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ゆめうつつ  作者: 紅月
7/18

      1-4

 ローランド皇国。ナイジェル皇帝が治める国だ。

 この世界で1、2を争う、活気溢れる豊かな国といわれている。

 少女、キルシュはこの国の門の前で立ち往生していた。目を細めて目の前の列を眺める。


 どうやら、まずい時期に来てしまったようだ。


 人々の会話から盗み聞きする――――といっては人聞きが悪いが、それによると今日から1週間、パレードが行われるらしい。何でも、皇帝の誕生日を祝う祭りだとか。

 そんな知らない人の誕生日なんてどうでもいい。はっきり言ってキルシュにとってそれは迷惑なことだった。パレードがあるせいで入国検査が厳しく、今こうやって列を作っているのだ。列を作ることだけがキルシュの迷惑ではない。


「最悪……」


 キルシュは深く帽子を被り直し、外套をしっかり羽織った。帽子の中に隠してある、この髪に原因がある。最近荒事を起こしているエルフと同じ髪の色に、瞳の色。家を出るまえ、リシェルにこっぴどく言われた。「絶対にエルフに間違えられるな」と。その約束は守れそうにない。すんなりとは通してくれなさそうだ。かといって今この列を抜けると反対に怪しまれるだろう。どちらにしろ、簡単に入国はさせてくれない。深いため息を吐く。


 ラナたちは大丈夫だよ、と笑うが、正直なところ、不安そうな顔をしていた。もともとローランドは他種属に厳しい国らしい。ドワーフでもこの国では亜種として差別を受けるものなのだとか。だったらエルフはどうだろう。想像が容易くできる。あの兵士が持っている槍でざっくり、とまあ、そんな感じで始末されるのだろう。


「ちゃんと話さえ聞いてくれればね」


 ロイドは困ったように言った。ラナもそれに頷く。


 

 そろそろ門の前まで来たかな、というところで案の定門番の兵士に呼び止められた。厳つい顔の兵士は、明らかに優しそうな雰囲気ではない。ロイドも馬車を降り、キルシュも降りた。仕方なく外套を脱ぐ。荷物も地面に下ろす。それを他の兵士が確認している。もちろん馬車の中身も、だ。


「おい、お前帽子を脱いでみろ」


「……」


 何様だ、と返してやりたいところだったが、喉でぐっと堪えてキルシュは指示通りに帽子をはずした。肩まで伸ばされた金髪が露になると、周りの人が息を呑む気配がした。その反応を見て、先に言い訳を並べるべきだった、と後悔した。



 暫く沈黙が続いたが、我に返った兵士が「エルフだ!」と叫んだ途端、列を作っていた人々がキルシュの周りから身を引いた。他の兵士たちが集まってきて、ぐるりとキルシュを囲む。これはキルシュが予想していたよりも最悪の展開だった。これが現実なのか、あの村が優しかっただけなのか。


(頭の悪い兵士たちばっかりか!)


 キルシュは首元に突きつけられた白刃の槍を落ち着いて見ようとするが、内心は冷や汗だ。兵士たちがなにやら侮蔑の言葉を並べているが、腰が引けているというのは事実。そこで初めてキルシュは実感した。人々に植え付けられたエルフに対する恐怖を。根付いたものの大きさを。なんてことだ、最悪の事態になってしまった。


「待って、この子は髪を脱色してしまっただけなのよ」


 ラナがすかさず抗議の声を上げる。しかし兵士は「お前たちは黙ってろ」と言って、彼女にも槍を向けた。気丈にもラナは抗議を続ける。


「よく見なさいよ、人間でしょ!」


「ラナ、落ち着くんだ」


 ロイドの宥める声。兵士はいらついたのか、声を荒げる。


「お前たちも牢にぶちこむぞ!」


「……っ」


 ああもうお願いだから、彼女たちは黙っていてくれないだろうか。自分のせいでラナとロイドが投獄されたら後味が悪い。

 周りの冷たい視線が、細身の体を射抜く。ふと、リシェルたちを思い浮かべた。私は、なんて居心地のいい場所にいたのか。外はこんなに冷たいのか。そこから自分で出てきたのだ、文句などひとつも言えやしない。


「ちょ、待った。私は、エルフじゃない!」


「嘘を吐くな!」


「だから違うってば!……うわ、ぃ……たッ」


 いきなりぐ、と腕を後手に取られ、身動きが取れなくなった。骨がぎしりと音を立てる。まさかこんなに早く暴挙にでるとは考えていなかったので、思わず悲鳴を上げそうになった。容赦ない痛みに眉を寄せて抗議すれば、同じ問答が繰り返された。


「なんてことするの!」


「ラナ!」


 ロイドがラナの腕を掴んで制する。そのまま押さえていてほしい。とにかく彼女らは巻き込むべき人間じゃない。これでは話が進まない、と思ったキルシュは背後の兵士を睨みつける。


