2-6
「…………、」
最近になって覚えた魔術式を呟きながら、掌に意識を集中させる。空気とコンタクトを取るように、自分が空気に溶け込むようなシンクロ感覚を覚えた。
――――今だ。息を吐いたと同時に、掌を向けていた場所に爆発が起こった。
もう慣れたものだ。最初こそ自分がこんなことできるなんて、と驚いたが……。
魔術師を訓練させている場所。まるでだだっ広い荒野にしか見えないが、此処は異空間に属する空間らしい。ようするに、リドルが結界を張って他に被害が出ないようにしている場所だ。ここまで大規模な結界となると、余程の魔力がないと完成しない。それぐらいは分かるようになっていた。
むしろこれはヒトのやる領域じゃない。エルフにだってこんなことできるの
だろうか。
アリスは最近見かけない。どこへ行ったのか、「少し用事があるから」と言っていなくなってしまった。アルジュナのどこにも、だ。きっと何か重大なことなのだろう、と考えて誰にも、何も訊けないでいる。唯一の救いが、自分で訓練できるようになってからいなくなったことだろうか。
「中々上達したね」
ルル、と呼んでいる、最近仲よくなった妙齢の女性は笑って近くに来た。泣き黒子が印象的な、活発そうな女性だ。ただ、筋肉質なのは否めない。
「ルルさん。ありがとう」
「あんたの努力のおかげだろ。制御はできるようになってるんだ、アタシを超すのも数日の問題かな」
「お世辞はいいよ」
今はまだ、彼女の方が圧倒的に強い。戦いというものを知らないからだろう、キルシュは感覚を掴むことが難しかった。どうしても大きな爆音や、目がくらむような光がすれば集中力が途切れてしまうのだ。苦笑すれば、彼女は心外そうに目をみはった。
「これでも随分と魔術について調べてきたんだ、それぐらいはわかるよ」
まあバレンシアさんには負けるけどね、と大らかな笑みを浮かべた。浮かべながら、腕立て伏せを始める。
「あの人はハーフでしょ?だけど、たぶんエルフよりも強い。生まれつきかな?もしかしたら、ハーフだからかもしれないけど……きっと努力したんだろうねえ。劣等感、なんてあの人にあるんだろうかね」
「さあ……」
「キルシュも気にしなくてもいいよ」
頭をなでられて、そんな歳でもないはずなんだけどと思いながらも、心の奥ではもっと違う事を考えていた。自分は、魔力の絶対量が多い。
つまり――――即戦力になるということだろうか。もうすぐ人を殺すかもしれないという事実に、それ以前に殺されるかもしれないということに、身震いした。今度は無意識じゃなくて、ほんとうに?自分はエルフになんか憎しみを抱いていないのに、その人たちを、切れって言うの?確かにここにいるのは自業自得だ、だけどこんな場所に来たいわけじゃなかった。
「人を殺すことが怖いかい?」
「わからない……でも、自分が殺されそうになったら、きっと、」
そう、結局心は決まっているのだ。キルシュはまだ死にたくなかった、こんなわけのわからない場所に連れてこられて、わけのわからないまま、リシェルたちとももう会えず死ぬなんて嫌だったから。
「そう、ここは弱肉強食の世界だ。強くなければ殺されてしまう」
まあ、まだ戦争ってことにはならないんだけどね。と、ルルは笑った。笑った、のだ。それは彼女自身の気休めか何かか。ぞっとして鳥肌が立った、この人は一体どれだけ自分の心を殺してきたんだろう。
いや、今の自分にはどうでもいいことだ。キルシュは首を振って雑念を飛ばした。体がだるかった。
「ねぇ、精霊って見えるものなの?」
ぽつりと言葉をこぼす。少し前から疑問に思っていたことなのだ。精霊は自然のものらしいし、見えたら見えたで視界の邪魔にはならないのだろうか、と。当然こんな質問が来るとは思っていなかったルルは、目を瞬かせた。
「え」
「最初の頃、リドルさんが言ってた。お前にも見えるようになるって」
ルルは唐突な質問に悩みながらも、腕を組みながら首を傾げて思考を巡らせているようだった。腕立て伏せを止めて、胡坐をかいて腿にひじを付き、到底女に見えない格好をしながらひとつ、わざとらしいため息を吐いた。
「うーん、バレンシアさんが言うんだから嘘はないだろうけど……普通精霊はエルフにしか見えないものなの。なんか意識をしたら見えるって言ってたけど、どうなんだろうね」
