2-4
「お前は強くなる」
昨日、リドル=バレンシアがキルシュに言った言葉だ。
「どうして解るの」
「精霊たちがお前を歓迎しているからさ」
「精霊……?何ですか、それ?」
「……精霊は全てに宿る思念体だ。それは物であったり風であったり、炎であったり、水であったり。精霊は心が存在しない。ただそこにあり、空気のようにさ迷う存在。それを利用したのが魔術だよ。これはエルフとドワーフが共同で考えたものでね、人間も使えるんだろうけど誰一人この存在をしらない」
「そっか、だから戦争では必ず人間が負けていたんだ」
「その通り」
「でも、心がないのに私を歓迎しているんですか?」
「ただ俺がそう思うだけ。単なる擬人法だ。魔術を使えないお前にはまだ見えないけど。たぶん、見えるようになる」
お前の周りに、他のものよりも精霊たちが寄り付いているんだ。エヴァンと同じだな。とリドルは楽しそうに言った。その表情は、さながら純粋な子供だった。よほど、精霊と近い存在なのだろうか。それとも魔術に執着しているのだろうか。想像を膨らませてみるけれど、答えが出ることはない。
解った事といえば、リドルという存在が不思議なものであるということだ。
ハーフエルフ。
それがどんなものなのか、どんな扱いを受けるものなのか、キルシュにはわからない。
エルフの不老を気味悪がる人間と、人間汚らわしく思うエルフの忌み嫌いあう仲で生まれた、どっちつかずの存在。まるで中立を保っているドワーフのようだ。もしかしたら、彼を受け入れるものは本当に少ないのかもしれない。とキルシュは勝手ながらに想像する。
それはハーフエルフというものを初めて見たし、リドル自身のこと知らず、聞けないからだ。聞けるわけがない。そんな不躾な質問ができるほど、キルシュは常識がなってないわけではなかった。それもどうでもいいことか、と突然思考が面倒臭くなり考えを放棄した。
その次の日、さっそくアリスがキルシュの部屋に訪れていた。
アリスはどちらかというと体術派で、魔術は実のところあまり得意ではないらしい。だが精神を集中することが得意だそうで、だからリドルはアリスを師匠に選んだのだろう。もちろん事前に知り合いだったということもあるからだろうが。
キルシュはリドルの配慮に感謝した。キルシュが考えるに、ただの気まぐれだと思うのだが。あの人は割と自分勝手のような気がする。
リドルがいうには、魔力は自分で完璧に制御できるようにならないと、また街を破壊してしまうような事故が起こるかもしれないからだそうだ。その話を聞いて、ぞっとした。洗脳された常識という枷が、何かによって外されていくような。
「あの人を悪く思わないであげてね」
「え?」
唐突に、アリスはそう言った。
「……うん、わかってる。制御ができなきゃ、どこへ行っても駄目だってこと。あの人の言っていることが、正しいんだってこと。自由にできない理由は挙げたらキリがない。でも、だから、だからこそ、悔しい……」
「魔力っていうものが、魂そのものっていうのは聞いたんだよね?」
頷く。アリスは続けた。
「つまりね、感情の揺らぎによっての暴発もありえるの。だから精神面も鍛えていこうね」
「はい、師匠」
師匠と呼べば、アリスは照れたようにはにかんだ。敬語はつけなくていい、恥ずかしいから。そう言ってまた笑った。
魔術は、それを助ける「魔方陣」を書けば発動は楽に行えるらしい。ようするに、魔方陣を書けば魂が疲弊せず、制御も簡単にできるということ。しかしそれは戦いの中では役に立たない、生きるか死ぬか、どっちかしかない場所で隙をつくるのは自殺行為だ。そうアリスは教えてくれた。
魔術というものは、空気に溶け込む「精霊」に反応して起こるものだそうだ。例えば炎、水、風。そのものには意志はないが、魂と魂が連結するときに魔術の陣が組めるという。原理は詳しくわかっていない、とアリスは言っている。
「ここは軍じゃなくて、組織なんだよね。どうして?軍と協力したら人数が集まるのが早いのに……」
「いい質問ね。エルフと対立することを、この世界で認められている国は少ないの。ローランド皇国は別で、アルジュナに協力的だけれど。そもそもエルフは神の器とも呼ばれているし、畏怖を交えて神々を信仰してエルフを奉るエルフ以外の人も少なくないわ。そういうことで、国家が認めない完全なる自治組織なのよ。もちろん人数は今のところ負けているわ。さすがは神の器と云われるだけある。本当に神がいるかどうかは定かじゃないけれどね。でも人間は努力と言う言葉を知っているし、あたしみたいなドワーフもこの組織に数多くいる。ドワーフは筋力の強い種族だから最高級の武器を作ったり前線で盾になったりもできる」
「……どうしてそこまでエルフに」
「そうね。普通はそこを疑問とするわよね」
アリスは居心地わるそうに俯いて、拳を手が白くなるぐらいに強く、ぎゅ、と握った。
「もともとエルフたちは、その体に持つ力を公に出さないように森に結界を張って住み着いていたわ。彼等を見るものはほとんどなく、まるで伝説の存在だった。敵と馴れ合わない孤高の存在、だからこそ均衡が保たれていたのかもしれない。それが壊れたのは数年前。急に彼等が攻撃的になり出した」
