神狼様の番?何それそんなの知りません
つたない文章ですが、楽しんでいただけたら幸いです。
神が世界を創造した時、徳高い者に神は恩寵を与えた。
美しく強靭な肉体と、神と同じ二本の腕と二本の脚の姿『神体』だ。
それから長い時が流れ、神の愛し子『龍』を王に頂き、神類は発展してゆく…。
しかし、直系から離れれば力が衰えるのは道理。それは各神類に起っていた。
神狼族より退化した狼族。狼族より能力が衰えた犬族。
ルピナスはその犬族出身の、狼族の姫に仕える騎士だ。
『狼』は仲間意識と忠誠心に優れ、『龍』を最も近くで守護した誇り高き一族。その功績により恩寵を賜り『神』へと至った。
犬族は神狼族より大きく能力が劣化しているとは言え、その忠誠心は決して劣ってはいない。
「姫様!私は姫様の騎士です!」
「そうねぇルピナス。あなたはわたくしの自慢の騎士よ」
「病める時も健やかなる時も、死んでも生まれ変わっても世界が終わっても、姫様の騎士です!」
「うーん忠誠が重い」
赤茶の肩で切り揃えた髪、くりくりとした黒目、溌溂とした表情、いつでも元気いっぱいで、主に尽くせる事こそ最上の喜び。まさに『犬』。そのルピナスは必至の形相で主である姫に詰め寄っていた。
「どうして私が、王都へ行かないといけないんですか!」
龍王に仕える第一近衛騎士団長フェンリル。それが『番』を探している。
番とは単なる伴侶と言う意味ではない。
神が与えたその者自身の、肉体と精神と魂と愛に、最も相応しい相手を探しだす本能だ。
まだこの世界が混乱に溢れ、一族が乏しい頃、神が種の繁栄を願って与えた。
神類が栄えた現代ではすっかり退化能力である。しかし『神』を冠する神類の一族は、神から寵愛されている証として番を持つ事に拘る。
しかし当の現代神類さえ、番を見極める感覚がどう言ったものか分からない。
番は、番同士でしか己のそれだと分からない。なので高貴な一族は、伴侶を公にする際は「私の番です」と宣言する。
それで体裁を整える。
実際はごりっごりの政略結婚でもだ。
ルピナスにはとんと理解できない。
「そんな今生の別れのように取り乱して。一向に番を持たれない神狼様の若君様に番を見つけて貰う為に、年頃の狼の眷属は王都に参上するようお達しなの。あなたが番でなければ直ぐに帰ってこれるのよ」
「王都ってやたら遠いじゃないですか!番探しっていつまでかかるんですか!お貴族様の体面の為に姫様と離れ離れなんて耐えられません!せめて姫様もご一緒して下さい!」
「わたくしはデビュタントですでにご挨拶しているから、お呼ばれされてないのよね。お父様がぎっくり腰で役に立たない……ごほん、心配だから領地を離れられないし」
「うわあああ!いやですうぅ!姫様と離れたくないですぅ!」
とうとうルピナスは床に這い蹲って泣き出した。バタバタと手足を動かして、悲痛に不満を訴える。
時間でも距離でも、こんなに離れる事は初めてである。耐えられない。無理だ。
「ルピナス…」
姫はおいおいと泣くルピナスの頭を優しく撫でた。
はっと、ルピナスは希望の瞳を主へと向ける。
「行け」
「うわあああああああああああああああ!」
ルピナスは散々大暴れしたのち、疲れて抵抗が弱まった隙に馬車に押し込まれ、王都へと連行されるのだった。
フェンリルは高貴な神狼族の中でも、龍王の側近を任されたエリートである。
だからこそ、伴侶は番でなければいけなかった。
完璧で美しき狼。それがフェンリルだった。
厄介極まりない。
高貴な身分も立場も。
俺は主である龍王様にお仕えできればそれでいい。