キルシュは彼女の答えに首をかしげた。
「エルフだけ?」
「ああ。エルフはもともと自然とともに生きる森の民だから、一番精霊に近いからかもしれないわね。でも、キルシュは人間でしょう?バレンシアさんは本当、わからないひとね。あんまり気にしないほうがいいこともあるよ」
「そうだね……」
困ったように微笑む彼女につられて、キルシュも困ったように微笑んだ。吹き抜けた風が、肌を掠めていく。
異空間から抜け出して、部屋に戻ろうと廊下を歩いていると、髭の長いローブに身を包んだ老人とリドルが話しているところを見かけた。書類を持って話し込んでいるということは、それなりに大事な話なのだろうと思って、軽く会釈をして通り過ぎようとした。
「うわ!」
急に手を掴まれて、転びそうになった。勿論掴んだのはリドルらしい。
「な、なんですか」
「敬語はとれ。言葉が多すぎる」
「はあ」
これはまた身勝手な言い分だ。なんなんだ、この人は自分勝手な事ばかり言って、と苛立ったが空気を呑みこむことで押さえた。敬語は使いなれていないが、使うべきだと思って使っていたのに、拍子抜けした。リドルは老人を顎で指す。
「こっちはシュトラムハゼル。ここで今一番の魔術師だ」
一番の魔術師、と訊いて、シュトラムハゼルと呼ばれた男性を見る。優しそうな風貌に、長めの白髪、柔和な笑み。どうもこの人と戦争が結びつかないが、それは自分のような子供も同じか、と考え直した。そういえば前に、魔術の師匠をつけてくれると言っていた気がする。
「キルシュです」
シュトラムハゼルに握手を求めると、彼も笑顔でそれに応じた。
ぼろぼろの、焼け焦げた跡のようなものがある、もとは高値がついただろうローブを見て、ああこの人もリドルと同じなんだな、と思った。今までの人生を語るような、そんな感じのするほつれ方。握った手に、少し驚いた。
力強くて、硬くて、かさついていた。
「ふむ、また面白い子を拾ったね、リドル」
シュトラムハゼルはリドルを見て、懐かしむように眼を細めた。
「お褒めの言葉かな?」
「違いない。……さて、私はそろそろ行かなくては」
シュトラムハゼルはキルシュを見て、「わからないことがあったら訊きにきなさい」と言って、一度肩を叩いてから去って行った。そこから優しさがしみ込んできた気がして、目頭が熱くなった。彼の雰囲気は、エヴァンの人間を思い出させるような、包み込むようなあたたかさがあった。リドルのような、薄氷の上に立っている危なげな雰囲気とは正反対だと思った。
「西の塔だ。あいつは魔術の研究をしている」
リドルが付け足すように言ったので、キルシュは頷くことで返した。何かあったら訊いてみよう。急に心強い人ができたかのようだった。
「あの人は何の研究を?」
リドルは少し考えるように沈黙した後、言っていいことと悪いことを分別しているかのように、ゆっくり口を開いた。
「国全体を覆えるような、結界さ。国民が耐えられる魔力で、かつエルフが立ち入ることのできないものを探してる。始めてから何十年経っただろうな、ローランドからの依頼だったんだ。それが完成したらいくらでも全面戦争が可能だから」
「……もうすぐ完成しそうなんですか?」
「いいや、まさか。俺はあいつが生きているうちに、できはしないと思う」
「そう、なんですか」
あまりにも淡白なリドルの反応に、少し戸惑いを覚えた。親しそうに話していたわりには、距離をとったような言い方だったからだ。しかし、どこか少し、彼の雰囲気が変わった気がしたので、この話題は避けた方がいいと本能的に思った。きっとシュトラムハゼルは、リドルに近しい存在なのだ。
「ねえ」
「敬語が混ざった喋り方は元からか?」
「え、いや、違う、けど」
「じゃあ普通に喋れ。みっともない」
さらっと人を貶すのは癖なんだろうか、いちいち鼻につく男だ。キルシュは顔をしかめながら、今首をもたげている事を訊いた。リドルなら何て答えるのか、キルシュには分かるような気がするが、そうやって無作法なことを訊くには仲のいい人がいなさすぎた。……いや、リドルはどこか達観しているような部分があるので、うっかり訊いてしまったという方が正しいのかもしれない。
