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どうやらレンは知り合いに会うはずだったらしいのだ。有難いことに、その待ち合わせ場所の近くに店員の少ない宿屋があるので、ついでに連れて行ってくれると言っていた。
ぼろい宿屋だから給料は少ないと思うけど、とレンは言っていたが、給料の額なんてキルシュには問題じゃなかった。いかがわしくない店ならどこだってよかったのだ。エヴァンはローランドの庇護下にあって、国籍を持っているが、この街に住んでいたわけではない。右も左もわからないのに、住み込みのいかがわしくない店なんて見つけるのに苦労するだろう。自分の幸運に頬を緩ませた。
「すみません、人待たせてるのに時間取らせてしまって」
「別にいいさ。俺もただ気になって自分がしたことだしな。それに俺は一般人を巻き込むなんて失敗はしたくないからね。気にするな、こっちが気になるだろ」
「あ、はい……ありがとうございます」
どうやら人は見かけによらないらしい。存外彼は優しさを持っているようだ。短い事務的な会話をしてからは、暫く無言だった。パレードをしている大通りに人が集中しているからか、入り組んだ路地に人はあまり見られなかった。遠くに賑やかな音が聞こえるだけで、後は静かなものだった。知らない人と2人きりの空間が長く続くと、少し気まずい。
「お前は、どこから来たんだ?」
「エヴァン。小さな村なんだけど……」
「ああ、あそこか。あそこは俺も好きだ、落ち着く」
レンはゆるく笑った。キルシュは少し驚いた。「行ったことあるの?」
「まあな。あそこなら、わかるな。此処に来るまでにお前が金髪のままでいたのも。一人旅か?」
「はい。自分が成長するために必要だと思って」
「へえ……女のくせに随分踏み切ったな」
「女が旅をしてはいけませんか」
「一人じゃ危ない、いくらエルフが暴れているからって、賊がいないわけでもない」
「……賊って、いるんですか」
そんなもの、いるなんて知らなかった。話の中だけだと思っていたのは、どうやら非常識のようで、レンは驚いたように目を見開いた。
「は?知らないのか?とんだ田舎者だ、エヴァンにいただけのことはある」
「な、……馬鹿にしないでください」
声を荒げたキルシュを、レンが手を上げて諌めた。「別に馬鹿にしてるわけじゃない」
「エヴァンはな、ローランドの庇護下にあるが、閉鎖的環境なんだ。エヴァンで、他の国から来た人間を見たことあるか?」
「そういえば、ない……ような」
「理由はまあ、ローランドの他種族への扱いが気に入らないから抵抗してるってとこだろう。エヴァンの人間も環境も、優しい」
懐かしむように言う男を見て、村の人たちを思い出した。優しくて大らかで、お互い信じあっている人々。この街のように敷き詰められた石畳なんてものはなくて、ざらざらとした地面と、自然があふれていた場所。エヴァンでキルシュは異端扱いされなかった。レンが言うには、それはとても珍しいことらしい。だいたいは、他の種族を嫌うものが多いからだそうだ。
しかし、そんな温い優しさに包まれていたおかげで、他の場所をなめていたと言ってもいい。どうにかして髪を染めてから来るべきだった、とひどく後悔していた。
「あなたは、私をここに入れていいと思ってるの」
「危険な人間ぐらい一目でわかる。これでも何十年も生きてるんだ」
「何十年……」
永遠って何なのだろう。
大切なものが、自分が生きているうちになくなっていくって、どんな気持ちなのだろう。思っただけで、それを口に出すほどキルシュは空気が読めないわけでもなかった。
黙々と人通りの少ない路地を抜けていく。大通りはパレードでとても近づけそうにない。ここまでも、歓声が聞こえる。見に行ってみたいな、と思いつつもそれが不可能なことを知っていたので、黙ってレンの後をついて行く。
10分、歩いただろうか。
