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ゆめうつつ  作者: 紅月
16/18

      3-2



 そこは白を基調とした、広いドーム状の宮殿だ。天井が高く、何本も建物を支える柱が天高く聳え立っている。その柱はどれも細かな細工がほどこしてあり、相当な値打ちのするものだということは一目でわかるほど。

 その部屋の真ん中に、人が一人座れるほどの椅子のような台座があった。宝石がはめ込んであったり、複雑な紋様が彫られていたりするが、それは華美すぎず、神聖な宮殿をより引き立てるような美しいものだった。

 

 埃ひとつない大理石の床に、一滴赤い液体が零れ落ちた。

 


「さあ、あなたに『目』をあげましょう。こちらへいらっしゃい、クロム」


 落ち着いた声音は、台座の上に静かに座る女性から発された。金の髪を床に垂らし、純白のシルクのドレスを身に纏った、見るものをすべて惹きこむような美貌のエルフ。だが彼女の青いはずの目は白濁していて、盲目だった。しかし女性は目の前に誰がいるのかわかっていた。

 

「いやだ、俺は、そんなもの欲しくない」

 

 エルフの目の前にひざを着き、片目を押さえているエルフの、まだほんの15歳程度の少年が呻くように苦しげに呟いた。押さえている目からは次から次へと、留まることを知らない赤い液体がとどめなく溢れ出している。

 もう片方の正常な、傷のついていない目で少年は女性の差し出しているものを睨んだ。


 それは、眼球だった。


 赤い瞳の、僅かに神経のついたままの眼球。つやつやとした白い部分には真新しい血がこびりついていて、女性の真っ白な手を伝って床に落ちる。


「これは、あの方が作ってくださった目。わたくしと同じで千里眼の力を持ちます。これを使えばあなたも『視える』ようになる……」


 女性は立ち上がり、少年の前に方膝をついた。

 少年は怯えたように後ずさろうとするが、その行動は『何か』によって阻まれた。――――風だ。つかみようのない風が、少年の周りに渦巻き行動を制限する。


「やめろ……ッ」

「あなたには役目があります。大きな役目、それは――――あの方の望むことを起こすこと。逃れられない運命の元、あなたはこの世界に輪廻した。だからこの目が必要になる。エルフはあなたを憎むでしょう。人間もあなたを忌むでしょう。わたくしも例外ではありません」


 女性は眼球を少年の押さえている目に眼球を近づけた。


「それでも今ここでこの目をあげるのは、あの方の命だから」


 女性は柔和に微笑んだ。


 その瞬間、一瞬少年の目と女性の持つ眼球が白い光に包まれた。途端、少年の目には激痛が走る。神経が焼けるような、頭、体全体に重く響くような鈍痛に少年は咆哮を上げた。床にまた一粒、赤い血が落ちる。


 

「ああああああぁぁぁぁぁっ!!!」

 


 それは悲痛な叫びだった。

 激痛。これから自分が何をするべきなのか。運命とは何だ、馬鹿馬鹿しい。怖い、痛い、苦しい、憎い。様々な思考が交錯して、何が何かわからなくなる感覚が全身を支配する。気が狂うような痛み喉から声が出なくなったころ、見開いた目の目じりから、生理的な涙が伝い、零れ落ちた。


 忌む?ならばこんなものを、産まなければよかったじゃないか!


「憎んでやる、お前ら全部!神の犬め、いつか……いつか俺にこの目を受け渡したこと、神に跪いたこと、すべて後悔させてやる!もう俺に干渉するな、俺は何にも染まらない。人間にも、エルフにも、ドワーフにも、神にも、だ!俺に指図するものはいなくなってしまえばいい!!」


 痛みに息を荒くしながら、少年は早口で吐き捨てるように叫んだ。

 目の前のヒトを軽蔑するように、憎むように、感情をすべて吐き出してしまうように。


 拳が白くなるまで握り締めて、少年は新たな『目』を開く。もう痛みはない。それは、どこまでも深い真紅の瞳。無事なほうの目まで、怒りの魔力に反応して、赤く、赤く鮮烈な色をしていた。射抜くような視線に、女性はわずかにたじろぐ。


 少年はその瞬間を見逃さなかった。元々ある自分の魔力を最大限に解放し、戸惑いから緩くなった『風』をはじきとばす。


 女性は目を見開いた。


 彼女にとっての誤算は、少年に自分を上回る魔力があったことだ。それに焦り、また術を発動しようとするも、少年がまたはじき返した。彼がエルフの長を上回るほどの力を身につけていたことに、彼女は戦慄する。こんな未来、視えなかった――――、


