第3話
禁忌物語を探すなら、まずギルドの記録に当たるべきだ。
問題は、あたしが語り盗りだということ。ギルドの記録室に入ることはできない。正面から入ったら捕まる。裏口も監視されている。
「つまり」ハクが言った。「正攻法じゃ無理ってこと」
「正攻法が使えないなら、搦め手だよ」
「搦め手って?」
「ギルドの人間に聞く」
「ギルドの人間が語り盗りに協力するわけ——」
「協力じゃない。聞き出すの。語り部なんだから、話をさせればいい」
◇
カセンの中央広場。午前の公演が終わった後の舞台裏。
語り継ぎたちが休憩している。水を飲み、声のケアをしている。語り部にとって喉は命だ。公演後は必ず温かい蜂蜜水を飲む。
あたしは観客のふりをして舞台裏に近づいた。ハクは離れた場所で見張り。
一人の語り継ぎが、石段に座って蜂蜜水を飲んでいた。
若い男。二十歳くらい。背が高くて、姿勢がいい。黒い髪を後ろで束ねている。語り継ぎの正装、白い上衣と紺の袴が似合っている。首筋にギルドの紋章が刺青されている。
顔を知っている。レン。ギルド公認の語り継ぎ。カセンでは名前が売れている。「忠実なるレン」。原典に対する忠実さで評判だ。一字一句変えない。変異させない。
ん? 変異させない?
あたしの語りも変異しないとハクが言っていた。偶然だろうか。
「すみませーん」
声をかけた。レンが顔を上げた。鋭い目。
「何か」
「さっきの公演、すごかったです! あの海戦の場面、波しぶきが顔にかかりましたよ」
「ありがとう」
礼は言うが、笑わない。真面目な男だ。
「あの……質問してもいいですか? 語り部に興味があって」
「手短に。次の公演がある」
「禁忌物語って、どういうものなんですか?」
レンの目が変わった。社交的な表面が消え、警戒が浮かんだ。
「なぜそんなことを聞く」
「好奇心です」
「好奇心で聞くような話じゃない」
「じゃあ、真剣に聞きます。『鳥の花嫁』って知ってますか?」
レンが立ち上がった。蜂蜜水が石段にこぼれた。
「誰だ、おまえは」
「通りすがりの——」
「嘘は語りでわかる。おまえの声には盗りの癖がある。語尾の置き方が訓練されていない。ギルドの人間じゃない」
バレた。早い。さすが「忠実なるレン」。
「……語り盗りです」
「名前は」
「ソラ」
「……聞いたことがある。境街のソラ。語り盗り。『禁忌物語を探している語り盗りがいる』と」
「え、もう噂になってるの」
「市場の仲買から話が流れるのは早い」
あたしは一歩下がった。逃げるべきか。でもレンは通報する動きをしていない。立っているだけだ。あたしを見ている。
「逃げないのか」
「逃げたほうがいい?」
「逃げたほうがいい。俺はギルドの人間だ。語り盗りを見つけたら報告する義務がある」
「でも、まだ報告してない」
「……」
レンが黙った。あたしを見ている目に、怒りだけじゃないものがある。
「『鳥の花嫁』を探してるのか」
「はい」
「なぜ」
「消えかけてるから。キソさんの記憶の中でもう薄れてて、来年には消えるかもしれない。物語が完全に消えるのを、黙って見てられない」
「消えるのは仕方がない。語り継がれなかった物語は消える。それが自然なことだ」
「自然だとしても——」
「お前たち語り盗りが『救う』から物語が歪む。盗んで語り直して、変異させて、元の形がなくなる。消えたほうがましだ。歪んだまま残るよりは」
レンの声に力が入っている。信念の力。この男は本気で「忠実な継承」を信じている。
「勝負しないか」
え?
「語りでぶつかろう。俺とおまえで。同じ物語を語って、聞き手の心を動かした方が勝ち」
「いきなりすぎない?」
「おまえが語り盗りかどうか、俺が自分の目で確かめたい。語りを聞けばわかる。盗りの語りには、盗みの匂いがする」
挑戦だ。受けるか逃げるか。
逃げればいい。安全だ。レンと関わる必要はない。禁忌物語の情報は別の方法で探せばいい。
でも、レンの目が気になった。怒りの奥にあるもの。嫉妬じゃないけど、嫉妬に似ている。正しいことをしている人間の、正しさの裏にある苦しみ。
「受ける」
◇
場所は中央広場の隅。石壁に囲まれた小さな空間。聞き手は通りがかりの五人。子供がふたり、老婆がひとり、若い夫婦がひとり。
ルールは単純。同じ物語を語り、聞き手の拍手で決める。
「物語は?」レンが聞いた。
「あんたが選んで」
「『旅人の靴』」
古い寓話だ。ボロボロの靴で旅を続ける男の話。靴が壊れても歩き続ける。最後に靴が完全に壊れたとき、男は裸足の地面の温かさに気づく。
レンが先に語った。
完璧だった。
声の強弱。間の取り方。ビジョンの解像度。男の靴底がすり減る音が聞こえた。砂利道の振動が足裏に伝わった。聞き手全員が物語の中に入り込んでいる。子供が息を止めている。
靴が壊れたとき、男の足裏に大地の温かさが来た。あたしにも来た。足の裏がじわりと温かくなった。
レンの語りが終わった。拍手。全員が拍手した。
うまい。本当にうまい。原典に忠実で、一字一句の正確さに加えて、感情の注ぎ方が丁寧だ。
あたしの番だ。
同じ物語を語る。でもあたしは持っていない。『旅人の靴』を盗んだことがない。
盗んだことがない物語を、どう語る?