武を極めたのも、近衛騎士団長になったのも、全て龍王様のお側に侍る為。
なのに周囲は、俺を更に飾り立てたくてたまらないらしい。
宝物を自慢する様に、神狼族の威信はここにあると示したいのだ。
あとは『番』だけだと、一族がせっついてくる。特に熱心なのは母だ。
一族で選りすぐった美女やら才女やら、「きっとこの娘が番だろうから会ってみろ」と煩い。
父も母も番ではない。番なんて広大な砂漠の中で、一粒の砂塵を見つけるようなもの。
遥か昔のお伽噺だ。
立場上、いつかは妻を娶らねばならないのだろう。
だが、なんだ。
母がこれぞと思う令嬢を選んだそうだ。
その令嬢と絶対に結婚させたいらしい。
自慢の息子の番が見つかるまでの演出に、無関係な眷族まで呼び寄せる程に。
多くの令嬢達からやっと見つけた、俺だけの番…。
ロマンなら自分の妄想ですませろ。
これなら、自分で相手を見つけておけば良かったのか。
しかし幼い頃から「この令嬢は?番じゃない?よく感じ取って!」と、圧力をかけ続けられて、すっかりこういった事に辟易してしまった。
デビュタントで挨拶にやってくる令嬢と、無感情に眺めていた日々を思い出しながら、母の用意した『番』に重い溜息を吐いた。
ルピナスは激怒した。
必ず唯一無二の主の下に戻らねばと決意した。
ルピナスには政治は分からぬ。姫の側で守り、姫の温かい手に撫でられ、誉められ時に叱られ、姫と共にある事こそがルピナスの幸せである。
「神狼の若様の番はもう決まっていて、その他大勢の私達は演出で呼ばれたですって?ふざけんじゃないわよ!」
こんな茶番に主が巻き込まれないで良かったと思うと同時に、こんな茶番に巻き込まれ、主から引き剥がされた怒りが込み上げてくる。
たかが犬の小娘が神狼族の番に選ばれる訳がないと、せせら嗤った令嬢の歪んだ顔の醜さよ。
思い出すと、主の美しい微笑みとの比較が頭を過り、ルピナスはきゅんきゅんと寂しさで鳴く。
会いたい。私の姫様に会いたい。
「どうした⁈」
庭園、と言えば聞こえがいいが、王侯貴族があまり訪れないので、最低限の手入れしかされず、華やかさの欠片も無い忘れられた場所。
ルピナスは自分を子犬だと馬鹿にしてくる連中が煩わしくなり、噛み付いたら主の迷惑になると自制して、ひとりこの場所に来ていた。
「誰?」
またそこに突如現れた謎の男。
自分より上位種であるのは分かる。感じる威圧感は狼の非ではない。
黒い房が混じるシルバーグレイの髪、アイスブルーの瞳、怖いくらいに整った顔立ち、礼服の上からでも分かる、鍛え上げられた肉体。
ルピナスが座り込んでいるのもあるが、見上げる姿は首が痛くなる程高い。ルピナスなど一口で飲み込めそうだ。
「何故泣いているんだ?どこか痛いのか、苦しいのか?」
「いや、だから誰?」
今のルピナスには上位種だからと、気を使う余裕はない。理不尽な理由で主から引き離されたと、王宮の連中には鬱憤が貯まっているのだ。
あと上位種だらけの環境に、感覚がすっかり麻痺してしまっていた。
「おっ俺はこの城に仕える騎士だ。君も見た所、何処かの領主に仕える騎士だろう?主の出仕に付いて来たのか?主と逸れて困っているのか?」
オロオロと男は言う。
主と逸れてと聞き、ルピナスの瞳が揺れる。
私の姫様…。寂しい…。会いたい…。
うるうるとルピナスの瞳が揺れる。
「なっ泣かないでくれ!」
男はこの世の終わりかと思う程動揺している。
その姿にルピナスは少しいい気分になった。ちょっとした意趣返しのつもりで、これまでの愚痴を男に喋った。