「少しでもあなたを信用した俺が馬鹿だった」


 静かに、少年は微笑した。歪んだ笑みで、皮肉るような、そんな笑い方。冷たい視線は、まっすぐに女性に向いている。


「……クロム、今に後悔しますよ」


 そう言う女性の強い言葉もかすかに震えていて、もう頭に響かない。今の少年に響くのは、ただ目の脈打つような熱い痛みだけだ。自分自身に刻まれた、苛烈な痛みだけ。


「俺はこんなことの為に生まれたんじゃない。母さん、いや、フィール。育ててくれたことは感謝するよ、だけど、もう会いたくもない」



 ――――空間転移。



 少年は呟く。瞬きをする間に、少年はかき消えるようにいなくなっていた。

 残されたのは盲目のエルフのみ。風が、わずかに彼女の金髪を浮かせて、落とした。


 静寂が訪れる。



 くすくす、くすくす、


 影の闇の中から、笑い声が響いた。

 軽やかな笑い声。喉の奥で堪えきれずもらすような、小さな声だ。

 その声を拾うことがなかったフィールと呼ばれた女性は、少年が消えた場所を見つめながら呆然と呟く。


「わたくしが間違っているとでもいうの……?クロム。これは幸せで名誉なことじゃないの?」

「――――まさか!君は間違っていないよ」


 するとどこからか、フィールの頭の中に直接響くように聞きなれた少年の声が響いた。クロムとは違う、まるで女性とも間違うような、テノールというよりもアルトに近い不思議な声音だ。その声は諭すように、詠うように紡ぐ。


「今から起こることこそが神の願いであって、世界の願いなんだ。君は決して間違っていない。さあ、落ち着いて答えて。クロムは間違っていないのかな?」



 ゆっくりと、柔らかな口調はまるで、下手な洗脳のようだった。フィールは見えない目を瞑り、闇に感じる少年の言葉をじわじわと、”いつも”のように、ゆっくり理解していく。それでも迷うようにフィールは首を振った。


「でも、あの子はわたくしの」


 反論するかのような声に、少年はわずかに怒りのこもるような強い口調でフィールの言葉をさえぎった。


「ボクが間違ったことを言ったことがあったかな?」

「……ない、わ」

「うん。だよね。じゃあさ、クロムは、どう?彼は間違ってるよね」


「君の思いに反しているもの」と少年は嗤った。暫く沈黙が落ちるが、やがてフィールはナニカの術がかかったかのように、虚ろに呟いた。それこそ、催眠術でもかけられたかのように少年の言葉に従順に。


「そうね……間違っているわ」


 思い通りの言葉を呟いたフィールに、少年は至極楽しそうに声を上げて笑った。姿が見えていたならば、子供のような表情をしていただろう。


「いいね、そうだよ。彼が間違っている。君は間違っていない。クロムは君の期待を裏切った。君自身も裏切られた!」

「ああ……」


 吐息を漏らす。震えた息は、彼女の心情を表しているようだ。若きクロムへの同情と、敬愛する少年の言葉に揺らぐエルフの長の心に追い討ちをかけるように、少年は決定打を打つ。


「ねえ、憎んでしまえば楽だよ?育てているうちに移った同情も、それでなくなる」


 悪魔の囁きのようだった。頭に響く、


「――――憎め。クロムを、そして人間を」


 低く紡がれた少年の一言は力強く。根を張るように、フィールの思考に絡み付いて支配する言霊の力。何かよくわからない、重く冷たいものが深く、沈んでいく。


「そうよ、あの子が悪い……育ててあげたのに、まるで恩をあだで返すように!あの子が悪いのよ、運命は変えられないのに!変えられたら楽なのに!彼はクロムなのに!決まっていることなのに!受け入れないあの子が悪いの!!どうしてうけいれてくれないの!育ててあげたのに!どうして!?」



 蓄積していた全ての思いを吐き出すように、決壊したダムのように叫ぶ。美しい容貌に似合わぬ自制がきかない暴言、憎悪、悲しみ。ひとすじ、白い頬を真珠のような透明な涙が伝って、堕ちた。侵食していく、理性を溶かしていく、


「ふふ、そう、それでいいんだ。ククッ……」


 くすくす、くすくす、闇の中で、頭の中で、嘲り笑う声。深く暗い、言の葉。フィールはこの声を”よく”知っている。帝国の王でさえひれ伏した、世界の真理を知る魔道士。そして、神に一番近いもの。


「あともうちょっとだよ。そうすれば僕の望みは叶えられる。ねえフィール。君の力を貸して欲しいんだ。ボクが君に目を贈ったようにね。君の正はボクであればいい、余計な感情はもたなくていいんだよ。必要じゃなくなるまではね」


 少年は甘く囁いた。







ああいやな夢を見た、と女は目を覚ました。

 光を失った目は、全て――――美しいものから醜悪なものまで見通せる。ため息を吐きたくなるほど、飽きてしまったこの世界。長である以上、それでも続かなくてはならない永遠。


 こんな世界なくなってしまえばいいと自分の中の誰かが言う。


 目に魔力を込めると、一人の男が映し出された。

 ただ一人、この世界で愛した人。今は亡き、『人間』。

 


「あなたがいてくれた世界なら、美しく見えたでしょうに」



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