そこまでは聞いたことがある。
「なんでか?そんなのはわからない。けど、街一つ魔術で破壊し、笑って、国家を一つ潰し、やがてはそこに住み着いた。もともと弱肉強食の世界だし、仕方のないことかもしれないけど、あんなのただの、」
「殺人鬼、だった?」
キルシュが後を続けた。
そのことは、街にいたときに知ったことだった。ローランドはエルフに纏わる宗教を廃止している国で、だからエルフ――――敵を国に入れないために検問していたらしい。現在中立であるドワーフも、どうやらその対象になってしまっているらしいが。
「……そうよ。殺人者と殺人鬼は違うわ。彼等は己の力を過信し、自らそれが神の力だと言い張り、老若男女問わず人を殺したわ。戦えない人だって、病人だって、けが人だって、全部力で地に沈めた。あたしたちみたいにそれに反発する人もいれば、皮肉な事に、彼等を崇拝する人も現れ始めた。ぶっちゃけ言っちゃうと、そっちの人のほうが多い。恐怖ほど怖いものはないわ。それだけで人をひれ伏させることができるのだもの」
出張ったことを訊いたかもしれない、と思って取り繕おうとしたが、それよりも早くアリスが言葉を紡いだ。
「1050年に世界戦争が起きたってこと知ってる?」
世界戦争。聞きなれない単語にキルシュは目を丸くした。そんなこと、一度も聞いたことがなかった。リシェルからも、義父たちからも。世界情勢なんて知らないし、そもそも、今が世界歴何年なのかも知らなかった。
「今、何年だっけか」
「1200年よ、変なこと訊くわね」
呆れたような口調のアリスに、苦笑を返す他なかった。
「戦争があったなんて、知らない。聞いたことも読んだことも」
「そりゃ、そうかもしれないなぁ。皆、口にだそうともしない話だし、それだけの悲劇だったって語り継がれている。あたしはバレンシアさんに教えていただいたわ」
「それは誰が起こしたものなの」
「一般的には、帝国の王さまだって言われてる」
アリスの声はひどく沈んでいて、秘密事を語るように静かだった。彼女が語るには、その戦争は50年続き、国も、山岳地帯さえも、世界の半分が壊滅状態に陥ったらしい。帝国はここからかなり遠い場所にあるが、そこを中心としてたくさんの国々が凄惨な戦いを続けたという。終戦してからは何十年もかけて復興してきたが、その爪痕は大きく残ったまま――――。
当時ローランドは後期に参戦したため、今も残るような被害はなかったそうだ。だからアルジュナはローランドと手を組んだのだろう、と勝手に想像した。
「その戦争は、王が失脚したときに締結したわ。あたしの生まれたとき、もう戦争は終わっていて復興途中だった。でもね、あたしが10歳くらいの時。エルフが暴動を起こし始めた。復興途中だった場所も、あたしの町も、また壊れた」
だからあたしはここにいる、と、アリスは告げた。
真っ直ぐな目が、まるで泣いているように見えた。
どうしてか、彼女の憎むエルフが重なって聞こえて、体の芯が重く感じた。アリスに、どんな言葉をかければいいかわからなくて目を伏せる。彼女の目をこれ以上みていると、どうにかなってしまいそうだった。罪を問うような、責めるような。
キルシュはその考えを振り払って精神を集中させることに専念した。
日にちはページをめくるように過ぎて行った。
キルシュはなんとか魔術を身につけようと、必死に努力して、やっと制御できるようになった。暴発しそうになったときは、そのたびにアリスに気絶させられて止められたり、なにかと大変だったが。ただ、少々がんばりすぎて、寝不足であることが難点だ。
「眠い……」
やっと修行が終わったので、暗い、蝋燭の灯だけが点る廊下を、部屋に戻るために歩いていた。
目の下に隈をつくって、とぼとぼと歩く姿は、まるで病人だ。
ここ何日かで少しは『アルジュナ』の隊員もキルシュに慣れたのか、「大丈夫か」などと労いの言葉をかけてくれている。正直、慣れるとは思っていなかったので、素直にうれしかった。そこに至るまで、色々あったのだが。
キルシュという新入りの少女が孤児院でひどい仕打ちをされ、嫌になってそこから逃げ出した。行くあてもなく彷徨っているときにリドルに拾われ、このアルジュナに所属した。
という色々尾ひれのついた噂を聞かないものはいなくなるのに、そう時間はかからなかった。キルシュがここにきて1か月になる。それだけでその噂は隅々まで広まっていた。
おそらくこれはリドル=バレンシアがキルシュの居場所を確定するために流した噂だろうが、それを信じきったアリスには同情の目で見られる上に、その孤児院はどこだ、見つけたら潰してやるなどと不穏な事を言ってくるので、リドルの行為はありがたくも少々困る部分がある。
尤も、その変な話のお陰で、故郷に触れることも、少し前のことも皆訊いてこない。会いたいと願う家族のことを少しでも、せめて今だけは忘れようと思う。そうじゃないと、キルシュの知らない重い何かがのしかかって潰されそうになるのだ。
そんなことを色々思い出しながら歩く。眠いのは変わらないのだが。
そろそろちゃんと寝ないとダメかな、と思い、ふと廊下を立ち止った。
「……?」
きょろきょろと辺りを見回す。
――――こんなところ、あったっけ?
