ハードル 05 ハードリング
「見事なもんです」
混乱する無線の応答を聞いていた新人が心底感心したように言った。
「町中の反社会組織を炙り出してくれてますよ。こいつの目的はなんなんですかね?」
容疑者は赤子という発信器を付けて逃げているようなものだ。
町中に子どものいないこの国では、赤子の泣き声はあまりにも目立つ。
警官隊の追跡を振り切る健脚は驚くばかりだが、次々と入る通報で行き先は知れる。
「それにしたって逃走が鮮やかすぎます。まるで警官隊の配置を知っているみたいだ」
「いつまでも逃げられるわけじゃない。必ず捕まえる」
「この調子で町から異分子を全部見つけ出してくれませんかね?」
「それは容疑者の逃走が続くことを望んでいるように聞こえるが?」
私は新人を睨む。
刑事として言っていいことと、言ってはいけないことがある。
ベテランとしてはそれを新人に教えることも職務のうちだ。
「次々と反社会的組織のアジトが摘発されていますよ。いいことじゃないですか。リコール権も持たない非人間どもですよ」
助手席で個人端末を弄っていた新人は私に画面を見せつけてくる。
「この通り、容疑者は壁に追い詰められてきてます。心配しなくとも時間の問題ですよ。朝日が昇る前に片は付きます。それこそ警察内部に協力者でもいない限りは」
感情を感じさせない無機質な瞳が私を見つめている。
「そんなものがいたとして容疑者を捕まえたら芋づる式に見つかるだろう」
「非合法市民の大豊作だ。明日は収穫祭ですねえ。捕まえた非合法市民ってどうなるんでしたっけ?」
「罪の重さによる。収監後、処置をして登録市民になれる場合もある」
「そうなんですか? そんな奴ら残しておく意味ないじゃないですか?」
「等級無し登録市民だ。誰もやりたがらないが必要な仕事ってのが世の中にはたくさんある。市民がそんな職が存在していることすら知らないような仕事がな」
「清掃業とかですか?」
「頭に特殊ってつけたらそうなる」
首を傾げた新人は手元の個人端末で言葉を調べたようで、渋い顔になった。
「こんなのロボットにやらせりゃいいじゃないですか」
「現場によって状況が違う。一々機械をカスタマイズするより人間にやらせたほうがコスパがいいんだ。好きだろ。コスパ」
「こんなやつら処刑でいいと思いますけどね。人間なんていくらでも生産できるじゃないですか」
「人を大人にするまでにかかるコストを舐めんなよ。すでにある資源を有効活用したほうがいいに決まっている」
「確かに、せっかく優秀な人間を生産するためにコストをかけているのに、こんな仕事しかないんじゃもったいないですもんね」
「そうだな」
反吐の出る話だ。
この社会は市民が最大限幸せになれるように配慮されている。
妊娠、出産、育児、恋愛、結婚、介護のような人生にのしかかるコストはすべて排除された。
個人は責任を果たしてさえいれば、その個人の幸せを追求すれば良く、そこに他者との関わりは関係がない。
承認欲求だってAIとの対話で満たされる。
他人を必要としない社会だ。
そしてそれは大成功している。
「本当に重要なものは数字ではない」
「アインシュタインですか? 急にどうしました?」
「コスパじゃわからないこともあるってことだ。この容疑者はコスパなんて気にもかけていないだろ。確かに壁際に追い詰めている。追い詰めているが、それはコスパを考慮した判断じゃないか? 容疑者がコスパの欠片もない行動に出ることは計算に入れてあるか?」
「先輩は将棋ってご存じです?」
「昔あった二人零和有限確定完全情報ゲームだな。全ての手筋が解読されて廃れたと聞いたことがあるが」
「この手の対戦ゲームは勝つための最善手は決まっています。もっともコスパのいい手がある。もしも相手がそれを外してきたら、ちゃんと咎める。それでより早い勝利を得られます。いいですか? もっともコスパのいい手以外はコスパが悪いんです。邪道は正道には勝てませんよ」
「そうだな」
正しいコスパのいい人生。
経済的な成功。
個人の幸福の追求。
すべてが満たされた世界なのだとしたら、欠けているものがひとつある。
それは満たされないことによる渇望だ。
より良くなりたいという前に進む力だ。
人を前進させるエネルギーだ。
人口が増え、経済的に成長していても、この国は本当に前に進んでいるのか?
私は昔に出会った一人の女性を思い出していた。
彼女の顛末を。
アクセルを踏めば車は前に進む。
だが人が前に進むためにはもっと複雑な手順が必要なのだ。




