『日食』『空谷の跫音』『 』
『日食』
「さあ、行こうか」
君はいつもこう言って、私の手を引いて歩き出す。にかっと笑いながら。
「う、うん」
私はいつもこう言って、君の手を握って歩き出す。君の背を追いかけて。
君は私にとってのお日様。
私は光を反射することでしか輝けないお月様。
君はみんなに光を与える。
私は君から光を貪る。
「……」
君の背中を見た。
私は君に手を伸ばした。
私はお日様にはなれない。
ーー午後5時頃に、女子高校生が軽自動車に撥ねられる事故が発生しましたーー
『空谷の跫音』
ああ、空が泣いている。
どうして?
何か、悲しいことがあったの?
「今日もまた、世界中で多くの命が失われていく。どうしてなのだろう」
それは病気のせい? 事故のせい? それとも戦争のせい?
「わからない。ワタシにはそれを知る術がない」
どうして? あなたはいつも私たちを見下ろしているのに。それでもあなたにはわからないと言うの?
「ワタシにわかるのは、多くの命が失われていくことだけ」
ああ、だからあなたにはわからないのね。命が失われる原因が。
「どうしてなのだろう。どうして命は失われるのだろう」
そうね。どうしてなのでしょう。私にもわからないわ。
なぜ、死はあるのかしら。とても不思議。
「ああ、まただ。また、命が潰えていく。ワタシは悲しい」
悲しい……か。
あのね。よぉく見てみて、この星を。たくさんの命が今を生きている。なんて逞しいのかしら。なんて美しいのかしら。
「……ああ、そうだ。この星は美しい。多くの命が、命の灯火を精一杯に輝かせて生きている。だからこそ、悲しいのだ」
あら、どうして?
「この星の命は、かつてより大幅に増えた。それは確かなこと。だが、その分、命の灯火の灯りが弱まっているように、ワタシには思えるのだ」
どうして弱まっているのかしら。
弱まると良くないの?
「なぜ弱まっているのかは、ワタシにはわからない。しかし、命の灯火が弱まるということは、それだけ死が近いということなのだ。死は、良くない」
あら、なぜ死は良くないの?
「死は、終わりだ」
そうなの? 私は、死んだ後は生まれ変わるのだ、と聞いたわ。輪廻転生というのですって。
「そんなことはない。命の誕生という始まりがあれば、死という終わりが訪れる。それは天の摂理。不変の理」
じゃあ、死という終わりを迎えた命は、その後どうなるの?
「ワタシに帰ってくるのだ」
どういうこと?
「命とは、ワタシから生まれ出でてこの世に降り立ち、死を迎えてワタシに帰ってくるのだ」
帰ってきたら、どうなるの?
「またワタシに戻る」
あなたと同化するということかしら。それなら、存在も消滅してしまうじゃない。
「だから、悲しいのだ」
どうして命はあなたに帰ってくるのでしょう。
「わからない。ワタシは天の理に従って、命を生み出し続けるのみ。消滅してしまうというのに、なぜ帰ってくるのか。ワタシにはわからない」
……そう。
「……」
……そういえば、ここはどこかしら。
「ワタシだ」
どういうこと?