子犬のように丸っこく縮こまったルピナスの隣に、長い手足を必死に折り畳んで男が寄り添う。
きゅんきゅんふんふんと嘆くルピナスの話を、男は黙って聞いていた。
「それでお前は、自分が番だと名乗れもせず、すごすごと引き下がってきたのか!」
必要なものだけで整えられた龍王の執務室。簡素だが威厳は十分にある。
重厚な椅子に腰かけて、その肘置きに頬杖を付いているのは龍王だ。
神の実子にして、この世界の創世の頃より王として君臨する唯一の龍。
ほっそりとした体躯に、金糸の長髪に虹色の瞳の美青年の姿をしているが、とある時代では妖艶な美女、とある時代では鋼の肉体を持つ壮年の男性と、その姿は絶景が時間と共に移り変わって行くように定まっていない。
「陛下、楽しそうですね…」
「これが楽しくないはずないだろう。今代最強と名高い神狼の騎士が、番となったら格下の子犬相手に手も足も出せないとは、傑作ではないか!」
とうとう龍王は腹を抱えて笑い出した。
番と言うものにすっかり辟易し、今回の『お見合い』にも嫌気がさしていたフェンリルが、母の策略で集められた『番』候補にまんまと魅了され、その番からの印象が最悪だと知って落ち込んでいる。
ソファーに力無く座る様子は、耳が折れ、尻尾が垂れさがった犬の様だ。
こんな側近の姿、そうそう見られるものではない。
「お前がここ数日機嫌が悪いと耳にしていたが、まさか番が現れて、その気配に落ち着かなくなっていただけとはな」
「…生まれて初めての感覚だったのです。それがムズムズして、どう処理していいか分からず…」
「官吏達は、番候補の令嬢以外が媚びを売ってきているのにおかんむりだと、戦々恐々としていたぞ」
「その令嬢自体、母が勝手に推挙しているだけで、俺は何も感じていません」
自称番の令嬢は、既に番きどりだった。婚約発表はいつにするか、婚礼衣装はあのブランドで、指輪はあれがいいと。
普段なら、適当にあしらえるし聞き流せる。
しかし、本物の番の存在を無意識に感じ取り、気が立っていたフェンリルには自称番の令嬢も、その他大勢の令嬢にも気を遣う余裕が無かった。
令嬢達の輪から強引に抜け出して、全身の毛がざわつく方へ向かう。
本能がこっちだと指差している。
導かれる様に辿り着いた先に、それはいた。
番だ。
理屈ではない。本能がそうだと告げている。
まるで茶色い毛玉の様に丸まって……泣いている?
気付いたら名乗りもせずに飛び出していた。
何者だと問う番の声は、甘く心地よく耳に響く。まん丸の黒い瞳に見られているだけで、心臓が早鐘を打つ。
神狼族のフェンリルだと知られたら、変に距離を取られてしまうかもしれないと、中途半端にしか名乗れなかった。
泣いていた理由を問えば、彼女もまた母が用意した『番』候補だった。いや彼女こそ自分の番だった訳で、つまり母のお陰で彼女を見つけられたと言う……釈然としない。素直に感謝出来ない。
何より自分のせいで番が苦しんでいる事が、許せない。可能なものなら自分自身を切り裂いてしまいたい。
番の名はルピナス。主である狼族の姫の忠実な騎士。
自分のせいなのに、主を健気に想う姿、寂しさを堪え震わせる唇が、いじらしくて可愛らしくて、愛おしくて。今すぐに巣穴に連れて帰りたい。
「神狼だか、番だか、どうでもいいです。姫様とはずっと会えないし、田舎者の汚い子犬って馬鹿にされるし」
誰だ我が番を侮辱した者は。粛清してやる。
「さっさと番を決めて、早く解放されたいです。お偉い騎士様のせいで、私は姫様と離れ離れ」
すんと鼻を啜る。それに息を飲んだフェンリルの心境など知らず、番はとどめの一撃を放った。
