『万年筆の憂鬱』
これちょっと長いから単体。
万年筆は焦っていた。それはもう焦っていた。このままでは我が身にインクを漲らせ、紙面にこの艶やかな足跡を残すことなく、錆びて終わってしまう。隣人達も同様の焦りで身を焦がしているようである。だというのに、ヒトは我らを見向きもせずに目の前を通り過ぎて行く。このごろはこの透明な部屋の中でポツンと座り込み、ヒトの往来を眺めるのみ。
我が遠席には、我らとは似ているようで別のモノ達が並び、ヒトの手に取られるのを待っている。泰然とした様子である。我らが選ばれぬわけがないとばかりである。そしてそれは事実であった。我らのように、透明な部屋に入れられているわけではない。同じ姿形をしたモノ達が乱雑に金属に掛けられているだけである。はっきりと言えば、汚らわしい。だというのに、ヒトは我らに見向きもせずにそのモノ達ばかり手に取って連れ帰るのだ。このモノ達を憎まずにはいられない。そして、我らのこの滲み出る高貴さにひれ伏そうとせぬヒトはそれ以上に憎いのだ。
ああ、今日もまた奴らばかりをヒトは求めるだろう。そして我ら万年筆はこの透明な檻の中で一生を終えるのだ。
と、思っていた。
おや、このヒトは他のヒトとどこか違うようだ。我らの透明な部屋の前で、我らを食い入るように見つめてくる。だが、期待はしない。これまでのヒトの中にも、見るだけ見ておいて結局誰一人連れ帰らないというヒトは何人もいた。きっとこやつもそうなのだろうと思って、冷めた目で見返す。ヒトは離れて行った。ああ、まただ。これまでも、これからも、我らがあの汚らわしいモノ達を出し抜いて選ばれることなど幻想でしかないのだ……。
「こちらでよろしいでしょうか」
突然大きな音と共に、目の前にあった透明な檻の扉が開かれた。
大きな手が伸びる。
そこからはあっという間であった。ずっと傍にあった高貴な箱に丁寧に入れられた。蓋が閉じられるまでに私が目にしたのは、羨ましそうにこちらを見やる同胞達と、汚らわしいモノ達の妬ましそうな視線と、はにかんだヒトの顔であった。