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語り盗り(カタリドリ)  作者: 肉球ぷにぷに


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第2話

 物語市場カタリイチは、カセン南通りの大広場で毎週三日開かれる。


 正確には、大広場から裏路地まで含めた一帯が丸ごと市場になる。出店が並び、天幕が張られ、広場の中央には石の舞台がある。午前中はギルド公認の語り継ぎが公演を行い、午後は自由市場。自由市場というのは建前で、実態は半分が闇取引だ。


 あたしたちは午後から行った。ハクの助言通り。


「人が多い」


「大市だからね」


「おまえの顔、覚えられてるんじゃないの。ギルドの巡回に」


「あたしの顔なんて覚えるほど暇じゃないでしょ」


「前回、追いかけられて水路に落ちたの忘れた?」


「あれは滑ったの」


「追いかけられて滑った?」


 ハクが呆れた顔をしている。いつもの顔だ。あたしはハクの呆れ顔が嫌いじゃない。



 市場の雰囲気が好きだ。


 天幕の下で語り部が小声で物語を語っている。聞き手が二、三人ずつ集まって、耳を傾けている。語られる物語のビジョンが、天幕の中に薄い光として漂っている。恋物語の天幕はほんのり桃色。戦記は赤。怪談は青黒い。


 物語の匂いも混ざっている。焼けた砂の匂い。花の匂い。潮の匂い。全部が混ざって、市場独特の空気を作っている。


「ハク、変異の音はどう?」


「……うるさい」


「それは嫌な感じのうるささ?」


「市場はいつもうるさい。何十個の物語が同時に変異してる。頭の中で百人が同時に喋ってるみたいな感じ」


 ハクが眉間に皺を寄せている。人混みが苦手なのはこれが理由だ。変異の音が多すぎて、頭が痛くなる。


「早く済ませよう」


「了解」



 まず竜殺しを売る。


 天幕の一つに入った。座布団が敷いてある。奥に中年の女がいた。目が細くて、腕に模様がある。語り部の刺青。ギルド非公認の売買人。市場では「仲買なかがい」と呼ばれている。


「何を持ってきた?」


「竜殺し。古い話だけど、核がしっかりしてる。死から生が生まれるやつ」


「聞かせて」


 あたしは語った。短く、核だけを。


 竜の血が大地を焼く。焼かれた土から草が芽吹く。英雄は振り返らない。剣は折れている。でも笑っている。


 仲買の目が光った。


「いいね。解像度が高い。これ、元はどこの語り部?」


「知らない人。酒場で語ってた」


「盗りなんだね」


「ご想像にお任せします」


 仲買が笑った。市場では盗りかどうかを問うのは野暮だ。物語の質だけが価値基準になる。


「何と交換する?」


「物語を探してるんだ。子供の頃に聞いた物語を忘れかけてる老人がいて、その物語を見つけたい。手がかりになるものがほしい」


「手がかりって?」


「その物語の断片を持ってる人。あるいは、似た系統の物語の所持者」


 仲買が考えた。指で顎を叩いている。


「老人の名前は?」


「キソさん。カセン東区」


「キソ……ああ、知ってるよ。元ギルドの記録官だ。引退してからずっと物語を集めていた。コレクターだよ」


「知ってるの?」


「市場のことは大体知ってる。キソの探してる物語って、『鳥の花嫁』でしょ」


 あたしとハクが同時に仲買を見た。


「有名な話なの?」ハクが聞いた。


「有名じゃないけど、キソがずっと探してることは知ってる。ただ、あの物語は——」


 仲買の声が低くなった。


「ギルドの禁忌物語きんきがたりに指定されてる」



 禁忌物語。


 あたしたちは天幕を出て、市場の端っこ、石壁の影に座り込んだ。丸パンの残りを齧りながら、状況を整理した。


「禁忌物語って何?」ハクが聞いた。


「語り部ギルドが『語ってはならない』と指定した物語。理由はいくつかある。強すぎるビジョンで聞き手に害を与えるとか、社会的に危険な内容だとか」


「『鳥の花嫁』は何が危険なの?」


「わからない。仲買も詳しくは知らないって。ただ、三十年前に禁忌指定されたらしい」


「三十年前……キソさんが子供の頃に聞いた物語と時期が合う」


「そう。たぶんキソさんは禁忌指定される前に聞いたんだ。で、年を取って記憶が薄れてきて、もう一度聞きたいと思ってるけど、禁忌だから誰も語れない」


「語れない物語を探すのは——」


「語り盗りの仕事だよ」


 あたしはニッと笑った。ハクは笑わなかった。


「危ないよ」


「危なくないよ」


「禁忌物語に関わったら、ギルドが黙ってない」


「ギルドに見つからなきゃいいでしょ」


「その論法はいつか——」


「破綻する。知ってるよ。でもさ」


 あたしは石壁にもたれて空を見た。雲が流れている。市場の喧騒が遠く聞こえる。


「キソさんは年を取ってる。あとどれくらい覚えていられるかわからない。物語は語られなくなったら消える。キソさんの中の『鳥の花嫁』が消えたら、この世界から永遠に消えるんだよ」