答えは一つ。レンの語りから盗む。今。ここで。目の前で。
「ちょっと待って」
あたしは目を閉じた。さっき聞いたレンの語りの中に入る。核を探す。
あった。靴が壊れる瞬間。ボロボロの革がぱきんと裂ける音。その瞬間の静寂。
でも、盗まない。
ハクの言葉が頭をよぎった。「おまえは盗んだ物語を大事にしている。自分のものにしようとしていない。だから変異しない」
自分のものにしない。でも語る。
あたしは目を開けて、語り始めた。
「男がいた。靴がボロボロだった」
レンと同じ出だし。でもあたしの声は違う。レンの正確さはない。でも、もっと不器用で、もっと正直な声。
靴がすり減る。砂利道。足が痛い。でも歩く。歩くしかない。旅を続ける理由はもう忘れた。でも歩いている。
あたしのビジョンが広がった。レンのビジョンとは微妙に違う。色が違う。レンの靴はこげ茶だった。あたしの靴は、赤い。赤い革の靴。革が日に焼けて、赤から赭に変わっている。
変異してる? いや、変異じゃない。あたしの中を通ったことで、色が変わった。でも核は同じ。靴が壊れる。足裏が地面に触れる。温かい。
「靴が壊れた。ぱきん、って。男は立ち止まった。足の裏に、土の温かさが来た」
あたしは少し笑った。語りの中で笑った。
「男は笑ったんだ。なんでかって? 靴があったとき、地面の温かさを知らなかったから。持ってたものが壊れて初めて、持ってなかったものに気づいた」
語り終えた。
拍手。
でもレンのときより少ない。三人。子供ふたりと老婆。若い夫婦はレンに拍手した。
負けた。
負けた、けど。
老婆が近づいてきた。あたしの手を取った。
「あんたの靴は赤かったね。あたしの靴も赤かったんだよ。若い頃。赤い靴を履いて——」
老婆の目が潤んでいた。あたしの語りが、老婆の記憶に触れたのだ。
レンの語りは完璧だった。でも完璧すぎて、聞き手の余白がなかった。あたしの語りは不完全だった。不完全だから、聞き手が自分の記憶を重ねた。
「……おまえの語り」
レンの声。振り向いた。
レンの目が変わっていた。怒りが消えている。代わりに、困惑がある。
「変異してなかった」
「え?」
「おまえの語り。俺の語りから核を取ったのに、変異していなかった。核はそのまま。色が変わっただけだ。おまえの色だ。でも核は俺の語りのまま」
「……」
「それは……盗りなのか? 盗りというのは、元を歪めることだ。おまえは歪めていない。じゃあ、おまえがやったことは何だ」
あたしにもわからなかった。
「借りた、のかも」
言ってみた。自分でもよくわからない言葉だった。
「借りた?」
「盗んだんじゃなくて、一時的に借りた。返すつもりで持った。だから歪まなかった」
レンが黙った。長い沈黙。
「『鳥の花嫁』」
「え?」
「三十年前に禁忌指定された。理由は、物語が聞き手の中で暴走的に変異したからだ。聞いた人間の感情を激しく揺さぶり、制御不能な変異を引き起こした。ギルドは危険だと判断した」
「レン……!」
「言っておく。俺はおまえを見逃すわけじゃない。語り盗りは犯罪だ。だが、『鳥の花嫁』について知っていることを教える。条件がある」
「条件?」
「見つけたら、俺に語らせろ。禁忌であっても、物語は語り継がれるべきだ。忠実に。歪みなく」
レンの声が震えていた。正しくあろうとする人間の、正しさの限界での震え。
「わかった」
あたしは手を差し出した。レンが一瞬躊躇して、握った。
硬い手だった。正しい手だった。
◇
帰り道。ハクが遠くから見ていた全てを聞いた。
「あいつ、信用できるの」
「わからない。でも手がかりは必要だし」
「おまえの語り、聞いたよ。距離があっても変異の音はわかるから」
「……どうだった?」
「静かだった。レンの語りは正確だけどうるさい。物語を制御してる音がする。おまえの語りは、静かだった。物語がそのまま出てきた感じ」
「それって褒めてる?」
「分析だよ」
「分析でいいから褒めて」
「帰るよ」
ハクが歩き出した。あたしも追いかけた。
レンが教えてくれた情報。『鳥の花嫁』を最後に語った語り部は、三十年前にギルドから追放された。名前は……灰色のヨミ。
師匠。
あたしの師匠の名前が出た。