「そなたは死に、ワタシのもとに帰ってきたのだ」
そう、私って死んでたのね。
じゃあ、ここにいる私は何なのかしら。
「わからない。わからないが、ワタシに戻るまでにかかる時間には差がある。きっと、そなたは時間がかかる方なのだろう」
そうなの。じゃあ、私は溶けかけの魂と言ったところかしら。
あなたになったら、私はどうなるのでしょう。
「わからない」
そうね。ふふっ、そうよね。自分の中なんて覗けるわけがないものね。
「……」
ねぇ。
「どうした?」
私って生前、とても死にたがっていたような気がするの。
「どうしてそんなことを言う」
私ね、死んだ母親のお腹から生まれたのよ。
「どういうことだ?」
家にね、ミサイルが突っ込んできて、崩れ落ちる家に押しつぶされて死んだのよ。戦争をしてたの。お腹の中にいた私は、その時助けに来た救助隊の人たちに助け出された。
父親もすでに戦争で亡くなっていたから、親戚に引き取られたらしいの。そこでの暮らしは、全く覚えていないけれど。物心がつく前に、みんな病気で死んじゃったから。
それから孤児院に入れられたけど、みんな自分のことで精一杯で、私に構ってなんてくれなかった。それでもね、私は割と平気だったわ。もう慣れっこだったもの。でもね、ある時厨房で火事が起きて、みんなみんな燃えちゃった。私のお気に入りのお洋服も、宝物の小石も、周りの子供達も、みんな灰になっちゃった。
それから私はずっと一人。
どうして死んだのかは、あまりよく覚えていないわ。
でもね、私、死んでもあまり悲しくないの。どうしてなのでしょう。
「わからない。ワタシには、ワタシ以外の者の感情を知る術はない」
そうね。他人の気持ちなんて、わからないものね。同じように、自分の気持ちも、よくわからないものよ。
「だが、なぜ命の灯火が弱まっているのかは、わかった気がする」
そう? どうしてだと思うの?
「おそらく、希望が弱まっているのだろう。生きたいと願う思いが。そういうものは、死を遠ざける。しかし、希望が弱まっているから、死がこんなにも近くなる。ワタシは悲しい」
悲しまなくてもいいのよ。全ては人間が起こしたことだもの。希望を手放していることも、戦争も、事故も、病気だってそう。そんな愚かな人間のために、涙を流さなくてもいいのよ。
「そうではない。死の原因が人間の行いであろうと、命の価値に一点の曇りもつかぬ。命は等しく、我が宝。それが失われるのは、とても悲しい」
……あのね。私もわかった気がするわ。死を迎えた命が、あなたのもとに帰ってくる理由。
「そうなのか? どうしてなのだ?」
あなたに戻りたいからよ。
「どういうことだ?」
だって、あなたって、こんなに暖かい。
「それは消滅を受け入れる理由になるのか?」
ええ。大いな理由になるわ。
「そなたは……」
なぁに?
「そなたは、ワタシが憎くないのか」
どうしてあなたを憎むというの。こんなにも優しいあなたを。
「そなたも、あまねく全ての命も、もとはワタシが生んだもの。そなたらを、過酷な旅へを送り出してしまった。そして、そなたはワタシのせいで辛い思いをしただろう」
あら、そんなことないわ。確かに、大変な旅だったけれど、最期にはあなたに出会えたもの。あなたの中は、心地いい。それだけで、私は十分。
それに、ほら、よく言うでしょう。終わりよければ全てよし、よ。
「そうか」
ええ。だから、もう涙を流さないで。あなたは微笑んで、優しく、暖かく、壮大な旅を終えた命たちを迎えてあげて。
「そなたは、もうすぐ消滅してしまう」
ええ、わかるわ。でも違う。私はあなたになるのよ。
「ワタシを受け入れてくれるのか」
私を受け入れてくれるのは、あなたの方でしょう。
「ワタシは……存在していていいのか」
もちろんよ。
だって、あなたはこんなにも美しいーー。
そして私の魂は空に溶けていった。
『 』
空に浮かぶ雲は滑らかな綿のようで、澄んだ深い蒼を背景にゆっくりと流れている。
道端の雑草は、除草剤を撒かれたのか、黄色く打ちひしがれている。
むわっとした熱気を感じる。アスファルトの黒に反射して、二重で私の肌を灼く陽光。
地上は地獄だ。
空は涼しいだろうか。太陽に近いからもっと暑いかな。
飛べるものならば。あの大空に、風に乗っていくのだろう。
そう、そうできたなら、どれだけ気持ちがいいだろうか。
風が空へと吹いていった。
私は空を見上げた。太陽が眩しかった。
ーー影が差した。
ふと直上を見上げると、黒光りした塊が一つ。
それが見たこともないほど大きな爆弾だと気付いたのは、閃光が目を焼いてからだった。