いつの間にか、知らないところに出てきてしまったようで、古ぼけた石造りの廊下に出てきてしまっていた。アルジュナは、廃墟を人が暮らせる程度に修復したりして拠点にしているので、ここはまだ手をつけていない場所なのだろう。いろんなところにひどいひび割れや、歩いたら絶対ひっかかるだろう、という量の蜘蛛の巣が見れる。
と、いうことはだいぶ部屋から遠いところに来てしまったのだろう。戻るのが面倒くさいな、と考えながら、キルシュは元来た道をたどろうと、振り向いた。同時に息を詰まらせた。
「――――――ッ」
目と鼻の先に、自分と同じくらいの背の少年が立っていたからである。銀色に近い、しかし見ようによっては蒼くも見える長い髪を後ろで結って、まるで道化師のような服を纏っている。しかしそれはユニークな色ではなく、喪服のような漆黒。金色の、猫のような目がきらりと光った。
「こんばんは、キルシュ」
「……ぁ、はい。こんばんは……?」
アルジュナの人だろうか。隊員の顔はあまり知らないので、申し訳なく思いながら挨拶を交わす。キルシュは正直、気味が悪いな、と思った。何を考えているかわかるようで、わからないような笑みは、リドルのようでそうでない。
ぞっとするような、化け物を相手にしたかのような、冷やかな空気。夜だからそう思うだけか?こんな異常に古ぼけたところにいるからか?答えは見つからない。
「がんばってるみたいだね」
「どうも」
社交辞令に、軽く頭を下げる。すると少年は、ゆっくりと笑みを浮かべた。
「リドルはいいやつかい?」
「え?」まぁ、ここに居らせてもらっているのだから、いい人の部類に入るのだろう。暴走の件から、はやく魔術を習得するために大分優遇されているし。
「はぁ……そりゃ、まぁ、それなりに」
意図がつかめない質問に、正直に答える。ただ、相手に悪意がないところからみて、自分の敵ではないのだろうと判断した。
「なんの躊躇いもなく人を殺めるのに?」
――――どきり、と心臓が大きく脈打った。
「君がいう、彼が優しいとして、だったらなぜ人を殺すのか?優しさとはなんだと思う?命って何かなぁ。人殺しって悪いこと?」
「……私には、答え、かねる、よ」
人を殺したことがないからわからない、と言おうとして、言葉に詰まった。1か月前の、エルフ2人を思い出したのだ。アレを殺したのは、意識的でないとしても、キルシュ自身が手にかけたことには変わりのない事実だったからだ。そして城下が半壊。つまり、そこにいたエルフだけじゃなくて、他の人々も。もしかしたら宿屋でよくしてくれていた人にも。未だそれを確かめに行けない自分。
どくどく、と心臓が音を立てているようだ。外に聞こえるんじゃないかというほどに脈打っている。これは心の音だろうか。ぐらぐらと、自分というものが傾いていくような気がして、金色から目をそむけた。素直にこわい、と思った。
「ねぇ、キミはなんでそんなにがんばってるの?がんばる必要があるの?逃げていいんだよ。だってそれはキミの望みではないだろ?」
知ったような口をきく道化師に、キルシュは返事をしない。そのまま横を通り過ぎた。通り過ぎる瞬間、少年は、ぼそりと呟いた。先ほどとは違う、少し寂しげな、意志を思いきり伝えるような言葉。
「キミはそのままじゃいられない。――――可哀想な人の子よ」
ぞっとしたキルシュが思わず振り向くと、その少年は、もともとその場にいなかったように消えていた。静まり返った廊下に、隙間風の音だけが鳴っていた。ただ、重い空気だけが、ひっそりと息づいている……