「フェンリル様なんて嫌いです」
その後、どうやって帰ったのか、フェンリル覚えていない。
ひいひいと、龍王は腹を抱えている。
座っていられなくて、床に膝を突いている。
笑い事ではない。フェンリルにとっては死活問題だ。
番から拒絶される事は、戦場で敵に囲まれるよりも、腹に剣が突き刺さった時よりも、ずっとずっと恐ろしく痛かった。
このまま嫌われたままでは、恐らく、いや絶対、俺は死ぬ。
「それで肝心の番はお前が番だって気付いていないのだろう?何世代も下がってるうえに、退化した犬族だからな。番の本能などすっかり無くなっているんだろう」
「陛下、俺を今すぐにでも殺したいのですね」
死んだ魚の眼差しで、フェンリルは龍王を見下ろす。
ひいひいと笑いながらも龍王は立ち上がり、すまんすまんと表情を取り繕う。しかし口の端が震えている。
「可愛い部下が困っているのだ。ひと肌も百肌も脱いでやろうではないか!」
いそいそと執務室の一角、重苦しいカーテンが掛かっている前へ移動する。
シャっとカーテンを開けると、壁一面が棚になっていた。
「私の経験から、こう言った事は受ける代償が大きかろうが、早期解決が一番だ!」
棚の中には悠久の時を生きる龍王の、無聊を慰める品々がみっちりと納められている。
主に書物だった。石板から始まり、粘土板木簡羊洋紙など、ジャンル問わず様々あるが龍王の好みは恋愛ものだ。
「お前達の様に、高貴な者の番になると思いもしなかった少女が、なんやかんやとトラブルに巻き込まれ、番とすれ違い、最悪命に関わる事態に巻き込まれるなど、定番過ぎて臍で茶が蒸発するわ!」
「まっまさか、そんな…!」
「番に嫌われたくない、守りたい。それがかえって番を追い込み、危機に晒し、仲をこじらせるのだ。考えて見ろ、状況を正しく説明し誠実に対応する事が、番の心を平穏にし、此方を受け入れて貰える最善の方法であろう?」
「しっ、しかし、今の苦境の原因を俺のせいだと明かすのですよね?拒絶や軽蔑をされるのでは…?」
「当然であろう!」
「え?」
「番にとっては理不尽極まりない事態だ。怒り心頭、激おこぷんぷんの助ムカッ腹ぼんばーだ!だからと言って現実から目を背けるのか?肝心な確信から逃げるのか?人気が出たからと出版元の頼みでクライマックスをズルズル引き延ばし、かえって読者離れを誘発し、グダグダになった作品なんて私はもう読みたくないのだよ!」
「あの、違う話になってませんか?」
とにかくと、龍王はコレクションを前に大きく両腕を広げた。
びくっとフェンリルは身を竦める。
「有識者の意見は絶対だ!騙されたと思って玉砕してこい!」
「玉砕は嫌です!」
びしりと外の方向を指差した龍王に、フェンリルは悲鳴混じりの抗議を上げる。
「だが、他に方法はあるか?」
ぐっと、声が詰まる。
「親切な誰かが、番がお前にベタ惚れになるお膳立てをしてくれるとでも?天下のフェンリル様が情けないことよの~」
再びフェンリルの身が震えたが、それは屈辱からだった。
誇り高き神狼が、番を得るのに他の者に干渉されるなど、屈辱も屈辱。
さらに番を定めれば、それに対する執着心と独占力はそれ以前の非ではない。
「……陛下、しばし御前を失礼致します」
深々と頭を下げたフェンリルに慇懃に頷いて、龍王はその背中を見送った。
ぱたりと扉が閉まると、くつくつと笑う。
「まったく。子にはいつの時代も手を焼かされる」
面倒で愛おしくて、厄介で愛さずにはいられない。
「カミサマするのも楽ではないな」
