからもう完全に手を離してしまうと、両の手を頭の上に掲げて大きく丸を作った。笑顔の彼から相手へ呼びかけようもない、ぐふぐふ、というみぞおちの音が鳴っているようだった。
それから向き直って来ても、笑顔のままの撮影者である。
「やぁ、しかしあんなに、やっちまうかね」
「やっちまう、ってのは?」
「ダブルピースだよ。ずいぶん、やっちまってるなぁ」
「それ、やっちまってる、って言うのか」
「言うんだよ」
おれは言わない、と私は思った。しかしそうして妙に初々しい笑みのままでいる撮影者のことが私には真っ白に見えた。その姿が熱を持ったハレーションのようにして私の頭の内に焼き付いて来るという感覚があった。するとその熱のためにかふと糸が切れて、私は進み出た。
「ねえ、お願いがあんだけど」
「なんだい」
「ちょっとおれにも撮らせてよ」
「ええ、何で」
「良いじゃん」
「でも、行っちまった奴らだよ」
「なんだ、それ」
「やっちまった奴ら。ほれ、もう既に、行っちまった奴ら」
撮影者は指を差した。しかし私はもうそちらへは目もくれなかった。代わりに私は撮影者の首元のホルダーに手をかけた。
「えっ、ちょい待ちぃ」
「まあまあ」
そうしてカメラを奪い取ってしまうと、手にずしりと凭れるその重量が如何にも大切そうなのであった。
「おいっ」
「大丈夫。で、これがシャッターを切るやつ、と。で、これがレンズ」
「いや、ファインダーね」
「ああ、それね」
私はカメラを意味深にして胸の手前に持って佇んだ。それから撮影者のことをじっと見据えた。私は唇を片方だけ吊り上げてみせた。
「おい、まさか。おれか、まさか、おれを撮るんか!」
更に深まった撮影者の笑みが同時に少しだけ強張ってしまったようにも私には感じられた。だがふいに投ぜられて波立つ波紋は現象として自然である。
「なあ、カメラサークル、入った方が良いぜ、しんちゃん。楽しいぜ、きっと」
「写真部だって、長田くん。ぜんぶ違ぇし、何にも知らないだろっ」
全部が違っている私にしても何も知らない私なのではないし、シャッターボタンとファインダーの位置とさえ判っていれば、写真も撮れないものではない。照れて笑んでいる彼の表情を次第に隠して行くと、日の出のように丸いファインダーが私の視界をやがて昇って来た。
すると海が見えたのである。
ああ、振り返る胸に生々しい鼓動が無くなったと判ったその時に、もうすっかり過去になったのだな、と切なく思われる。
この作品はまあ、フィクションですけれど。