「リドルは、殺すとき、怖い?」
リドルは瞠目した。飄々とした顔しか見たことがなかったのに、彼のいつも通りじゃない崩れた表情を見た瞬間やはり失敗だった、と思った。キルシュは苦虫を噛み潰したような顔をして、なんでもない、と言おうとしたが、それを言う前にリドルがそれを遮った。
「怖いよ」
「え……」
意外だった。彼が怖い、なんて言葉を出すとは思っていなかったのだ。アルジュナのリーダー。1か月でたくさん恐ろしい噂を聞いたが、キルシュがリドルに反抗的な態度を取れないのは、彼が怖いからだ。何が怖いと言われて即答することもできないが、怜悧で、冷たい人殺しだと思っている。そんな向かうところ敵なしと言われている、リドル=バレンシアがそんなこと。
「俺は何も感じない。痛みも悲しみも憎しみも愉しみも背徳感も。それが、怖いんだ」
穏やかな微笑を浮かべながら、どこか遠いところを見て言うその姿は、まるで普通の人を追っているかのようで、異様で、曖昧で、どうしてこいつがそんな表情をするんだ――――
「ごめん、なさい」
「何を謝る。俺は訊かれたから答えただけだ……参考にはなったか?」
リドルは知っている。自分の心の迷いをすべて。千里眼でも持っているのか、それとも長く生きたせいで人の表情に敏感になったのか。
「……私、記憶がないの」
捨てるものなんて、ほんとに少ない、自分の命に比べれば、手のきれいさなんて。それに、この手はもうすでに何人も殺している――――。それでも怖くて仕方ない。
リドルが、存外驚いた表情を見せた。繕うように、生活面での問題はないんだけど、と呟く。こんなこと言うつもりじゃなかった、と後になって後悔した。だって、そのあとの言葉が思いつかない。強くなりたいから「魔術を教えて」?「帰らせて」?違う、そうじゃない、何を言おうとしたのか、何が言いたかったのか、忘れてしまった。
「お前が嫌なら前線に出なければいいだけの話だ。殺さなくてもいいんだ、だから、魔力に慣れるまで練習でもしてろ」
「……はい」
告げられた言葉は柔らかかった。リドルから聞いた言葉で、一番柔らかかったんじゃないだろうか。それはどこか気遣っているようにも感じた。
「キルシュ、手を出せ」
いきなり何だ、とは思いながらも、素直に右手を出した。
その中に落とされたのは、青い宝石のネックレスだった。銀色の、シンプルで華奢な感じの、そして魔力が籠っているのがわかるもの。これは一体なんだ、とリドルを見上げる。
「お前がエルフに襲われて倒れていた場所に落ちていた。ものがいいし、魔力が宿りやすそうだったから持っていたんだが」
「私、こんなの持ってなかった」
記憶にないネックレスを眺めながら、首をかしげる。光に反射して、きらきらと輝くそれは、一度は女として身につけてみたいと思っていたもの。こんなものがいいもの、買った覚えもないしもらった覚えもない。
そうか、じゃあエルフの持ち物だったかもしれないな。と言ってリドルは続けた。
「まあ、その宝石に魔力を応用して、シュトラムハゼルが昨日作ったものだ。魔力をある程度制御する魔方陣を組み込んである。これで1度はお前の暴走を防げる。遺品なんて持っていたくないかもしれないが」
「私を信用してないってこと?」
「そういうわけじゃない。ただ、お前は前例がないほど魔力の絶対量多い。意識しないところで暴走させる可能性もあるんだ。だからつけておいて損はない。俺も、お前も、だ」
掌の青を転がす。初めてアクセサリーなんて手にしたのに、当たり前といえば当たり前なのだが、あまりうれしくない。
「あなたは、何か制御しているの?」
「俺ほど長く生きていると、無意識の暴走をすることもなくなる。体が覚えるんだろうな」
「そうなんだ……」
キルシュはネックレスをじっと見つめて、それから首に下げてみた。思ったより自分にしっくりくるようで、魔力がついている分、落ち着くような気がした。窓に映る自分を見てみると、自分の青い目と見事に合っていて、ずっと前からつけていたかのような統一感があった。
「お前に蒼は似合う」
満足そうに笑ったリドルにつられて、キルシュも少し笑った。今日は素直に言葉が滑り出してきた。今まで言えなかった部分も含めて、言える。
「ありがとう」
「期待してるぞ、新入り」