フェンリルが向かったであろう庭園の方角を窓から眺め、龍王は楽しそうに笑っていた。
「どうしてお前などから、あの方の匂いがするの!」
やたら美しくて、やたら華美で、やたら偉そうな令嬢だった。
神狼族のお姫様が侍女を引き攣れて、例の庭園に避難していたルピナスの前に立ち塞がっていた。
すっかり怒り心頭のお姫様と、なにも言わずにお姫様の背後に控える侍女。
一体どういう状況だ。
「名乗りもしないお方にお答えする義務はありませんが?」
「なっ……!」
お姫様が火の玉でも突っ込まれたかの様に驚いている。圧倒的上位種へ、圧倒的下位種が逆らったからだろうか。
上位とか下位の前に、他者への礼儀とか敬意とかないのだろうか。
上位種サマにはそんな概念ないのだろうか。
「わたくしの事を知らないと?」
「フェンリル様の『番』様ですよね?」
「…!知っているくせに、わたくしに無礼を働いたの⁈」
「貴族の挨拶は、初対面の場合は付き人が相手の付き人へ主人が挨拶したいと伺い、片方しか付き人がいない場合は、付き人をまず挟んで挨拶して、どちらもいない場合は諦めるか、共通の知人をかえす。通常そうしますよね?それを無視しておいて、何が無礼ですか」
ルピナスだって狼族のお姫様に仕える騎士なのだ。そう言った知識や経験はある。
目の前のお姫様ぐらいの身分になると、そう言った理屈も凌駕するかもだが、今のルピナスは無敵だった。
『ルピナスへ。お父様のぎっくり腰もだいぶ良くなったわ。再三届いてるあなたからの辞書よりもみっちり書かれた手紙も、十分ルピナスが寂しい思いをしていると分かったから、もう送らなくていいからね?わたくしがそちらに行きます。わたくしが伺っていた話とは、ちょっと様子が違うみたいね。心配だから王都へ向かいますわ』
勝訴だ。大勝利だ。
毎日朝昼晩書き続け、朝昼晩送り続けた手紙にやっと返事がきて、その内容は天にも昇る素晴らしいものだった。
主の手跡、主の匂い。手紙は厳重に箱にしまい、一日の最後に読み返し匂いを嗅いでいる。その時自分の匂いが着かない様に手袋は欠かせない。
主の手紙、そして主に会える。
今のルピナスに怖いものなどない。
神狼だろうが何だろうがかかってこいや!子犬の本気噛み見せてやらぁ!である。
「わたくしは…わたくしは…、神狼族の至高、フェンリル様の番なのよ。そのわたくしに高説を宣った挙句、その匂いを纏わせている謝罪もしないとは……この下等生物が!」
神狼族の姫がとうとう怒りで吠えた。控えていた侍女達がさっと姫の前に出て、瞳孔をきゅっと絞ってルピナスを睥睨する。
自分の態度が気に入らない事は分かるが、匂い云々はさっぱり見当もつかないルピナスは無言で迎え撃つ。
その匂いとやらは先日、フェンリルが偶然出会ったルピナスへ行った無意識のマーキングだ。
番は直感で己のそれと分かる。しかし他のオスやメスが、自分の番に魅力を感じて誘惑しないとは限らない。
なので番を見つけると、『魂の痕跡』を番につけるのだ。それもやはり本能的に行うので、具体的にどうしているかは説明ができない。
どうやって立って歩いているかと聞くのと同じだ。
しかしそれは、「これは自分のものだ」と主張するには効果覿面である。他者は魂の痕跡を感じ取れば、「この者には番がいる」と対象から除外する。
『番』と言う仕組みがすっかり瓦解してしまった現代神類だが、番を前にすれば眠っていた本能が目を覚まし、魂の痕跡を残して感じ取る。
だがそれは上位種だった神狼族だから出来た訳で、退化した下等種族であるルピナスには、残された自覚もそれがある事も感じ取る事も出来ないのだ。