「……」


「物語が消えるのは……あたしは、嫌だな」


 ハクが黙った。しばらくして、小さな声で言った。


「おまえ、盗むのはいいのに消えるのは嫌なんだ」


「矛盾してるって?」


「してる」


「うん。でもそうなんだもん」



 市場を離れて、カセン東区に向かった。


 東区は静かな住宅街だ。石造りの家が並んでいる。路地が狭い。洗濯物が窓から窓に渡したロープに干してある。


 キソさんの家はその一角にあった。小さな家。門の横に花壇がある。季節外れの花が咲いている。


 戸を叩いた。


「はいはい」


 出てきたのは、背の曲がった老人だった。白髪。深い皺。でも目が、目だけが、若い。物語を見てきた目だ。たくさんの物語を、たくさんの声で聞いてきた目。


「パン屋のおばちゃんから聞いて来ました。ソラです。こっちはハク」


「ああ、聞いてるよ。語り盗りの娘だって」


「直球ですね」


「年を取ると回りくどいのが面倒になるんだ。上がりなさい」



 キソさんの部屋は、物語で満ちていた。


 壁一面に棚がある。棚には瓶が並んでいる。透明な瓶。中に色のついた霧が漂っている。赤、青、金、灰色。物語を瓶に封じたものだ。語り部の技術で、物語をビジョンごと保存できる。ただし長くは持たない。封じた瓶の中でも、物語は少しずつ変異し、最終的には霧が消えて空になる。


 棚の半分以上の瓶が空だった。


「消えちゃったんですか」


「年月だよ。物語は生き物だからね。瓶の中でも永遠には保てない」


 キソさんが椅子に座った。あたしとハクは床に座っ。


「『鳥の花嫁』を探してるって聞きました」


「ああ。……知ってるのかい? あの物語のこと」


「名前は聞きました。禁忌物語だって」


 キソさんの目が遠くなった。


「わしが七つのときに聞いた物語だ。旅の語り部が小さな広場で語っていた。聞き手はわしひとりだった。夕暮れでね。オレンジ色の光の中で……」


 声が震えた。七十年前の記憶。


「鳥が人間の花嫁になる話。ただの昔話に聞こえるだろう? でも違ったんだ。あの語り部のビジョンは、わしが見た中で最も美しかった。鳥の羽根の一枚一枚が、わしの肌に触れたんだ。風が……」


 キソさんが言葉を失った。思い出せないのだ。七十年前の物語の細部が、年月とともに薄れている。核はまだある。鳥が花嫁になる。でも細部が。ビジョンの解像度が……。


「大事なところが消えていく。毎日少しずつ。来年にはもう何も残っていないかもしれない」


 あたしは胸が痛くなった。物語が消えていく痛み。


「探します」


「探しておくれ。見つからなくてもいい。でも——」


「見つけたら、語って聞かせます。あたしの声で」


 キソさんが微笑んだ。皺の奥の若い目が、少しだけ潤んだ。


「報酬は……この棚から一つ、好きな物語を持っていきなさい」



 帰り道。


 夕暮れの石畳を歩きながら、ハクが言った。


「禁忌物語を探す。ギルドに見つかったら捕まる。それでもやるの」


「やる」


「理由は?」


「物語が消えるのが嫌だから」


「おまえの物語じゃないのに?」


「だから何」


 ハクが足を止めた。あたしも止まった。


 夕日が石壁を赤く染めている。ハクの横顔が半分影になっている。


「おまえの語りが変異しない理由、少しわかった気がする」


「え?」


「おまえは盗んだ物語を大事にしてるんだ。自分のものにしようとしてない。だから変異しない。変異は語り手の欲望が加わったときに起きる。おまえには……」


 ハクが言いかけて、やめた。


「続きは?」


「やめた。褒めたら調子に乗るから」


「褒めてたの!? もっと言って!」


「帰るよ」


 ハクが歩き出した。あたしも追いかけた。


 夕焼けの中を走った。物語の市場の匂いがまだ髪に残っていた。

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