「離してください、離して!私何もしてないしエルフでもない」


「エルフは監獄行きへと決まっている!」


「……ッ話聞きなよ!『殺す』の間違いじゃないの?――――離せ!」


 良くない方向に進んでいく話に、キルシュは半ば死に物狂いで体に力を入れた。すると左の肩の骨が外れ、骨の嫌な音が耳に届いた。


「ぁぐ、――――」


 強烈な痛みが体中を迸るように駆け巡った。声を上げそうになったが、それも出ないほどの激痛だ。だが逆にこれは好機だと考えたキルシュは、驚いて力を抜いた兵士の鳩尾を思い切り蹴り飛ばした。よくやった、と自分を褒めたいぐらいだ。


 ふらついた兵士の手を抜けて、門の方へ走る。その抵抗をエルフということへの肯定とみなしたのか、兵士たちが声を張り上げて槍を振り上げる。キルシュは攻撃の合間を縫って兵士の壁を抜けようと試みたが、腕を捕まれてそれは失敗に終わった。

 すっと腹のあたりが冷えるような感覚がして、これは本当にやばい、と上着の内ポケットに入っている短刀に手を伸ばした。


 そのとき、



「え」


 目の前に影が現れた。

 そう、それが現れたのは一瞬だった。驚いて体をすくませる。ナイフの柄を掴んだ腕が止まった。

 

 影のような黒いコートを纏った若い男だ。二十歳を越えているかいないか、ぐらい。墨を塗ったように黒い短めの髪。片目を眼帯で覆い、もう片方の目は自分と同じ蒼色の目をしていた。腰に吊るして鞘に収めてあるのは、刃の部分が異様に長いナイフ。だらしなく着た軍服のような黒装束のコートの裾が、風に揺れた。

 キルシュが男を観察する視線は、一つの場所で留まった。


 耳が尖がっていた。


 それはなによりのエルフの証拠だった。しかしエルフは金髪碧眼というのがセオリーだが、彼は黒い髪をしている。まるで自分のような、違和感のある存在。

 彼が兵士とキルシュの間に入った途端、兵士たちは目を見開いて攻撃の手を止めた。キルシュが掴まれていた腕も放される。そして焦ったように整列し、一人の兵士が敬礼をしながら言った。心なしか、声が震えているような気がした。


「隊長!どうしてこんなところに」


 隊長と呼ばれた男は、秀麗な顔を実に不愉快そうに顔を歪めた。

 退屈そうな、呆れたような、目の前の兵士など興味がないとでもいうような無感動な、それだけで人を心臓麻痺かなにかで殺せるんじゃないかという、射抜くような視線が兵士たちを見た。


「お前たちこそ何をしてるんだ、一般人相手に」


 氷を思わせる、低く真っ直ぐな、威圧感がある声。


「その少女はエルフです、隊長。何故庇うんですか」


「…………エルフ?」


 男は面倒くさそうに目を伏せ、呆然としたまま動けないでいるキルシュを振り返った。そしておもむろに左耳の上の金髪を掬い取る。キルシュはわけがわからず、固まったまま動けないでいた。脳が混乱しているのが自分でもわかった。

 脱色ではないな、と呟く声が小さく聞こえた。


「よく見ろ、こいつは俺と同じ『混ざり物』だ」


 キルシュの耳の形を見せつけるように顔を上に向かせ、少し捻る。兵士たちは息を呑んだ。


「ただのお前たちの勘違いさ」


 落ち着いた男の声には、感情の一欠けらさえ見つけることができなかった。全てのことに興味が失せているような、何も感じられない不思議な声だった。それに何故か恐怖を感じていたのか、いつのまにか掌にはじっとりと汗をかいていた。


 助けてくれた隊長と呼ばれる人物を見上げる。理解しがたいものばかりだった。突然現れたこと、男の外見、男の口から出た不可解な言葉。


(まざりもの……?)


「そ、そうでありましたか!申し訳ありませんでした」


「見違えるほど落ちぶれるな。よく見てから行動しろ。あいつらはこんな普通の目をしていない――――通してやれ」


 蒼い瞳はどこまでも倦怠そうな、冷ややかな宵のような目をしていた。

 



 事はとんとん拍子に進んでいった。

 キルシュは「隊長」と呼ばれていた男に連れられて、門の近くの家にいた。ラナたちとはあそこで別れた。面倒事に巻き込みたくなかったし、彼女たちにも用事があるからだ。次に会うことを約束して、ほぼ確定したさよならを告げた。もちろん礼を述べて、だ。


 ここは随分古びた家だ。誰も住んでいないのだろう、生活感を感じない。天井には蜘蛛の巣が張り、柱には罅が入っている。

 外からパレードの合奏隊の音楽が響いている。パフォーマンスでもしているのか、時折民衆の歓声や、盛大な拍手が耳に届く。少し見てみたいな、と思うが、それは無理な状況だ。


「……痛むか?」


 薄いキャミソールの姿でキルシュは今にも崩れそうな椅子に座っていた。キルシュの左肩は赤黒く変色してしまっている。はずれてしまった骨は、先ほど男が入れてくれたのだが、形容しがたい激痛があったのは確かだ。助けてもらった反面、文句も言えずキルシュはぐったりとしていた。