「私を下等生物と仰るのは自由ですが、私を虚仮にするのは、私の主を虚仮にするのと同意。貴き方の番だろうが、主の誇りを害する者は決して許しません」
主の誇りイコール自分である。自己肯定感が主の手紙一枚で天元突破している。ちょろいのか素直なのか。
しかし何と言う事でしょう。
それが『魂の痕跡』と呼応して、神狼族と遜色ない覇気となっていた。
通常、強く結びついた番に起る現象であったたが、長い時間と世代を経て、それも狂いが生じたようだ。
きっかけは『魂の痕跡』だが、主への強い忠誠心で発動している。
「なに……なんなの、これは……」
ある侍女は気を失い、ある侍女は怯えて震え、ある侍女は錯乱状態に陥った。
誇り高き神狼族の姫君は取り乱す失態を犯さなかったが、圧倒され戦意は奪われてしまう。
「これは……フェンリル様の覇気だわ……」
認めない。こんな事あってはならない。たかが犬程度が、あの強く美しい狼の番であっていい筈がない。
「あっては、いけないのよ…!」
しかし本能は逃げろと叫んでいる。これに逆らってはいけないと、悲鳴をあげている。
いつの間にか踵を返していた。侍女も形振りも構わず、その場から逃げ出していた。自分の意思とは関係無く、この脅威から離れなければと足が止まらない。
主が逃げ去ると、侍女達も腰を抜かしながら逃げ出す。気絶した侍女は、憐れにも引き摺られていった。
「ん?私何にもしてないよ?」
やる気満々だったルピナスは、拍子抜けだと怒らせていた肩の力を抜いて、脱兎の如く逃げ惑う姿を眺めた。
「私の威厳が王都で覚醒したのかしら。でも私の姫様の可愛いルピナスちゃんにあんなに怯える何て、やっぱり一発かますべき?」
自己肯定感天元突破ルピナスちゃんは無敵なのだ。
「まあいいわ!もう直ぐ私の姫様に会えるんだもん!お迎えに来てくれるんだもん!フェンリル様とか番様とかどーでもいいもん!私はご主人様とずっと一緒にいるんだもん!」
ルピナスは先程の覇気もどこへやら、ゆる~みきった顔で足取り軽く去って行く。
まるで飼い主が帰って来ると察知して、大騒ぎしている子犬のようだ。
ルピナスの鼻歌も聞こえなくなった頃、生垣から長身の美丈夫が現れる。フェンリルだ。
「……俺の番、強いな」
さすが俺の番だ。圧倒的上位種だろうが一歩も退かない所か、逆に圧倒している。
笑顔も最高に可愛い。その笑顔は百花繚乱、黄金の薔薇も雑草になる。
主君の為なら何者にも屈しないその姿、同じ騎士として感銘を受ける。
そう全て主の為。
「俺、必要ないな……」
なんて残酷な事実に気付いてしまったんだ自分。
己に番は絶対的に必要であるが、番に己は必要ではないのだ。彼女には、主さえいればいい。
フェンリルは絶望した。
必ず唯一無二の番を得らねばと決意した。
ルピナスに番は分からぬ。ルピナスの幸せは、主と共にある事である。そこに、フェンリルはいないのである。
愕然と膝を突き項垂れる。
姿は見えないのに、主の到着を尻尾を振って待つルピナスの姿が脳裏に浮かぶ。
ついでに、このあり様を知って、床に拳を打ち付けて爆笑する龍王の姿も。
「ルピナス、私は諦めないからな。必ず君を『運命の番』として迎えるからな」
フェンリルは固く決意する。
そんな事、露ほども思い至らないルピナスは、まだまだ来る気配のない主の到着を、城門前で全力で待機していた。
全く違う方向を向く二人は果たしてどうなるのか。
それは神様にも予想がつかない。
おわり
ここまで読んで下さってありがとうございました。