小さな公園のようなところに出た。中央に洒落た噴水がある。その近くのベンチに、独り小さな影が座っていた。あれがレンの知り合いだろうか。いささか小さすぎはしないだろうかと首を傾げた。
「アズ」
レンが呼ぶ。
すると小さな影は振り返った。キルシュよりも小さい少女だった。ハニーブラウンの短くされた巻き毛が可愛らしい印象を受ける。大きいこげ茶の目が愛くるしい。丸っこい顔は健康的な肌色で、活発な性格を現すようだった。
着ている服は制服のようだ。黒のジャケットに、藍色のミニスカート。胸に刻まれた金色の羽を模るような刺繍は、今リドルがだらしなく来ている服にも共通して刺繍されている。どうやら同じ所属の何からしい。
「あ、レンさん。遅かったですね。って、そっちの子は?」
その言葉に、自分が言われたのだということに気付くのに多少時間がかかった。警戒したような視線に、たじろぐ。
「ああ、迷子だ」
「へー怪しいですね。いつも人のことなんか気にしないくせに」
キルシュはなぜか恐縮して、一歩下がった。アズと呼ばれた少女の丸い目が、キルシュを映す。何か、言われるんだろうかと思っていたが少女は人当たりのいい笑みを浮かべた。
「エルフ以外で金髪碧眼って始めて見た。なんか新鮮ね」
「変、かな」
「ううん!きれいな色だね」
嘘のない言葉に、キルシュは照れたように微笑んだ。
そしてまた首を傾げる。何か、この少女には違和感があるのだ。何か不思議なほどに強く感じる、違う、という感覚。よくわからない感覚が腹のあたりを蠢いている。ふと、思いついた言葉が口から滑り落ちた。
「ドワーフ……」
「!」
アズは驚愕に目を見開いた。どことなく先ほどより警戒心を表しているようなぴりぴりとした空気になった気がする。目が明らかにさっきとは、違う。レンもキルシュの発言に驚いたようで、じっとキルシュを見ている。
「なんで、わかるの?」
「え。雰囲気、かな……?大人っぽいというか」
「やっぱり違和感があるな」
レンは呟いた。アズがそんなにドワーフって分かりやすいですか、と尋ねる。しかしレンはゆるく首を振った。そしてキルシュを見る。なんで見られているんだ、と後ずさるが、レンは不躾にも何かを探るように見つめてくる。
「お前、人間か?」
「会話のつながりが見えないんだけど……。ほんとに失礼な人。あなたが人間って言ったんじゃない」
「まあこれも運命ってやつかな」
何言っているんだこいつ、と暗に言うと、今度はアズが”運命”という言葉に反応した。レンはふと視線をアズにやった。その視線に気づいたアズが目を細める。どこか不自然な――――この場合は目くばせ、というのだろう。
キルシュは尚更困った。何を言われるのかわかったものではない。
だが、予想に反してレンは軽い調子でアズに喋りかけた。話をそらしたようにも感じた。
「どうやら勘が鋭いらしいな。女の勘ってやつ?」
「はあ……どうでもいいです。ま、レンさんが連れてるあたり害はなさそうだし。あたしがドワーフってことはこの国では口に出さないでね」
この国はかなり他種族に厳しいから、特に今日はね。とアズは困ったように笑った。レンは別なのだろう。道中彼は人々の視線を受けていたが、それだけだった。本当に何者なのか。キルシュが頷くと、満足したように彼女も頷いた。それからアズはふと笑顔を消して、レンを見上げた。
「レンさん、そろそろ行くべきでは?」
そういえば彼らには用事があったはずだ。とキルシュは思い出し、悪いことをしたなと感じながら、キルシュもレンを見上げる。アズに対してレンは今そのことを思い出したかのように言った。
「ああ、そうだったな。……リシェル、俺が言っていた宿屋はあそこだ」
彼が指を指した先を見れば、そこは確かに質素な宿屋だった。それでもぼろぼろなわけではないし、あまり儲かってもなさそうだがキルシュには天国にも見えた。ぱっと笑顔を浮かべて軽く頭を下げる。
「本当にありがとうございました」
このまま長居しては迷惑だろう。また今度会えたならとびきりのお礼をしようと心に決めて踵を返し、走り出す。石畳の上の鳩が一斉に飛び立った。