「いえ、別に」


「やっぱり変色してしまっているな。悪い、俺の部下のせいだ」


 男はどこから持ってきたのか、家の奥のほうからやってきたと思うと、手には水に浸したタオルが握られていた。それをキルシュの左肩に乗せる。「冷やしておいたほうがいい」と男は言うなり、たまたまこの家の箪笥に入ったままになっていた救急箱の中から包帯を取り出す。


「治してもやれるが、まだ若そうだからな」


「医者なの?若いって関係ないような……」


「いや、違うけど。若いうちにひどくもないのに治療をすると、それがくせになって自己治癒能力が落ちるから」


「はあ……」


 間の抜けた返事を返して、首をかしげた。彼が何を言っているかよくわからない。その前に、この男性がなぜよくしてくれているのかもわからない。


「あの」


 ぼそ、とキルシュが呟くように言う。聞こえないだろう、と思っていたがどうやらしっかりと男の耳に届いたらしく、「何だ」と返ってきた。


「いろいろ訊きたいことがあるんだけど」


「そりゃそうだろうな。答えられるかはわからないが、善処しよう。俺も訊きたいことがある」


 男は頷いた。キルシュは男から視線をそらす。彼の目は苦手だ。何も浮かんでいなくて、恐ろしい。深い底なしの、闇に引きずり込まれるような錯覚を覚えるのだ。


「まず何て呼べば?」


「ああ……知らないと確かに話しづらいな。じゃあレンとでも呼んでくれ。お前は?」


「リシェル」


 名前を訊かれて、思わずリシェルの名前を使ったことに、キルシュはわずかに動揺した。ぱっと出たのがリシェルだったのだ。偽名なんて使う必要もなかったが、後になって訂正することもできず、そのまま話を続ける。

 レンと名乗った男はタオルをキルシュの手に握らせて、慣れた手つきで器用にキルシュの左肩に包帯を巻いていく。固定するように、きつめに巻かれていくが痛くはない。むしろ痛みがなくなっていくような気がする。


「レンさんって、何者?」


「随分と幅が広い質問だね。それは俺の外見のことかな、それともこの国での立場?」


「どっちも」


 レンは包帯を綺麗に巻き終わり、キルシュの前の床に胡坐をかいた。汚い、と注意したが彼は気にせずにキルシュを見上げた。


「俺はエルフじゃない、一般的に『混ざり物』と称されている者だ。ようするに、エルフと人間の間の子供だな。ハーフさ」


 どこか吐き捨てるように早口で言ったレンに、違和感、を覚えた。まるで人間らしい――――いや、彼は人間でもなく人外でもない。一瞬の違和感がわからないうちに、自分の口は疑問を口にしていた。


「特徴が混ざって生まれるってこと?」


「そういうこと。お前もそうじゃないのかとは思ったがな……」


「わ、私は髪を脱色してしまって」


「嘘を吐くな」


 きゅ、とレンの蒼い目が弧を描いた。子供のように好奇心に満ちた眼差しが、どこか恐怖心を煽る。蛇に睨まれた蛙、とはまさにこのことなのだろう。彼の目には敵意こそないが、気分を害したら簡単にその腰に吊るしてあるナイフを振るうんじゃないか、という不安をかき立てるような目なのだ。


 キルシュの背が凍り付いて、動かない。気を紛らわせるように、濡れタオルを握り締めた。埃っぽい床に、雫が数滴零れ落ちた。


「それは元からの色だ。それぐらいわかる」


「え……っと、私はエルフじゃなくって」


「それもわかる。最初お前を見たとき、混ざり者かと思った。だけどお前からはアレと同じ匂いがしないんだ」


「匂い?」


「分かる者ならわかるってことさ」


 そうですか、と少し落胆する。この外見は、どうやら混ざり者ではないらしい。「俺はそんな色、もうずっと生きているが初めて見た」とレンは可笑しそうに言った。ハーフはどれぐらい生きるのだろう。


「……おかしいよね」


「別に?不便だったら髪でも染めろ。ま、おそらくたまたま生まれた亜種だろうな。ただ、」


 言葉を詰まらせて、レンは「まぁいいか」と話を打ち切った。それが少し気になったが、それよりも自分のことが気になって仕方なかった。ハーフでもない、となると自分の色はいったいどうしたことだろう。この国の反応から見て、早いうちに髪を染めるべきだと思った。染め薬はいくらするんだろうか。リシェルたちにもらったお金はできる限り使いたくない。


 レンはキルシュの考えを読んだように、意味深に笑みを浮かべた。キルシュはそれを見て、わずかに眉を顰めた。


「レンさんは隊長って呼ばれていたよね。この国の護衛団かなにかなの」


「ま、そんなものかな。他には?」


「……気を悪くしないでくださいよ」


「前置きはいいよ。そんなこと聞かないとわからない」


 タオルを包帯が巻きついた肩に押し付ける。ひんやりとした感覚が、熱を持った肩に染みこむ。暫く沈黙が降りる。キルシュはおそるおそるレンの目を見て、言った。聞きたいことはたくさんある。それでも、もう彼とはこれっきり会わないだろう。だからそんなことを聞くよりも、


「この国で、泊り込みで働けるいかがわしくない店ってご存知ですか?」


 きょとん、とレンは目を瞬かせた。



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